30/卒業(Replay)


「最近、彼、雰囲気変わったよねえ。」

ぽそりと呟いたアーヴァインの声は、のんびりとして、そのくせどこか笑いを含んでいた。
スコールは唇に運ぼうとしたコーヒーカップを中空に掲げたまま、書類から視線を上げた。
「誰が?」
「大将。サイファーだよ。」
今度ははっきりと、意味ありげな笑みが口元に浮かぶ。
「君だって気付いてるんでしょ、スコール。」
スコールは僅かに片眉を上げた。
だがそれは本当に僅かだったので、アーヴァインも気付かなかったに違いない。
「ああ。そうだな。」
平坦な抑揚で切り返して、カップをソーサーに戻す。
再び書類に落とした視界の隅で、アーヴァインは興醒めみたいな顔をした。
「もう。つれないなあ。」
「‥‥。」
「君ならもうちょっと話に乗ってくれると思ったのに。」
「‥‥どういう意味だ。」
書類ごしに、今度ははっきり眉をしかめてみせると、アーヴァインは小さく肩を竦めた。
「元カレとしては色々思う所があるんじゃないかなって思ってさ。」
「モトカ‥‥なに?」
「サイファーの事、今でも好きなんでしょ?」

スコールは唇を引き結ぶと、書類をテーブルに置いた。
「‥‥俺はお前に恋愛相談をもちかけた覚えはないぞ。」
「もちかけられなくても解るんだって、僕にはね。」
スコールの注意を書類からそらす事が出来たのが嬉しいのか、ここぞと身を乗り出してくる。
スコールは憮然とした。
これだから、この男につきあうのは気がすすまないのだ。

食堂は、昼時だというのに閑散としていた。
学生らは、そそくさと食事を終えるなり次々と校庭や講堂に繰り出していってしまったからだ。
クリスマスイブの今日、セルフィの発案企画の元に開かれる事になったクリスマスパーティのために、皆準備で大わらわなのである。
こういうイベントごとにおいてのセルフィの行動力は素晴らしい。
一ヶ月前に数人の学生らを巻き込んで実行委員会を結成するや否や、ガーデンに掛け合って当日午後の全面休校まで取り付けてしまったのだから、見事という他はない。

スコールは、そうしたイベントごとには興味がない。
学生らが円満なガーデン生活を送るための潤滑剤として、そういう催事も必要であるという点では異議はないが、自らすすんで参加しようなどという意志は毛頭なかった。
だから、総司令官の立場を利用して、セルフィからの少々無理な「お願い」を特別に聞き入れてやったり、円滑に企画が実行されるようにはからってやったりすることは一向に厭わなかったが、スコール個人として「パーティの飾り付けを手伝え」というリクエストには、閉口せざるを得なかった。
そこで、急ぎでもない仕事を理由に忙しいからと断って、逃げるように司令官室を出てきたのだ。
だがこんなことなら。
素直に講堂に行って、ラメをちりばめたプレートだの金ぴかのモールだのと格闘していた方がましだったかもしれない。
微かな後悔が胸をよぎるが、後のまつりである。

アーヴァインがスコールに声をかけてきたのは、偶然に過ぎない。
この優男は、どうやら講堂に向かう途中らしかった。
そう、セルフィのパートナーたるこの男が、パーティの準備に駆り出されない訳がない。
細々とした雑貨の入った段ボールと工具箱とを抱えていた様子からしても、それは歴然である。
それがたまたま食堂の前を通りかかって、たまたまスコールが独りぽつねんと座っているのに目をつけて、何を思ってか人なつこい笑みで近付いてきたのである。
そして勝手に目の前に陣取って、いきなり何を言い出すかと思えば。
よもや、サイファーの事とは。

