New moon,Honey moon
如月アヤ様
「おい、チキン」
「んだ、よ………」
隣に滑り込んで来た体温と耳に低く響く声にゼルは今にも閉じそうな瞼を掌で擦り。
億劫そうに向きを変え今しがたベッドへと潜り込んで来たサイファーに眠たいと、非難染みた声で返す。
途端にサイファーが不機嫌な空気を身に纏ったのを感じ取り、ゼルは小さく溜息をつく。
「…なぁ、眠たいんだけど……」
諦めにも似た心地で呟き無理矢理に押し開いたゼルの視界に、ぼんやりとサイファーの輪郭が映る。
僅かなカーテンの隙間から差し込んだ細い月の光にシルエットしか見えない男が、それでも怒気を孕んだ瞳で自分を見下ろしていることぐらい手に取るように分ってしまう。
(ったく、何だかな…)
ここで譲るか、譲るまいか。
行動一つでこの先の展開は天と地ほどの差をもたらすのだと、経験上ゼルは知っている。
怒らせるのも簡単ならば宥めることとて実際は簡単なのだ。
ほんの少しだけ甘えるようにその名を呼んで、縋るようにあの広い背中に腕を回せばそれだけでよかった。
聞きなれた罵声や揶揄うような声ではなく、全く正反対の。ゼルだけに許されたとろけるような睦言と目の暗むような快楽をサイファーが与えてくれると知っている。
眩暈のするほどに蟲惑的なそれは、考えただけで体の芯に火を灯す。
同じ性を持っているから、サイファーの内に湧き上がっているだろう欲求を理解することは容易い。
だが理解出来るからと言って諸手を挙げてその行為を受け入れられるかと問われれば。
(嫌…つーんじゃ、ねぇけど…マジで眠い…んだよな……俺)
ここ最近、スコールの補佐官としての仕事が多いサイファーはいい。それはそれで疲れはするだろうが、体感する疲労度は外での任務と比べ物にならないはずだ。
もっともそれはあくまでもゼルの考えでしかないが。
下手なことを口走れば、サイファーのことだ。だったらてめぇがスコールと指揮官室に詰めて見やがれ、ぐらいのことは言うだろう。
サイファーほどスコールを苦手だと感じるわけでもないし、もちろん嫌いではない。
だが休息する暇もないほどの書類に囲まれて朝から晩まで端末に向かうなど、それこそゼルに取っては拷問にも等しく。
「…何考えてやがんだ、チキン」
「何に、も…」
ほんの僅かな沈黙を、思考の時間と捉えたのか。しなやかな、まるで獣を思わせる動きでサイファーがゼルの体を組み敷いた。
「で?答えは出たのか」
「あんたに嫌、は通じねぇん…だから、っ…聞く、な……」
耳元に寄せられた唇から零れる声と吐息に身を竦めながら、ゼルは途切れ途切れの小さな悪態をついた。
ああ、そうだ。
そもそもサイファーを前にして考えるなどと言う行為は、徒労にしか過ぎない。欲しいと思えばどんな手を使ってでも、この男はそれを手に入れる。
力任せに押し倒して有無を言わさずゼルを意のままにすることなど簡単だろうに無駄な思考の時間を与えたのは、ただ単にそういう気分だったからだろう。
気まぐれな捕食者は、獲物が自らその口元に身を差し出す瞬間を楽しんでいるのかも知れない。
「分ってんなら、とっととてめぇを食わせろ。俺は腹が空いてんだ」
「ばか、やろっ……んっ、ぁ…好き、にすれば…い、だろ…」
首筋を滑るサイファーの指に、息が上がる。
どうせ何を言っても思うようにされるのだから余計なことなど言わずさっさとしろとも思うが、言葉一つで自分を首を絞めると分っているから口を噤んでいる方が賢明だ。
サイファーの指に、唇にもたらされる快楽を知っている体は従順で。
(嫌、とかじゃ…ねぇんだ……でも、よ…)
