27/写真


「あれえ、ゼル。珍しい。」

唐突に背後で声がして、振り返ると、トレーを手にしたアーヴァインが立っていた。
夕食時の食堂である。
とはいえ、だいぶ時刻が遅いから席は空いている。
普段の騒々しさから思えばいささか寂しすぎるくらいに人の姿がまばらなものだから、ゼルの姿が真っ先に目についたのだろう。
ゼルは口の中のものを嚥下しながら、アーヴァインを見上げた。
「珍しい、って何が。時間がか?」
「ううん。」アーヴァインは小さく首を降った。
「今日はサイファー、一緒じゃないんだなあと思って。」
『一緒』という単語だけをことさらに強調するように言って、トレーをテーブルに置き、ゼルの斜向かいの椅子を引いて腰を下ろす。
思わず警戒して、ゼルは眉根を寄せた。
「‥‥どういう、意味だよ。」
「どういう、って。」
アーヴァインは少しも悪びれない。
「だってゼル、サイファーとつきあってるんでしょ。誤摩化さなくたっていいよ、解ってるから。」
ぎょっとしたが動揺を押し隠し、アーヴァインの鼻先を睨みつける。
「‥‥誰に聞いたんだ、んな事。」
「誰にも。最近君たち妙に仲がいいしさ、なんとなくそうかなって思っただけ。僕、そういう事には鼻がきくんだよねえ。」
藍色に近い青い瞳を細めて、アーヴァインは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

ゼルは内心、恐れ入った。
だが確かにこの男なら、そういう事に敏感なのも頷ける。
セルフィと恋人に近い間柄であるのは公然の事実なのに、気がつくといつも違う女の子と廊下を歩いていたりする。
そういう事にかけては百戦錬磨の手練なのだ。
スケコマシだ軟派野郎だとサイファーなどは毛虫のようにアーヴァインを嫌っているが、当のアーヴァインの言い分としては、別にすべての女の子と恋愛関係にあるわけではないという。
女の子には優しくするものだし、彼女らの相手を勤めるのは男としての甲斐性であり、時には彼女達の恋愛相談に乗ってやる事だってあるのだそうだ。
この男の言う事がどこまでが本当なのかは解らなかったが、セルフィが常々口を尖らせながらも、あえて感情的にアーヴァインを糾弾したりはしない事からみても案外それは真実なのかもしれなかった。

黙っているゼルの前で、アーヴァインは片手で頬杖をつくと「あ、ちなみに」と思いだしたように言った。
「僕、ゲイとかストレートとかそういうのは気にしてないから、心配しなくていいよ。まあ僕自身は女のコの方が好きだけどさ。」
あっけらかんとした口調に、思わずゼルは警戒も忘れて苦笑してしまった。
そう、これもアーヴァインの人となりなのだ。
本来なら重く真面目な話も、何のてらいもない軽口で片付けてしまい、しかも嫌味に聞こえない。
これだから数多の女の子たちも、一見軟派なこの男に結局は心を許してしまうのだろう。
なんとも、得な性質である。
頬が緩んだ事で、ようやくゼルは肩の力を抜いた。
「んと、その‥‥つきあってるっつうか‥‥」
「でしょ?」
「‥‥かな。」
ごにょごにょと言葉を濁すと、アーヴァインはふふ、と笑った。
「可愛いなあ、ゼルは。」
「うるせえ。」
仄かに赤面して顔を背け、せめてもの照れ隠しに無闇にパンをちぎっては口に運ぶ。
アーヴァインはのんびりとフォークを取り上げながら、少しトーンを落とした声で言った。
「にしてもさ、なんかあったの?」
「あ?」
「独りぼっちでなんだか浮かない顔してたじゃない。」
「オレが?」
「うん。どうしたの、喧嘩でもした?」

物腰は柔らかいが、鋭いところをついてくる。
ゼルは心中でまたもや舌を巻き、もごもごと口を動かした。
「んー。喧嘩‥‥みてえなもん、かな。」
「そっかあ。まあサイファー相手じゃ何事も穏やかにって訳にはいかないだろうけど。でもそーんな元気ないゼル見てたら、こっちまで辛くなっちゃうよ。」
アーヴァインは大袈裟に肩をすくめると、そのキャメル色のコートのポケットを探った。
「じゃあさ。そんなゼルに、プレゼント。」
「あ?」
「セフィが今ガーデン内の写真あれこれ撮りまくってるの知ってるでしょ?」
カード状のものをテーブルの上に取り出して、にこやかに押しやる。
「ガーデンのサイトで使うからって、僕も手伝わされてるんだけどね。この写真、使わないっていうから君にあげようと思って取っておいたんだよ。」
促されるままに手に取って表に返し、ゼルははっとした。

