23/誓い
「‥‥どういう、意味だ。」
サイファーは擦れた声で呟いた。
長い、長い沈黙がようやく終わった事に、ゼルはほっとした。
だが、相変わらず露骨な困惑と疑惑を浮かべたままのサイファーの表情がもどかしくて、つい声が昂ってしまう。
「どうもこうもねえ、まだわかんねえのかよ!」
イライラと肩を怒らせ、翠の瞳を睨み付ける。
「オレだって、なんでこんな事になっちまったのか納得いかねえよ! 納得いかねえしムカつくけどでも、」
大きく息を吸い込み、ゼルは叫んだ。
「それでもやっぱ、アンタが好きなんだよ!」
サイファーは、微動だにしなかった。
まるで彫刻のように整った顔のまま、未知の生き物を観る様な目でゼルを見ている。
「‥‥また、からかってんのか。」
「今さらこんな事でからかえるかよ!」
ゼルは顔を背けて、叩き付けるように呟いた。
「黙って聞いてりゃ、アンタばっか悩んで解ってたような事言いやがってよ!‥‥オレだって、オレだってな、すげえ悩んで迷って、訳わかんなくなってどうしていいかわかんなくて」
思わず、そこで言葉に詰まった。
さんざん泣いたこと、喚き、苦しんだこと。
それらが蘇ってきて、思わず涙腺が緩んでしまいそうだったのだ。
いや、本当は。
思いもかけずここでサイファーの姿を見つけた時から、それはすでに緩みかかっていた。
何か目に見えぬ力が采配してくれたとしか思えないこの偶然の邂逅に、一瞬どうしていいか解らず、狼狽して、泣きたくなって、また逃げ出したくさえなった。
けれど、自分の思いをきちんと伝えられるのはこれが最後の機会のような気がしたから。
そのためにこそ用意された、この場面、この時間なのだと思えたから。
必死で心を奮い立たせて、声をかけたのだ。
それなのに、当のこの男ときたら、ガーデンを出ていくだのそれがオレのためだの、勝手な結論ばかり急いで。
(ぜんぜん、わかってねえじゃんか‥‥!)
「オレだって、あ‥‥諦めなくちゃって、思ったんだ。」
思わず嗚咽が漏れそうになり、ゼルは慌てて声のトーンを落とした。
「スコールが、アンタの事を好きなんだって知った時‥‥かなわねえって思った。オレには、今さらアンタを好きになる資格なんてねえ。スコールの方がずっとアンタにはふさわしい、って。それに‥‥アンタも、きっとオレとの事は忘れてえんだろうって思ったし。」
「‥‥。」
「だけど、やっぱ駄目だった。‥‥アンタはスコールのものなんだって思っても、そんでも。」
吹き抜けていく潮風に言葉をさらわれ、またもやゼルは口を噤んだ。
ゼルの独り語りを、サイファーは聞いているのかいないのか。
だが顔を上げて確認するのは、怖かった。
もしサイファーの表情に少しでも拒絶の色を見つけてしまったら。
そう思うと、頑に俯き続ける事しかできない。
「‥‥アンタとスコールがうまくいかなかったって事は‥‥ホントは、もうスコールから聞いてた。」
ふと、サイファーの表情が動いた気配がした。
ゼルは唇を噛み、挫けそうになる声を振り絞って一息に言った。
「オレ達は馬鹿だって。スコール怒ってた。だけど、自分でも情けねえけど、そのスコールに言われて思ったんだ。自分のキモチに嘘ついて誤摩化したって、なんも納得できねえままなんだって。ちゃんと言わなきゃ、伝えなきゃ、始まらねえし終わらねえんだって。」
大きく肩で息を吐き出し、意を決して顔を上げる。
恐る恐る伺うと、サイファーはまだ黙っていた。
その顔には、危惧していた拒絶の色はなかったし、困惑もすでに消え失せていた。
けれど、真面目くさったその表情はやはりゼルを不安にさせた。
そしてそのやり場のない不安が、やがて苛立ちとなって胸の内にこみあげる。
‥‥まだ、黙ってるつもりかよ?
