6/任務


懲罰室の小さな窓がわざわざ南向きに開けられているのは、今さらながらここが閉塞された空間である事を中の住人に知らしめるためかもしれない。
要するに、嫌がらせなのだろう。

堅いベッドに四肢を投げ出し、頭上の窓枠を見上げながらサイファーは鼻で笑った。
懲罰室は、狭い。
まさに独房といった案配である。
窓に鉄格子こそ嵌まっていないが、作り付けになっている強化ガラスはたとえ換気のためでも開く事はできない。
ただ外の明るい陽光を取り込み、冷たい床を四角く照らすだけだ。
部屋にある家具は、最小限の夜具をしつらえたベッドと、お馴染みの学習パネルデスクだけ。
しかもこの学習用パネルはアクセス制限されており、純粋な学習のためにのみしか開く事ができない。
ガーデンのネットワークに繋ぐ事もできなければ、外部に向かって何らかの通信を行う事もできなかった。
窓と反対側の壁の中央についているドアは、外からロックされている。
一度中に閉じ込められたら、謹慎が解かれてロックが解除される時まで、二度とそのドアが開く事はない。
ドアには、上部と下部に小さな窓がついている。
上は外から室内を窺うための覗き窓、下は食器を出し入れするための扉だ。
そしてもちろんこれらも開かれるのは外からのみ。
他に、室内にはもうひとつ、学習パネルの隣にもまた別のドアがついていたが、ドアと言ったってこの向こうにあるのは頭のつかえそうな狭い洗面所だけだ。

小綺麗で清潔ではあるものの、ようは監獄である。
この懲罰室が使用される機会はそう滅多にない。
ガーデン創設以来片手にあまる程度にしか使われていないのではなかろうか。
しかもそのうち3度はサイファーのために使われているとなれば、サイファーのために作られた部屋だと陰口を叩く者も少なくなかった。
もっともどんな陰口を叩かれようと、サイファー自身はどうという事もない。
懲罰室など、ふて寝を決め込んでやりすごせばいいだけの話だ。
いつまで続くとも知れない退屈にだけは閉口するが、ただそれだけである。
これでSeeD候補生としての評価が下落しようが、教官の印象がますます悪化しようが、SeeDになること自体にまったく興味のないサイファーは痛くも痒くもない。

ふと、窓の外の陽射しが翳った。
なんとなく身体を起こして、窓に寄ってみた。
サイファーの長身だと少し身を屈めなければ覗けない程の小さな窓だが、きちんと外は見おろせるようになっている。
そこはちょうどガーデンの正面、カードリーダー前に面していた。
普段は滅多に人影の見られないそこに、教官が立っている。
サイファーは目を眇めた。
教官の傍らに、見なれた華奢な立ち姿を見つけたからだ。
私服姿のスコールである。
よくよく見れば、側にはあの伝令女の姿もある。
何ごとかと思ったが、僅かに記憶を辿ってすぐ納得がいった。
昨日、懲罰室に来る前、最後の授業でスコールが言っていた初任務というやつに違いない。
明日早々に行く事になるかもしれない、と言っていた。

‥‥昨日。一昨日。

頭の隅に小さく閃いたその事を、咄嗟にねじ伏せる。
今の自分が、最も考えてはいけないこと。
気を取り直してさらに眼下の情景に注目する。
すると視界の片隅から、よりにもよってそれが、またしても無防備にサイファーの目に飛び込んできた。

疾風のごとくのスピードで滑り込んできたTボード。
それはスコールの前で急停止し、降り立った小柄な男の踵で勢い良く蹴り上げられるとその腕に収まった。
抱えたTボードの横からスコールに向かってひょいと片手を上げ、挨拶しているらしい、いつもの‥‥金髪頭。

ところが、傍らの教官はそれを見て何ごとかを怒鳴っている。
当然だ。
ガーデン内でのTボード走行は堅く禁じられている。
これまでも、再三注意してきたというのに。
(ったく、チキン野郎が‥‥)
ゼルは教官に弁解しているようだ。
だが教官は問答無用に、ゼルの腕からTボードを取り上げた。
表情までは見えないはずだが、落胆する蒼い瞳がありありと解る。
サイファーは覚えず片頬で笑いそうになり、はっとして顔を背けた。

