Shine and Eternity


海なんかを眺めるのは随分と久しぶりのような気がする。
いや、海どころか山も空も、およそ自然と名のつく風景を漫然と眺めた事など、この数カ月ついぞなかった。
日々の雑務と任務に追われて、休暇らしい休暇も取っていない。
そしてしばらく眺めない内に、そうした風景を見て美しいとか心洗われるとか、素直に感動する心までも喪失してしまったのかもしれない。
今目の前に横たわる海は、涼やかに澄み渡り、傾いた午後の日差しを照り返して目映く波頭を光らせているというのに、それを眺める彼の胸にはなんら感情らしい感情は湧いて来なかった。

正直、何で俺が、と思っていた。
よりにもよって、何で俺が。
しかしそう思っているのは恐らく当人である彼ひとりで、周囲の人々は皆口を揃えて同じ事を言った。
彼なら、適任だ。いや、彼でなければなし得ないだろう。
冗談じゃない、と言下に否定したものの、では他に誰か適任者がいるのかと問い返されたら口を噤むしかなかった。
確かに、あの男と直接対峙するには相当な覚悟がいるし、免疫も必要だ。
客観的に見たら、現状ガーデンにいる人間のうち、あの男に最も近いところにいたのはやはり自分という事になるのだろう。
だがそれにしたって、あの男と対峙するのは決して楽しいこととは言えない。
そもそもあの男をガーデンに呼び戻したいというのなら、ガーデン学園長本人が説得に行くべきだろう。
だから、ガーデン総司令官の職務を盾に、俺は忙しいんですと抵抗を試みてもみた。
けれども、無駄なことだった。
「これも職務の内ですよ。学園長命令です。」
と、バラムガーデン学園長シド・クレイマーは、こんな時に必ず浮かべる温和な笑みで言った。
「私は学園長として、スコール・レオンハート総司令官に、サイファー・アルマシーを当ガーデンに収監する事を命じます。」

魔女戦争の第一級戦犯として国際的に指名手配を受けているサイファーが、風神雷神と共に港町バラムに潜伏しているという情報がガーデンにもたらされたのは、つい二日前の事だった。
バラムガーデンとは目と鼻の先であるバラムにいたとは驚きだった。
指名手配犯とはいえ、どこの軍警察でもサイファーはすでに死亡したという見方が濃厚でその捜査は手ぬるいものだったし、かつてバラム占拠を企てた当人をよもやバラムの人々が庇立てするはずがないという思い込みが盲点となって、今の今まで発見を免れていたらしい。
加えて、バラムの顔役であるバラムホテルの総支配人が、シド・クレイマーと旧知の間柄であったのも幸いした。
彼は、ふらりとバラムに舞い戻ったサイファーらを無言で匿うと、どこの軍部に通報する事もなく、ほとぼりの冷める頃合いを見計らってバラムガーデンに連絡を寄越したのである。

連絡を受けたシド・クレイマーの下した決断は、迅速だった。
サイファーがいずれかの軍警察に逮捕されてしまっては、ガーデンの極秘情報の漏洩になりかねない、というのが一応の理由だったが、本当の理由はもっと単純で、サイファーを守ってやらねばならぬという親心だったに違いない。
だが、あえてそれを追求したり異議を唱えたりする者は誰もいなかった。
不思議な事に、ガーデンに対してあれほどの背信行為を行ったはずのサイファーに対して、ガーデンの人間は一様に呑気と言えるほどの寛容さを見せた。
サイファーとて根っからの悪人ではない、単に道を誤っただけだ。
彼がガーデンに戻ってくるというのなら、やぶさかでない。
元々、彼はガーデンの人間なのだから。
身内意識もあってかサイファーを擁護する意見が大半だったし、ほぼ全員が学園長の決断を支持した。
それ自体は、スコールとて異論はない。
積年の競争相手であり、不運な成り行きで敵として対峙する羽目になりはしたが、サイファーという男に対してけっして憎悪を抱いている訳ではない。
生きていたのなら良かったと思うし、ガーデンに戻ってくるというのならそれはそれで構わない。
ただ気に入らないのは、その役目をスコールひとりに押し付けられたという事なのだ。

