4/SEED


「サイファー。君は今回の件で懲罰を受ける事になるでしょう。」

神妙な面持ちの学園長が、沈痛な口調で言った。

学園内は、そぞろなさざめきに満ちている。
時刻はまもなく昼時、午前中の講議が終わるまでもうあと数分というところだ。
遠巻きにホールを横切り食堂へと向かうまばらな生徒らは、早めに講議を終えた者達だろう。
彼らは、中央案内版の近くに陣取ったこの一群に、一様に意味ありげな視線を寄越していく。
最初の内はその視線をいちいち睨み返していたサイファーだったが、次第に面倒になり、やがて無視を決め込む事にした。
仏頂面のままあらぬ方を見ているサイファーに、学園長は語りかける。
「集団の秩序の維持のためには、仕方のないことです。でも、私には君の行動がわからないでもないのです。」
回りくどい説教だ、とサイファーは心中で唾棄した。
はっきり言やあだろうが。
要するに、俺は今回もまたSeeD試験に落ちた、と。

昨日行われたSeeD選抜実地試験の結果は、正午に2階廊下で発表される。
受験者達は廊下に集合して結果を聞き、不合格者はその場で解散、合格者はその後学園長室で認定書の授与を受ける。
今まで幾度か経験してきた過程だ。
そしてサイファーは、これまで常に解散組であり、学園長室に呼ばれた事はない。
今回もまた。
同じ過程を繰り返すだけだろうと自分でも予想がついている。
何しろ撤退命令を無視した挙げ句の個人行動だ。
これで合格者の名簿に自分の名前が連なるとしたら、何らかの手違いがあるとしか思えない。
落ちているのは解り切っている。
にも関わらず、わざわざ結果を聞きに出てきたのは。
-----間違っても、学園長の回りくどい説教を聞くためではない。

「‥‥君たちに単なる傭兵にはなって欲しくありません。命令に従うだけの兵士にはなって欲しくないのですねえ、私は‥‥。」

学園長の繰り言はまだ続いている。
その傍らで腕組みをし、したり顔に頷いているシュウ。
伏し目がちに学園長の言葉を聞きながら、時折視線をちらちらとこちらに送ってくるキスティス。
よもやこの3人にホールで鉢合わせをし、まして呼び止められるとは思わなかった。
まったく、誤算である。
こんな事ならやはり部屋にいるんだった。
とんだ災難だ、とサイファーが再び舌打ちをしかけた時、学園長の背後にすうと近付いた人影があった。
重苦しい長衣をまとった、ガーデン教師のひとりである。
「シド学園長。そろそろ学園長室へ。」
シュウとキスティスは振り返りガーデン教師の方を見た。
だが、学園長はまだサイファーを見つめたままである。
「まあ、なんというか、いろいろですねえ。」
語尾を濁し、困惑の表情を眉間に浮かべて、小さく溜息をつく。
サイファーはじろりと学園長を睨みおろし、またあらぬ方を向いた。
学園長の背後で、ガーデン教師が再び抑揚のない声で呟く。
「学園長。時間が。」
「ええ‥‥。」
学園長は逡巡の視線をサイファーに寄越して、ようやく背中を向ける。
同時に、ホールにアナウンスが響き渡った。
「本日のSeeD選抜実地試験に参加した生徒は速やかに2階廊下教室前に集合せよ。繰り返す。本日のSeeD選抜実地試験に参加した生徒は‥‥」

