18/指輪


目の前に突き出されたその小さな物体を、サイファーはスコールの顔と交互に見比べた。
これはなんだ、と目顔で問うて片眉を吊り上げる。
スコールは片手を延べたまま、薄く微笑んだ。

「遅くなってしまったけれど、あんたのSeeD就任祝いだ。」
「ああ?」
「誕生祝いの方が近くなってしまったかもしれないが。」
そう言って残る手でサイファーの手を取り、掌にそれを握らせる。
皮膚を押し返してくる冷たくて堅い感触。
サイファーは掌を開いて、もう一度しげしげと眺めた。
緻密な細工を施された銀色のリングは、どこかで見た様な記憶がある。
どこでだったろう。
無言のまま眉をひそめていると、スコールの頬から微笑が消えた。
「‥‥解らない、か。」
詰るような口調で、サイファーの掌の上に自らの手首を突き出す。
華奢な中指に光っている銀色の指輪が目に留まって、やっとサイファーは気付いた。
ああ、そうか。これと同じものだったのだ。

マズイと思ったが、失念していた事を弁解できる言葉が咄嗟に見つからず、黙り込むしか無い。
スコールは不機嫌そうな横顔を見せて手を引っ込めた。
「‥‥別に、身に付けろとは言わない。持っていてくれれば嬉しい。」
抑揚の無い調子で言い捨ててそのままつかつかとサイファーから離れ、司令官の執務デスクにつくや否や無表情に書類の山をめくりだす。
何とも気不味い、ぎこちない時間が訪れた。
のしかかる重い空気の窮屈さに、サイファーは密かに嘆息した。

こんな時、どうやってスコールの機嫌を取っていいのかが解らない。
下手な言い訳は余計に自分の首を締めかねない気がするし、心にも無い優しい言葉など吐ける訳もない。
-------これがアイツなら。
こんな沈黙など恐るるに足りないのだが。

またか、とサイファーは渋面を作ってその思考を閉め出した。
まったく油断も隙もない。
ほんのちょっと気が緩むと、まるで隙間から滑り込んでくる野良猫のように、その考えはたちまち心のど真ん中に胡座を掻いて居座ろうとする。
サイファーは掌に指輪を弄びながらソファーの肘掛けに浅く腰を落とした。
意識をそらすために視線を周囲を巡らし、そして険しい顔で書類をチェックしているスコールの顔を眺める。

相変わらずの、麗顔だった。
たとえそこに心動くものがなくとも、眺めるだけの価値を十二分に持った芸術品のような容姿だ。
無機質な壁や家具を眺めるよりは遥かに目の保養になるし、見飽きる事もない。
‥‥この美しい顔が、今は自分だけを見つめている。
誰もが羨み憧れる容姿端麗な総司令官は、他でもない、この俺に惚れている。
そう思うと、悪い気はしなかった。
さらに普段は人形のように取り澄ましたその顔が、自分のささいな一挙一動に微笑んだり怒ったりするのを見るにつけ、コイツにそうした人間らしい表情を与える事ができるのは自分だけなのだと子供じみた優越感を覚える事もしばしばだ。

けれどその一方で。
俺はこの男を騙しているのだという罪悪感も拭いきれない。
騙している、というのは語弊があるかもしれない。
俺もお前が好きだとまでは言った覚えはないし、スコールの気持ちにはっきり応えたつもりもない。
ただ漫然と流されているだけだ。
だが、スコールの顔を見るたび、言葉を躱すたびに、心には小さな刺が残されていく。
その都度無視する事はさほど難儀でないが、無視したつもりでも、内部に残される刺は確実にその数を増やしつつある。
そのまま増殖していけば、それはやがて取り返しのつかない病巣となって、この身を蝕むのやもしれない。

だが、それでも。
サイファーには、静観する事しか出来なかった。
やがてこの無数の刺と心中を遂げる事になってしまったとしても、それはそれで仕方のない事だ。
‥‥もうひとつの傷さえ癒えるのなら、それでいい。
そう思うしか、ないではないか。

「‥‥どのみちサイズが合わないかもしれない。」
「あ?」

不意をつかれて顔を上げると、スコールは変わらず書類に目を落としたままでいる。
唇だけが、淡々と動いていた。
「サイズが解らないまま注文したから。だから身につけなくても構わないんだ。」
「‥‥。」

