Time after Time


「お、いたいた!サイ…」

ガーデンの廊下でさっきから探していたサイファーの姿を見つけ名を呼びながら走り出そうとしたゼルは、思わずぐっと言葉を飲み込む。
また、だ。
ゼルの方に白いコートの背中を向けたサイファーの肩越しに、何かを熱心に話している女性の姿が見える。
特に気にするような光景じゃない。
こんなのはいつものことだ。
サイファーが進んで相手をしているわけじゃない、そんなことは俺が一番よく知っている。
あの男の本気が自分にしか向けられていないことだとて嫌と言うほどに知り尽くしているのだから、気にしなければいいだけだ。
今まで何度、同じことを思っただろう。
サイファーの気持ちは疑うべくもないし、もちろん自分だって信じている。
だが信じている、という言葉とは裏腹に何をどうしても拭い切れない不安があることも確かで。
以前に一度サイファーに問い質されしどろもどろながらに言葉を紡いだこともあったが、何がそんなに不安なんだと一笑されて以来ゼルは心の奥底にそれを仕舞いこんだ。
今、ゼルの目の前にある光景に深い意味はないのかも知れない。
色艶めいた話をこんな公衆の面前でするはずもなく、ただ単に任務の話か。それに類する会話でしかないだろうと頭では理解していても。
あのサイファーが穏やかな表情で、他人と話をしている姿を見たくはないのだ。
バカげた嫉妬だと頭の中で自分の声が言う。
誰に言っても返って来る言葉はきっと同じだ。それこそどうしてサイファーを信じないのかと逆に聞かれかねないだろう。
何で、どうしてと問われてもゼルには答えようがない。
単純なようで複雑な、理屈など一切通用しない思いとて人の心の中にはあるものだ。
(……見たくねぇって思うのは、仕方ねぇだろ。って…え?)
ちら、とサイファーがこちらを振り返った気がした。
だがそれすらもゼルの気のせいか、今はもうサイファーは背中を向けたまま何事かを話し込んでいる。
何故だか、ほっとした。
このどろどろとした気持ちをサイファーに見抜かれるのだけは嫌だ。
気配を殺したままゼルはその場を立ち去ろうとし、手の中に握り締めたままの紙の存在を思い出した。



「…どうすっかな」

昼時には少し早い食堂でテーブルの上に置いたランチと、みっともなく皺だらけになった紙をゼルは交互に眺めた。
そう言えばこれを渡す為にサイファーを探していたのだと思い出しはしたものの、やはり声をかけることは出来ないまま。
逃げ出すようにしてあの場を足早に去り、つい習性で食堂に来てしまったのは間違いだった。
いつもの通りランチを受け取り席に着いてはみたが、どうにも食が進まないのだ。
どうせサイファーに会うだろうし、そのついでに渡しておいてくれとスコールから預かった紙は今度の任務に関するものだから、捨ててしまうわけにも行かない。

「んだ、食い気だけのチキンが珍しく飯残してんじゃねぇか」
「……サイファー」
「あん?飯残すだけじゃなく、とうとう頭でもおかしくなっちまったってか?」

言葉とは裏腹に、信じられない位に優しい仕草で仄かに冷たい指先がゼルの額に触れた。

「熱はねぇみてぇだな」
「たりまえだろ。俺だって色々あんだよ、飯が残ってるからって何でもかんでも…」
「下手に勘ぐられたくねぇっつんなら、残さず食え。何ならその口ん中に詰め込んでやんぜ」
「…余計なお世話だよ」

食うから放っとけ。
額に触れたままの指を払いのけたゼルに微かに目を眇めたサイファーは、さも当然と言った顔で向かい側の椅子に腰を据える。

「そう言えばさ、これ。スコールから預かってた」
「皺にしやがって、てめぇどこのガキだ。紙切れ一枚、マトモに預かれねぇってか」
「っ、それはたまたま!」
「どうせズボンのポケットに突っ込んだの忘れて、そのまま暴れやがったんだろ」

面白そうにゼルを眺め、運んで来たランチに手を付けたサイファーに。
違う、そうじゃない。
本当は、あんたが。
喉元まででかかった言葉は、けれどやはりゼルの口から発せられることはなく。

「…どうかしたのか、てめぇマジで何か変だぜ」
「何でもねぇって、うん」

ほら、いつも通りだろ?
追求を逃れるために放置したままだったランチを急いでかき込むゼルに訝しげな視線を向けはしたものの、それ以上サイファーから追求されることはなかった。




