13/チョコボ


きらきらとこぼれ落ちる木漏れ日が眩しい。
誇らしげに枝を張る木々の上には、高い秋の空が広がっているだろう。
草の上に腰をおろし、上を見上げてぼんやりとそんな事を思いながら、ゼルは今日何度目か解らない溜息をついた。
傍らに蹲っている巨大な生き物が、つとその首を傾げ、つぶらで大きな瞳でゼルを見た。
この巨鳥は人の心にとても敏感で、時としてまるで心を読んだかのような仕草をする。
今もまた、憂鬱でやりきれないゼルの気持ちを察して慰めているつもりなのか、その柔らかい羽の密集した首をそっとゼルの肩に擦り付ける。
ゼルは小さく笑ってその首を撫でてやった。

森に入って目が合うや否や近付いてきた、若い雄チョコボだった。
そのままひたとゼルに寄り添い離れない彼を見て、懐かれたようだな、と笑ったスコールは、少し奥も見てくると言い残して先程茂みの奥に消えて行ったところだ。
セントラ大陸の最北端に位置するネクタール半島にひっそりと存在するチョコボの森。
世界各地のチョコボの森の定期的な生態調査は、SeeDの仕事としては最も安全かつ気楽なものだ。
チョコボの森には危険なモンスターはいない。
安全な森の中にキャンプを張って、2日ないし3日をかけて、チョコボの個体数や身体検査を行うだけの仕事だ。
チョコボたちは人間に対して警戒心もなくむしろ人恋しげに懐いてくるから、捕獲や身体検査にもまったく手間がかからないし、遠足気分で出かけてきてもなんら支障のない任務なのだ。

野生のチョコボは基本的に群れを作り、チョコボの森と呼ばれる特定の縄張りの中で生活している。
この縄張りには不思議な事にモンスターが近付かない。
その科学的根拠はいまだ解明されていないが、チョコボ達のもつ何か特殊な能力によって、結界のようなものが張られているのではないかと憶測されている。
何しろチョコボの能力自体もまだ充分に解っていない事が多いのだ。
言葉こそ持たぬものの、群れの中でのコミニュケーションが卒なくはかられている点や、人の言葉をある程度理解する点から、高等な知能を持つ生き物であるのは確かだ。
何より、彼らは優しい。
彼らは体や心の弱っている人間を敏感に見分ける能力を持っている。
過去、荒れ地で行き倒れた兵士がチョコボに救われたとか、大陸の列車事故で行方不明になっていた子供がチョコボに助けられたとかいう話は数多ある。
その優しい性格と人に懐く性質から、過去戦馬としてあるいは労働力として使役される事も少なくなかったが、ここ10数年は個体数の著しい減少から保護動物に指定され、国家的特例を除いては飼育したり捕獲したりすることが禁じられているのだった。

傍らの雄チョコボは、ゼルに撫でられ心地よさげに目を細めた。
その素直な反応を見ていると、つい、また溜息がもれる。
「‥‥お前らは素直だよなあ。」
人間は。
ついつい、余計な事ばかり考えて、迷ったり戸惑ったりしてしまう。
何も考えずただ素直に思いを伝えられたら、どんなにいいか知れないのに。

----サイファーがガーデンに戻ったら、一日も早くそれを伝えよう。
そう心に決めていたはずだった。
学園祭の準備に駆り出されて忙しく立ち回る中でも、その時の事を想像すると訳もなく心が逸ってしまってしばしば手許が狂ったほどだった。
早く会いたい、会って伝えたい、日毎夜毎そう思っていたはずなのに。
それなのに、いざ本人を目の前にしてみたら。

(‥‥ちゃんと言うつもり‥‥だったのになあ‥‥。)
言葉は上から厚い蓋を被せられたかのように一向に出てこなくて。
それどころか、なんだか色んな感情が交錯して混乱してしまってとても平静でいられなくなってしまったのだ。
もし伝えても、否定されたらどうしよう。
否定どころか、無視だってされるかもしれない。
そもそも自分は、サイファーの思いを一度ならず否定し拒否してきたのだ。
それを今さらあれは間違いだったと言ったところで、鼻で笑われるのが落ちなんじゃないのか。
サイファーの気持ちが今でも変わってないなんて保証はどこにもない。
いやむしろ、もうテメエに興味はねえと言われる可能性の方がずっと高いような気がする。
あの魔女戦を経て、サイファーだって色々心境が変わっているはずだし。
ガーデンにいた頃の事なんて、それこそ間違いだったととっくの昔に捨て去ってしまっているかもしれないじゃないか。