写真自体は、見慣れたガーデンのエントランスホールの風景だった。
丁度昼休みの時間にでも撮ったものなのか、制服姿のSeeD候補生らが雑多にホールを行きかっている。
だがレンズの焦点は、中央よりやや右寄りに佇むひとりの男に合わせられていた。
周囲から浮き上がった長身、短く刈り込んだ金色の髪、そして不機嫌そうな横顔。
どこにいてもやたらと目立つ、白い背中。
「‥‥サイファー。」
思わずその名を口にして、ゼルは慌てて唇を引き結んだ。
アーヴァインは小さく頷く。
「たまたま見かけて何気なく撮ったらしいんだけど、サイファー、写真とか嫌いでしょ。サイトで使ったりしたら何言われるか解らないし、君が持ってなよ。」
ゼルは写真の縁からアーヴァインの口元を見上げ、再び視線を落とした。
小さく切り取られた平面の中に静止しているその整った横顔は、見慣れているはずなのに、奇妙に懐かしいものに思えた。

自分は、生身のこの横顔を知っている。
視覚だけでなく、五感すべてで、知っている。
間近に覗き込む翠色の瞳も、皮肉に満ちた低い声も、冷たくてそのくせ柔らかい唇も。
本当は、素直に手を延ばせばいつだって、すぐ触れられる近くにある。
それなのに、自分はあえてそれらを遠ざけようとしている。
写真の中の偶像ならばこんなにもまっすぐに見つめる事が出来るのに、実体のこの男の前ではまともに顔すら見られず、素直になれぬまま迷い続けているのだ。

じわりと視界が滲んで、熱い塊が喉元にせりあがってきた。
突如襲ってきた涙に慌てて写真から視線をそらしたが、生憎そらした先には、アーヴァインの驚いた顔があった。
「どうしたの、ゼル。」
「な、なんでもねえ。」
拳でごしごしと双眸を拭ったが、すでにアーヴァインの追求から逃れるには遅かった。
「大丈夫? 一体どうしちゃったのさ。」
「なんでもねえったら。」
「泣く程、悩むことがあるの?」
「‥‥。」
「あるんだったら言ってごらんよ。聞いてあげるくらいなら僕だってできるよ?」
アーヴァインの声は真剣だった。
そこにいつもの軽調子はなく、戸惑う程に真面目な顔がじっとゼルを注視している。
ゼルはおずおずとその瞳を見つめ返した。

サイファーとの事を、誰かに真面目に話した事などなかった。
話す機会もなかったし、話す相手もいなかったからだ。
そもそも、その辺の友人知人を捕まえておいそれと話せるような内容ではない。
事情を知っている人間ならスコールがいるけれど、何ぶんスコールは当事者なのだから論外である。
だから、これは独りで考えるしかない問題なのだと思っていた。
自分自身の力で、どうにか答えを導きださねばならないのだと信じていた。
けれど、いざこうして目の前に腕が差し伸べられてみると、心が動いた。
もしかしたら心のどこかで、独りで思い迷うことに倦み飽きていたのかもしれない。
いくら考えても堂々回りで出口のない迷路に、疲れ果てていたのかもしれない。
話せば少しは楽になるよ、と言いたげに見つめてくるアーヴァインの瞳に、つい、寄り掛かりたくなったのだ。

ゼルは目線を落とすと、写真をテーブルに伏せ、ぽつぽつと途切れがちに語り始めた。
ところどころ口籠り、要領がいいとは言えない説明ながらも、出来うる限り正直に話した。
幾度もすれ違った末に、やっと想いが通じた事。
紆余曲折の間にスコールとサイファーの間にあった事、そして自分とスコールの間にあった事。
今サイファーが自分に要求している事や、自分は今でもスコールの事を引きずってしまっていてそれに素直に応えられないでいるという事。
すべて、なにもかも。

「‥‥ふうん、そうかあ。」
長いゼルの話を黙って聞き終え、アーヴァインは少し難しい顔をした。
整った顎のラインを指で撫でつつ、ブルーの瞳がゼルの頭上の何もない空間をしばし凝視する。
不安でいっぱいになりながら、ゼルはアーヴァインの言葉を待った。
それでなくても閑散としていた食堂は、いつのまにか独り減り二人減りして、とうとうゼルとアーヴァインを残して無人になっていた。
配膳口のカウンターも、食器返却口の明かりを残して照明が落とされている。
すでに、あと1時間もすれば食堂自体が施錠される時間だ。

