Mein Lieber Teufelsjunge
「なあなあ、サイファー。まだ終わんねえの?」
背後から覆いかぶさってくるその声に、さっきから俺は苛ついてた。
いかにも不満たらたらで、我侭なガキそのままの声。
俺があえて無視してるってえのに、それでもしつこく、子犬みてえな構ってくれ視線で纏わりついてきやがる。
あのな。
見てわかんねえのか?
俺は忙しいんだ。
構ってやろうにも、できねえんだっつうの。
垂直におっ立ちそうな程の厚みの書類を前に、眉間寄せてる俺のツラで少しは察してもよさそうなもんだ。
まあ、確かにこれは予定外の事ではある。
こんな雑事に時間を取られるなんざ、俺だって不本意だ。
だが、報告書を提出してお役御免だと呑気に構えてたところに不意打ちを食らった。
暇かと問われてうっかり頷いたのが運のツキだ。
そうやって押し付けられちまったもんは仕方がねえ。
こうなりゃ一分でも早く片付けちまうしかねえと腹をくくってるってえのによ。
任務終わったんだろ、と満面の笑みで部屋に飛び込んで来た、テメエに悪気はなかったろう。
俺と書類の山を見比べて、途端にがっかりしたツラになったのも、まあ致し方ねえ事だ。
だが、その後が良くねえんだよ。
暇だつまんねえとぶつぶつ文句を垂れるわ、退屈まぎれに部屋ん中を弄り回すわ。
それだけなら、まだしもだ。
お目当ての雑誌がどこにあるかとか、コーラのペットボトルが冷蔵庫に入ってるかとか、勝手知ったる他人の部屋で今さらんなこたあ聞く迄もねえはずなのに。
いちいちそんな下らねえ理由をこじつけて話しかけてきやがる。
どうあっても、俺の注意をそらそうとしてんのが見え見えだ。
いいか、チキン野郎。
なんで俺がさっきからテメエのを無視してるか、少しは解れ。
さっさとこいつを片付けようと俺が必死で足掻いてんのは、一体誰のためだと思ってんだ、ああ?
肝心のテメエが、邪魔をしてどうする。
「なあってば。サイファー。まだなのかよ?」
畳み掛ける非難がましい声に、俺の苛立ちはとうとう頂点に達した。
「うるせえぞ! 少しは大人しくできねえのか、チキン野郎!!」
書類の山を力任せにデスクに叩きつけ振り返ると、びっくりした顔がすぐ背後にあった。
「テメエを構ってやるにはまずはこいつを片付けねえとなんねえんだよ!」
「‥‥じゃあそれ、いつ終わるんだよ?」
「知るか!」
俺はふん、と鼻で笑って嫌味たっぷりに唇を歪めてみせた。
「どっかのオコサマが邪魔しなけりゃあ小一時間ってとこだろうがな。」
これは、効いたらしい。
ヤツは大きく目を剥いたかと思うとみるみるうちに真っ赤になって、威嚇する猫さながらに鼻先に皺寄せた。
「‥‥オコサマで、悪かったなっ!」
握りしめていた雑誌を床に叩きつけ、
「わかったよ、もう邪魔しねえ! じゃあなっ!」
そう言い捨てると、肩を怒らせくるりと踵を返してずんずんドアに向かう。
俺は再びデスクに向かい、ドアの閉まる音を背中に聞きながら溜め息をついた。
これで、ようやく静かになる。
少し荒っぽいやり方かもしれねえが、のんびり諭すなんてまだるっこい事、してられるか。
恨むんなら、この書類の山を押し付けやがったスコールを恨め。
どうせこの雑事が済んだら、いくらでも機嫌は取ってやれる。
とにかく今は、こいつを片付ける事が先決だ。
俺はさっさと思考回路を切り替え、書類の山に意識を集中することに専念した。
どうせ、自分の部屋で不貞腐れているか、訓練施設でグラッド相手に鬱憤ばらしでもしてるんだろう。
司令官室を出て、そう踏んだ俺は真っ先にSeeD寮に足を向けた。
書類の束を押し付けた時の、もう終わったのかとなぜか呆れたようなスコールのツラが少々気に食わなかったが、下らねえ押し問答なんかで時間を無駄にしてられるか。
さっさと機嫌を取ってやらねえと、どこまで拗ねるかわからねえ。
依怙地になったあいつを宥めるのは、なかなかどうして一筋縄ではいかねえんだ。
それもまあ楽しみのひとつだと言えなくもねえが、どっちかっつったらやっぱ素直な方がいいに決まってる。
さてどうやって機嫌を取ろうか、あれこれ思いを巡らせつつ、俺は足早にSeeD寮の廊下を抜けた。
だが。
俺の単純な当て推量はものの見事に裏切られた。
部屋はもぬけの空だった。
糞。舌打ちしつつも気を取り直し、ならばと訓練施設に向かったが、ここにも目当てのヒヨコ頭は影も形もない。
どこにいきやがった。
それとも食堂あたりでダベってやがるのか?
