Cor Scorpii
如月アヤ様
やけに広い応接室の中。
あちらこちらに飾られているぱっと見にも値の張りそうな調度品の数々に囲まれてソファーに腰を降ろしたゼルは、酷く居心地が悪そうに何度も腰の位置を変えたり座り直したりを繰り返していた。
そんなゼルの落ち着かない様子に隣に座っているサイファーがこれみよがしに舌打ちをして、忌々しそうに口を開いた。
「おいチキン、鬱陶しい。落ち着け」
「なぁ、サイファー。俺ら、いつまでここで待ってればいいんだよ」
「俺の知ったことか。文句があんならてめぇの端末で、クソ忙しい指揮官様にでも聞いてみろ」
「……誰もそんなこと言ってねぇじゃん」
「なら、ちったぁその煩ぇ口、塞いどけ。さっきから何で何でって耳にタコが出来るほど聞かされて、いい加減俺は嫌気が差してんだよ!」
鬱陶しいと口にした文句を軽く聞き流され、更には反対にゼルの不満を聞かされたサイファーは。不機嫌極まりない表情を隠しもせずに激しい音を立てて目の前のテーブルを蹴り飛ばす。
「ちょっ、あんた何やってんだよ!ガーデンじゃねぇんだぞ!!」
「るせぇ!このぐれぇでくたばるような、ヤワなもん置いてねぇだろうが!」
「そういう問題じゃねぇだろ!?ヤワだろうとなかろうと、していいことといけないことの区別も付かねぇのかよ!」
「チキンが随分と偉そうな口、聞くじゃねぇか…」
まさに八つ当たりでテーブルを蹴り飛ばしたサイファーを嗜めたゼルに、今度はその矛先が向いた。
唸るような低い声音と剣呑な光が宿った翡翠の瞳に、ゼルは思わず息を飲む。
(やべ…こいつ、マジできてやがる)
ここにあるテーブルが壊れる壊れないの問題ではなく、そもそも他人の所有物を蹴り飛ばす方こそが問題だと言ったゼルは正しい。
だからと言って、この男はそれを素直に聞き届けるような相手ではないのだ。
尤もサイファーの機嫌の悪さに遠慮などしていては友人としても付き合えたものではなかったし、ましてやゼルのように。物好きなことにわざわざこんな相手を恋人に選ぶなどといった芸当は出来かねる。
所詮、言い切った者勝ち。
一切の理屈が通用しない相手にはその上を行く、屁理屈を捏ねてやればいいだけの話で。
サイファーとの付き合いの中で、これこそがゼルの見つけた極意だった。
すう、と息を吸い込んで真正面からゼルはサイファーを見つめおもむろに口を開き。
「あのな、サイファー。あんたが機嫌悪いのは何も俺だけののせいじゃねぇだろ。確かにあんたが俺を見て鬱陶しいってんならそれは謝るけど、だからって八つ当たりされる義理はねぇ。そのイライラの原因がはっきりしてんならそっちに向けりゃいいだけだ。俺の言いてぇこと分るよな?」
畳みかけるかのように一息でそうまくし立てたゼルを前に、サイファーは自分より頭一つ分も低い金色のトサカを呆然と見下ろすだけだった。
だが次の瞬間、その表情は更に不機嫌そうに歪められ。
「―――てめぇ、誰に向かって偉そうな口利いてやがんだ、ああ?!」
逃げる暇も与えず大きな掌でゼルの頭をがっしりと掴むや否や、吠え立てる。
「痛ぇだろ、このバカっ!離せって!」
「喧しい!チキンが生意気な口叩くからこういう目に合うんだろうがっ!」
「あんたが悪いんだろ!って、マジに痛ぇ、やめろよっ!」
半ば涙目になりながら頭を掴む掌を引き剥がそうと躍起になるゼルを尻目に、サイファーは掴む力を更に強め。
次いで左右に揺すろうとしたその時。
こほん、と小さな咳払いがサイファーの背後から聞こえた。
思わず掴んでいたゼルの頭を離し背後を振り返ったサイファーの視線の先にいた褐色の肌をした男が口元に苦笑いを浮かべていいかな、と静かな声で問う。
「……………」
「げ」
無言で相手をねめつけるサイファー越しにそこに立っている男の素性を知ったゼルが微かに呻くような声を上げる。
よもやまさかいくらこの男が俺様で尊大でも、一国の大統領補佐官を相手に不敬罪に相当するような態度を取りはしまいと思いたいが。サイファーの性格を熟知しているゼルだけに、無条件で信頼出来ないと言うのが今の心情だ。