そう思うと、途端に怖くなった。
脚が竦み、喉が引き攣ってしまい、背中は強ばって動けなくなってしまった。
仮にあの後セルフィが横から引っ張ってくれなくとも、もはや伝えるどころではなかったろう。
あのまま最悪の沈黙に苛まれる事を考えたら、セルフィにはむしろ感謝したいくらいだった。

「なあ、どう思う?」
ゼルは泣きそうな声で傍らのチョコボの首筋を抱き寄せた。
「それでもやっぱ‥‥好きだ、って伝えるべきなのか?」
「誰に?」

ぎょっとして、ゼルは弾かれたように振り返った。
いつのまに戻ったのだろう。
眉をひそめたスコールの華奢な顔が、すぐ背後でゼルを見下ろしている。
「誰に伝えるって?」
不審げにスコールがもう一度言った。
どう思う、というゼルの問いかけが自分へのものだと誤解しているらしかった。
「あ、いや、ちが‥‥なんでもねえよ。」
慌てて立ち上がって首を振ると、スコールはちょっと思案してからああ、と声を上げた。
「もしかしてリノアの事を言ってるのか?」

リノア?
突然乱入してきた思ってもいない名前に、ゼルは呆気に取られた。
なんでリノアの名前がここに出てくるんだ?

「リノアに好きだと伝えるべきか否か、って話か?」
「へ‥‥?」
「なら伝えるべきだろう、それは。というか、そう俺に言ったのはお前じゃないか。」
「え‥‥ちょっ‥‥」
ちょっと待て。
何かがおかしい。
「いや、お前の話じゃなくて。俺の話だから‥‥。」
「だから、お前がリノアに告白するって話だろう?」

ぽかんと口を開いて、ゼルの頭は真っ白になった。
露骨に絶句したゼルに、スコールはひどく困ったような顔になった。
「違う、のか?」
「ちっ‥‥違う!全然違う!!」
「お前、リノアが好きなんじゃなかったのか?」
「なんでそうなるんだよ!」
「俺に、もっとリノアに優しくしろとかリノアが可哀想だとか言ってたじゃないか。」
「だからそれは、ちがっ!リノアに惚れてんのはお前だろ!」
「俺が?」
まさか、と今度はスコールの方が呆気にとられた顔になった。
「なんでそうなる。」
まったく同じ台詞を返されて、ゼルの頭は混乱を極めた。
「なんでって、だってそうだろ!サイファーとリノアの事すげえ気にしてたじゃねえか!」
「‥‥ああ、あれは‥‥。」
ふっと何かを思い出すように瞳を細め、スコールは苦笑した。
「それは‥‥気になる。つきあってたなんて言われたら、俺だって。」
そろりとそらされた眦が微かに上気している。
「‥‥嫉妬ぐらいする。」

憎らしいほどに。
綺麗で、楚々とした恥じらいの表情。
途端にゼルの胸中を、嫌な予感が駆け抜けた。

「‥スコール‥‥お前‥‥。」
「ゼル。お前、俺がリノアに惚れてると思ってたのか。」
「‥‥。」
「まあ、無理もない、か。‥‥まさか男が男をなんて、普通は思わないしな。」

待って、くれ。
心のどこかで何かが悲鳴をあげる。話の展開に思考が追い付けない。
しかしスコールは眦を染めたまま、淡々と言葉を続ける。
「そうか、それでお前も悩んでたのか。俺もリノアが好きだと思って‥‥遠慮してたんだな。すまなかった。」
「ス‥‥」
そんな、大真面目な顔で。
粛々と謝られても、困る。
そんな筋合いはない、というより根本からして狂ってる。
これは誤解だ。あってはならない錯誤なのだ。
けれどそれをどう釈明して、何と言い表したらいい?
いやそれより何より、信じたくない事実が目の前につきつけられている事の方が重大だ。
要するにスコールが言っている事は----。

「俺が好きなのはリノアじゃない。だから俺に気をつかう事はないし、思いきってリノアに打ち明ければいい。」

言っている事は。

迷走する思考をかろうじて整理して、ゼルは恐る恐る尋ねた。
「えと‥‥スコール‥‥?」
「なんだ。」
「‥つまり‥なんだ。要するに。お前が好きなのは‥‥。」
「サイファーだ。」