思えば、ガーデン総司令官という肩書きだって、そうだった。
スコールでなければ出来ない、スコールこそが適任だなどと、誰もがこぞってはやし立てたけれど、本当にそうだったのか。
単に、背負わされた荷物は投げ出す事ができない、すなわち「嫌といえない」性格を、巧みに利用されただけなのではないのか。

暗鬱とした被害者意識に囚われそうになり、スコールは柳眉をしかめて首を振った。
よそう。考えたって始まらない。
これは任務だ、そう割り切るしかない。
割り切るのには、もう慣れている。
スコールにとってこれまでの人生は、そうして感情を殺さなければやりきれない事の連続だった。
今までもそしてこれからも、己を殺し、与えられた状況に淡々と身をやつす日々が続いていく。
ただそれだけのこと、だ。


バラムホテルは夏の盛りを過ぎて、閑散としていた。
とはいえシーズン中だったとしても、いまだ魔女戦後の混乱から立ち直りきれていない最近の情勢を思えば、のんびりバラム観光に訪れる客など稀だろう。
サイファーらは、最上階の西側の部屋を一室ずつあてがわれていた。
支配人と形式通りの挨拶を言葉少なに交し、部屋にはひとりで向かった。
風神と雷神は留守だという話だった。
指名手配犯であるサイファーと違って、二人は自由に外に出入りしているそうで、もっぱら留守の事が多いのだという。
教えられた部屋をノックしたが、返事はなかった。
だが、密やかな気配がドアの向こうに近付き、さほど待つ事もなく鍵が外され、ドアが開いた。

「‥‥よう。」
ドアの向こうに立っていた長身の男は、低く呟いてさっさと背中を向けた。
スコールの顔を見ても、驚くでも慌てるでもなかった。
三ヶ月ぶりの突然の邂逅だというのに。
まるでつい昨日別れたばかりのような素っ気なさに、むしろスコールの方が面喰らった。
だが、サイファーの背中ごしに見える、大きく開かれたバルコニーになんとなく納得した。
おそらく、ホテルにやってくるスコールの姿が見えていたのに違いない。
なるほど、来ると解っているものなら驚きはしないだろう。
スコールはドアを閉めると、ゆっくりサイファーの後を追って部屋の中に踏み込んだ。

「久しぶりだな。」
「そうだったか?」
バルコニーに向かうサイファーの背中を追い、横に並ぶと、白々しい返事が返ってきた。
皮肉な物言いは相変わらず健在のようだった。
いや、こうして見ても少しも変わったところなどない。
彫りの深い整った横顔も、額から眼窩近くまで刻まれた深い傷も。
目映いばかりの黄金の髪も、三ヶ月前といささかも違いはなかった。
海から吹き寄せる潮風は、下で眺めたときよりも穏やかで心地よい。
手すりにもたれ掛かり、風に嬲られる前髪をかきあげると、サイファーが口を開いた。
「何しにきた、テメエ。」
憮然として、苛立ちを含んだ声。
かつては日常的に、当たり前に聞き慣れていたその声を、本当に久しく耳にしていなかったのだと改めて思った。
自然と、安堵が沸き起こる。
だが、そんな自分にスコールは戸惑った。
俺は何を安堵しているのだろう。
サイファーの死亡説がまことしやかに囁かれた中でも、それならばそれで仕方ない、とさしたる感慨さえ持たなかったはずなのに。
何を今さら、この男が無事であったことにほっとする必要があるのか。

「‥‥あんたを連れ戻しにきた。」
戸惑いが顔に出ぬよう、伏し目がちに俯いてスコールは言った。
「学園長の‥‥いや、ガーデン全員の意向だ。あんたにガーデンに戻って欲しい。」
「ああ? 貴様、馬鹿か。」
予想はしていたものの。
案の定、唾棄するような答えが返ってくる。
「戻れだと? 俺が今さら素直に戻ると思うか?」
「思おうと思うまいと、あんたを連れ戻すのが俺の任務だ。仕方ない。」
「‥‥また随分と、可愛げのねえ台詞だな。」
忌々しげな口許を今度は皮肉に歪め、サイファーは漫然と身を翻して手すりにもたれかかった。
「どうせなら、頭下げて戻ってくれとでも頼めよ。」
「なんで俺があんたに頼まなきゃならない。」
「それが貴様の任務なんだろ。」
「連れ戻せとは言われたが、頭を下げてこいとは言われていない。」
「ふん。相変わらず、口の減らねえ野郎だな。」
「そっちこそ。」