受験生は12名だというのに、2階廊下はゆうに30人近い生徒がいた。
合格者発表に野次馬が集まるのも、これまた毎度の事だ。
サイファーは柱の影に突っ立って、あたりに視線を巡らせた。
そわそわと廊下を行きつ戻りつしているニーダがいた。
緊張感のあまり感じられない甲高い声で友人と雑談しているのは、あの時の伝令女だ。
サイファーが立っている柱から少し離れたやはり柱の影には、飄々としたスコールの後ろ姿が見える。
だが、肝心の姿が見当たらない。
苛々と眉をしかめた時、不意に脇をすりぬけていった一人の学生が、サイファーの姿に気づいてぎょっとしたように肩を強ばらせた。
目端で睨み付けると彼は慌てて逃げるように、曲り角に立つ3、4人の集団に小走りに近付いていく。
その背中を視線で追ったサイファーは、はっとして唇を引き結んだ。
探し求めた姿は、ちょうどその群れの中にいたからだ。
いつもと変わらぬ、小柄な背中。柔らかそうな金色の髪と、細い項。
くっきりと頬を彩るトライバルの横顔を見せて、ゼルは傍らの友人の言葉に何かしきりに頷いている。
そこへサイファーに睨まれた学生が加わって、何ごとかを囁いたらしい。
集団は一斉にこちらに視線を向けた。
だがサイファーと視線が合うとたちまち狼狽して、ひとりふたりと目をそらす。
ただ一人、ゼルだけが違った。
じっとサイファーを見つめ続けている。
サイファーは、どんな顔をして良いか迷った。
すると、サイファーの困惑をまるで察したかのように、ゼルが小さく微笑んだ。
‥‥ような気がした。

「では、合格者の氏名を発表する。」
いつのまに現れたのか、学園長室へと続く廊下の入口にあの勿体ぶった衣装に身を包んだガーデン教師が立っていた。
教師は手にした紙片に視線を落とし、重々しい口調で告げる。
「A班、セルフィ。セルフィ・ティルミット。」
「わ、やったあ〜!」
「おめでとセルフィ!」
甲高い声があちこちであがる。
なるほど、あの伝令女が、セルフィか。
跳ねるような足取りで教師に歩み寄った伝令女の事は一瞥もせず、教師は次の名を呼ぶ。
「D班、ニーダ。ニーダ‥‥」
「はい!俺です!!」
教師の声をかき消さん勢いで返答するニーダ。あちらこちらで拍手が巻き起こる。
「次。‥‥B班、ゼル。ゼル・ディン。」
教師の声音が幾分険を含んでいるように感じたのは、気のせいではないだろう。
校則違反の常習者であるその名を、教師は不愉快な場面でばかり呼び慣れているに違いないからだ。
しかし周囲の学生らの反応はそんな声音とは裏腹だった。
おお、と数人が感嘆と賞賛の声を上げたかと思うと、小さな身体はたちまち周囲の祝意を受けてもみくちゃになった。
「やったなゼル!」
「すげえじゃん!!」
「おお、みんなあんがと!!やったぜ!!じゃあお先にー!」
手荒い祝福の打擲をすりぬけ、ゼルは小走りに教師の背後へと向かう。
サイファーは、思わず、溜息を漏らした。
もし傍に誰かがいたとしたら耳を疑ったに違いない。
それはおおよそサイファーらしくない、安堵の溜息だったからだ。
だが幸いにもサイファーの周囲は相変わらずの無人だったし、その安堵の意味を問いかける人間など誰もいない。
サイファーは顎を引くと、ゆっくり踵を返した。
続いて教師が呼んだのは、当然といえば当然の名前。
「B班、スコール。スコール・レオンハート。」
しかし既に試験結果の行方に興味を失っていたサイファーは、その名を背中で聞いただけだった。
立ち去る背後で、教師の声がフェイドインしていく。
「‥‥今回の合格者は以上、他生徒はすみやかに‥‥」


部屋のドアを誰かが叩いている。
サイファーは薄く瞼を開き、面倒くせえな、と舌打ちをした。
ほんの10分程前に、追って懲罰内容を通達するから自室待機しろ、と告げに来た教師がまた戻ってきたのかと思ったのだ。
何か言い足りない事でもあったのか。
渋々ベッドから身体を起こし、のろのろとドアに近付く。
陽はすっかり落ちて、部屋の中は薄暗かった。
どうせ自室待機というから、すでに部屋着のTシャツ一枚である。
構うものか、とドアを開き、サイファーは硬直した。