どこか冷めている心と裏腹に、体の芯に灯された炎だけが大きくなって行くのが悔しい。
「…んな、ツラすんじゃねぇ。俺が苛めてるみてぇだろ……ほら、いつもみてぇに可愛く啼いてみせろ…ゼル……」
「んっ、ふ…サイ、ファ……」
せめて声だけはと噛み締めた唇に気付いたサイファーが、舌先でゼルのそれを割り。深いキスの合間に零れる甘い声に満足そうに瞳を細めた。
「……あ、あのやろ…いねぇって、どういうことだよ!」
寝起きの気だるさも何処へやら、目を覚ましたゼルは隣に寝ていたはずのサイファーの姿がないことに跳ね起きたベッドの上で声を荒げる。
散々好き放題貪られた挙句に黙って置き去りにされるなどこれが初めてではなかったが、回数を重ねたからと言って慣れるものでもないし慣れたくもない。
した方はいいかも知れないが、置き去りにされる方に取ってはこの上なく寂しい瞬間だ。
何も朝まで抱き締めて寝ろと言っている訳でなし。そもそもあの太い腕でそんなことをされた日には暑苦しくて堪ったものではないけれど。
だからと言って甘さの欠片もない、こんな味気ない朝を一人で迎えさせられる義理もないはずだ。
せめて傍らで。温もりと共に、誰にも聞かせないあの声で名前ぐらいは呼ばれたいと願うことは間違っているだろうか。
「いくら仕事だからって、声ぐれぇかけてけっつの!バカサイファーっ!!」
任務後に与えられる休暇のゼルとは違い、もちろん今日もサイファーには仕事があるのは分っている。
寝ている自分に声をかけて行かなかったのはもしかしたら、サイファーなりの思いやりだとしても、あの男流に言ってしまえば。
「そんなの俺の知ったことじゃねぇ、っつーんだよっ!」
腹立ちと悔しさの入り混じった感情のままにゼルはサイファーの枕を床へと投げ捨て、ついでとばかりにリネン類も残さずぐちゃぐちゃにかき混ぜ。
多少なりともすっきりした気分で改めて見直せばなかなかにいい散らかり具合だ。
(…いいじゃん、これ)
もちろん叩き落したそれらを拾い上げて綺麗に直す気など、毛頭ない。
ああ見えてサイファーは部屋の中が乱雑になることを嫌うと知っているからこその、勝ち誇った笑みを浮かべるとベッドからするりと抜け出した。
「……で。何でお前がここにいるんだ、ゼル」
「別に。たまには違う部屋で寝るのも新鮮かなぁって」
今日も今日とて膨大な量の書類の決裁に終われ、ついでに鬱陶しい大男と二人きり指揮官室に缶詰だったスコールは自室に戻ってソファーの上に寝転がるゼルの姿を見つけると同時に綺麗な形の眉をさも不機嫌そうに顰めた。
「悪いが、ゼル。お前の暇潰しに付き合う気は俺には全くないんだが」
「暇潰しとか言うなよな!…俺の素晴らしくもすっげー重要な計画にケチつける気かよ、スコール」
「お前の言うところのその素晴らしくかつ重要な計画に巻き込まれて、挙句あの猟犬を相手にはしたくないな」
「…なんでそこにあいつの名前が出てくるんだよ」
スコールの口からさらりとサイファーを引き合いに出されたゼルはむぅ、と唇を尖らせる。
一事が万事、この調子だ。
浮かない顔をしていればサイファーと揉めでもしたか、機嫌が良ければサイファーと上手くいってるのか。
口にする人間は大して深く考えもせずに言っているのだろうが自分の行動全てをそこに結論付けられるのは、はっきり言って面白くない。
「俺、今日から当分ここで寝るからな!」
何があっても出て行くものかとばかりに、どこから引っ張ってきたのかブランケットに包まりくるりと背を向けたゼルにスコールは小さな溜息を零す。
それは意固地になったゼルへのものではなく自らは決して教えた覚えのない、自室の暗証コードがどこから漏れたのかと言うガーデンのセキュリティへのものであり。