──なんだろう、どこも変わってなどいないのに。
言葉を交しながら、スコールはもどかしいような違和感を覚え、そして思い当たった。
ああ、そうか。
サイファーは、先程から一度もまともにスコールを見ていない。
いつも噛みつかんばかりの敵意と執着を剥き出しにしてスコールを凝視していた、あの獣じみた瞳が、今はまったくスコールを見ようとしないのだ。
そればかりか、ひたすら虚空に向けられているその視線は、不気味なほどに穏やかだった。
美しい翠色の虹彩だけはそのままだが、その双眸に燃えていたあの激情は微塵もない。
その事に気付いて、スコールは妙な気分になった。
心細いような。寂しいような。
それはまるで、輪郭を失い色彩だけが混然と残された不完全な絵画のようで。
物足りなく落ち着かない、喪失感だった。

ふと、サイファーが上の空に呟いた。
「貴様。あそこで海、眺めてたろ。」
「見てたのか。」
「こっから見えたってえだけだ。‥‥一瞬、夢かと思ったぜ。」
自嘲するように吊り上がる唇から、目がそらせない。
──なぜ、この男は俺を見ようとしないのだろう。
あの猛々しく燃え上がるような双眸は、もはや失われてしまったというのか。
ならば‥‥今、この男に見えているものはなんなのだろう。
時間圧縮の世界を経てからっぽになってしまったこの男が、今見ているもの。
それは一体なんなのか。

「‥‥あんた。毎日何してるんだ。」
「釣り三昧ってとこだな。」
「指名手配犯がいい身分だな。」
「望んでそうしてる訳じゃねえ。」
気のない返事で、サイファーは空を見上げる。
「別にどこぞの軍隊にとっつかまろうが、ぶっ殺されようがかまいやしねえ。ただ。」
「ただ?」
「‥‥なんだろうな。ここで、何かを待ってなきゃならねえような気がしてた。」
「待つ‥‥?」
眉をひそめた拍子に、一陣の潮風が吹きつけた。
鬱陶しく頬を叩く前髪を咄嗟に押さえ、掌ごしに彫りの深い横顔を伺う。
虚空を見据えたままのサイファーは、やはり動かない。
スコールは苛立ちめいたものを覚え、自然と詰る口調になった。
「‥‥待っていたら。何かが変わるとでも言うのか。」
「さあな。」
「待ちの体勢なんて、あんたらしくもない。」
「そうか?」
「待ってるだけじゃ何も変わらないだろう。」
「‥‥こうして貴様が来たじゃねえか。」

はっとスコールは瞠目した。
吹き抜ける潮風の向こうから、押し殺した低い声が呟く。
「スコール。貴様は、どうなんだ。」
「‥‥‥何が。」
「俺がガーデンに戻る事に賛成か?‥‥その『ガーデンの意向』とやらに、貴様は含まれんのかよ。」

いつのまにか、サイファーの視線が、まっすぐにスコールを射抜いていた。
「‥‥俺は‥‥」
舌の付け根が強張り、なぜか声が出て来ない。
吸い込まれそうなほどに深い翠色の深淵に、心臓が鷲掴みにされて小刻みにわななく。
この色。この瞳。
──変わって、いない。
やはり、この男は変わっていないのだ。
あの激情は、決して失われた訳ではなく、ただひとときの眠りについていただけで。
こうして間近に覗き込めば、やはりその色に──俺は。
魅入られ、惑わされずには、いられない。

