16/デート


日曜の昼下がり、繁華街を行き交う人々は皆厚手のコートや防寒着に身を包んでいる。
今日は風が冷たい。
薄曇りの空は悪天候とまでは行かないが、陽射しが恋しくなる気温だった。
店内のショウウインドウのガラス越しにその空を見上げたサイファーは、茫洋と背後を振り返った。
スコールはカウンター越しに店員と何かを話している。
華奢な黒い背中は、いつもと少しも変わらず飄々として、背後のサイファーの事も一向に意識していないかに見えた。

一体、こいつは何を考えてやがるんだろう。
サイファーは眉を顰めた。
あれ以来てっきり、もう二度とこいつとも口をきくことはないだろうと思っていた。
顔をあわせる事すらないだろうと。
それなのに。

少し息抜きに出かけないか、といきなり部屋まで誘いに来た。
その真意が皆目解らない。
まさかほんの3日前の出来事をキレイさっぱり忘れたわけじゃないだろうに。
いや、或いは。
落し前をつけに来やがったのかとも思い当たった。
それならば‥‥暴力で蹂躙された報復が目的ならば、受けてやるのが筋だろう。
そう納得して素直に応じたのだ。
だが、スコールがサイファーを伴って向かったのは訓練施設ではなく、高速上陸艇ドックだった。
そのままドール直行の上陸艇に乗せられてさすがに毒気を抜かれたサイファーは、事の次第も忘れて思わず口を開いた。
「職権濫用じゃねえのか。プライベートで乗り回していいもんじゃねえだろ。」
「せっかくの職権なんだ、使わなきゃ損だろう。」
3日前以前と少しも変わらぬ口調であっさりと切り返して、総司令官は小さく笑った。
その笑顔があまりにも自然で可憐だったので、サイファーはまた別の衝撃を受けて、黙り込むしかできなかった。
ドールにつくや否や街の中央にあるショッピングモールに向かったスコールは、迷う事なくその一角の小さなアクセサリーショップに入った。
銀細工のアクセサリーを専門に扱う店らしかった。
狭い店内には、凝った細工のリングやペンダントが小奇麗なショーケースに収まって並んでいる。
そこで少し待っていてくれ、と言う。
仕方がないので店の隅で漫然とショーケースを眺めながら、頭の中では必死にスコールの真意を探るべく思考を巡らせてみた。

どうやら本当に、怒っている訳でも恨んでいる訳でもないらしい。
スコールの態度は以前といささかも変わらないし、言葉にも表情にもなんら含んでいる様子はない。
もし報復のつもりがあるのなら、こんな回りくどい前置きは必要無いはずだ。
そうした事ほど、単刀直入に言うはずの男である。
結局、裏などないのだと結論づけるしかない。
だが、そんな事があっていいのか?
あんな形で暴力で組み伏せられて、それで平気なのか?

‥‥アイツの時は。
心が、逃げたのに。

カサブタに覆われた傷口がぷちりと小さく弾けそうになり、サイファーは咄嗟に思念をねじ曲げた。
(まさか本当に忘れちまったんじゃねえだろうな。)
だが、それならそれでやはり不審は残る。
スコールとは長いつきあいだが、誘い誘われて休日を共にするような間柄だった事など一度もない。
やはり3日前の出来事が、何らかの形でスコールの行動に影響を及ぼしているのは間違いないのだ。
ならば、それは一体。

と、ようやくスコールがこちらを振り返った。
「待たせてすまない。行こう。」
相変わらず飄然とした口調でさらりと言って、さっさと先に立って店を出る。
サイファーは黙って従った。
店を出る直前ふと見遣ると、店員がなぜか不思議そうな顔でこちらを見ていた。

「さて、どこに行こうか。」
機嫌の善し悪しの全く読めない声でスコールは言う。
「食事でもするか。映画でも散歩でも構わないが。」

食事?
映画?

「‥‥なんだ、そりゃあ。」

今日何度目か解らない混乱と困惑を抱えて、サイファーは唇を歪めた。
スコールは無表情のままつと首を傾げる。
「変か?」
「変、っつうかテメエ‥‥。」
「デートっていうのはそういう事をするもんじゃないのか?」
「デ‥‥」

