14/トラック


ずいぶんと事を急くものだな、とサイファーは思った。
まだ暫くは猶予期間をおいて、ほとぼりが冷めてから言い渡されるものだと思い込んでいた。
SeeDは万年不足状態ですからね、とにこやかに付け足した学園長の言葉の真偽は定かではないが、いずれにせよ一刻も早くそうなる事を求められているのだけは確からしい。
もっとも、ずいぶんと急くなと思っただけで別に異論はなかった。
サイファー自身、薄々と自覚はしていたからだ。
ガーデンに在籍し続ける以上、SeeDになることはいずれ必然の条件になるだろう。
あっさり身柄を受け入れられたのは、ガーデン側にそういう心づもりもあったからに違いないのだ。

そして、それはそれで構わないと思っていた。
SeeDになる事など鼻から馬鹿にして無視を決め込んできた頃の、あの滾るような反発心や反骨精神は今となってはすっかり消え失せてしまっている。
今のサイファーがSeeDに対して抱いている感情は、無関心、ただそれだけだった。
要するにどうでも良かったのだ。
どうでもいいから、別になっても構わない。
むしろそうして唯々諾々と流されて、敷かれた軌道の上を黙々と歩み、用意された轍(わだち)を辿っている方が、下手に反発するよりずっと楽だとさえ思えた。

だから、言われるままに筆記試験をこなし、命じられるままに実地試験に向かった。
文句ひとつ反発ひとつせずに他の候補生に混じって沈黙を決め込んでいるサイファーを、周囲の人々は不気味に思ったらしかった。
まるで冬眠中の熊をうっかり刺激してはまずいとでも言いたげに、誰もが遠巻きに緊張した面持ちでサイファーを見守った。
その様はサイファーにとって滑稽であり、逆にここで俺がブチ切れた方が周りは安心すんだろうな、と思うと余計に可笑しかった。

小春日和の午後の陽射しが長閑な、バラム港の桟橋の上。
今もまた、サイファーの周囲だけはぽっかりと空間ができている。
少し離れたところで固まっている候補生らは、あえてこちらを見ないようにしながらそれでも気になるのか、たまにちらちらと視線をよこす者もいる。
実地試験を終えてあとはガーデンに帰還するだけという安堵間も手伝って、彼らの声や表情は一様に明るいが、こちらを見遣る瞬間だけはその視線にふと不安げな色が滲む。
SeeDになろうってえのに臆病な連中だ。
サイファーは冷笑した。

常に、心に虚無感が常駐していた。
あれ以来、ゼルの顔は何度も見かけている。
だが見かけるだけで、特に何の感情も起きない。
あまりに無感情なので自分でも驚いたのだが、冷静に自己分析してみれば、これは一種の防衛本能なのだと解った。
この先幾度となく味わっていかねばならない後悔や自己嫌悪で、無駄に心が傷つかぬために。
無意識のうちに虚無感に閉じこもる事で、すべての感情を閉め出しているのだ。
それがいい事なのか悪い事なのかは解らなかった。
だが。
ゼルのためには、恐らくいい事なのだろうと思う。
嫌が応でも顔を合わせずにおれない日常の中では、ヤツとて居心地の悪い思いをしているに違いないのだから。
こちらが無関心でいるのは、せめてもの救いになるだろう。

引率教官が、候補生らに高速上陸艇への乗船を指示する声を遠くに聞きながら、サイファーは見るともなく海を見た。
ほんの数カ月前、この海で見たあの男の屈託ない笑顔が、昨日の事のように浮かんでくる。
「サイファー。」
呼ばれるたびに、心乱された。
手を伸ばせばすぐ届きそうなところで笑っていた。
けれど無理に掴もうとすればそれは‥‥。

「サイファー。具合でも悪いのか。」

詰るような声音に、はっとして我に返った。
気がつけば、スコールの不審げな顔が横から覗き込んでいた。
他の候補生らはすでに上陸艇に乗り込んだらしく、桟橋に他の人影はない。
「‥‥なんでもねえ。」
首を振って、漫然と上陸艇の方に歩み寄ろうとすると、腕を掴んで引き戻された。
思わず眉をひそめてスコールを見下ろす。
「あんたは俺と車で帰ろう。‥‥話が。」
話がある、と真面目な顔でスコールは言った。