サイファーは、スコールを凝視したまま、腕を延べた。
肘を掴まれ、強引に引き寄せられる。
なぜ、そんな気分になったのか、説明するのは難しい。
だが言葉よりも確かな感覚が、その場の空気を支配していた。
斜めに覗き込み、近付く高い鼻梁。
そうして重なる薄く冷たい唇を、スコールは拒まなかった──いや、拒めなかった。

軽く吸い上げる口唇にも、滑り込んでくる舌先にも、躊躇や戸惑いはまったくなかった。
ただ委ねているだけで、舌は巧みに絡めとられ、口腔の隅々まであますところなく犯される。
深いキスを続けながら、サイファーは軽く体重をかけてきた。
よろめいて後ずさると、踵がもつれ、二つの躯は崩れ折れるようにしてベッドに倒れ込んだ。
熱く湿った吐息が首筋をかすめ、躯が震え上がる。
身の内の深いところで、奇妙な炎がちりちりと神経を焦がす。
焦れったく、もどかしく、いつもくすぶり続けていた不可思議な火種。
それが今ようやく油と空気を得て、徐々に燃え上がっていくのを、スコールは感じていた。

潮風にさらされてぱさついた前髪を、冷たい指先がゆっくりと梳く。
見つめられるままに瞼を伏せて、着衣を剥ぎ取られる間もただじっとしていた。
微かな熱を含んだ掌が腹部を撫で上げ、背中を抱き締める。
直に触れ合う肌も、息遣いも、なんら違和感がない。
かわりに、自分でも驚くほどの安堵がこみあげてきて、スコールは満ち足りたため息をもらした。

無意識下の、どこかで。
この男といつかはこうなると、ずっと解っていたような気がする。
待っていたわけではない。
あえて望んでいたわけでもない。
ただ、そうなる事が当たり前で自然なことのような気がしていた。
それは、サイファーも同じだったのかもしれない。
ここでサイファーが待っていたもの、多分、それこそがこれなのだろう。
時の経過と状況の変化を経て、互いの存在がようやく一点で重なるこの時を、サイファーもまた、本能的に知っていたに違いない。

スコールは軽く身を浮かせるとサイファーの首筋を抱き締めた。
背中から腰へ、下肢へと愛撫を施す指先に応えて自ら口唇を重ねる。
擦れあう下半身の昂りに、自然と呼吸が乱れ、絡める唾液も温度を増す。
そんなスコールをさらに煽るようにして、サイファーは腰を密着させた。
確かめるように数度そこを擦り合わされた後に、今度は掌に昂りを握り込まれて、軽い摩擦を加えられる。
快感が下半身を走り抜け、スコールは喉をのけぞらせた。
めくるめく感覚に意識が乱れる。
さらに胸板の二つの突起を交互に吸われ、局部はますます膨張し、程なく先端から澄んだ蜜を吐き始めた。
しかしそんな中でも、スコールは声を出さずにいた。
絶え間なく喘ぎながらも、声帯を震わせることだけはしなかった。
サイファーもまた、無言だった。
どちらもまるで何かを言う事を恐れ、何かを言われる事に脅えるように。
ただ、沈黙のうちに行為だけが進んでいく。

しとどに溢れた蜜を拭った指先が、谷間に滑り込み、秘められた箇所をまさぐる。
差し込まれた途端に疝痛を覚え、スコールは短い悲鳴を上げた。
サイファーは動きを止め、眉間に皺寄せた。
薄い唇が初めて開き、擦れた声を洩らす。
「貴様。初めてか。」
「‥‥あ‥たりまえ、だ‥‥。」
男と寝るなんて、経験があってたまるものか。
しかしサイファーは訝る表情のまま独り言のように呟く。
「そのツラで。よく今まで無事だったもんだ。」
「‥‥わ‥‥るかったな‥‥。」
絶え絶えに応え、スコールは力を抜こうと浅く早い呼吸を繰り返す。
すると、苦笑混じりのキスが頬を掠めた。
「ワリいことあるか。‥‥なら、丁重に扱わねえと、な。」
「‥‥え‥‥」
「今さら貴様と傷つけあう気はねえよ。‥‥どうせなら、一緒に良くなりてえ。」

