12/学園祭


柔らかな陽射しが、校庭一杯に満ちていた。
笑いさざめく声があちこちで飛び交い、活気あふれる呼び声が晴れ渡った空にこだまする。
校庭の一角では、ステージを組み上げるために十数人の学生らがせわしなく動き回っている。
校庭の周囲を取り囲む街路樹には何やら大荷物を抱えた学生が行き交っており、講堂には多くの姿が出入りを繰り返していた。

「セルフィが、どうしても学園祭を実行するんだと言い出したんだ。」
傍らで、苦笑まじりの穏やかな声が呟く。
「イヤな思い出を早く水に流してガーデンを活性化させるために、絶対にやるべきだって言ってな。」

吹き抜ける風は、すでに秋の気配を含んで爽やかだった。
まったく、忌々しいほどに爽やかすぎた。
サイファーは校庭を見渡しながら思いきり唇を歪め、吐き捨てるように呟いた。
「めでてえ連中だ。流そうったって流し切れねえ汚物だってあんのによ。」
スコールは静かに視線をめぐらせてサイファーを見た。
華奢な白い頬が、またか、と言いたげに強ばっている。
「あんたが流そうと思えば流せる事だ。」
「‥‥。」
「何度も言ったろう。俺があんたを呼びに行ったのは、学園長の命令と皆の意志だ。ガーデンは、あんたのやった事はとっくに水に流してる。あとは。」

---あんたの意志ひとつだ。
4日前、突然F.H.のサイファーの元にやってきたスコールは、久々の再会の挨拶もそこそこに、そう言ってサイファーを説得にかかった。
ガーデンに戻れ。
確かにあんたは戦犯扱いになってるが、心配には及ばない。
すべては学園長がよしなに取りはからって、解決に向かってる。

馬鹿も休み休み言え、と最初は一笑に付したサイファーだったが、その翌日、さらに翌々日になってもスコールの説得がやまぬに至り、どうやらガーデンは‥‥少なくとも、学園長とこの総司令官だけは、どういうわけかサイファーに真剣に戻ってきて欲しいと思っているらしい事が解った。
だがそれでも、すんなり説得に応じるつもりはさらさらなかった。
とっくに水に流している、だと?
そんな都合のいい話があるか。
F.H.の穏やかな海に釣り糸を垂らしつつ、スコールの説得にようやくそう反論したのは3日目の事だった。
確かにガーデンとしては、機密漏洩の危険性の観点から、元ガーデン生であった第一級戦犯の処分を他国の手に委ねるのは絶対に避けたいところだろう。
意地でも他国に先駆けてその身柄を拘束し、他国を納得させる方法で処分を下さねばならぬはずだ。
つまりガーデンに戻れば、待っているのは死か幽閉に決まっている。
水に流してる、などと見え透いた甘言でこの俺が騙せると思ってるのか?
するとスコールは破顔した。
‥‥かつての無愛想さを思えば、頭がおかしくなったんじゃないかと疑いたくなるほどに明朗な笑みで、美貌の総司令官はこう諭した。

「だったらわざわざ説得になど来ない。問答無用で強制的に拘束して連行する。」
「‥‥。」
「サイファー。ガーデンは、あんた自身の意志で戻ってきて欲しいんだ。皆そう思っている。」
「みんな、だと?」
「もちろん、中にはまだ納得がいかないと主張する連中もいるさ。でもそれも、あんたの出方次第だ。あんたが自分の意志でガーデンに戻るとなれば、彼らの意識もまた変わる。」
「‥‥俺に、反省してますってえ態度を示せってか?」
「プライドが許さないか。」
逆に問い返してスコールはまた笑った。
「けど、戦犯の肩書きに怯えてこんなところで隠遁してる方がよっぽどプライドを捨ててる行為じゃないのか。」
「‥‥。」
サイファーは手許の釣り竿を見下ろして、苦々しく渋面を作った。
だがすでに釣り糸の先には興味が失われていたから、結局釣り竿を投げ出した。
サイファーのそんな仕草を横目に眺めつつ、スコールは淡々と続けた。
「少なくとも、あんたっていう人間を知ってる連中はあんたが生きてた事にほっとしているし、あんたがガーデンに戻る事を望んでる。学園長も、まま先生も、キスティスも、セルフィも。ゼルも。」
ぎょっとして思わずスコールを見てしまい、慌てて視線をそらす。
だが幸いスコールは気づかなかったらしく、虚空を見つめたまま語調だけを強めてきっぱりと言った。
「あんたにとっても、それが最良の道のはずだ。ガーデンに戻れ、サイファー。」

