5. ジャンクション(with Xu)
「記憶をなくす、ってどんな感じすか?」
真剣な、蒼い瞳がまじろぎもせずに見つめている。
シュウは内心、驚いた。
そんな事を尋ねられたのは、初めてのことだったからだ。
G.F.のジャンクション訓練に補佐官として付き添い、ガーデンに戻って、カードリーダーの前で解散の号令をかけた直後の事だった。
ばらばらと散っていく学生らの中から小柄な生徒がひとり進み出て、シュウ先輩ちょっといいですか、と声をかけてきた。
見知った顔だった。
昨年度の入学生で、名前はゼル・ディン。確か、格闘クラスの生徒だ。
実技の面ではずば抜けて優秀だときいているが、成績は中の下といったところ。
また素行にも少々問題があって、教師達の間では要注意生徒としてマークされているらしい。
日に二度は講義に遅刻するし、実技中は指導員の指示を忘れて迷子になるし、朝な夕なに廊下は走るしと、要するにSeeD候補生として落ち着きがなさすぎる、という理由でだ。
決して反抗的な訳ではないし、素直は素直なのだが、何度注意しても一向に効かない。
すなわち、集団生活の中ならば必ず一人二人はいるお騒がせキャラというやつである。
そのゼルが、突然大真面目な顔でそんな事を尋ねてくる、それ自体も驚きだった。
どうやらこの生徒は、見かけによらず、実はナイーブな面も持ち合わせているらしい。
少なくとも、冗談で尋ねている訳ではないことが、痛いほどに伝わってくる。
シュウは少し考え、気を取り直して口を開いた。
「G.F.の事なら、講義で習っただろう。」
「そうすけど。実際、どんな感じなのかを知りたいんです。」
「実際?」
「実際にG.F.をジャンクションしてるシュウ先輩みてえなSeeDなら、解ると思って。」
と、ゼルは少し声を低めた。
「なくす記憶に、法則みてえなのはあるんですか。昔の記憶と今の記憶と、どっちが消えやすいとかあんのかなって。」
後輩とはいえ、歳はシュウといくつも変わらない。
だがガーデンの中ではかなり小柄な方で、シュウよりも頭ひとつ小さい。顔も童顔の部類だ。
それがこうして不安げな表情になるとますます幼く見えて、まるで年少クラスの生徒みたいだった。
なんだか憎めない顔をしているな、とシュウは思った。
彼女は日頃、SeeDとして尊厳に満ちた態度で学生らに接している。
SeeDになって以来ずっとそう求められてきたし、そうあるべきだと彼女も自負していた。
そうした彼女の態度に、必要以上の畏怖心を抱く学生も少なくない。
そんな中で、こんなにも真剣に臆する事なく、面と向かって疑問をぶつけてくる生徒がいるとは。
普段はぴんと張り詰めているはずの心の糸が、ふと緩むのをシュウは感じた。
「そういうのは‥‥解らないんだ。」
「解らない?」
「記憶を失っても、失った自覚はない。自覚がない以上、どんな記憶を無くしたかを知る術はない。」
ゼルは、小さく首を傾げてかすかに唇を動かした。
シュウの言葉を自分なりに反芻しているらしい。
そんな生真面目な仕種が微笑ましかった。
「共有の記憶を持つ誰かに、覚えていない事を指摘されれば気付くだろうが。そうでない限りは、自分では解らない。ただ、ガーデンに来てからの事は日々反復されているから、失われにくいかもしれない。憶測の域を出ないが。」
「つまり‥‥ガーデンに来る以前の記憶の方が失われやすい。そういう事すか。」
「そういう事だな。」
頷くと、ゼルは心底困惑したように眉をしかめた。
「どうした。」
「いえ‥‥。」
なんでも、と呟いたきり、何かをためらっている。
行き止まりの壁の前で、どうしたものかと考え込んでいるような顔だ。
その躊躇の理由を、シュウはすぐに察する事ができた。
要するに。
「無くしたくない記憶がある。そう言いたいのか。」
ゼルははっと顔を上げた。
どうやら図星のようだ。
しかし、素直にそうですとは頷かず、表情にはまだ僅かな困惑を残している。
困った時に鼻筋に薄い皺が寄るのは、どうやら彼の癖らしい。
「んと。具対的に何を無くしたくねえとか‥‥そういうのじゃねえんです。」
落ち着かない様子で視線を左右に巡らせて、ゼルは途切れがちに言った。
「ただ、漠然と怖えっつうか。‥‥なんか、忘れちゃいけねえことがあったような気がして。」
「怖い?」
「はい。」
今度は、大きく頷いた。
これには、シュウも呆気にとられた。
無邪気というか、素朴というか。
仮にもSeeDを目指す身として、そんな事をあからさまに口にする生徒がいるとは、俄には信じ難かったのだ。
時には、命のやりとりをする戦場に身を投じることもある。
あらゆる恐怖に打ち勝たねば任務の遂行がままならないこともある。
にも関わらずそんな些細な──たかが記憶を失う事が「怖い」などと。
「これからSeeDになろうとしている人間が、そんな事が怖いのか?」
「あ。いえ、えっと‥‥。」
ゼルは途端に狼狽し、そわそわと肩を揺らした。
うっかり口にしてしまった言葉の重みに、今ごろになって気付いたらしい。
シュウは、呆れたのを通り越して、苦笑せざるを得なかった。
ゼルの言葉には、何の悪気もなかった事が解ったからだ。
どうやら、この生徒はただ単に、馬鹿がつくほど正直で単純で。
場に即した言葉を選んだり考えたりして発言することが苦手なだけなのだろう。
「面白い生徒だね、君は。ゼル・ディン。」
つい、笑いを含んでしまった声でシュウは言った。
ゼルは気の毒なくらいに恐縮して項垂れた。
「す、すみません‥‥。」
「謝る事はないよ。‥‥とにかく。その何か大事なモノを忘れないよう、祈るしかないね。」
「はい。‥‥でも、いいんです。」
ゼルは項垂れたまま、しかししっかりと頷いた。
「ガーデンの来てからの事は反復してるから忘れにくい。だったら、毎日思い出し続けてる事ならきっと忘れねえ、そうすよね?」
「ああ、そうだね。」
「バラ‥‥故郷のこととか。忘れねえでいられんなら、それでいいんです。」
「そうか。」
「はい。ありがとうございました。」
そそくさと会釈をし、ゼルは回れ右をした。
そのまま小走りに去って行く小柄な後ろ姿を見送りながら、シュウはふと眉を開いた。
SeeDとして尊厳。
もしかしたら、そんなものは本当は必要ないのかもしれない。
SeeDとしての真の資質は、もしかしたら‥‥些細なことを怖いと言い切れる、その素直さと純粋さなのではないか。
シュウは周囲を見回した。
カードリーダー前は相変わらずの無人だ。
何となく小さなため息をつき、SeeD服の襟元を緩めた。
──実は、あの少年こそが。
最強のSeeDたる資質を持っているのかもしれない。
根拠のない、直感に過ぎないけれど、そんな事を思いながら。
彼女は、いつもよりも幾分ゆっくりめの歩調で、カードリーダーをくぐった。
Fin.
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