俺はイライラしながら、昼下がりの人混みでごった返す食堂に行ってみた。
食堂の入り口で、一通り見渡したもののやはりそれらしい姿はない。
すれ違う学生らが、俺を見てとるや否や怯えたツラで顔をひきつらせる。
いつもながら、いけすかねえ。
文句があんなら言ってみろ。
目の端で睨み付けてやると、ヤツらは一様に距離を取ってそそくさと食堂を出ていく。
「あれえ、サイファー。どうしたの、怖い顔して。」
突然、素っ頓狂な声が横から飛んできた。
見れば例によって例の、伝令女だ。
好奇心むき出しのツラで、呑気ににこにこと俺を見上げてやがる。
「って、怖い顔はいつもの事だけどね〜。どしたの?」
余計なお世話だ、サイレン女。
俺は内心うんざりしたものの、待てよ、と咄嗟に思い直した。
確か自他共に認める「ガーデン一の情報通」だったな、こいつは。
「チキンを見なかったか。」
「え、ゼル?」
ガキみてえなでっかい瞳が、不思議そうにぱちぱちと瞬く。
「あれ? ゼルなら、買い物に行くって言ってたけど‥‥サイファーが一緒じゃなかったのお?」
「どういう意味だ。」
「だって、誰かと一緒に行くような口ぶりだったから、てっきりサイファーが一緒なんだとばっかり。」
買い物?
誰かと一緒だと?
俺は軽い目眩を覚えて、思わず壁に手をついた。
「‥‥誰と一緒だ。」
「そこまでは知らなーい。今日はけっこう皆出払ってるし、暇な人はそんなおらんはずやけど。‥‥あ。」
と、口を「あ」の形で固めたまま、視線だけがしまったというように俺を見上げる。
「なんだ。」
「‥‥えーとお。」
「なんだ。はっきり言え!」
「‥‥あのねえ‥そういえば‥‥アーヴァインが、オフのはずなのに姿が見えないかもお‥‥。」
語尾が消え入りそうに小さくなり、申し訳なさそうに唇がすぼまる。
だが、そんな仕種はとっくに俺の視界に入っちゃいなかった。
目の前に光が明滅して、重苦しい不快な塊が、腹の底でぐずりと蠢く。
よりによって、あの鉄砲撃ちだと?
軟弱ヘタレでケツの軽い、あのナンパ男だと?