スコールに、結果的には引きずられた形だった。
無論あえて言うなら、スコールの言葉を鵜呑みにした訳ではない。
今さらガーデンに戻るなどどう考えても理不尽な上、都合が良すぎる話だ。
そこに何らかの裏なり罠なりが待ち構えているであろう事は覚悟の上だったが、それでもスコールの言葉に隷従したのは‥‥アイツがそれを望んでいる、という、そのたった一言のせいだった。
例えそれが根も葉もない方便なのだとしても、いやそうに決まっているといかに己に言い聞かせようとしても、一旦耳にしてしまったその名は問答無用にサイファーを従属させる力を持っていた。
もう一度あの蒼い瞳に出会えるなら。
敵としてではなくただの人間として相対する事ができるのなら、その後は拘束されようが処刑されようが、構いはしない。
そんな、どこか虚無的とさえ言える覚悟でサイファーはスコールの説得を諾したのだった。

だが、ガーデンでサイファーを待っていたのは、拘束でも処刑の宣告でもなかった。
どうやらスコールの言葉に嘘偽りはなかったらしい。
スコールに伴われてまっ先に通された学園長室で、満面の笑みをたたえてサイファーを迎えたシド学園長は、サイファーの無事の帰還を心から喜んでいるようにしか見えなかったし。
ガーデン内を行き交う学生らも、サイファーの姿を目にするや否やはっとして慌てて視線を逸らしはするものの、そこには別段悪意や嫌悪の感情は含まれてはいないように思えた。
或いは陰では違うのかもしれないが、少なくとも咄嗟に浮かべるその表情にはなんの作為も感じられない。
まるでガーデン全体が、サイファーの帰還を当たり前の事としてしか捉えていないかのようだった。
それこそ、何ごともなかったかのように、だ。

サイファーは肩透かしを喰らい、同時に予想していたのとはまったく違う意味での疎外感を覚えた。
真っ向から拒否される覚悟をしていたというのに、余りにも簡単に受け入れられてしまったため、まるで自分だけが違う過去からやってきた異邦人のような気がしたのだ。
加えて、ガーデン全体に漂っているどこかそぞろで落ち着かない空気も疎外感に拍車をかけた。
うがって考えれば、その空気こそが、サイファーの帰還という本来なら瞠目すべき出来事を単なる些事におとしめているような気もした。
要するに、サイファーの事になど構っていられない。
ガーデン中に蔓延しているふわふわとした雰囲気が、そう告げているかのようだ。
一体なんなんだ。
居心地の悪い渋面で、学生寮へと続く廊下を歩むサイファーの胸の内を見抜いたのだろう。
スコールは校庭へとサイファーを誘うと、みんなそわそわしているだろう、と話を向けたのだった。

「‥‥セルフィが言うには、あんたの帰還祝いも兼ねての学園祭なんだそうだ。」
淡々と続くスコールの言葉に、サイファーは鼻白んだ。
まったく、どこまでめでたい連中だろう。
だが、鼻で笑おうとした矢先にスコールは続けた。
「もちろんそんな事表立って言っても、あんたが素直に受け入れるとは誰も思っちゃいないけどな。」
図星を指された。
言葉に詰まって硬直した横顔を、突然スコールが覗き込んでくる。
身構える暇もなく、柔らかい前髪がさらりと頬をかすめた。
「しばらくゆっくり休め。」
謎めいた光の波紋を散らした青灰色の瞳と、鏡に映したような傷跡がすぐ目の前にあった。
訳もなく狼狽して、サイファーは咄嗟に顔を背ける。
スコールは微かに笑ったようだった。
「あんたの部屋は元のままだから。また後で呼びに行く。」
そう言って踵を返すと、立ちすくんだままのサイファーを残して校舎の中へと消えて行った。
残されたサイファーは、黙って校庭を一望し、唇を歪めた。