ゼルが立っていた。
逆立てた前髪の下から、いつものように蒼い瞳がまっすぐにサイファーを見ている。

「よっ、サイファー。」
にっと笑った頬がどこかはにかんでいた。
サイファーは眉根をよせ、己の狼狽を悟られまいと低い声でぶっきらぼうに言った。
「何の用だ、テメエ。」
「いや、用っつうか、さあ。」
かりかりと後頭部を掻きながら、軽く背伸びをしてサイファーごしに暗い部屋の中を覗くようにする。
「あれ。アンタ、ひとりかよ?同室の生徒は?」
「俺は昔っから一人だ。」
「ふうん。」
小さく鼻を鳴らし、ああそうかアンタだもんな、とぶつぶつ呟いて独り頷いている。
サイファーは疼きはじめる焦燥を抑えながら、ますます声を低めた。
「何の用だ。」
ゼルははたと動きを止めた。
「ん‥‥アンタ、さ、懲罰受けるんだって?」
「‥それがどうした。」
「なんか‥‥ごめん。」
「あ?」
「だって、よ。」
蒼い瞳が、縋る子犬のようにサイファーを見る。
「結果的には、命令違反したのはオレもスコールも同じじゃん。そんなのにオレとスコールは試験に受かって、アンタだけ駄目でしかも懲罰なんてよ。」
「‥‥。」
「なんか、そういうのってイヤじゃん。」

どこまでも透明で、ひたむきなこの蒼い瞳。
小さな衝動が、羽虫のようにサイファーの鼻を掠める。
‥‥なぜ、そんな目で俺を見る?
一体どこまで、無邪気で単純で、馬鹿がつくほど真直ぐなんだ。
言ったはずだぞ。どうなってもしらねえぞ、と。
そもそもテメエに、俺に同情なんかしてる余裕があるのか?

「‥俺をせせら笑いにきたのか?だったら帰れ。」
「え。」
「貴様の言ってるこたあ、最高級のイヤミなんだぜ?気づけ馬鹿。」
「! ち、ちが!そんなつもりじゃ‥‥」

驚愕に強ばった顔が、慌てて横に振られる。
わかってる。
コイツがそんな高等な揶揄の技術など持ちあわせていない事ぐらい。
嫌という程わかっている。けれども。

「なら俺が試験に落ちて、暗く落ち込んでるとでも思ったか?」
「‥‥。」
「生憎、俺ぁ試験に落ちた事なんざ何とも思ってねえんでな。俺に同情するなんざ100万年はええんだよ、チキン野郎。」
「な‥‥!」

滑らかだったゼルの頬が、見る見る内に怒りの紅に染まった。
そうだ。
そうやって腹を立てればいい。そして。

「SeeDなんざ下らねえもんにしがみつく程俺は暇じゃねえんだよ。」
「下らねえ、だと!」
「ああ、下らねえな。あくせく点数稼いで教官にシッポ降って、ありがたくSeeD認定証を頂戴、ってか。」

このまま、素直に帰れ。
帰ってくれ。
これ以上俺に近付くな。
でないと。

「馬鹿馬鹿しい。俺はんな生き方に興味はねえ。テメエみてえなガキには似合いの職業だろうがな。せいぜいイイコぶって点数稼げ。じゃあな。」
「ちょっと待てよ!!ふざけんなっ!!!」

さっさとドアの前を離れようとした腕をはっしと掴まれ、サイファーは戦慄した。

帰れ、と言ってるじゃねえか。
なぜ、それがわからない?

その刹那に感じた衝動の激しさを、どう表現すればよいのだろう。
先程から腹の底でくすぶっていた痛みが喉元まで駆けのぼって上顎をひりひりと灼く。
怒りとも悲壮とも判然しがたい、ただ、衝動と呼ぶことしかできない感情が全身を走り抜け、何かが背中を強く押した。