「え、えーとねえ、でもすぐ帰るみたいな事も言ってたから、きっとそろそろ帰ってくるんじゃないのかなあ、うん。」
狼狽した口ぶりで、サイレン女がぶんぶんと首を振った。
俺はあらぬ方を睨み据えたまま低く呻くと、小柄な肩を押し退けて食堂を出た。
すぐ帰る買い物ってえことはバラムだろう。
となりゃあ車で行ったに違いねえ。
そう認識する側から、自然に足はガーデン駐車場へと向かっていた。
駐車場入り口の壁によりかかり、俺は仄暗い駐車場を睨み回した。
辺りは静まり返って、人の気配はまったくない。
整然と駐車されたガーデン車両がただ並んでいるだけだ。
その取り済ました整列ぶりが苛立たしくて、腹いせに何度も壁を蹴飛ばしてみたがそんな事でこのイライラが解消されるはずもねえ。
そうこうするうち、三十分も経った頃か。
突然静寂が破られ、低いエンジン音と共に一台の車が滑り込んできた。
俺は目を眇め、フロア中央の柱越しに通路を横切るヘッドライトを睨んだ。
車は左奥の空いたスペースに駐車したようだ。
唸る様なアイドリングがぷつりと途切れ、辺りは再びの静寂に包まれる。
と、その静寂を破って車のドアの開閉音、続いてかすかな人声がした。
「ほんっとあんがとな!」
「いえいえどういたしまして〜。」
「この礼は必ずするからよ。」
決して大きな声ではないが、静まり返った駐車場にその声は嫌というほど反響する。
いや、反響なんざしねえでもその声色、そのイントネーションは聞き逃しようもねえ。
「いいよそんなの。ゼルが喜んでくれれば僕は嬉しいんだから。」
「よくねえよ。礼は礼だしちゃんと返さねえと。」
足音と声が次第に近付いてきて、俺は仁王立ちに待ち構えた。
だが。
「ん〜じゃあ、さあ。」
はた、と糞忌々しい鉄砲撃ち野郎の声を期に、足音がぱたりと止む。
伺うと、丁度中央の柱に半ば隠れるような格好で、大小二人の影が向かい合ってる。
足音と共に声が途切れた様子からして、あのコマシ野郎が何かを小声で呟いたらしい。
俺はぐい、と身を乗り出した。
同時に、駐車場中に響き渡る声でチキン野郎が叫んだ。
「‥‥マジかよ!!」
‥‥なんだ?
俺は眉をひそめ、さらに身を乗り出して柱の陰を伺う。
遠目に、鉄砲撃ちがキザな仕種で肩をすくめるのが見える。
「ね、いいでしょ?」
「それは‥‥ちょ、ちょっとその‥‥」
ヤツは語尾を濁しながら、どうやら躊躇っているらしい。
だが、何をだ?
あの野郎、一体何を言いやがったんだ。
胸糞ワリいイントネーションが、辺りの空気をねっとりと巻き込む。
「いいじゃない、減るものじゃないし〜。」
「いやそういう問題じゃ‥‥」
「もしかしてやっぱり気にしちゃう? サイファーの事。」
「‥‥っ」
何?
ぴくり、と頬がひきつれるのが自分でも解った。
‥‥あの野郎。
「大丈夫だよ〜絶対誰にも言わないから。」
「‥‥ホントだな?」
「うん、ホントほんと。誓って言わない。」
「んじゃ‥‥」
そっから先は、もう呑気に聞いてなんぞいられなかった。
俺は一足飛びに壁を離れると、柱に向かって突進していた。
こっちを振り返った糞野郎のツラに、まるで鉄砲水をくらったみてえな驚愕が浮かび、その首にぶらさがった格好のヤツが、ぎょっとしたように目を見張る。
「サ、サイファー!?」
「何しやがる、この野郎!!」
俺は罵声と共に小柄なチキンに飛びかかり、無理矢理ヤツの腕を鉄砲撃ちから引っぺがした。
ついでに鉄砲撃ちのすかしたツラ目がけて拳を繰り出してやったが、どうやらすんでのところで躱されたらしく、拳は虚しく空を切る。
糞、と舌打ちする俺に、あの忌々しい抑揚で鉄砲撃ちがひらりと手をこまねいた。
「ちょっと待ってよ、大将。ナニするも何もまだ未遂だってば。」
「黙れ! このイカレ野郎!!」
俺は声を限りに怒鳴りつけると、残る腕にひっとらえたチキンの襟首を、力任せに上へと持ち上げた。
「いたたた!! ちょっ‥‥離せよ!」
誰が、離すか。
俺はもう一度鉄砲撃ちに威嚇の視線をくれてから踵を返し、暴れるヤツの躯を引き摺るようにして駐車場を後にした。
「離せっつってるだろ!いてえじゃねえか!」
「やかましい!! ちょっと目え離した隙に何やってやがんだテメエは!」
