24/成功


何をするにせよ物事には、為すべきタイミングというものがある。
無理矢理事を急いたって、うまくいかぬものはうまくいかぬのだ。
ひとつの段階が成功を遂げたからといって、続くすべてがそうなるとは限らない。
それが世の倣い、理というものだ。
それはサイファーとて否定はしない。
だが。
かけがえのない宝の箱をようやく手に入れたと思ったのも束の間、今度はそれを開ける術がないとなれば、苛立たぬ方がどうかしている。

サイファーは、苦々しい思いで唇を歪めた。
目の前ではその当の宝箱が、眩しいばかりの笑顔でサイファーを見ている。
無邪気なその笑顔の下に未知数の神秘に満ちた中身を押し隠したまま、まるでそんな中身はどこにもないと言わんばかりに、屈託のない雑談に興じている。
その透き通った蒼い瞳こそは、複雑怪奇な鍵だった。
その鍵をどうしたら開く事ができるのかが、サイファーには解らない。
無理矢理こじ開ける方法もないではないし、実際思いつめて衝動に駆られる事も少なくなかったけれど、しかしせっかく手に入れた箱自体を傷つけ壊すような馬鹿な真似はもうしたくはない。

だから結局、箱が自ら蓋を開くのを待つのが一番賢明なのだ。
ゆっくり慎重に時間をかけてそう仕向けるのが、正攻法だし最も安全な方法だ。
だがそう己に言い聞かせようとすればするほど、今度は別の苛立ちがこみ上げてくる。
ならば一体いつまで待てばいいのか。
大体そもそも、こいつ自身が開く気があるのか。
待ったところで、永遠に開かないのではないのか。

そんなサイファーの心中を知ってか知らずか、ゼルは先ほどから無邪気に喋り無防備に笑っている。
返事などなくてもさして気にもとめていないらしい。
それとも、サイファーは話を聞いていると信じて疑わないのか。
だとしたら、心底脳天気なチキン野郎だと言う他はない。

「でさ、もう腹が痛くなっちまうくらいみんな笑っちまってさあ。な、おっかしいだろ?」
おかしいだろと言われても、話の中身など先ほどからまったく頭に入っていないのだから、笑いようもなかった。
むしろますます不機嫌に眉をしかめると、サイファーはむんずとゼルの腕を掴んだ。
途端にゼルははっとしたように口を噤む。
「なんだ、よ。」
「なんだよじゃねえ。」
俄に強張る小柄な体を無理矢理引き寄せ、鼻先をつきつける。
「一体いつまではぐらかす気だ。」
「はぐらかす?」

訝しげに問い返す瞳に、無性な腹立たしさが込み上げてきた。
掴んだ腕に力をこめ、そのままベッドに押し倒そうと体重をかける。
ゼルは大きく目を見張り、すかさず体を捻ってサイファーの腕から逃れた。
「よせよ。」
飛び退くようにベッドから降りてすっくと立ち上がり、威嚇するように犬歯を剥く。そして、
「そういう事なら、オレ、部屋戻るぜ。」
ぴしゃりと言い放って、にべもなく踵を返そうとした。
サイファーは素早く肘を掴み直すと、遠ざかろうとする体を再び力まかせに引き寄せた。
膝の上に崩れ込んだゼルは、非難の視線でサイファーを仰ぎ見る。
「おい、ちょっ‥‥離せよ。」
「逃げんのか。」
「逃げるっつうか。‥‥だってこれ以上いたら、ヤバいだろ。」
「何が。」
「何がって。」
困ったように眉根を寄せ、ゼルは僅かに口籠った。
「アンタが、さ。」
膝の上で、いかにも居心地悪げにもぞもぞと身を捩り、視線をそらす。
その様が本当に困り果てているようだったので、サイファーは少し己の行動を反省した。
心持ち腕の力を緩めて、背けた横顔を覗き込む。
「だから、なんでそれがヤバいんだ。」
「‥‥。」
「十やそこらのガキじゃねえんだ。まさかキスだけで終わりだなんて思ってるわけじゃねえだろうな。」
「それは。」
横顔のまま目の端でちらちらとサイファーを伺い、また黙る。
サイファーは苛立ちの溜め息を無理矢理呑み、努めて平静な声を保った。
「テメエ。俺が好きなんだろ。」
「‥‥。」
「好きなら、そうなんのが自然の成り行きだろうが。」
「自然、って。」
ゼルはびっくりしたような顔でサイファーを見た。
サイファーは構わずますます鼻先を突き付ける。
「食い付いた以上は責任を取れっつったのはテメエだぜ。それをいざ味わおうとしたら、今度はおあずけたあどういう了見だ。」
目の前で、鼻筋に小さな皺が寄った。
逃げる気配はなかったがそのかわり、挑むような蒼い瞳がじっとサイファーを見つめる。
「‥‥そんなにヤりてえのかよ、アンタ。」
「当たり前だ。」
「即答すんなっつうの、ったく。」
これみよがしの溜め息をついて、ゼルは肩を落とした。
首を振り振り、捉えたサイファーの腕をやんわりと振りほどく。
「あのさ。アンタには自然でもオレにはそうじゃねえんだよ。だからそういうのは、なんつうか‥‥心の準備ができたら、な。」
「なら、その準備とやらはいつできるんだ。」
「んなのわかんねえよ。でも。」
と、両腕をひょいとサイファーの肩に預け、上目遣いににっと笑う。
「アンタ、オレが好きなんだろ。好きなら、待ってくれるだろ?」
これにはサイファーも言葉に詰まり、思わず呻いた。
「‥‥この野郎。」
「永遠にお預けってわけじゃねえんだからさ。」
そう言って屈託のない笑いを洩らし、軽くサイファーの鼻の頭に口づける。

