15/思い出


「そろそろ戻ってくるころだねえ。」

食堂の壁に設えられた時計を見上げて、アーヴァインがのんびりと言った。
フォークを口に運んだセルフィが、つられたように時計を見遣りグリンピースを頬張ってうんうんと頷く。
パンの欠片を握りしめたゼルは一瞬なんの事だろうと首を捻りかけたが、続いてのキスティスの台詞に納得した。
「懐かしいわね、SeeD試験。」

そうだ、今日はSeeD試験の実地試験だった。
朝からのスコールの不在も、まさにそのためだった事を思い出した。
引率教官に混じって指南役として現地に同行しているのだ。
もっとも、多忙な上に性格も手伝って人と食事をする事は滅多にないスコールだったから、朝から顔が見えなくても違和感がない。
だからつい、忘れていたのだ。
さらに、今回は受験生として試験に臨んでいるはずのもう1人に至っては。
‥‥ここしばらく、姿さえ見かけていない。

サイファーがいよいよSeeDになるらしいという話は、聞くともなく耳に入ってきていた。
それを聞いた時ゼルが真っ先に思ったのは、良かった、という素直な感情だった。
SeeDになるという事は、とりもなおさずずっとガーデンにいてくれるという事だし。
ひいては自分と同じ立場になる事であり、任務で同行する機会も出てくるという事だ。
それは、単純に嬉しかった。
もちろん、今の状況は手放しに喜べるほど容易でないとは解っているが、それでも、こんな中途半端な状態のままサイファーと再び別れる羽目にだけはなりたくなかったのだ。

スコールの告白を聞いて以来。
度重なる自己嫌悪と後ろめたさに打ちのめされながらも、それでもゼルは、サイファーの姿を探さずにいられなかった。
相手に引かれれば追いたくなるのが人情だ、とはよく言ったものだ。
まさかこんな形でそれを実感するなんて笑うに笑えないよなあ、と真面目に思ったりもした。
もう遅いのだ、もう無理なのだと懸命に自分に言い聞かせながらも、目で追ってしまう自分がどうしても止められない。
無駄な事だとわかっているというのに。

サイファーがガーデンに戻ってから、言葉をかわしたのはあの学園祭の前日1度きりだった。
その後の態度も砂を噛むように味気ないし、顔をあわせる事があってもゼルの方を見ようともしない。
もうゼルの事など、完全に過去の事と流してしまっているのは明らかだった。
その上、スコールの心の内を知ってしまっては、もうゼルにはどうすることもできない。
オレなんかの出る幕じゃないし、もう諦めるしかない。
諦めるんだ。諦めよう。
だが、そう思おうとすればするほど、また別の感情がわき起こってくるのだ。
‥‥でも。
もしかしたら。

ゼルは手にしていたパンの欠片を凝視したまま、鼻先に皺を寄せた。
この、もしかしたら、が曲者なのだ。
‥‥もしかしたら。
まだ希望はあるのかもしれない。
もし、スコールの事を、サイファーが退けてくれたら?
その理由を、まだゼルが好きだからだと告げてくれたとしたら?

そんな風に考えてしまう自分は、たまらなく嫌だった。
けれど、あの時スコールに頑張れなんて言ってしまったのは。
オレには無理だという卑屈な感情もさることながら、そういう「打算」もあったのではないか?
自分でサイファーの気持ちを確かめるのは怖いから、だから、この機にスコールにその重荷を任せてしまおう。
自分の手を汚さずに、サイファーの気持ちを知りたい。
そういう計算が無意識の内に働かなかったと、どうして言い切れる?

「ゼル。どうしたの〜?」
ひょいと視界の横から、セルフィの大きな瞳が不思議そうに覗き込んできた。
気がつけば、アーヴァインもキスティスも気遣わしげにこっちを見ている。
「あ、いや‥‥うん。サイファー、試験受かるといいなって思ってよ。」
咄嗟に考えていた事の片鱗を口にすると、三人は益々不思議そうな顔をしたが、すぐにキスティスがにっこりと笑った。
「大丈夫よ。サイファーが真面目になれば試験なんて取るに足りないハードルだし。でも珍しいわね、ゼルがサイファーの事を気にするなんて。」
「え‥‥そ、そうか?」
確かに言われてみれば。
普段皆の前では意識して無関心を装っているから、この言い訳は不自然だったに違いない。
また不用意に口を滑らせたようだ。
ゼルは肩をすくめて俯き、淡い自己嫌悪に唇を噛んだ。
頭上でセルフィが、そんな事ないよねえ友達だもんねえ、と入れてくれたフォローにすら、後ろめたさを覚えてしまう。
セルフィの隣では、アーヴァインがうんうんと頷いている。
「そうさ。それに、昔からゼルはそうだったよ。」
「昔って?」
「子供の頃の話?」
「うん。石の家。」
思わず顔を見直すと、目が合って、アーヴァインはにこりとゼルに微笑みかけた。
「僕は覚えてる。ゼルってさ、いつも何かにつけてサイファーの事ばっかり気にしてたよ。」
「そ‥うだっけ?」

子供の頃の事は。
まだ曖昧にしか思い出せていない。
比較的多くの事を覚えているアーヴァインがこうして時折思い出話をするたびに、ああそういえばそんな事があったなあとおぼろげに記憶は辿れるものの、自分から思い出す事はほとんどないのだ。
サイファーの事ばかり、気にしていた。
そんな事もあったのだろうか。