スコールは、一瞬、意外さに目を見張った。
だが、驚きはすぐ感覚に押し流されてしまい、考えこむ余裕などない。
サイファーは探るように指を押し進め、ゆっくり抜き差しを繰り返した。
快とも不快ともつかぬ戦慄に小さく呻く。
無意識に収縮する括約筋を宥めるように、残る手が時折陰茎を愛撫して陰嚢を揉みしだく。
やがて掻き回される内に、痛みと違和感はなりをひそめ、代わりにむず痒いような焦れったさが盛り上がってきた。
そしてある一点を押し上げられた瞬間。
鞭打たれるような快感に襲われ、スコールは喉を仰け反らせた。
「ここか。」
サイファーは低く呟き、リズミカルにそこを刺激する。
捻られ圧迫されるたびに、意識が飛びそうになり、スコールは上擦った悲鳴を上げた。
一度許してしまった声はもはやとどまる事を知らず、己のものとは思えない淫らで潤んだ嬌声が次から次へと溢れてくる。
羞恥と快感がめまぐるしく入り乱れ、もはや、理性と本能の境目は曖昧だった。

スコールは朦朧として手を延べた。
屹立し、脈打ち続けているサイファーの象徴を、震える指先で握り込み、ゆるゆると扱く。
途端に、サイファーが息を詰めるのが解った。
彫像のような彫りの深い顔が微かに歪み、喘ぐ唇が切羽詰まった呻きを洩らす。
その表情がもっと見たくて、さらに摩擦の速度を上げる。
「‥‥おい‥‥」
詰るような翠色の瞳を陶然と見上げ、スコールは乱れた息で目を細めた。
すでに複数の指を受け入れ、ほぐされて、じくじくと熱を帯びているそこをわざと締め付ける。
「一緒に‥‥良く、なりたい、んだろ‥‥?」
「‥‥てめえ‥‥」
「そ、れとも‥‥もっと他の事‥‥も。して欲しい、か‥‥?」
淡く唇を開き、舌先をひらめかせてみせる。
サイファーはごくりと喉を鳴らし、そして自嘲めいた笑いを浮かべた。
「‥‥そのツラと‥‥声だけで、充分だ。」
まさぐり続けていた指が抜かれ、卑猥に湿った音が漏れる。
汗ばんだ掌で腰を抱え上げ、サイファーは真顔でスコールを見据えた。
「いいか。」
「‥‥ん‥。」

貫かれる瞬間、体の中で何かが爆ぜるような衝撃があった。
覚悟していた痛みよりもその衝撃の方が遥かに大きく、声を上げる事すらできなかった。
だが、それは程なく引き潮のように去り、ぴったりと密着した熱塊の脈動に、内壁は熱く溶けて緩んでいく。
サイファーは見計らったように、唐突に動き始めた。
疼き爛れた粘膜を擦られる快感に、スコールは我を忘れた。
背を浮かせ、腰をうねらせ、膝を震わせて声を上げ、狂ったようにサイファーの腕を掻きむしった。
滾る先端であの敏感な箇所を押し上げられるたびに、濁流となって押し寄せる歓びに飲み込まれそうになる。
達しそうで達しない幾度目かの高みの後、サイファーは荒い息で腰を抱え直した。
掌がスコールの中心を鷲掴みにし、促すというより追い詰めるような性急さで扱きだす。
前を嬲られ、奥深く突き上げられて、抗えない高波が襲い掛かる。

頂点で、サイファーの名を呼んだ、と思う。
あるいはそう思っただけで、実際に声にはならなかったかもしれない。
我に返った時には、汗ばんだ肌と懈怠感だけが残されていた。
瞼を開けると、荒い息に上下する胸板と少し苦しげに俯く彫りの深い顔がある。
「‥‥だ‥‥いじょうぶか。」
小声に問うと、サイファーはゆっくりスコールを見下ろした。
「馬鹿。‥‥そりゃ、俺の台詞だ。」
「‥‥ああ‥‥」
そうかそうだな、と上の空に呟くと、苦笑した唇が頬を掠める。
下半身が、鉛のように重い。
サイファーは身を起こし、スコールの横に退いた。
その動きを追って体の向きを変えると、局部に鈍い痛みが走った。
体の奥では、まだ熱塊が蠢いているような感覚がある。