引率教官に混じって指南役のSeeDとして試験に同行したスコールは、ひとり、上陸艇ではなくガーデン車両でバラムに来ていた。
人望はあるが時として伺い知れない近寄り難さを身にまとう総司令官の気紛れに、わざわざ理由を問い質す者は誰もいなかったが。
実は車で来たのはあんたと話をするためだ、と切り出されてサイファーは少し驚いた。
開け放した車窓には、バラムの海岸の風景が延々と続いている。
乗り心地のあまり良くないガーデン車両の固いシートの上で、振動に時折言葉を区切りながら、ハンドルを握るスコールは言葉を繋いでいる。

「試験の方は問題なさそうだな。あとは認定書を待つのみだろう。」
「‥‥。」
「あんたの気が変わらないうちに試験が終わって良かった。」
「また途中で俺がブチキレるとでも思ったか?」
サイファーは苦笑したが、スコールは真面目な声のままああ、と言った。
「あんたの身勝手さは、もう嫌と言う程身にしみているからな。」
「そいつは災難だったなあ。」
「でも、だからこそほっとけない。」
「ああ?」

サイファーが問い返すと、スコールは静かに笑った。
車は緩やかに減速し、路肩に寄って小さなブレーキ音を立てて停止した。
エンジンが止められ、耳の奥に耳鳴りのような余韻だけを残して辺りは静けさに満ちる。
見渡す限り他の車も人の姿もない。
ただ、遠景の中で寄せては返す波の音だけが、そよ風とともに車内に忍び込んでくる。
「サイファー。」
潮風にさらさらと梳かれる前髪を払って、スコールは斜にサイファーを見た。
頬には、淡い緊張が貼りついている。
サイファーは無言でスコールの口許を見つめた。
何を言われるのか全く予測がつかなかったが、どうせロクな事は言われないだろう。
この男ときたら、綺麗な顔をして言う事は結構痛烈だ。
昔から何かとサイファーの神経を逆撫でするような台詞に長けていて、しかもそれが筋が通っているものだから余計に腹立たしい。
今もまた、何か難癖をつけられるに違いない。
しかしそう身構えていたサイファーは、次にスコールが口ずさんだ言葉に耳を疑った。

「サイファー。あんたが好きだ。」

「‥‥あ?」

えらく、間の抜けた声を発してしまったような気がする。
実際間抜けだったのだろう。
スコールの頬に微かな笑みが浮かんだ。
そしてまるで小さな子供に言い聞かせるように、ゆっくりともう一度言う。
「俺は、あんたが好きだ。」

「‥‥そいつはどうも。」
新手の嫌がらせ、か。
サイファーは苦笑に唇を歪めた。
またえらく手の込んだ皮肉を言ってくれるじゃねえか。
だがスコールは珍しく強い語気で首を振った。
「違う。そういう意味じゃない。」
「なに?」
「皮肉を言ってるんじゃない。‥‥本気だ。」
その時サイファーはようやく、スコールの頬に浮かんでいる淡い桜色に気づいた。
「‥‥本気?」
「あんたの事が、好きなんだ。サイファー。」

潮の匂いが不意に濃くなった気がした。
風は相変わらず穏やかだ。
風になぶられた繊細なダークブラウンの髪が、さらさらと白い頬で踊っている。
そのコントラストを見るともなしに見つめながら、サイファーは呆然と呟いた。
「‥‥冗談きついぜ。」
「冗談なんかじゃない。わかってくれ。」
怒ったようにも拗ねたようにも聞こえる口調で、スコールはつと身を乗り出した。
少女のようにきめの細かい頬が、目前に迫る。
「自分でも、気づいたのは最近だ。けれど多分、ずっと‥‥好きだった。」
「‥‥。」
「‥‥男に告白なんかされても困る、って顔だな。」
「いや‥‥困る、っつうか‥‥。」
困るとかいう以前の問題だ。
どう答えていいものか。
口籠ったサイファーは、唇を歪めた。
スコールの長い睫に彩られた瞳が、切なげに俯く。
華奢な顔立ちに似つかわしくない眉間の傷跡が痛々しい。
「そうだな。‥‥引かれるのは解ってた。でも、どうしても伝えたかったんだ。」
「‥‥。」
「駄目なら駄目で、構わない。ただ、ちゃんと言っておきたかった。‥‥それだけだ。」
そうしてサイファーを見ないまま、頭を巡らせて窓の外に視線を向ける。
「‥‥でもやっと、ちゃんと伝えられた。‥‥これで、ゼルにも胸を張ってそう言える。」