むくむくと沸き起こる嫌悪と苛立ちに、大きく舌打ちしてベッドの脚を蹴りつける。
金属製の脚部が振動して鈍い音を立て、狭い部屋に反響した。
鼓膜を震わせるざらざらとした擦過音。
それは。
否応無しに、あの日の波の音を呼び起こす。

『‥‥このままでも、いいかな。』
波音に混じって、呟いたゼルの言葉が蘇る。
『いいよな?このまま、わかんねえままでもさ。』

‥‥ああ、そうだな。
それなら、それでも、いい。
ぬるま湯のような心地良さに惑わされ、そう納得しかかっていた。
傍らに無防備に近付かれることで揺り動かされる衝動も、自制の範疇のような気がした。
第一もし、仮に暴走しそうになったとしても、ゼルは逃げるだろう。
あの時のように。
逃げてくれるだろう。
だったら、あえてこんな心地よい時間を遠ざける必要はないでないか。

だが、甘かった。
今度は、ゼルは逃げなかった。
いや、逃げたといえば逃げたのだろう。
ただサイファーが期待し、願っていた逃げ方ではなかった。
肉体的に抵抗し拒絶するのではなく、心で逃げたのだ。
力の上では、サイファーの腕から逃れる術がないと諦めたのかもしれない。
だからカラダを放棄して、ココロだけがさっさと逃げていった。
後に残った抜け殻のカラダ、そんなものを組み伏せて一体何になる?
自らの傷口を深く抉るような、自虐行為などまっぴらだ。

所詮。
「このままでいる」ことなんて、出来はしなかったのだ。

いくら綺麗ごとを並べたところで、近くにいる限り欲望には抗えない。
けれどゼルが受け入れない事はわかりきっている。
触れたい。触れてはいけない。
そのジレンマの狭間で、必ずまた自分は暴走するだろう。
今回のように、抜け殻の肉体に愕然として、我に返っていられるうちはまだいい。
いずれ、そんな最後の理性さえ制御できなくなる日が来る。
ゼルを傷つけ、壊してまでも、征服せずにはおれなくなる。
そして最後に待ち受けているのは‥‥後味の悪い終焉だけだ。
サイファーは歯ぎしりをして、窓から離れた。

「サイファー。」

突然呼ばれた声に現実に引き戻され、サイファーはドアを振り返った。
いつのまに開いたのか、ドアの上部の覗き窓から、誰かが中を窺っている。
「調子はどう。」
ドアに隔てられてくぐもった声が言う。
サイファーは眉をしかめてドアに近付いた。
細められた青い瞳と、白い額がこっちを見つめている。
「は。最悪に決まってんだろうが。‥‥何しにきた、センセイよ。」
「‥‥伝言にきたのよ。」
キスティス・トゥリープは相変わらずどこか威圧的でそのくせ戸惑うような声で言った。
いつも高飛車なくせに、まっすぐに睨み返すと途端に小動物のような怯えを瞳に滲ませるこの女を、サイファーは鼻から馬鹿にしていた。というより、憐れみさえ持っていた。
教師と言う肩書きがなければ己のプライドを保てない女。
だが、未熟なまま大人になることを強制されてしまった彼女にとって、肩書きは生きていくために不可欠のライフラインだったのだろう。
沸き上がる怯えの色を必死で隠そうとするようにしきりに瞬きながら、華奢な声を無理に低めてキスティスは言った。
「謹慎は3日に決まりました。明後日の夜には出られるわ。」
「ああそうかよ。わざわざ御苦労だな。」
「‥‥伝令も仕事のうちよ。」
言葉の上だけは勝ち気な、か細い声。
「くれぐれも大人しくしていることね。反省しなさいと言ったってあなたには無駄かもしれないけれど。」
「‥‥。」
「自粛することが今のあなたの任務よ。」
「余計なお世話だ。」
この女は、いつも一言多い。
さらなる不愉快を覚えるのも馬鹿馬鹿しいので、サイファーは拒絶を込めて背中を向けた。
だが、窓の方を見遣った時にふと気が変わった。
今、外からの情報を得られる機会は極めて貴重だと気づいたのだ。
振り返ると、まだキスティスはこちらを見ていた。