「チキン!てめぇ今日、何度目だ!」
「うるせぇ!何度でもそんなのあんたに関係ねぇだろっ」
「関係あんだよ、このバカチキンが!大した任務じゃねぇから余計な治癒魔法なんざ持って来てねぇって知ってんだろうが!」
「だから、んなのあんなに関係ねぇってんだよ!誰もあんたに治してくれなんて言ってねぇし、俺の手持ちにまだストックあんだからどうでもいいことだろ!?」
「…いい加減にしとけよ。てめぇがさっきから抜けたことやらかすから奴らの訓練になりゃしねぇだろうが」

見てみろ、あいつらのツラを。
肩越しに指差されたゼルが振り返れば。サイファーとゼルのやり取りに怖気着いたのか引き連れていた候補生の一団が遠巻きに遠慮がちな視線を向けている。

「てめぇ、なに余所事考えてんだ。集中してねぇから、んなクソつまんねぇミスすんだろうが」
「別に俺は…」
「ならこっから先、同じミスしてみろ。分ってんだろうな、チキン」
「……分ってるよ」

確かに久し振りに一緒の任務だったから、朝から浮き足立っていたかも知れないが。余所事、とサイファーは言ったがゼルにしてみれば何か特別に気にかかることがあったわけではないのだ。
だが候補生の実地訓練は難易度的には難しいものではない。
時折姿を見せる雑魚モンスターを相手に軽度とは言え怪我を繰り返せば集中力を欠いていたと言われても仕方ないだろう。

「本当に大丈夫なんだろうな…」
「大丈夫だって。別に余計なことも考えてねぇし」
「……まぁいい。戻ったらちっと話がある、逃げんなよ」

それだけ言うとゼルに一切の興味を失くしたかのようにサイファーは後ろに控えている候補生の元へと歩いて行ってしまった。
置き去りにされたかの様な、不安と焦燥感。
(何なんだよ、これ……)
そこにサイファーはいると言うのに。ほんの僅かな距離に、確かに存在しているのに。
サイファーが酷く遠くにいるようにゼルには思えた。



任務を終えガーデンに帰還した後。スコールに報告に行ったサイファーは自室に戻らなかったのか、僅かな時間でゼルの部屋へとやって来た。
ノックすらなく勝手に暗証コードを打ち込み、勝手にゼルの部屋へと入り。
見知った部屋だとばかりにずかずかと歩を進めると、サイファーは渋面のままソファーへ腰を降ろした。
ふいにサイファーを見下ろす形になったゼルはどうにも居心地の悪さを隠せず、視線を逸らすようにして声を絞り出す。

「…話って何だよ」
「俺よりてめぇの方が、話あんじゃねぇのかチキン」
「……別に、あんたに話すことなんて…」
「人の背中見て逃げ出したり、無理に表情作ってるやつが何にもねぇってか。俺が気が付いてねぇとでも思ってんなら、とことんめでてぇトリ頭だな。チキン」
「…無理なんて、してねぇし……逃げたんでも、ねぇ。あれはあんたが取り込んでるみてぇだったか……」
「いい加減にしろよ、てめぇ」

ぎし、とソファーの軋む音がしたと思った直後。
伸ばされたサイファーの手に腕を掴まれゼルの視界が反転した。
目を開ければ間近に、不機嫌さを隠しもせずに覗き込んでくるサイファーがいた。

「いきなり何すんだよっ!」
「言いてぇことあんなら、とっとと言えってんだ。それとも何か、無理矢理その口割らされてぇのか」

サイファーは本気だ。
必死で怒気を隠してはいるだろうが、ゼルを見る瞳の輝きは尋常ではない。
のらりくらりとはぐらかせば、その言葉の通り。どんな手を使ってでもゼルの口を割らせるだろう。
それこそ力ずくでゼルを思うようにすることなど、この男にとっては造作もないことだ。
ちっと舌打ちが聞こえサイファーの唇が近付いて来る。

「や、だっ!」
「…チキン」

反射的に顔を背けてしまったゼルに、今度は困惑気味なサイファーの声が聞こえた。
何度も、キスをした。
何度もこの腕に抱かれ、その熱に身を焦がした。
今更何をと笑われるだろうが、今ゼルが望んでいるのはそれではないのだ。

「……ごめん、サイファー。俺、あんたとそういうこと、したくねぇ…」
「…そういうことか」
「サイ、ファー?」
「悪かったな、キスの一つも嫌がられるほどてめぇに嫌われてるなんざ思い付かねぇで」