それとも、まだわかんねえとでも言うのか?
オレは、言うだけの事は言ったかんな。
これでも解んなきゃ、もうオレは知らねえからな。
胸の内で小さく毒づいて、犬歯を剥いた。
するとそれが合図であったかのように、サイファーは眉をひそめ、突如身を乗り出した。
「嘘じゃねえ、んだな。」
急に近付いた広い肩幅に、ゼルは気圧され、こくりと頷いた。
「誓って、か。」
畳み掛けられて我を取り戻し、今度は深く頷いた。
「‥‥誓って、だ。」
突然、視界が何かで遮られた。
風にさらされていた頬と背中が、すっぽりと温かいもので覆われる。
はっとして見上げると、くっつかんばかりの鼻先に高い鼻梁が迫っていた。
「‥‥サ‥‥」
抱きすくめられたのだ、と気付くと同時に、目の前の深い翠色の瞳が何かを探るように細められる。
声を発する間もなかった。
半ば強引な力の籠った指先で顎を捉えられたかと思うと、そのまま唇を重ねられた。
優しいキスだった。
覚えのある、激情を宿した荒々しいそれとは違い、まるで脆いガラスを扱うような仕種だった。
サイファーでもこんなキスができるのかと素直な驚きを禁じ得ないほど、それは繊細で。
温かくて、慈しみに満ちていて。
それゆえゼルは、唇が離れるや否や、狼狽と恥ずかしさで真っ赤になってしまった。
「な‥‥何すんだよ‥‥いきなり‥‥。」
火照った頬を隠そうと俯き、腕の中で小さくもがく。
だがサイファーはさらに強くゼルの頭を抱き寄せると、今度は髪に口づけた。
恭しささえ感じられる丁重さで幾度も幾度も落とされる唇に、とうとうゼルは観念してもがくのをやめた。
そうして一旦抵抗するのをやめてしまえば、すべてがこの上もなく心地良い。
抱き締める腕も、髪の間を縫う唇も。
胸元に押し当てた頬に伝わる、静かで深い息遣いも。
今まで迷った事や、躊躇った事、泣いた事、怒った事、何もかもどうでも良くなってしまうほどに、心がたちまち凪いでいく。
この温もり。この匂い。
ああ、間違いない、とゼルは思った。
オレはこの男が好きなんだ。
ずっと、ずっと好きだったんだ。
この腕にこうして抱き締められたくて、この息遣いを間近に聞きたくて、ずっとそれだけを望んでいたのだ。
気付くのが遅過ぎて大きな迂回をしなければならなかったけれど、もうそんな事はどうでもいい。
今自分は、ずっと望んで焦がれていた腕の中にいる。
そう思った途端、胸がいっぱいになって、それでなくても弛みかかっていた涙腺の箍が一時にはずれた。
「なんだ。泣いてんのか。」
「‥‥うる、せ。少しぐれえ、いいだろ‥‥」
覗き込んでくる瞳を避けて広い胸板に鼻先をこすりつけ、ゼルは擦れた声を洩らした。
一度緩んでしまった涙腺はもう制御がきかない。
こぼれ落ちる涙が顎を伝って、サイファーのコートにほとほとと滴り落ちる。
「‥‥また随分と、しおらしい釣り餌だな。」
大きな掌が髪を掻き回し、からかうような、それでいて低く優しい声が耳元で囁いた。
「あっさり食い付かれるつもりはねえなんて、強気にかましてたくせによ。」
「‥‥食い付いといて、いつまでも飲み込まねえでほっとくからだ‥‥っ。」
負けじと言い返し、涙目で軽く睨み付ける。
「食い付いた以上は‥‥ちゃんと責任取れよな!」
潤んだ視界の中で、サイファーの薄い唇が、笑いを含んで吊り上がる。
そして濡れそぼった頬に、再び優しいキスが降ってくる。
ゼルはされるがままに、そっと瞼を閉じた。
春の陽射しよりもあたたかなこの腕の温もりが、あまりに甘く、切ない程に幸福で。
涙はまだしばらくは、止まりそうになかった。
To be continued.
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