だが、不快ではなかった。
むしろ、これはこれで悪くないと漠然と思った。
──ずっと、長い間半端に放り出されていた仕事の完遂を果たしたような。
欠けていたパズルのピースをようやく見つけたような。
やたらな充足感だけが、満ち溢れている。
あまりにも近すぎたために、それが己にとって必要不可欠であると認識することがなかったもの。
失って初めてそれに気付き、しかし今さら遅すぎると無意識に割り切り諦めていたもの。
──割り切るのには、慣れている。
そう信じることで、あえて向き合う事を避けてきたもの。
それを。
今、現実のものとして手に入れたのだ。
そう思うと、確かな満足感がじわりとしみ出してくる。

傍らのサイファーの横顔は、静かだった。
半身を起こして片膝に肘を預け、漫然と虚空を眺めている。
その瞳は遠くを見ているようでもあり、近くを見ているようでもあった。
うっすらと汗の浮いた二の腕のラインを視線でなぞり、スコールは眩しさに瞬いた。
「サイファー。」
「ああ?」
「俺が‥‥戻ってくれ、って頼んだら。あんたは戻るのか。」

サイファーは肩ごしに、スコールを見下ろした。
翠色の双眸が、からかうような目つきになる。
「戻るさ。貴様が望むならな。」
「‥‥回りくどいな。そんなに俺に‥‥戻ってきてくれって言わせたいのか。」
スコールは何となく目をそらして、溜息混じりに呟いた。
「戻りたいなら‥‥素直にそう言えばいいだろう。」
「貴様こそ、素直じゃねえ。本当は俺に戻ってきて欲しいんだろ?」
「まさか。」
頬にはりつく髪を払い除けながら、スコールは眉を寄せた。
視界の端で、サイファーが上体をひねり、覗き込んでくる。
そうやってまっすぐに見つめてくるこの男の視線が、戸惑うほどに心地よかった。
幸福なんて感情には慣れてないけれど。
サイファーの声、息遣い、肌の温度、すべてが傍らにあることが、素直に嬉しい。
「なら、戻って欲しくねえのか。」
「‥‥どうだか、な。」
くっつかんばかりの鼻先で問う揶揄めいた声に、スコールは陶然と答えた。
「あんたがいない毎日は、平穏そのものなのに。わざわざ悩みの種を抱え込むなんて、どうかしてる。」
「なるほど、ご挨拶だな。」
「けれど‥‥」
腕を持ち上げ、サイファーの額の傷跡をそっと指先でなぞる。
「‥‥多分。平穏でない毎日の方が、俺にはふさわしい。」

鏡合わせのように同じ箇所に、それを互いに刻みつけたあの日の、震えるような緊張感と高揚感が甘く切ない感傷を伴って蘇る。
あの想い、あの昂り。
そう、あれこそが──まごう事なき自分自身。
無意識に求めていた、唯一のもの。

すると、何が可笑しいのか、サイファーは喉の奥で笑った。
「‥‥なんだ。」
「いや。いかにも貴様らしい理屈だ。」
「そうか?」
「まあ、いい。貴様にしちゃ上等の意思表示だしな。」
大きな掌が、スコールの頬を捉える。
その滑らかな感触に安堵を覚え、気が付けばスコールも小さく笑っていた。
密やかな笑い声が絡み合い、絡み合った声に引き寄せられるように、唇が重なる。

部屋の中に仄かに満ちる潮の香りに誘われて、瞼の裏に浮かぶ青い海原。
──この男と眺める海は、きっと、今までとは違う色に見えることだろう。
吐息混じりの浅い口づけを交しながら、そんな事を思った。
そうしてその色を、俺はきっと──この上なく美しいと思うに違いない。

空け放したテラスから、黄昏時の傾いだ日差しが滑り込む。
熱く乾いた夏は、もう間もなく、終わろうとしていた。

Fin.
LIST