小柄な体を更に小さく縮こめたゼルへ気取られないほどの薄い笑みを浮かべるとスコールは肩を竦めた。
「なぁ、あいつ何か言ってた?」
「特別には何も」
「ふーん……」
ゼルがスコールの部屋を根城にと決め込んで十日余り。
任務の開き時間などに時折、廊下で擦れ違いはするもののサイファーからは罵声の一つ、文句の一つもなく。
故意に向こうが時間をずらしているのかそれまでは一緒だった食事の時すら顔を見ない。
早晩、怒りを露わにしたサイファーが乗り込んで来てここから連れ戻されるか。それすらも待てなくて衆人環視の中、首根っこを捕まえて罵詈雑言の嵐に見舞われるかと想像していたゼルは肩透かしを食らった気分だ。
あのサイファーが行動を起こさない、それが反対に言いようもなくゼルの不安を煽り立てる。あの執着も、それが当然だと思っていたのはもしかしたら自分だけで。あの男に取ったら暇潰しの一つにしか過ぎず、もしかしたら今この瞬間にも腕の中に違う人間を抱き締めているかも知れない、そんな不安が胸中を覆い尽くす。
「……いい加減、一人寝が寂しくなったか?」
「ばっ、冗談だろっ!何で俺がっ!」
ふいに図星を指されてスコールの言葉に、そんなんじゃねぇ!とゼルは思わず怒鳴り返す。
「………ぁ」
怒鳴ったその行動こそが心情を肯定しているのだと悟り、脱力感と共に起こしかけた体をぼすんと沈め手近にあった枕代わりに使用しているクッションを抱え所在なさげな視線をスコールに向ければ。
静かな声でゼル、と。
やんわりと先を促すように名を呼ばれ、ゼルは渋々言葉を紡いだ。
「だってよ…」
「ん?」
「あいつ、すっげー俺様じゃん」
「今更、だろう」
「…自分のしてぇことばっかでよ、俺のことなんてこれっぽっちも考えてねぇしさ」
一旦口をついてしまえば、胸の奥にわだかまっていた感情は止まらない。
少しは俺の気持ちも考えろ。
あいつの心が見えねぇ。
内心情けないと思いつつもサイファーを思えば次から次へとそんな他愛ない、愚痴ともつかない不満が溢れ出す。
黙って話を聞いていたスコールはゼルの話の途切れたタイミングを狙ってそっと近寄り、真上からゼルの顔を覗き込む。
「お前はそれを、ちゃんと伝えたのか」
「スコール?」
「お前とあいつの関係なんて、俺が口出しする範疇じゃない。ただな、ゼル。思ってるだけで口にしなければ、お前の気持ちはあいつに届かなくて当然なんじゃないのか?」
「……だって、よ」
「簡単なことだ、今俺に向かって言ったことをそのままあいつに言えばいい」
「でもっ!」
「ちゃんと伝えて、それでもあいつが変らないのならその時は…そうだな、ソファーじゃなく俺のベッドと腕を提供してやるぞ」
「それ、笑えねぇよ…スコール」
ベッドと腕を提供してやると言ったスコールの表情が余りにも真面目そのもので、ゼルは思わず吹き出しそうになる。
「何だか不満そうだな、ゼル。…俺のベッドと腕も十分に魅力的だと思うが」
「そりゃ…そうだけど」
「だけど?」
「…えーっと」
「お前の欲しいのはそれじゃないんだろ?」
諭すような響きを持ったスコールの言葉と、伸ばされた手に腕を掴まれたゼルは無言で立ち上がった。
「ほら、行って来い」
「……スコール」
それでもまだ不安だと渋るゼルの体を抱くようにしてドアまで見送り、スコールは軽く背中を押し。
心細さを表すかのように僅かに落とされた肩が遠ざかって行くのを見届けた後、取り出した端末のメモリーを押した。
「…よぅ、随分と長いお出かけじゃねぇか」
「うわっ!」