------結局俺は、鼻先に人参をぶら下げられた馬って事か。
サイファーは舌打ちした。
ある意味、これは以前よりもさらに残酷な生殺しの状態だ。
これなら、決して手が届かぬと絶望していた方がまだマシだったとさえ思う。
互いの気持ちを知ってしまった事で、余計に大きな枷をはめられたようなものだ。
どんなに渇望しようとも、待ってくれと言われれば所詮自分は従うしかない。
しかもゼルは、サイファーが逆らえない事を恐らく百も承知でそうしているのだ。
そう思うと、膝の上の温もりが無性に小憎らしかった。
加えて、その重みに反応しかかる己の下半身の馬鹿正直さも、歯ぎしりするほど忌々しい。

「降りろ。」
サイファーは露骨に苛立った声で顎をしゃくった。
ゼルは笑いを含んだまま素直に従う。
その悪戯めいた口元を眺めていると余計に腹が立ちそうだったから、サイファーはあらぬ方を睨みつけたまま、無言でいた。
ゼルはベッドから降りて、何の躊躇いもなくドアに向かおうとしたが、突然ふと思い出したように立ち止まり、サイファーを振り返った。

「‥‥なあ。そういやさ。」
「あ?」
「アンタ、指輪どうした?」
あまりに唐突な問いに、サイファーは面喰らった。
今し方の苛立ちもつい忘れ、片眉を吊り上げてゼルをかえり見る。
「指輪?」
「スコールに貰ったヤツ。」

しまった、と咄嗟に後悔が後頭部を掠めた。
そうだ、あの指輪。
処分するつもりが、忘れていた。
いや、存在自体も失念しかけていた。
果たしてそんな弁解がすんなり通じるかどうかは疑問だが、この一ヶ月間思い出しもしなかったのだ。
ゼルは、どこか上の空のような口調で小さく首を傾げている。
「まだ、持ってんのか?」
誤摩化したところで、仕方ない。
不承不承に頷くと、ゼルはなぜか間が抜けたような顔をした。
「そか。」
「‥‥?」

妙に引っ掛かる、反応の仕方だった。
怒るでもなければ、責めるでもない。
ただ頷いたきり、何やら物思わしげに黙り込んでいる。
その複雑な表情の裏に潜む真意をはかりかねて、サイファーは不機嫌に呟いた。
「後で処分しとく。」
「あ‥‥いや、いいんだ。」
はっと顔を上げ、ゼルは慌てて首を振った。
「捨てなくて、いい。オレもスコールに貰ったから。」
「なに?」
意外な答えに、サイファーは拍子抜けした。
「スコールのを、くれたんだ。あとは自分でなんとかしろって。‥‥オレが決心できたのは、スコールと、あの指輪のおかげだし。」
「‥‥。」

----別に、悋気から出た台詞ではなかったのか。
だったら、その不安げな顔はなんだ?
なおも半端な表情のままでいるゼルに、サイファーは訝しさの視線を送った。
だがそんなサイファーの視線を振払うようにゼルは軽く頭を降り、ぎこちない笑顔を浮かべると、じゃあまたな、と言ってドアに向かった。

その小柄な背中は、やはりどこか心もとなくて。
サイファーは釈然としない思いに、眉間に深く皺寄せた。

To be continued.
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