長い沈黙に業を煮やしたのか、それとも不機嫌な態度を取ってしまった事を悔いた詫びのつもりなのか。
多分、両方だろう。
他人に対しては一貫して無関心で冷淡で、人の機嫌を取る事になど慣れていないはずのこの男が。
サイファーに対してだけは、こんなにも繊細な気遣いを見せる。
無論それも、ひとえに慕う気持ちが故、なのだ。
構わないんだ、という弱気で弁解じみた言葉が、また鋭利な刺となって胸に突き刺さり、サイファーは痛みに眉を顰めた。

「‥‥あのティンバーの店、か。」
「ああ。」
「サイズなんざ直接俺に聞きゃあいいだろが。」
「‥‥聞けるわけないだろう。」
「なんで。」
スコールはちら、と目線を上げて困ったような顔をし、またすぐ俯いた。
「‥‥恥ずかしい。」
「ああ?」
「照れ臭いし恥ずかしい。」
俯いたまま、手元の書類を読み上げるような平淡さだった。
ただ伏し目がちな白い瞼にだけは、少女のような羞じらいが満ちている。
サイファーはいたたまれなくなって目をそらし、あえて掌のリングをためつ眇めつすることに専念した。

凝った蔦模様に絡まれた、獅子の紋章。
重厚ながらも華麗で、いかにもスコールにふさわしい造りだった。
こうした細工の事はよく解らないが、さぞや熟練した技術が必要なのだろう。
「‥‥見事な細工だな。」
「職人だからな。そういえばゼルも相当に器用だが。」
「‥‥なに?」
咄嗟に問い返してしまい、サイファーははっとして表情を強張らせた。
が、幸いスコールは気付かなかったらしく、俯いたままだ。
「あいつが作ったのを見せて貰って驚いた。」
「‥なんの話だ。」
「ああ‥‥」
あんたは知らないんだったな、とそこでやっとスコールは視線を上げて瞬いた。
「以前、ゼルがリノアにこれと同じものを作ってやった事がある。指輪を貸せとしつこく詰め寄るものだから何かと思ったら。」
「‥‥。」
「リノアに、作ってくれとせがまれたらしい。‥‥リノアに言われたら嫌とは言えなかったんだろうな。」
花びらのような唇に、淡い微笑が浮かぶ。
「そういうところはいかにもゼルらしい。あいつはそういう奴だ。」

「‥‥ただの馬鹿なだけだ。」
「え?」
「他人の事にばっか、一所懸命になりやがって。あの馬鹿。」
「‥‥サイファー?」
「自分のこたぁ棚上げなくせによ。」
「‥‥。」
「救いがてえチキンだ、ったく。」
「‥‥ゼルが、どうかしたのか。」

はっと我に返った。
スコールはあからさまに不審そうな顔をしている。
しくじった、と思ったがもう遅い。
「ゼルがどうかしたのか。」
スコールがもう一度問うた。刺を含んだ、詰問だった。
うっすらと背筋を冷や汗が滑り落ちる。
だが少なくとも核心に触れるような事は何も言っていないはずだ。

「どうもしねえ。」
強い語調で吐き捨てて、サイファーは立ち上がった。
「他に用がねえんなら俺は部屋ぁ戻るぜ。」
「サイファー。」
つられたように腰を浮かせ、スコールがデスクの向こう側から追ってこようとする。
背を向けて、まっすぐに部屋を出た。
振り返らずにドアを締め、無理矢理空間を遮断したが、それでもなお糾弾の視線がドアを突き抜けて追い掛けてくる気がした。

「‥‥っ‥‥」
忌々しさの極みに、舌打ちが漏れた。
己の迂闊さに激しい憤りを覚えながらも、それをどう発露させていいのかが解らず、低い声で呻く事以外、思い浮かばない。
のろのろとドアの前を離れながら拳を握ると、いまだ指輪が掌の中のままだった事に気付いた。
掌を押し返す硬質のその感触は、痛い程に冷たく皮膚に突き刺さる。
「‥‥クソッタレ、が。」
サイファーは再び唾棄すると、その小さな金属を押し潰さんばかりに握りしめて、乱暴に拳ごとコートのポケットにねじ込んだ。

To be continued.
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