スコールの部屋を後にしたものの、次第に重たさを増す足を引きずるようにして歩いて来たゼルはふいに聞こえて来た声に弾かれたように顔を上げた。
開いたままのドアに背を預け腕組みをしたサイファーが発した声と同様に顰め面でゼルを見ている。
「……た、だい…ま?」
他に言いようもなく切れ切れな言葉で上目遣いにサイファーを見上げたゼルの体が瞬間、引き寄せられた。
「サイ、ファー?」
「家出すんにしちゃ、随分と近ぇとこに行きやがって」
抱き締めてくるサイファーの腕の温かさに戸惑い名前を呼んだゼルの耳に、笑いを含んだ声が流れ込み。
あの不機嫌さは振りだけだったのかと、思わず安堵の溜息を漏らす。
だかその安心も束の間、がっちりとホールドされたまま開け放されていた部屋の中へと連れ込まれ。
抵抗する間も与えられないまま、気が付けばゼルはベッドの上でサイファーに見下ろされていた。
「ったく、てめぇの素晴らしい計画とやらのお陰でこっちはあいつと取引する羽目になっちまったぜ。俺が迎えに行く前にてめぇからノコノコ戻って来たんだ、当然…覚悟は出来てんだろうな?」
「何であんたがそれ、知ってんだよっ!」
「んなもん、あの腹黒い指揮官を信用しきってるてめぇが悪ぃんだろ、チキン」
「は…腹黒いって……」
「てめぇのせいでこういうことする相手もいねぇやつに散々、説教されちまったじゃねぇか」
(……ってことは、よ。最初っから全部、知ってたって…ことだよな……)
どうりで。
黙ってスコールの部屋に転がり込んだにも係わらず廊下で出会っても見事なまでに無視はされるし、乗り込んですら来なかったはずだと降って来る唇を眺めながらゼルは納得する。
「おまけに俺のしてぇことばっかり、か?」
「や、その!そうじゃなくてっ……つか…」
額から頬に、鼻先にと触れるだけのキスを落としながら服の隙間から潜り込んで来るサイファーの指にぞくぞくと肌を粟立たせながら、つい言い訳染みた言葉を捜している自分にゼルは呆れてしまう。
「…そうじゃねぇ、だろ。ゼル……」
「………う」
ほんの少しの間でも、離れていて寂しかったのは本当で。
望んだとしても、言い出すことの出来ないゼルを知っているからこそ。こうして強引なまでの欲の強さをサイファーは露わにするのだ。
(んでも、任務明けとかは…やっぱキツイ、んだけど)
「ま、たまにゃてめぇの意見も聞き入れてはやるけどよ…惚れた相手、前にしてりゃそうそう我慢も効かねぇ、ってな」
「やっぱ、あんたって…どこまでも俺様だよな」
ゼルの心を読み取ったかのようなサイファーの言葉に、思わず笑みが零れ。滑らかな肌を愛撫する掌を動きを遮る着衣を剥ぎ取ろうと体を浮かせたサイファーが口角を上げてそれに返す。
「その俺様、が好きなんだろ?」
「……言ってろ、ばか」
束の間に離れた体温が恋しくて逞しい首筋に腕を回そうとしたゼルの目に、やはり少しだけ開いたカーテンの隙間から真円を描く月が見えた。
欠けては満ち、満ちては欠ける。
どことなく人の心にも似たそれは二人の間に湧き上がる官能を呼び起こすかのように、甘い蜜のような金色の光を湛えていた。
Fin.
TOP
「KALEIDOSCOPE」の如月アヤ様より頂きました(^-^)
アヤさん、UPするのが遅くなってしまって申し訳ありません!
その間、存分に独り占めさせて頂いてました(笑)
美しい文章とめくるめく幻想的かつ官能的な文章にいつもながら脱帽です。
私の方こそ、おこがましくもなんとかアヤさんに追い付きたいと
毎度ながら四苦八苦なのですよぉ〜ヽ(;´Д`)ノ
こんな拙い私ではありますが、どうぞこれからもよろしくお願いしますね!