Monopolistic desires

如月アヤ様


薄暗い、室内。
アルコールの匂いとタバコの紫煙で満たされた、淀んだ空気。
酔いの回った客の声と、それに絡みつくような女の嬌声。
少しでも理性のある者が目にしたのならばおそらくは「はしたない」と眉を顰めるであろう光景。
だが。

「おつかれさん、明日も頼むな」
「わかりました、お疲れ様でした」

いつも変わらずにカウンターの奥にいる店主からそう声をかけられたゼルは、お決まりの文句を口にして軽く頭を下げた。
こんな風に、誰かに頭を下げるなど。数ヶ月前までは考えもつかなかった。
けれど今は・・・ゼルにとっての現実は、これなのだ。
6年という歳月を過ごしたガーデンを飛び出して。
かと言ってただあてもなく、無為に日々を過ごす事も出来なくて。
たまたま選んだ仕事が、これだったというだけだ。
きっとゼルを知る人間ならば「なんて似合わない」と揃って口にするだろう。いや、口にするだけでなく辞めさせるためには実力行使に訴えるかも知れない。
けれどもこんな生活も慣れてしまえば案外、気楽なものではある。

夜も更けた頃、こうして店を出て。
たった一人で古びた家へと戻り、明け方近くに眠りについて。
太陽が沈む頃・・・ようやく起き出して店へ来る毎日。
何一つ代わり映えのしない毎日はある意味とても新鮮だった。
時折、酔いの回った客が暴れたりもするがそれを捌く事はゼルに取って児戯にも等しく。
命をかけて赴かねばならないSeeDの任務に比べたら、それこそ欠伸が出るほどに穏やかで。
だから決めたのだ。 この穏やかな日常の中で、静かに。
誰にも邪魔されずに想いの全てを閉じ込めたまま、ゆるゆると朽ち果てて行こうと。



軋んだ音を立てる重たい扉を開けて外へと出れば、そこには月光と星明りだけが照らす世界が待っている。
人工的なものなど何一つ無く、あるがままの姿を晒す夜。
気まぐれに吹く風が、仄かな花の香をゼルの元へと運んで。それに誘われるかのように帰途への一歩を踏み出した瞬間。
人影にゼルは足を遮られた。

「・・・久しぶりじゃねぇか、チキン」
「・・・・・・・・・・・・え?」

聞き間違う事などない程に、耳に馴染んだ声。
まさか、どうしてあの男がここに。
いる筈などないと思いながらゼルは視線を上げて声を失った。

「随分と遅いじゃねぇか、待ちくたびれちまったぜ」
「な、んで・・・」

白いコートのポケットに両手を突っ込んで、サイファーはゆっくりとした足取りでゼルの方へと近づいて来る。
それに押される形でじりじりと後退したゼルは、今しがた出てきた店の裏口の扉に背中をぶつけた。

「もう、逃げ道はねぇみてぇだな?チキン」
「―――――っ!」

正面から覆い被さる形で扉に両腕を付いたサイファーによって、ゼルは前にも後ろにも逃げ場所を失ってしまう。

「何しに、来たんだよ・・・」

震える声が、可笑しかった。
何をこれほどまでに怯える必要がある?
どうしてこんなにも、この男を恐れる必要がある?
全部。
SeeDだった自分の何もかもを、ゼルはあそこへ置いてきたつもりだ。
今、ゼルの目の前にいるのは同僚だったと言うだけの男で。
恐れも怯えも、そしてそれ以外のどんな感情も抱かなくていい筈なのに。

「何しにとは、ご挨拶じゃねぇか。てめぇを迎えに来たに決まってんだろ・・・ゼル」

夜の中、妖しく光る翠の瞳が真っ直ぐにゼルを見つめている。
数え切れない程に重ねた唇が、甘い声で名前を呼ぶ。

「もういいだろ?戻って来い」

長く形の良い指が、ゼルの頬の漆黒のラインの上を優しく撫でて。
すっと滑った指先が唇に触れた。

「・・・サイ、ファー・・・・・・・・・」
「やっと呼んだな、チキン」
「止めろよ・・・」

サイファーの唇が重なる直前で、ゼルは顔を背けた。
だがそんなゼルの行為にもサイファーは憤りを顕わにすることは無く、ひたすら穏やかに。

「ったく、てめぇはよ・・・どこまで強情張る気なんだかな。いい加減に諦めろ、言ったろ?迎えに来たってよ。てめぇにゃ悪ぃが、逃がしてやる気なんざねぇんだよ」
「どうし、て」
「ああ?」
「なんで・・・俺なんか、探すんだよ・・・・・・」