テーブルの向こうで身を乗り出しているアーヴァインに、スコールは牽制の視線を投げた。
「‥‥アーヴァイン。」
「ん、なに?」
「こんなところで道草食ってていいのか。セルフィに怒られるぞ。」
「へえ。じゃあそういう君はどうなの? 忙しいから手伝えないなんて嘘でしょ?」
悪戯っぽい上目づかいで、アーヴァインはスコールの書類に顎をしゃくった。
見抜かれている。
確かに、至急目を通さなければならない書類なら、食堂で食事がてらに眺めたりはしない。
どうやら、目端のきくこの男の前では、稚拙なカモフラージュなど意味をなさなかったらしい。
観念するしかない。
スコールは書類の束をテーブルの端に押しやると、代わりにコーヒーカップをソーサーごと引き寄せた。
そんな仕種に安堵してか、アーヴァインはにっこりと微笑み、強引に話題を戻した。

「で、大将なんだけどさ。ゼルとうまくいってるんだろうね、きっと。」
浅く椅子に腰掛け直して、テーブルに両肘をつき、伺うようにスコールを見る。
「まあ見た目そんなに変わった訳じゃないけど。明らかにひと皮剥けたって感じで落ち着いちゃってるし。ゼルもそうだよねえ。」
「うまくいってるのなら、いいじゃないか。」
「本当にそう思ってるの?」
「‥‥一体俺に何を言わせたいんだ。」
スコールは溜め息をついてカップを取り上げた。
すっかり冷めてしまって苦いばかりのコーヒーを口に含み、しかめっ面でアーヴァインを睨む。
「俺があの二人を妬んでるとでも思ってるのか。」
「妬んでるっていうか。気にならないの?」

切り返されて、スコールは黙った。
どうなんだろう。
自問してみるが、よくわからない。
だが。

「‥‥塞ぎ込んでるのを見るよりは、うまくいっていてくれる方がいい。」
「へえ。」
アーヴァインは驚いたように目を見張った。
「達観してるなあ。」
「無駄に経験は積んでない。」
淡々と言い放つと、アーヴァインはふふ、と笑った。
「さすがは総司令官殿、おみそれしました。」
「‥‥そいつはどうも。からかうなら他所をあたれ。」
「あ、怒らないでよ。」
つっけんどんなスコールの口調に慌てたのか、掌を目の前で軽く振る。
「でも、それならいいんだ。ちょっと君の事が心配だっただけなんだよ。他人事だと思えなかったからさ。」
「‥‥なに?」
「多分、僕も君と同じ立場だったから。」

スコールは眉をひそめてアーヴァインを凝視した。
同じ立場、というその言葉の意味を考える。
だが、この場合最も理にかないそうな回答はひとつしか思い浮かばない。
「‥‥ゼルか。」
「ご明察。」
珍しく弱気な笑みで、アーヴァインは肩をすくめた。
「ただ僕はアプローチ不足で、君ほど目標に接近できなかったけどね。」
「それは残念だったな。」
「でも仮に接近できてたとしても、やっぱり君と同じ選択をする羽目になったと思うよ。‥‥救いがたいほど一途で強情なんだもの。あれじゃ、いくら頑張ったってこっちが馬鹿をみるだけだし、諦めない方がどうかしてるよ。」

確かに。アーヴァインの言う通りだった。
スコールとて、一度はひどく傷ついたし腹も立った。
サイファーの仕打ちを心底呪ったし、心のどこかではやはりゼルに対する妬みも抱いていたと思う。
だが、スコールが突き落とされた悲壮の淵は、底深くはあったけれど底のないものではなかった。
落ち切ってしまえばそれまでで、後は這いのぼるしかない淵だったのだ。
どう足掻いてもサイファーの心は変えられないのだという一見冷酷な事実は、しかし女々しい未練やはかない希望という虚しい未来を鮮やかに断ち切ってくれた。
そして断ち切ってしまえば、自分でも驚くほどに冷静に客観的に、もう過ぎた事だと割り切る事ができたのだ。

スコールは、アーヴァインの言葉に内心深く同意しながらも決して顔には出さず、先程と同じ抑揚で言った。
「‥‥なるほどな。つまり、俺とお前は同じ穴のムジナだと言いたいわけか。」
「まあね。」
「だがあいにく、俺はお前と傷の舐め合いをするつもりはないぞ。」
「解ってるってば。ただ、似たもの同志、ちょっと語り合いたかっただけなんだって。」