やがてアーヴァインは、ふわりとゼルに視線を戻した。
「うーん‥‥ねえゼル。それってさ、別にサイファーに比べられてもいいんじゃないのかなあ。」
「え‥‥。」
「だって、君はサイファーが好きなんでしょ?」
真面目だった表情を少し崩して、アーヴァインは僅かに首を傾けた。
「仮に比べられて、君よりスコールの方が良かったって言われたとしてもさ。じゃあそれで君ははいそうですか解りましたって身を引くの? 君の気持ちはその程度なわけ?」
ゼルは目を見張った。
アーヴァインは長い髪をかきあげると、からかうような笑みを滲ませた。
「僕だったら、そんな事ぐらいで諦めないけどなあ。」
「そ、そんなの、オレだって‥‥!」
「だったらさ、比べられてもいいじゃない。」
首を振るゼルの言葉を遮って、アーヴァインは目を細めた。
「サイファーの事が信じられないなら、無理に信じなくてもさ。自分の気持ちを信じてればいいんだよ。何があっても相手が好きだっていう気持ちをね。」

「自分の気持ち‥‥。」
虚を突かれて、ゼルは言葉を詰まらせた。
「そ。誰かを好きになるとさ、相手の気持ちはそりゃあ気になるよね。だけど本当に大事なのは、相手にどう思われてるかじゃなくて、自分が相手をどう思ってるかなんじゃない? 相手の気持ちを疑うより、まず自分の気持ちを信じなきゃ。‥‥って言っても、あの大将の事だから、まあ、君の取り越し苦労だと思うけどねえ。」
そう言って、顔の前で両手の指を合わせくすくすと笑う。
ゼルはぱちぱちと瞬いて、そんなアーヴァインを呆然と見つめた。

自分の気持ち。
自分が、どれだけサイファーを好きかということ。
言われてみれば、この一ヶ月間、そんな事は思い出しもしなかった。
だけど、遠回りをしながらもここまで辿りつけたのは、その想いがあったからではなかったか。
諦めなくてはと何度も思いながら、どうしても駄目だった。
何があっても、どうあってもサイファーが好きだと。
そう思ったからこそ、サイファーに告げられたのではなかったか。
何があっても、自分の気持ちに正直でいたい。
自分の想いだけは信じていようと誓ったのは、他でもない自分自身ではないか。

凝った胸のつかえが、緩やかに溶け出していく。
自分は、一体何を怖がっていたというのだろう。
たとえ誰と比べられようとも、自分は自分だ。
好きだと思うこの気持ちをこそ、誇るべきだ。
自分は自分の想いで、まっすぐにぶつかっていけばいいのだ。
それができずに、どうして誰かを好きだなんて言えるだろう。
ゼルは大きく息を吸い込み、そして吐き出した。

「‥‥アーヴァイン。」
「うん?」
「その‥‥なんつうか。」
「納得、できた?」
「‥‥うん。」
小さく頷くと、アーヴァインはにっこりと頷き返した。
「そっか。なら良かった。」
「‥‥あんがとな。」
「いいって、お礼なんて。」
アーヴァインは軽く掌を打ち降って肩を竦めてみせたが、ああでも、と悪戯っぽく笑った。
「そうだなあ。じゃあせっかくだから、お礼なら態度で示してもらおうかな。」
「態度?」
「キス、してくれるとかさ。」
「なっ‥‥!」

面喰らって絶句し、続いてかっと頬に血がのぼった。
「お、お前女の子の方が良いってさっき‥‥!」
「そうだけど〜。ゼルは別。だって可愛いんだもん。」
白々しくも言い放って、鼻先がくっつかんばかりに顔を覗き込んでくる。
「そういう意味じゃ、大将の気持ち、解るんだよねえ。」
「ばっ、てっ‥‥!」
顔を引きつらせたまま椅子ごとがたりと後ずさり、しどろもどろに声を詰まらせる。
するとアーヴァインは突然吹き出し、明るい笑い声を上げた。
「あはは、冗談、冗談だって。本気にした?」
「てっ、てめえ‥‥っ!!」
真っ赤になって鼻先に皺寄せると、アーヴァインは含み笑い、するりと腕を延ばしてゼルの頬を撫でた。
「でもやっぱり、ゼルは元気な方がずっと可愛いよ。」
「か、可愛いとか言うなっ!!」
ぴしゃりとその手を払い落として、睨み返す。
本当に、どこまで本気で冗談なのか、腹の読めない男だ。

けれど。
おかげで、忘れてかけていたものを思い出す事ができた。
出口のない迷路から、ようやく脱する事ができたのだ。
睨み付けながらも胸中では、この男への感謝の気持ちでいっぱいになる。
アーヴァインはなおも笑いながら、テーブルの上に伏せられた写真を表に返し、ほら、とゼルに示してみせた。
印画紙の上で、あらぬ方を見つめている端正な横顔。
恋しくて愛しくてたまらない、白い背中の印影。
ゼルは少し躊躇しながらも赤面したまま頷くと、そっとそれを取り上げて、しっかりと掌に握りしめた。

To be continued.
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