おまけに。
全く気配を感じさせなかった補佐官は一体いつからそこにいたのかと考えるに。もしかしたらサイファーがテーブルに蹴りを入れていた姿も見られていたかも知れない。
そんなゼルの不安を余所にしばし互いを探り合っていたらしいサイファーと補佐官が動いた。
片方は口元に不敵な笑みを浮かべ、もう片方は満面に穏やかな笑みを浮かべ不気味なほどに穏やかな空気の中で、互いにソファーに腰を降ろす姿を見て慌ててゼルもそれに倣う。
揃って座った所で待っていたかのように補佐官が紙切れをテーブルの上に差し出した。
たった一枚きり、剥き身のままで差し出された紙ではあったが。だからと言って手にしたそれを見ることはとても出来たものではない。
これだけを受け取るためにサイファーとゼルはエスタまで送り込まれ、それを持ち帰って手渡す相手はスコールだからだ。
サイファーの機嫌の悪さは、実はそこに尽きていた。
任務明けでガーデンに帰還し報告をしに指揮官室へと立ち寄った途端スコールに捕まり、そのままゼルと共にエスタからの迎えの大統領専用機に有無を言わさず押し込められ。
向かう途中、文句を言うために繋いだ端末で紙切れ一枚貰って来いと告げられた後のサイファーの状態はまさに手負いの獣さながらで。
専用機に押し込められる際にスコールにハイペリオンを取り上げられていたからこそ、無事にエスタに辿り着いたと言っても過言ではなかった。
「こんなもんのためだけに、エスタくんだりまで来る羽目になるたぁ、思わなかったぜ」
テーブルの上から紙切れを取り上げ適当な大きさに折り畳みコートのポケットに無造作に突っ込んだサイファーに褐色の補佐官は憐憫を込めた視線を向け、大統領からの伝言だと言いおいて口を開いた。
曰く。
本日はこのままエスタに泊まり、明日、専用機にてガーデンへ送り届ける。
言付けられたその内容にサイファーはさも億劫そう横を向き、ゼルは仕方なく頷くことで恭順の意を表した。
全く正反対の対応をする二人を見た補佐官は君たちは愉快で堪らないと呟き、室内に入って来てから初めてとも思える本心からの柔らかな笑みを浮かべ。
「うちの少しばかりおつむの緩いボスが迷惑をかけて済まないね。ついでにと言っては何だが、明日の君たちの帰還に彼も同行するそうだ。労い、には足りないとは思うが彼がご子息に手酷く扱われる様を見て溜飲を下げるといい」
その言葉にすかさず反応を返したのはサイファーだ。
今までの不機嫌風はどこへやら、一変して機嫌良さそうに補佐官と対峙する。
「…会いたくねぇから、俺らを寄越したんだろ。あの我侭指揮官様はよ」
「ご子息が我侭なら、うちのボスはその上を行く我侭くんだからね。さっき渡した紙切れにしたって、本来ならばデータとして送れば済むものをご子息に会う口実のためだけにわざわざ文書にしたぐらいだからね。…まぁ黙って見ているといい、つれなくされてしょげ返る大統領なんてものは滅多に拝めるものじゃないだろう?」
「分ってて俺らを使うあいつもあいつだけどよ。正にあの親にしてこの子あり、だな」
「そういうことだ。ああ、君たちに追加で任務を頼んでもいいかな?」
「内容による」
「これに、麗しい親子の対面をつぶさに記録して送り返して欲しいのだが…どうかな」
「―――了解」
羽織っていた長衣の懐から小型のボイスレコーダーを取り出し軽く振って見せた補佐官の手からそれを受け取ったサイファーはあんたも大したタマだな、と皮肉を言いながら声を立てて笑った。
その晩を過ごすためにゼルとサイファーに与えられた部屋は、一つで。部屋に入るなりゼルは頭を抱えた。
つまるところ、それは。ここでも二人の関係が公然のものと思われていることに他ならないが敢えてゼルは目を瞑ることにした。
茶目っ気たっぷりなエスタの補佐官のおかげでようやく静まったサイファーの虫の居所を、なにもわざわざ刺激して叩き起こすのは愚の極みでもあったし、何よりも。