(‥‥何が学園祭だ。)
人を馬鹿にしやがって。
完璧に肩透かしを喰らった格好だった。
この浮ついた、平和で長閑な雰囲気はなんだ。
戻るからには死をも賭するつもりだった、あの己の覚悟はなんだったのだ。
無闇やたらと腹が立った。
こんな情けない状況でゼルに出会ってしまったらそれこそ目も当てられない。
まるで道化そのものではないか。
やはり、戻ってくるべきではなかったのだ。
忌々しさの極みに渋面を浮かべ、横を向いて唾を吐き捨てようとした。

と、その時。
校庭の一角に呆然と立ちすくみ、こっちを見つめている人間と目が合った。
途端にサイファーもまた雷に打たれたように硬直してしまった。

決して忘れられなかった存在。
身の内が焼ける程に会い焦がれながら、こんな形では絶対にまみえたくないとたった今思ったばかりの、蒼い瞳。
これは夢だと、幻覚だと思いたかった。
だがどんなに凝視しようとも、小柄な体躯はそこから消えもしなければ霞みもせず、サイファーを見つめ続けている。
周囲の音や風景が急に色褪せ遠のいて現実味を失う中、奴だけは、確固たる現実感でそこに立ち尽くしていた。

サイファーは咄嗟に、踵を返そうとした。
一刻も早くこの場を立ち去らなければ、目眩を起こして昏倒しそうな気がした。
だがそれも結局かなわなかった。
立ち尽くしていたゼルが意を決したように唇を引き結ぶと、こちらへ向かって歩み始めたからだ。
ぎこちなく、しかし真直ぐ近付いてくるその姿から目が逸らせず、両脚は見えない力で地面に縫いとめられたようにびくとも動かない。
近付いてみれば、ゼルはその小脇に幾本もの紙筒を抱えていた。
学園祭の準備に駆り出されているのだろう。
お人好しで乗せられ易いコイツの事だ、あちこちで重宝がられて、朝から奔走していたに違いない。
あどけない鼻筋や滑らかな首筋には、労働の証拠に汗が薄く光っている。
サイファーは、突如、過去に舞い戻ったような錯角を覚えた。
あんな事が起こる前、ごく普通に当たり前に存在していた日常の風景に、紛れ込んでしまったような気がした。
俺とこいつの間にもまだ何も起こっておらず。
こいつは何も知らないまま無邪気にこうして近付いてきて、他愛のない言葉をかけてくる。
俺はただ、沸き起こる衝動を宥め抑える事にだけ終始すればいい。
心地よい声と無防備な笑顔は、心ゆくまで傍らに眺めながら。

だがゼルは、傍らと呼ぶには遠い位置でぴたりと立ち止まってしまった。
声は届くが手は届かぬその距離感に、サイファーは現実に引き戻された。
躊躇いがちに、ゼルが唇を開く。
「‥‥よう。」
「よう。」
機械仕掛けのように反射的に声が出た。
我ながら無味乾燥で素っ気無い声だったが、声が出ただけでも驚きだった。
ゼルは警戒の色を浮かべながらも、ぼそぼそと言葉を続ける。
「‥‥その‥‥無事、だったんだな。」
「あいにくな。」
皮肉や嫌味を言うつもりなどないのだが、そんな言葉しか出てこない。
しかしゼルはさして気にしなかったようで、ぱちぱちと瞬いただけだった。
「戻ってこられて‥‥よかったな。」
声に心無しか穏やかさが籠っている。
いや、それは聞いているサイファーの願望に過ぎないのだろう。
本心で良かったなどと思われるはずがない。
サイファーは再び踵を返してこの場を立ち去りたい衝動に駆られた。
僅かの間、何ものにも埋めがたい気まずい沈黙が続く。
ゼルは何かを探しているかのように視線を彷徨わせていたが、やがて意を決したように、拳でぐいと額を拭うとサイファーを真直ぐに見た。