違う、そうじゃない。
俺があんたを嫌うわけなんてない。
咄嗟に出かかった言葉は、けれどやはり音になることはなかった。

「別れてぇ、って言いたかったのか。てめぇ」
「―――え?」
「そう考えりゃ、てめぇの不可解な言動も合点がいくってもんだな」

体の上からサイファーの重みが消えた。
呆然と見上げたゼルを見返すことも無くサイファーは無言で部屋を出て行く。
別れてぇのか。
サイファーのその言葉だけがゼルの頭の中で何度も蘇り、そしてようやく自分の中にわだかまっていた不安の正体に気が付いた。
(……ん、だ。やっぱ俺ら、付き合ってたのか)
のろのろと体を起こしたゼルは乾いた笑いを零し、ソファーの上で膝を抱え続けた。



あの夜から何日も過ぎたが、ゼルの日常は変わらなかった。
普通に顔を合わせて挨拶もすれば、一緒に食事を取ることもある。ただサイファーとの間にあった目に見えない繋がりが、微妙に変化しただけだ。
だが、サイファーに纏わり付く女性の姿を見れば今まで以上にイライラするばかり。
付き合っていると言う事実が消えた以上、もうそこにゼルが口を挟むことは出来ない。
こいつは俺のものだと衆目を気にせずに言えば良かったのだろうか。それともサイファーに、あんたのそんな姿を見ているのは面白くないとはっきり言えば良かったのか。
後悔ばかりが胸の奥から次々に湧いては消え、ゼルの心は穏やかではない。

「面白くねぇ…」

早目の夕飯を終え自室のベッドにごろりと横になってみたものの、どうにも気持ちが落ち着かないのだ。
いつもであれば、どちらかの部屋で一緒に過ごしていた時間で。
下らない言い合いをしたり、ゼルが真剣になって見入っている番組にサイファーがガキくせぇ、と茶々を入れたり。
あの長い指が意外なほど繊細な動きで、ハイペリオンの手入れをしているのを眺めてみたり。
他愛もないことの数々が、とても大切なものだった。
サイファーのせいではない。悪いのはそこにある気持ちを信じることの出来なかったゼル自身だ。
形のない不安に憑かれ、目の前にある真実を見極め切れなかった自分自身の浅慮さがこの結果を生んだだけ。

「……一暴れしてくっかな」

幸いにも訓練施設は24時間いつでも使用可だ。それにこの時間ならば食事時という事もあって誰かに出会うこともそうはないだろう。
下手に時間を持て余しているから考えてしまうのであって、体を動かせば少しはすっきりするはずだ。
疲れ切るまで体を動かせば夢も見ずに、泥のように眠れるだろうか。
思うと同時にベッドから跳ね降りサイドテーブルの上に投げ出してあったグローブを掴むとゼルは訓練施設へと向かった。


はあはあと肩で息をするゼルの額や首筋を、幾筋もの汗が流れ落ちた。
入り口側から右回りに訓練施設の最奥まで行き、再び戻って来る。それを一体、何度繰り返しただろう。
ガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうな膝にゼルはさすがに自分の体が限界に近いことを知る。
幾度か大きく息を吐き出し、ゼルはそのまま背後のフェンスにもたれるようにずるずると座り込んだ。
入り口付近のこの場所は緩衝地帯だからモンスターが出てくる危険性はない。戦場とは違い、ここで座り込む分には身の安全は保証されている。
だからと言ってこんなところでへばっている姿をサイファーにでも見られれば何を言われるか分ったものではないが。
あの男のことだ。
これ幸いとばかりにガキだチキンだと盛大に罵ってくれるに決まっている。

「つか、何であいつのことなんて思いだすかな…」

結局、何をどうしても忘れることなど出来はしないのだ。
忘れた風を装うことは出来たとしても、ゼルの中に刻み込まれたサイファーの存在そのものは消えない。
ならばいっそ。
不安に苛まれようとも、嫉妬に身を焦がそうとも。
隣にいられただけ、あの時の方がマシだったのではないだろうか。