「‥‥なに?」
弛んでいた神経に針のように突き刺さったその名に、今度はサイファーが身を乗り出す番だった。
「待て。なんでチキンが出てくる。」
「‥‥ゼルに、話したんだ。この事を。」
スコールは上の空でぽつぽつと言った。
「ちゃんと伝えろと言ってくれたのもゼルだし。頑張れと励ましてもくれた。ああ見えてそういうところはお節介というか‥‥優しいからな、あいつ。」
あらぬ方を見たままの彼には、サイファーの表情の変化など知る由もない。
もしそこで振り返っていたなら。
挙動不審なまでに青ざめて肩を怒らせ、唇を震わせるサイファーの表情に、何ゆえと問わずにはいられなかっただろう。

(励ました‥‥だと?)

サイファーの脳裏に、その場面はあまりにも容易に浮かんできた。
俯きがちにサイファーへの思いを打ち明けるスコール。
屈託のない笑顔と明るい声で、スコールを激励するゼル。
---頑張れよ。ちゃんと気持ちを伝えればきっとうまくいくって。

(‥‥そうか。)
つまりはそういう事だ。
結局自分は、奴にとってはそういう対象に過ぎないのだ。
友人が惚れた相手。
自分とは無関係の人間。
意識して居心地が悪いなどと思うほどの価値もない、無関心の極みの存在。

破壊的な音を立てて何かが崩れた。
終わった、と思った。
いや、とっくに終わってはいたはずのものではあったが。
今それを改めて、逃れようのない事実としてつきつけられた事がショックだった。
そして同時に、言い知れぬ憤怒が腹の底からわき起こった。
虚無感で何も感じない、だと?
気取った事をほざいてやがる。
こうして打ちのめされるだけの感情をまだ俺は持っていたじゃねえか。
何の事はない、まだ未練たらたらだったって事じゃねえか。
やり場のない腹立たしさが身の内に渦巻き、抑制のきかぬ衝動が襲い掛かった。
強ばったままの拳ががくがくと震え、血液が逆流するような寒気を覚えた。
理性の扉は連鎖反応的にばたばたと閉じられ、黒くねっとりとしたタールのような陰鬱な感情が、体の隅々までじわじわと支配していく。

ただならぬ気配にようやく気づいたのか、スコールがゆっくりとこちらに向き直りかける。
しかし、皆迄振り返る事はさせなかった。

力任せに華奢な肩を鷲掴みにし、強引にシートに引き倒した。
青灰色の瞳に一瞬驚愕の色が浮かんだが、問いかける暇など与えない。
問答無用で覆い被さり、喘ぐように開きかけた桜色の唇を荒々しく塞ぐ。
「‥‥んぅ!ん!!」
息苦しさにもがく腕の中のしなやかな体を、必要以上に暴力的な力で押さえつけ、逃げまどう舌を無理矢理絡め取って歯を立てた。
唇の端から、くぐもった悲鳴が漏れる。
その声を唾液ごと飲み込みながら、むしり取るようにバックルをはずし、下衣の中に掌を捩じ込んだ。
スコールはなおも腰を捩って抵抗を示したが、それは益々サイファーの衝動の炎に油を注いだだけだった。
探り当てた中心を、畏縮しているにも構わず鷲掴みに扱き上げる。
頭を振ってようやく唇を逃れたスコールが、大きく喘ぎながら何かを叫んだが。
もはやサイファーの耳には届かなかった。

我を失い理性の麻痺した脳裏にあるのは、たった一本の、轍。
暗闇の中、たった一本だけ、奈落の底に続いているまっすぐな軌道。

これが、お前が俺のために敷いた唯一の軌道だというのなら。
この轍を辿る事が、お前が俺に許したひとつの未来だというのなら。
--------望むところだ。
ぶち壊れるまで、木っ端微塵になるまで、突き進んでやろうじゃねえか。
行き先なんざ、どこだろうと構いやしない。
このままどこまでも、走れるだけ、走って。
堕ちてやる。

どす黒い衝動の炎に身を委ね、陰鬱な悦楽に翻弄されるままに。
サイファーは押さえつけたスコールの体に、歪んだ欲望のたけを叩きつけ続けていた。

To be continued.
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「トラック」は辞書でひいたところの「轍(わだち)」と解釈しました。