探してなんて欲しくなかったからこそ、ゼルは何一つ痕跡を残さなかった。
仲間やサイファーの顔を思い描かなかった訳でもなかったが、無理やりにそれを飲み込んで。
全てを捨てて逃げ出した自分など、探す価値もないだろうに。
どんな方法を使ってか、こうして居場所を突き止めて。それが決して安易な事ではないと、ゼルにも想像出来る。
それなのに怒るでもなく、憤るでもなく。こんなにも優しい声で「迎えに来た」と、どうしてサイファーは言えるのか。

「探すに決まってんだろ、馬鹿が」
「・・・・・・・・・・・・」
「てめぇがいなくなっちまって、俺がどんな思いをしたか分かるか?チキン」
「どんなって・・・」
「この世の終りみてぇなモンだろ。俺の隣にはてめぇがいるもんだって、信じきっちまってたんだからよ。それがどうだ、いきなり姿をくらましやがって、てめぇはそれで俺が納得するとでも思ったか?」
「思った訳じゃ、ねぇ・・・けど」

サイファーでなくとも、納得などしないだろう。
もしも突然にサイファーが姿を消せば、ゼルとてどんな事をしても・・・探し出そうと思った筈だ。

「最初はな、てめぇを探し出したらよ。とことんぶちのめしてやろうって思わねぇでもなかったんだが、無理に決まってらぁな。こうしててめぇの顔見ちまったら怒りとか、腹立ちなんざどうでもいいって思えちまう」
「っ・・・サイ、ファー」
「そんな事よりも、てめぇを連れ帰る方が先だ。連れ帰ったら今度こそ逃げ出そうなんて思わねぇくれぇ、てめぇに教えてやる」




気が付けば、いつの間にかゼルはサイファーと共に粗末なベッドの上にいた。
あれからどうやってこの家に戻って来たのか覚えていない。
優しい言葉に、何一つ答えられず。ただ涙を流すだけで、その手をサイファーに掴まれたまま。無意識の内にここへと帰って来たのだろうか。
背中から抱きこまれ、薄いシャツ越しにサイファーの鼓動を感じる。
規則正しいその鼓動と、腕の中に抱き締められて湧き上がるこの安堵感を。どうして忘れ去れると思ったのか。
どだい、無理な話だったのだ。
何一つ忘れてなどいなかった。耳元にかかるサイファーの吐息も、前に回された大きな手も。その全てがゼルに、かけがいの無い安心をもたらしてしまうのだから。

「何で、逃げた」
「・・・不安だったんだ」
「ゼル?」

ゼルの裡にある気持ちを言葉にすれば、サイファーの声が僅かながらにひそめられる。
不安だった。
何で、と問われれば、それ以外に言葉はなくて。

「あんたが。いつの間にか、あんたが認められてて。SeeDとしても、男としても・・・誰もが、あんたを認めてた」
「・・・・・・ああ」
「俺はいつだってあんたしか見てなかったし、最初は、凄く嬉しかった。どんなに悪く言ってた奴でもいつの間にかあんたを認めてて、それが嬉しかった。でもさ、気が付いたんだ。あんたを見てる人間が俺だけじゃないって」
「それで?」
「もう、今のあんたは俺だけのものじゃないって思ったら・・・不安で、どうしようもなくなって」

ささやかな、独占欲だった。
サイファーがガーデンに戻ってきた、あの日から。互いに気持ちを伝え合ったあの時から。
誰が何と言おうと、ゼルだけはサイファーを見ていようと、側にいようと思っていた。
けれどそれは間違いだった。
サイファーを見ているのは、自分だけではない。
周囲がこの男に向ける憧憬や羨望、賞賛の視線に気が付いた時。
いつまでも隣にあると思っていたサイファーの姿は、ゼルの遥か彼方に行ってしまったように思えて。
ゼルだけがそこに取り残されたように感じた。
そして、同じSeeDとしても男としても。サイファーを支え、隣に並び立つ事が許されるのは自分だけなのだと思っていたプライドは容易く亀裂を生じた。
俺だけのものだ、と声高に叫びたかった。
いっそそう出来たのならばこんなにも、サイファーへの独占欲に苦しむ事はなかっただろうに。
そう言い切ってしまえるだけの強さも、したたかさも持ち合わせていなかったからこそ逃げ出した。
サイファーの姿を見なければ、忘れられると・・・そう言い聞かせた。