「あのさ。」
「‥‥。」
「色々、あったけどよ。」
真剣な表情と、切羽詰まった声音に思わず引き込まれ、サイファーは身構えた。

「オレ‥‥やっぱ‥」
「あ、ゼルってば〜こんなとこにいた〜〜!」

突如割り込んだ声が、閉じられていた空間の壁を打ち砕いた。
硬直状態だった周囲の世界は一斉に氷解して流れだし、洪水のように二人を呑み込む。
雑多な物音、足音、人声、吹き抜ける風、降り注ぐ陽射し。
そしてその陽光の下、セルフィは、晴れやかな笑顔をたたえて屈託なく二人の間合いへと飛び込んできた。

「探してたんよ。なかなか来ないから〜。」
そう言って頭を巡らせ、初めてサイファーに気づいたように声を上げた。
「あ、サイファーや!よかった、もう戻ってたんやね!おかえりー!」
呆然としているサイファーに何ら悪びれる風もなく笑い、再びゼルを顧みてその腕を捉える。
「ほらゼル、いこ!駄目やんまだ途中やのに〜!」
「あ、ああ‥‥うん。」
完全にセルフィの勢いに気押された形で、ゼルは曖昧に頷いた。
頷きながらふと助けを乞うような視線をサイファーに向けたが、サイファーにはそれに応える術も理由もない。
それはゼル自身も解っているのだろう、すぐに所在なげに顎を引き、セルフィに引きずられるようにしてその場から去って行く。

どんどん小さくなる二人の姿を見送りながら、サイファーはようやく安堵の溜息をついた。
緊張から解放された懈怠感で、両肩から力が抜ける。
ゼルの言葉を皆迄聞かずに済んで良かったと心底ほっとせずにいられなかった。
断ち切られた言葉の続きは、恐らく「アンタの事、許せねえ」か「アンタが嫌いだ」か。
よくてせいぜい「よくわかんねえ」か。
どっちにしろ、聞かなくてもわかりきってる上に、できることなら耳にしたくない言葉だ。
いくら覚悟を決めているとはいえ、実際に言葉として投げ付けられるのはやはり痛い。
割り込んでくれたセルフィに、はからずも感謝せねばならない。

(‥‥情けねえな。)
改めて、自分の惨めさをを思い知らされた気がした。
そしてこれから先永遠に、こんな思いを繰り返し味わって行かねばならないのかと思うと、寒気がした。
けれども。
あるいはそれこそが、己に課せられた罰なのかもしれない。

この世でもっとも愛しい存在に拒絶され憎悪されながら、それでもここに居続けなければならない。
それこそが、運命が俺に課した罰なんじゃないのか。
表立って糾弾される事も非難を受ける事もなく。
周囲に容易に「許される」事によって逆に募る惨めな罪悪感を味わいながら、ゼルの存在に半ば怯えるようにして生き続ける事。
それこそが俺に許された贖罪ということか。

思いつめたような真直ぐな蒼い瞳を思い返して、サイファーは小さく息を吐いた。
(‥‥律儀だよな、ったく。)
嫌いだなんて意思表示、今さらそんな釘を刺さなくともわかってる。
(心配しねえでも、わざわざこっちから近付いたりなんざしねえっつうの。)
自虐的に独り苦笑すると、疝痛が胸を貫いた。
そう、この痛みこそ。
俺がこの先、耐えていかねばならないものなのだ。
サイファーは胸元をきつく抑え、静かに踵を返すと、眩しい程に鮮やかな景色に背を向けた。
この責苦がいつまで続くかは、わからない。
あるいは永遠に終わらないのかもしれない。
だがそれでも、俺はここに居続けなければならないのだろう。

晴れ渡っていた空にいつの間にかわき起こった雲が、不意に陽射しを遮った。
鮮やかだった辺りの景色がたちまち曖昧なトーンに沈む中、サイファーはその影に溶けるようにして、校庭を後にした。

To be continued.
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