絶句した。
混乱を通り越して、うそら寒くさえなった。
なんなんだ、コイツは。
一体何を考えてるんだ。
それとも‥‥これは何か非常に回りくどい嫌味、なのか?
これが報復のつもり、なのだろうか。
もしそうだとしたら、ある意味適格な方法だと認めざるを得ない。
この俺を混乱させて自省を促すのが目的なのだとしたら、これ以上効果的な方法はないだろう。
実際、ざわざわとした居心地の悪さがこみあげてきて、叫びだしたいほどだった。
プライドもへったくれもあったもんじゃない。
とっとと詫びちまおう、その方がマシだ。
心底、そう思った。
この状況から脱せるのなら、素直に詫びる気まずさなど屁でもない。
焦燥感にかられたサイファーは、ひきつった喉で先を歩くスコールを呼び止めた。

「スコール。」
「ん。」
立ち止まったスコールが、振り返る。
相変わらずの無表情さと穏やかさが不気味だった。
咄嗟に視線をはずし、一息に告げた。
「この前の事は悪かった。」
「‥‥。」
「謝って済む事じゃねえだろうが、とにかく俺が悪か‥‥」
「よせ。」
鋭いナイフのような声が遮った。
「謝られると‥‥逆に居心地が悪い。」

見れば、人形のようだった顔が、人間らしい複雑な表情に変わっていた。
怒りという程ではないが拗ねたような色が浮かび、それはすぐにあるかなしかの微笑となる。
「別に‥‥謝られる事じゃない。いきなりで驚いただけだ。‥‥俺の方こそいきなりだったから。」
まるで少女のような恥じらいに満ちた頬で俯き、伏し目がちに青灰色の瞳を彷徨わせる。
「気にするな。‥‥俺はあんたが好きだし。あんたと‥‥その、そうなる事を想像した事だってなかった訳じゃないし。」
「‥‥スコール、俺は。」
呆然とスコールの顔を見守っていたサイファーは、ようやく掠れた声を絞り出した。

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だがそれも、きっぱりとした言葉にかき消される。

「あんたが望むんなら俺は一向に構わない。‥‥むしろ嬉しいから。」

望んでなど、いない。
思わず言いかけて、サイファーは言葉を飲み込んだ。
その時になってようやく、ある事に気づいたからだ。

そうだ。こいつは‥‥。 何も知らないのだ。
ゼルとの間にあったことも。
あの時、なぜそんな衝動におそわれたのかも。
まったく、何も、知らない。
つまりこいつの中では、あの日の俺の行為は、純粋に自分に向けられたものとしての認識しかないのだ。
それがいかに衝動的で暴力的であったとしても。
好きだと打ち明けた直後に起こった出来事である以上、自分の好意は受け入れられたのだと思うのが、当然ではないか。

長い睫を震わせながら横顔を見せているスコールに、サイファーは再び口を開きかかって、またやめた。
それは勘違いってやつだ、とこの場で正す事はできる。
こいつは話をきかない男ではないし、話が解らない男でもない。
だが。
そんな事をして、何になるだろう。
無駄にこいつを傷つけるだけじゃないか。
スコールを愛しているわけではないが、傷つけることに躊躇を覚える程度の友情と愛着は持っている。
その幾許かの人間らしい感情が、言葉を口にする事を躊躇させた。
それに、真実をぶちまけたところで、何かがいい方向に働くとでもいうのか?
どうせ、ゼルは永遠に振り向かない。
自分は、膿んだ傷口を無理矢理カサブタで覆い隠しながら生きていくしかない。
真実を晒す事はスコールを傷つけるばかりか、己の傷口からも無駄にカサブタを引き剥がす行為にしかならないではないか。

妥協という言葉が頭を掠めた。
それでいいのかと自問する声もひっきりなしに聞こえている。
けれども、世の中には、流される事の方がずっと楽な事だってある。
その方が誰も傷つかない、誰もが平穏な日々を送れる事がわかりきっているのなら、その道を選択する事だって間違いではない。
今目の前にあるのは、まさにその道を指し示す道標なのだ。

スコールを犯している間中、脳裏に浮かんでは消えたあの轍が蘇った。
我に返り理性を取り戻してみれば、こんな形でスコールを傷つけてしまっては今さら無駄だと自嘲するしかなかったが。
しかし、スコールが受け入れるというのであれば。
轍がまだ残されているのだとするならば。

「‥選択の余地はねえ、よな。」
「え?」
思わず漏れた独り言に、スコールが向き直った。
サイファーはいや、と首を振り虚空を仰いだ。
あの蒼い空が今は曇天に覆い隠されている事に、不思議な啓示を覚えた。
もう、蒼い空にも蒼い海にも、悩み惑いたくはない。

もう、惑わされる事は、ない。

「‥‥腹、減ったな。飯食うか。」

スコールが緩やかに微笑んだ。
それはまるで。躊躇いながら花弁を開く可憐な花、のようだと思った。

To be continued.
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