「ホント、馬鹿だよな」
「馬鹿どころか、大馬鹿だぜ・・・てめぇ」

溜息とともに、サイファーは呟いた。

「一体、何年一緒にいたと思ってんだ?チキン」
「・・・たった、6年だ」
「6年も、だろうが」

6年という歳月は、短い時間では無い筈だ。
それだけの時間を共に過ごしておきながら、このトリ頭は何を考え違いをしているのかと・・・サイファーは頭を抱えたくなった。
ゼルの抱く独占欲など、サイファーにしたら嬉しいと思いこそすれ厭うなど有り得ない。
他の誰でもなく、ゼルだからこそ傍らに在って欲しいのだと、どうして分からないのか。
それを言葉にしなかった自分にこそ、責はある。
ならば、今。

「てめぇな、俺を甘くみんのも大概にしやがれ」
「なっ!」

無理やり体の向きを変えられて、ゼルはサイファーと向き合うことを余儀なくされた。
ぎらぎらと輝く翡翠に真っ直ぐに射抜かれ、抗う事も顔を背ける事も許されない。

「てめぇにとっちゃ、たったの6年かも知れねぇけどな。俺にとっちゃ、今までの人生全部捨ててもいいくれぇの6年なんだよ。見たい奴には見せておけばいい、俺はそんなのどうだっていいんだ」
「・・・・・・サイファー」
「独占欲だ?感じて当たり前じゃねぇか、好きな相手にそれを感じねぇ人間がどこにいる」
「だけどっ!」
「てめぇの独占欲なんざ、俺に比べりゃ可愛いもんだぜ。聞かせてやろうか?ゼル。てめぇがどう思おうが俺が死ぬ時は、嫌だっつっても一緒に連れてくって、決めてんだよ」

死ぬ時も共に、など。
これ以上の独占欲がどこにある。

「変わんねぇな、てめぇは。いつだってそうやって、一人で考えて、答えを出して。俺を置き去りにしやがってよ」

6年という時間の中で、姿形こそは大人びたものの。ゼルの中身は何一つ変わっていない。
永遠に不変の、何よりも愛しい存在。

「戻って来い、俺の隣にいろ。何処にも行くな」

囁きと共にサイファーの大きな手で、ゼルは前髪を優しく梳き上げられた。
額に軽くキスをされ、戻って来い、と何度も囁かれ。
ドロドロとした汚い気持ちも、誰彼構わず感じる嫉妬も全部。この手と腕が包み込んで許してくれるのだとすれば。
これ以上に居心地のいい場所なんてある筈が無い。
それでも。

「戻って来いって・・・あんたは簡単に言うけど・・・・・・」

今更、どうやって戻ればいいのだろうか。
こんな事をしておいて、戻れる道理がどこにあると言うのか。

「また、余計な事考えやがって。簡単じゃねぇか、普通の顔してりゃいいんだ」
「出来るかよ、そんな事!」
「出来ちまうんだな、これが。何たって、てめぇは無期限の任務に出てる事になってんだからよ」
「・・・・・・・・・え?」
「ま、それは司令官殿の配慮ってやつだけどな。てめぇが飛び出したのも何もかも、全部俺が悪いって決め付けやがって、あの野郎・・・」

言葉にした途端にスコールの事を思い出したのか、忌々しそうにサイファーは顔を歪める。

「だから何一つ問題はねぇって事だな」
「そんなの・・・」
「煩せぇ、ぐずぐず言うんじゃねぇ。ったく、気ままに飛び出しやがって、俺の見えねぇ場所で勝手に羽を休めてんじぇねぇぞ、チキン」

乱暴な言葉とは裏腹に、ゼルの髪に、顔に。余す所なく、優しいキスの雨が降ってくる。

「とにかく、一眠りして起きたら戻るぞ。とっとと寝ろ」
「・・・ん・・・・・・」

緩やかな眠りの波が押し寄せる。
こんなにも満たされた気持ちで眠りにつくのはいつぶりだろうと、まどろみの中でゼルは思う。
サイファーに言わなければいけない言葉は、沢山あるけれど・・・今はただ、こうして抱き合って眠りたい。
許されるのならば、今少し。この温もりの中で羽を休めよう。
目覚めて後、再びあの楽園でサイファーの隣で羽ばたくために。

Fin.
TOP

柚葉さま、サイト20万HITおめでとうございますv
その節は勿体無くも、素敵なお話をありがとうございました〜。
お礼にも、またお祝いにも不足過ぎる拙い文章ではありますが。
サイファーとゼルの6年という時間を考えて見ました。/アヤ
「KALEIDOSCOPE」の如月アヤ様より、当サイト20万HITの
お祝いということで、こんな素敵なサイゼルを頂きました!
行動こそ違えどもそろって不器用で、でもそれぞれお互いを
必要とする気持ちはまっすぐ純粋でひたむきなこの二人に
心和み幸せいっぱいです!
アヤ様、至福な麗文を本当にありがとうございました!