「……やってらんねぇ」
「何がやってらんねぇってんだ、このバカチキン」
「…………ばかばかし過ぎてやってらんねって…へ?」

聞こえてきた声に思わず無意識で返したゼルは、次いで慌てて顔を上げた。
微塵の気配も感じなかったと言うのに、そこにいたのは紛れもない白いコートの姿。

「バカも休み休みにしろよ、チキン。てめぇが今度は何しでかすかってこっちは気の休まる暇もねぇ」
「バカでもなけりゃ、チキンでもねぇっ!つか、なんであんたがここにいんだよサイファー!」
「ああ?どっかの頭が足りねぇ上に言葉の不自由なバカをそろそろ許してやろうかって部屋まで行ったらいやしねぇ。わざわざ探して来てやったんだ、ありがたく思え」
「誰も探してくれなんて言ってねぇだろ!勝手にやっといて偉そうに言うなっ!!」
「…まだ足りねぇってか」
「……な、何がだよっ」

喚き散らすゼルを愉快そうに眺め、そっと膝を折ったサイファーに見つめられ。
一体何が起こっているのかと困惑を隠せないゼルの体は軽々と抱き上げられる。

「っ、降ろせばかっ!」
「膝も立たねぇぐれぇに暴れておいて、まだ喚く元気は残ってんのか?」
「知るか、んなのっ!だいたい、あんたと俺は別れたんだろ!?意味の分んねぇことすんじゃねぇ!」

別れると言って部屋を出て行ったのはサイファーの方だ。
それを今更、何を思ってこんな風に扱うのか。

「誰も別れるなんて言ってねぇだろ、てめぇの勝手な思い込みで話進めんじゃねぇ」
「………なっ」

降ろせと喚きながら今にもサイファーの髪を掴んで引っ張ろうとしていたゼルの動きがその言葉にぴたりと止まる。

「あんたが言ったんだろ!別れてぇのかっ……て…あ、れ…?」
「俺は一言だっててめぇと別れるなんざ言ってねぇ」
「それこそ意味分んねぇだろっ、俺に分る様に説明ぐれぇしろ、このっ!」
「何でもいいがちったあ静かにしろ。んな情けねぇ格好、誰かに見られてぇっつうんなら止めはしねぇがな」
「……う」

サイファーの腕に抱き上げられたまま喚いている内に、いつの間にか訓練施設の外へと運ばれていた。
寮も程近い場所で大声を上げていればサイファーの言う通り。いつ誰がひょっこりと部屋から顔を覗かせるか分らない。

「てめぇがあんましグズグズ言うから、ちっとばかし嫌がらせしてやっただけじゃねぇか」
「嫌がらせって何だよ、それ!」
「したくもなんだろうが。人の顔見りゃ言葉は飲み込む、言いてぇことの半分も口にはしねぇ。それじゃ何のために付き合ってんだか分んなくなっちまうだろ」
「…そ、れは……」
「だからてめぇはバカだってんだよ。少しは懲りたか」
「つ…か、何であんたに嫌がらせされなきゃなんねぇんだよ!元はと言えばあんたがっ」

ゼルの部屋の前まで移動したサイファーはそこで足を止め、もう一度顔を覗く。

「……俺が?」
「あんたが、何にも言ってくんねぇからっ…付き合ってるかどうかも分んねぇし色々考えちまうんじゃねぇかっ!」
「分んねぇのはてめぇがバカだからだろ。どうでもいい相手に口割らせるために、俺がわざわざこんな手ぇ込んだことするかってんだ」
「んなの、は…」
「まぁ、年に一度ぐれぇなら大盤振る舞いしてやってもいいけどな」

忘れてんだろ、チキン。
今日は何の日だ。

「…………あ」
「トリ頭は幾つんなってもトリ頭のままか?まさかてめぇの誕生日まで忘れてやがるとはさすがだぜ」
「うるせぇ!勿体つけてねぇでとっとと言えっ!」
「焦るこたぁねぇ。部屋ん中で嫌っつうほど、聞かせてやるよ…ゼル」
「あんたって…本当に……」
「あん?最高の恋人だろうが。トリ頭でも一生忘れねぇだけの愛の言葉を聞かせてやろうってんだからな」
「ばか、や…ろ……」

耳元に注がれた艶めいた囁きに気恥ずかしさから脱力したゼルはサイファーの肩口に顔を埋める。
このドアの向こうで。
幾度も繰り返し朝まで聞かされるだろう言葉を思ってゼルは更に頬を赤くした。



間に合わないかと泡を食いましたが、ギリギリ滑り込みセーフなゼルのお誕生日記念。
性懲りもなく意地クソ悪いサイファーと、やっぱり一人でぐるぐるしちゃうゼルですが。
割れ鍋に何とかなこの二人が大好きなのでお許し頂ければと思います。
Happy Birthday Zell!

2007.03 如月アヤ