すう、と暗くなる視界の中で、スコールが、眦どころか頬までも柔らかな桜色に染めるのが見えた。
口にしてしまったその名前に柄にもなく狼狽えているのか、顔を背けてぽそぽそと呟く。
「‥‥おかしい‥‥よな。男を好きだなんて。自分でもおかしいと思う。だから言えなかったし言うつもりもなかった。だけど。」
漆黒の闇の中に取り残されたゼルの耳に、遠く、近く、スコールの声が闇を縫って聞こえてくる。
「あの時お前‥‥俺に言ったろう。ちゃんと伝えるべきだ、って。それを聞いて思い直した。逃げていても何も変わらない。」
違う、違うんだスコール。
それは、お前がリノアを好きなんだと思ったから。
「たとえどんな結果になろうとも、ちゃんと言うべきだし伝えるべきなんだ。」
高揚した横顔で緩やかに空を振り仰ぎ、スコールはきっぱりと言った。
「だから、サイファーにも‥‥打ち明ける。」

頭を振る事も、頷く事も、できなかった。
それどころか指一本動かせない。
衝撃が少しおさまったと思うそばから襲い掛かった脱力感が、金縛りのようにがんじがらめに体を縛っていた。
どこか吹っ切れたように穏やかな表情で雲を見ているスコールが、たまらなく眩しかった。
眩しくて、うらやましくて、妬ましくて。
そしてそれはそっくりそのまま、気後れという刃になって跳ね返ってくる。

同じ岐路に立ちながら、スコールはすでに進むべき道を選択して歩みだそうとしている。
どんな結果が待っていようと、スコールの覚悟は出来ているのだ。
その覚悟がオレにはつかない。
逡巡してばかりで、ちっとも先に進めずにいる。
なんて情けない、不甲斐無い。
なんて惨めなんだろう。
刃が無数の細かい傷を刻み、いたたまれないほど悲しくなった。

強ばった顔のまま静止しているゼルにスコールは少し首を傾け、不審げに目を細めた。
綺麗な仕草だった。
無理もない、誰もが見とれるほどの美貌のガーデン総司令官、伝説のSeeDだ。
綺麗で、強くて、いつでも冷静で、誰からも信頼されている男なのだ。
オレが、オレなんかが。
どう頑張ったって‥‥太刀打ちできる相手じゃない。

「ゼル?」
不意に髪をさらった風が冷たかったのだろう、柳眉を寄せて前髪をかきあげ、スコールはゼルの側に歩み寄った。
露になったその額に深々と刻まれた傷跡が、無言でゼルを圧倒する。
無論スコール自身にそんなつもりはまったくないだろう。
けれど今のゼルには、それは脅迫と言っていい程の誇示に見えた。
「どうかしたのか?」
目前で見下ろす青灰色の瞳が、吸い込まれそうな程に澄んでいる。
綺麗で、強くて、素っ気無いけれど面倒見のいい、誰もが憧れる総司令官。
オレなど足下にも及ばない、伝説のSeeD。
「‥‥ゼル?」

「‥がんばれよ、スコール。」
「え?」
「サイファーに‥‥打ち明けるんだろ。」

気遣わしげに曇っていた顔がふっと弛み、再び頬に仄かな赤みがのぼる。
ああ、綺麗だなあ。
まるで、日陰から日向に出されて躊躇いながら花弁を開く、可憐な花みたいだ。
他人事みたいにゼルはそんな事を思った。
何もかもがぼんやりとした霧に包まれてしまったようで、ひどく感覚が遠い。
呟く自分の声も、自分の声じゃないみたいだ。
いやあるいはすでに、それは自分の声じゃないのかもしれない。

「オレ、応援してるからよ。お前の気持ち、伝わるといいな。」

ゼルより長身であるはずなのに、まるで見上げるような瞳で、スコールはこっくりと頷いた。
柔らかなダークブラウンの髪が、さらりと音を立てて白い頬を滑る。
きっとこのままの表情で、この瞳で、スコールはサイファーに告げるんだろう。

「俺はあんたが好きだ」と。

ぎこちなく曖昧な笑顔で、ゼルは頷きかえした。
大人しく事の次第を見守っていた雄チョコボが、そっと背中に羽を寄せる。
そして潤んだ大きな瞳でゼルの横顔をじっと覗き込むと、消え入りそうな小さな声で細くただ一言。
くう、と啼いた。

To be continued.
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