部屋に入るなり、喚き続けるチキン野郎をベッドに放り投げる。
奴は首筋をさすりつつ、がばりと身を起こし、またもや喚き出した。
「うるせえな! 何しようとオレの勝手だろ!」
「勝手とはなんだ!」
「アンタが忙しそうだからオレはオレで暇つぶしてただけじゃんか!」
「だからっつってよりにもよってあの忌々しい鉄砲撃ちとつるむとはどういう了見だ!!」
「アーヴァインが車を出してくれたんだよ!」
負けじと怒鳴り返し、奴は立ちはだかる俺の胸元をぐいぐいと押したくる。
「暇だから買い物に行こうとしたけど、車の使用許可証がおりなくて。そしたらたまたまアーヴァインが今日はオフで許可証持ってるっつうし、暇だから一緒に行こうって言ってくれたんだ! アンタに怒鳴られる筋合いはねえ!」
俺は深く息を吸い込んだ。
無論、コイツのふざけた弁解に、そうかなるほどなんて納得したわけじゃねえ。
いまにもブチ切れそうになる血管を少しでも落ち着けるため、深呼吸しただけの話だ。
「‥‥で。その礼があのベタベタのキスシーンか、ああ?」
どうにか言葉は出て来たが、正面から睨み付けてるヤツの視線に、また血管が逆流する。
「そのまんま勢いで押し倒されでもしたらどうする気だ! この尻軽チキンが!!」
「なんだと!」
「暇なら暇で大人しくそこらで待ってろ! フラフラしてんじゃねえ! 俺のそばにいろ!」
部屋中に反響した自分の怒声に、耳鳴りがする。
一方奴はじろりと俺を睨み付けると、途端に小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「やだね。」
「っ‥‥テメエ‥‥!」
俺はぎりぎりと歯ぎしりをした。
怒りと苛立ちでこめかみがズキズキ痛む。
「アンタが、ちゃんとオレを捕まえとけばいいだろ。逃げねえように、よ。」
にい、と見せた犬歯が小憎らしい程に白く、まるで悪戯をしかける子供みたいだった。
「‥‥ナマ言ってんじゃねえぞ、このガキが‥‥!」
「そのガキひとり捕まえらんねえようじゃ、アンタもたいしたことねえんじゃねえの?」
「言ったな、この野郎!」
怒りの余り真っ白になる視界に、奴の蒼い瞳が笑っていた。
俺は無意識に奴の肩を突き飛ばしベッドに押し倒すと、無理矢理体重を乗せて唇を塞いだ。
「んっ‥‥!」
腕の中で、小柄な躯がもがく。
逃げようとする腕を上体ごと締め上げて、ばねみてえに空を蹴り上げる膝を大腿で押さえ込んだ。
重ねた唇の中で無理矢理舌を絡めとり、歯を立てて、喉から抉るように吸い上げる。
息苦しさからか、奴は必死で首を降って逃れた。
なおも顎を捉えて攻撃を加えようとしたその時、奴が、小さく俺の名を呼んだ。
「‥‥サイファー‥‥」
微かに喘ぎの混じった、吐息のような擦れた声。
俺は思わず我に返って、動きをとめた。
子供じみた悪戯っぽい、けれど微熱に潤んだような瞳がじっと俺の顔を見据えている。
そして、電池を抜かれたロボットみてえに動きの止まっちまった俺の下で、奴はゆるりと腕を引き抜くと、俺の首筋を抱き締めた。
「サイファー。‥‥ちゃんと捕まえとけよ。」
ごろごろと喉を鳴らす猫みてえに目を細め、無邪気な唇に密やかな笑みを滲ませる。
「オレ、アンタ以外の誰にも、捕まるつもりねえんだからよ。」
‥‥まったく。
完敗だ。
俺は溜め息をつくと、まるで悪魔の奸計に嵌っちまった阿呆で善良な子羊の心境で、黙ってヤツの鼻先にキスをした。
「ったく。この跳ねっ返りが。」
「そんでも好き、だろ? 違うか?」
思わず苦笑いを浮かべた俺の唇の端に軽くキスして、奴は笑った。
「惚れた弱味っつうんだぜ、そういうの。」
「黙っとけ。」
振り回されんのは性分じゃねえが。
こればっかりは、面子もへったくれもねえかもしれねえ。
俺がこの小憎たらしいチキン野郎に首ったけだっつうのだけは、どうあっても変えられねえ事実なんだしな。
俺は諦めとも自嘲ともつかねえ苦笑いのまんま、ゆっくり奴の身体に覆いかぶさった。
そして、この愛しい小悪魔の背中を-----本当は天使の羽を隠し持ってる、その背中を。
呼吸が止まるほどにきつく、強く、抱き締めてやった。
Fin.
LIST