アーヴァインの口調は、懲りない。
恐らく、スコールという格好の話し相手を得たこの機会を逃したくなのだろう。
今までも誰かに聞いて欲しくて仕方なかったのだが、口にするのが憚られる話題なだけにじっと耐えていたに違いない。
そう思うと、スコールは珍しく、悪戯心が働いた。
「‥‥似たもの同志とは心外だ。」
勿体ぶった仕種で顎をひき、さも不快を装って首を振る。
「一緒にして欲しくないな。俺は貞潔なんだ。お前とは違う。」
「うっわ、ご挨拶だね。」
アーヴァインもまた、笑いながらわざと首を竦めてみせた。
どうやらスコールの冗談が小気味良かったらしい。
「君まで僕を無節操の尻軽人間だって言いたいの?」
「そう思われても仕方ないだろう。セルフィはどうなるんだ。」
「セフィはセフィ、ゼルはゼルだよ。セフィに対してもゼルに対しても僕は誠実な男だよ。」

さすがのスコールもこれには呆れた。
「お前と話してると、自分の価値観を疑いたくなってくる。」
「いいじゃない、そういうのも必要だよ。自分の価値観の中にばかり閉じこもりすぎるのは良くないんだ、何事もね。」
「どうやっても相容れない価値観だってあるだろう。」
「相容れないって思えても、実は似てるとこだってあるんだよ。」
アーヴァインは一旦言葉を区切ると、不意に真顔になった。

「僕だって、ゼルには笑顔でいて欲しい。悩んで落ち込んでる顔は見たくない。」

まるで神の前で誓いの言葉を述べる信徒のような、厳かな口ぶりだった。
「ね。同じ、でしょ。」
「‥‥だな。」
微笑むアーヴァインにつられて、ついスコールは苦笑した。
この男も、この男なりに。
何かひとつの山を乗り越えたという事なのだろう。
深い淵から這い上がった時に見据える空の、あの透明な爽快感は、それを見た者にしか解らない。
それを共に見た者としてのささやかな連帯感を、この男は抱きたかったのだ。

「ああ、アーヴィンってばこんなところで油売ってる!」

突然破られた静寂に、二人はぎょっとして振り返った。
見れば、こともあろうにセルフィ自身が、食堂入り口に仁王立ちになっていた。
腰に手をあて可愛らしい眉をしかめて、食堂中に響き渡る声で凛と叫ぶ。
「もうっ、その荷物早く運んでくれへんと、作業が進まへんのよ!」
「ごめんごめん、今いくよセフィ。」
スコールにちらりと目配せをして、アーヴァインは肩を竦めて立ち上がった。
だから言ったろうとスコールは視線で応えたが、そのスコール当人も、余裕然としている暇はなかった。
「ちょっとお、スコールもお喋りしてる暇はあるんやん! だったら手伝ってえな!」
有無を言わせぬセルフィの台詞に、アーヴァインがくすくす笑う。
スコールはがっくりと肩を落としたものの、渋々立ち上がるしかない。
「‥‥‥‥わかった‥‥。」
「ほな、いこいこ! 校庭のツリーももうすぐ完成や、とおっても綺麗やで!」

食堂から講堂に続く渡り廊下を跳ねるようにして進んでいくセルフィと、それを見守るように歩いているアーヴァインに続きながら、スコールはふと視界をかすめる白いものに気付いて空を見上げた。
「あ。」
「ん、どしたん?」
「雪だ。」
「え。」
足を止めた二人も、同じように空を見上げる。
「わあ、ホントや。綺麗。」
セルフィが、感嘆したように声を洩した。

あたりにはたちまち、淡い白のヴェールがたれ込める。
次々と舞い降りる氷の欠片が、優しく世界を染め上げていく。
我に返ったセルフィが、二人を促し軽い足取りで再び歩き出した。
スコールはもう一度空を見上げると、なぜか急にこみあげた柔らかな気持ちに小さく微笑み、それからゆっくりと、セルフィの後を追いかけた。

Fin.
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