アーヴァインは空になったトレーを脇に押しやり、頬杖をついてちょっと遠くを見るような目をした。
「そうだよ〜。皆で遊んでてもさ、サイファーがいないと『サイファーはどこ?』って絶対探してた。」
「あ、そういえば。」
突然キスティスがぽんと手を打つ。
「鬼ごっこしていて、途中でゼルが鬼なのにサイファーを探して抜けちゃって、それで皆で喧嘩になったことなかった?」
「あったあった。あの時は、サイファーがもう抜ける、って先帰っちゃって。そしたらゼルが自分も帰るって言い出して、鬼なのに抜けたら駄目じゃないかって喧嘩になったんだよ。」
大きく首肯するアーヴァインに、キスティスはふふ、と含み笑った。
「懐かしいわねえ。確か、サイファーが途中で抜けるのが悪いんだってスコールが言い出して、それでスコールとサイファーが取っ組み合いになったのよね。」

言われてみれば、そんな事があったような気もする。
朦朧とした記憶を探りつつ首を傾げていると、ふとセルフィが口を挟んだ。
「ううん。ビミョーに違うよお。」
「違う?」
「その前に、皆でゼルを責めたんよ〜。せやからサイファーが怒ったの。」
「あら。そうだった?」
「うん。なんでサイファーなんかについてくんだ、って。どうせいじめられるんだから皆と遊んだ方が楽しいでしょって。そしたらゼル、泣きながら帰っちゃって〜。もうええからほっとこうってなったんだけど、その後サイファーがえらい怒って戻ってきたんよ。」
すると、少し思案げに瞬いたアーヴァインが、ぱっと顔を輝かせた。
「あ、そうか! 誰がゼルを泣かせたんだ、って怒ったんだ。そしたらスコールが元はと言えばサイファーが悪いんだ、って言い出して取っ組み合いになっちゃったんだよね。」
そうそう、と共鳴した記憶に少し興奮気味に、3人は晴れやかな笑顔で頷きあった。
「あの時はまま先生にもずいぶん叱られたよねえ。」
「ふふ、そうね。でも確かに、あの頃ゼルはほんとサイファーの後ばっかりくっついていたわ。」
「ね、だろ?」
「確かに〜それはウチも覚えてるわ。」
「どうせいつも小突かれて泣かされるのに、なんでくっついてばかりいるのかなあって。」
「不思議だったよね。」
「よっぽどサイファーの事が大好きなのね、って皆言ってたわね。」

内心どきりとしながらも、ゼルは慌てて首を振った。
「そ‥‥そんなの、こ、子供の頃の話だろ!」
「あはは、そうだねえ。でもサイファーも矛盾してたよ。」
「矛盾?」
「だって、自分だってさんざんゼルの事泣かせるくせにさ。他の誰かがゼルを泣かせると本気で怒るんだから。」

‥‥ああ、それは。
ぼんやりとだけれど、覚えている。
遠い記憶の中のサイファーは、宿敵といっていいほどに怖い存在でありながら、同時に。
どんな事からも守ってくれる、優しく頼れる存在でもあったのだ。
皆にからかわれたり泣かされたりすると、決まってサイファーが代わりに怒ってくれていた。
実はそういうサイファーにこそ一番泣かされていたはずなのだが、子供心にそんな矛盾はさしたる問題ではなかったのだろう。
ただ、強くて体も大きくて、知らない事をたくさん知っているサイファーが、憧れだった。
何かにつけ暴力で解決しようとするサイファーを、他の皆はどこか敬遠しているところがあったけれど。
自分だけは、どんなに小突かれても泣かされても、サイファーのそばにいたかった。

(‥‥好き、だったんだなあ‥‥オレ。)

多分、子供の頃から。
それと気づかぬ内から、ずっと。
己の鈍さ加減に、やるせない溜息が漏れる。
隣ではセルフィが、最後の一口のグリンピースを口に放り込み、トレーの前でごちそうさまと手をあわせる仕草をしている。
「でもおっかしいよねえ。ウチら、忘れてたはずでもやってることおーんなじだもんね。」
「おなじ?」
ぎょっとした。
まさか、考えを見透かされたわけでもあるまいに。
強ばった声で思わず問い返すと、セルフィは悪戯っぽい笑顔でくるくると空色の瞳を動かした。
「ほらあ、スコールとサイファーのこと。」
ああ、なんだ。
ほっと安堵すると同時に、ちくりと不快な刺激が胸を突いた。
スコールとサイファー。確かに、あの二人は‥‥。
「取っ組み合いのスケールは大きくなっちゃったけど〜。」
セルフィはそう言ってとんとんと自分の額を指差し、そこに斜に傷を作る仕草をしてみせる。
「まああれはあれで仲がいいって言えるのかもしれへんね。好敵手ってやつ?」

好敵手。仲がいい。
長らく咀嚼する事を忘れていた口の中のパンの欠片が、不意に喉につまりそうになった。
‥‥そうだよな。
客観的に見たって。
どう考えたって、オレなんかよりスコールの方がよっぽど。
サイファーに、近い存在だろう。

すでに味も解らなくなったパンの欠片を無理矢理喉の奥に飲み込んで、ゼルはそっと席を立った。
「ゼル?」
「どうしたの?」
不思議そうに見上げる三人に、曖昧な笑顔でゼルは首を振った。
「ん、ちょっと。やりかけてた事思い出した。」
見え透いた嘘だったかもしれない。
けれど、ともすれば憂いがちになってしまう顔を皆に見られたくなかった。
またなと慌ただしく手を振ってテーブルを離れ、背中の声を振り切るように、小走りにその場を後にする。
そんな風に、逃げるようにしなければならない事がまた、やるせなくて。
SeeD寮へ続く廊下の角を曲がりながら、ゼルは独り拳でぐいと瞼を拭った。

To be continued.
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