掴まれた手首を捻るように返し、逆にゼルの腕を捻り上げる。
ぎょっと青ざめたゼルの顔が視界の端をよぎった。
残った腕で襟元を引き掴み、身体ごと翻って、床めがけて押し倒す。
ひと回りも体格が違うゼルの身体は、呆気無いほど簡単に床の上に沈んだ。
背後で、部屋のドアが低く唸りをあげて閉まり、ゼルは我に返ったように猛烈な抵抗を始めた。
だが、所詮無駄というものだ。
滅茶苦茶にサイファーの身体を蹴り上げる両膝を割り、体重をかけて小柄な身体を抑え込む。
「ちょっ、やめっ!!サイファー!!!」
ようやくゼルが叫んだ。
あまりに急なサイファーの襲撃に、叫ぶ余裕すらなかったのだろう。
構わず上着の前を広げて乱暴にシャツをたくしあげる。
しなやかな筋肉の乗った胸板が、激しく上下していた。
「やめろ!やめ、やめてくれ‥サイファー!!」
抵抗する両腕を力づくで頭の上に押さえ付け、白い脇腹に掌を這わせる。
まるで電流に触れたかのように、ゼルの身体が大きく痙攣する。
抑え付けられた両肘に挟まれた頭を激しく振り、身体を捩りながら、ゼルは叫び続けた。
「サイファー!やめろ!!頼む、から!!」
「黙れ。」
喚き続ける唇を、唇で塞いだ。
「んう!!ん、んん!!」
逃げ回る舌を無理矢理絡め取り、噛み付くように吸い上げた。

(テメエが、悪いんだ。)
激流に翻弄されて呑み込まれる寸前の理性が、繰り返し呟いている。
さっさと帰りゃいいのに。
そんな目で、俺を見るから。

脇腹から滑らせた手をベルトに伸ばす。
気配を察したゼルが、唇を塞がれたまま大きく目を見開いて喉だけで悲鳴を上げる。
ファスナーを下ろして掌を突っ込むと、はずみでバックルが床に当たりがちがちと音を立てた。
下着の上から触れた肉塊は柔らかく、少しでも力を加えれば簡単に握りつぶせそうだった。
頭の中で沸々と滾っていた血液が、ごぼりと一際大きな泡を吹く。
布地越しに指を絡め、無理矢理扱き立てた。
「ひ、い! あ!」
唇を振り切ったゼルが、引きつった声で叫んだ。
びくびくと下肢が震え、そのたびに掌の中の肉茎が僅かずつ硬度を持ち始める。
サイファーは再び唇を奪おうと、ゼルを見た。
だが、目が合ったその瞬間。
サイファーは冷水を浴びせられたように凍り付いた。

ゼルは、顔を背けていた。
見開いた蒼い瞳は、もうサイファーを見ていなかった。
怒りも動揺も、あらゆる感情を放り出してしまったように無表情な白い頬。
何も見ていない、ただ殺風景な部屋の壁を映しているだけの瞳。
歯を食いしばった口許だけは唯一小さく震えていたが、それとて感情のためとはいうよりは、単なる生理的痙攣にすぎないように思えた。
サイファーは、大きく動揺した。
今自分が組み伏せているのは、ゼルではない。
ゼルの姿をしているカラダに過ぎない事に気づいたからだ。

悪寒と嫌悪で急速に萎えた。
押さえ付けていた両腕を離し、身体を起こす。
突然解放されたゼルが、のろのろと視線を上げる。
その顔を見ないように立ち上がってドアに向かい、暗誦キーを入れてドアを開けた。

「帰れ。」
背後の空気は動かなかった。
声が掠れて届かなかったのかもしれないと思った。
「帰れ!」
低く叫ぶと、今度はようやく身体を起こす気配がした。
さわさわと衣服を直す音がして、ふわつく足音が背後に迫る。
ゼルは、サイファーを見たのだろうか。
壁に顔を背けたサイファーにはわからない。わかりたくもなかった。
ドアを開けたまま押さえている掌に風の流れを感じ、気配が消えた事を確かめてから手を離した。
低い唸りを上げてドアが閉まる。

「‥‥畜生!!!」
力任せに壁に拳を打ち付け、後頭部を抱え込んだ。

その日、サイファーは。
泣きたくなる程の悔悟という感情を、生まれて初めて知った。

To be continued.
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