人目を憚ることなく二人きりでいられるこの状況はやはり嬉しい。
「なぁ、外出てみねぇ?」
「…外だ?」
「そ、あそこさ。何かいい感じそうだと思わねぇ?」
部屋の入り口から最も奥まった場所を注視して、横目でゼルはサイファーを誘う。
薄いカーテンが風に揺れるその向こうには露台がある。
「ほら。行って見ようぜ?エスタの官邸から外眺められるチャンスなんて、そうはねぇだろ」
「……一生なくても俺は構わねぇけどな」
好き好んでエスタくんだりまで来た訳ではない。
斜に構えた態度は崩さず、それでもサイファーは露台へと小走りで向かうゼルの背中を追いかけた。
一歩、外へと出れば。昼の熱を孕んだ空気の名残を残した、けれども心地良い夜風が頬を撫でる。
「こうして見っと、やっぱ広いよな」
「んなもん、権力の象徴だ。狭苦しかったらみっともねぇだろうが」
「…そんなもんかな」
「そんなもんだろ」
ひんやりとした石造りの縁にもたれ掛かり頬を付くようにして、眼下に広がる手入れの行き届いた庭園を眺めるゼルの背中にサイファーの腕が伸ばされた。
何すんだよと口では言いながらも、ゼルがその腕を振り払うことはなく。
されるがままに腕の中に抱き込まれ恋人の胸の中に納まる甘い気分を満喫しながら、視線だけを下方から水平方向へと移動させる。
「サイファー」
「ああ?」
「あれ、何か分るか?」
ここからなら良く見えるだろ。
小さく呟いたゼルが夜空の一点を指差し、白い指先につられるようにサイファーも視線を動かした。
「……星見て、他の何かだっつうバカはいねぇと思うぜ」
「誰もそんなこと、聞いてねぇっつの。あの赤い星、何か知ってるかって聞いたんだよ」
「知らねぇよ。赤いっつーなら火星なんじゃねぇのか」
答えたサイファーの声は、さも面倒だと言うような億劫そうな響きを含んではいたが。文句も言わずに言葉を返すだけでも、この男にしたら上出来だとゼルは笑顔になる。
嫌なことは、嫌。
例え相手が誰であろうがそのスタンスを崩さないサイファーは、まるで。地平線の彼方に見えるあの赤い星のようだ。
「教えてやろうか?」
「どっちでも」
「…コル・スコルピオ」
「聞き慣れねぇ言葉だな」
「古い言葉だし。バラムからだと、ちょっと見づらいんだけど…やっぱこっからなら見やすいのな」
「どっから見えようが関係ねぇ。とっとと、さっきの言葉の意味、教えやがれ」
「あんたでも気になるんだ?」
「ああ、なるな」
「………あんたの、ここだよ」
抱き締めていた腕を抜け出し向き直ったゼルが、サイファーの胸に触れ。
服を通して微かに感じる鼓動を確かめるかのように掌を押し付ける。
「相手構わずに喧嘩を吹っかける、さそりの心臓」
「そりゃまた、随分な言われようだな。これでも喧嘩売る相手は選んでるつもりだぜ」
「そうか?…ま、早く言えば、あんたはどこにいたって変わらないってことなんだけどな」
悪戯めかした様子でそう言い見上げる碧の瞳を、さそりと称された男が真上から覗き込んだ。
「…何だよ。もしかしてまた機嫌悪くなったとか言わねぇよな」
「チキンの期待に応えてやろうって思っただけだ」
「サイファー?」
「どこにいても俺は変わんねぇんだろ。なら、ここでも同じことしねぇとなぁ?」
「そういう意味じゃねぇ!」
「っと、暴れると刺さるかもな。さそりにゃ、毒があんだろ?」
「だからそれは物の例えで……んっ!」
天空を睥睨するような赤い星の煌く中。
にやりと笑って素早く唇を奪ったサイファーの背に、いつしかゼルの腕がゆっくりと回された。
Fin.
TOP
「KALEIDOSCOPE」の如月アヤ様より頂きました(^-^)
大きななりして手のつけられないガキ大将。
やっぱりサイファーはこうでないと、ですね!
つきあわされる方の苦労は並み大抵ではないでしょうが、
それでもきっと幸せなんだろうな〜。そんなゼルが羨ましいです!
アヤ様、素敵な暑中見舞いをありがとうございました!