「おい。」
「え?」
「任務といやあ、奴らは早々に初任務かよ。」
「‥‥ああ、スコールのこと?」
正確には、サイファーの関心はスコールではなくゼルの方なのだが。
「ええ、今朝から。‥‥そこから見えたのね。」
「派遣先はどこだ。」
「ティンバーよ。」
「‥‥なに!?」
さらりと言ってのけたキスティスの言葉に、ぎょっとした。
「ティンバーだと!? 3人で、か!?」
「え‥‥ええ‥‥?」
サイファーの動揺に、キスティスは驚いたらしい。
わずかに、覗き窓からその美しい顔が遠ざかる。

冗談だろう?
サイファーは愕然とした。
視界がみるみる暗転するのを感じる。
ティンバーのレジスタンスからSeeD派遣要請が出ている事は知っていた。
それを学園長に仲介したのは他ならぬサイファーだったからだ。
だが、その派遣に事もあろうにゼル達新米SeeDをあてがうとは。
一体どういうことだ?
暗転した世界のまん中で、ぱちり、と怒りの火種がはぜる。

「‥‥あの狸親父‥‥何を考えてやがんだ!」
思わず、声が昂った。
「あのレジスタンスどもがやろうとしている事が何だかわかってんのか!!!」
真剣に検討するならば、百戦錬磨の手練のSeeDを派遣して然るべき任務のはずだ。
それを。
戦闘経験もゼロに等しい新米SeeDに、それもたった3人で遂行しろとは。
「ヤツらを無駄死にさせるつもりか、あの狸親父が!!!」
「サ、サイファー‥‥?」
キスティスが、さらにドアからたじろいた。
サイファーは肩をいからせ、ずかずかとドアに近付いた。
キスティスの怯えた態度も。
そして怒鳴りつける己の声も。
もはや、憤怒を煽る格好の材料にすぎなかった。
怒りは加速度をつけて全身をかけめぐり、そして暴走していく。
止めることは、できなかった。

「下手すりゃあガルバディア全軍を相手に回しかねねえんだぞ!!それを昨日今日SeeDんなったばかりの新米どもにあてがうっつうのはどういう神経だ!!!」
キスティスとの間を隔てているドアを力の限り蹴りつけた。
嫌な音をたてて、ドアの一部が凹んだ。
身を翻すと、学習パネルに据え付けられた椅子が目に入った。
迷わずその背もたれをひき掴み、力一杯学習パネルめがけて振りおろした。
「サイファー!!」
キスティスが、悲鳴を上げた。
更に、もう一度叩き付ける。
椅子の脚が折れて部屋の隅に飛び、液晶パネルは小さな火花を上げ、画面に無数のヒビを走らせる。
脚が折れたままの椅子をドアに引きずって、それを力一杯ドア目掛けて叩きつけた。
背もたれが砕け、弾け飛んだ木片が窓まで飛ぶ。
だが当然、ドアはびくともしない。
キスティスは何かを叫びながら、転げるようにして廊下を走り去る。
サイファーは盲滅法ドアを蹴り続け、殴り続け、怒鳴り続けた。

「話をつけた俺への当てつけか!?ふざけんじゃねえ!!だったら俺を行かせりゃあいいだろうが、糞ったれの狸親父め!!!」
こんな、滅茶苦茶な、勝手な采配のせいで。
万が一にも。
‥‥そんな事になったら。
「出せ!!こっから出しやがれ!!」
こんな馬鹿げた形で、そんな事になるぐらいなら。
「出せっつってるだろうが!!ティンバーには俺が行ってやる!!!」

複数の人間の足音が、慌ただしくこちらに向かってくるのが聞こえる。
なぜ、とか急げ、とかいう甲高い声が途切れ途切れに足音に混じっている。
やがて、蹴り続けるドアのすぐ向こうでばらばらと足音が乱れ、叫喚が飛び交った。
「何をしている!」
「大人しくしろ!!」
「とにかく開けないと」
「備品が破壊されたようです。」
「キーはどこだ!」
「とにかく一旦開けよう。」
「ドアから下がりなさい!!アルマシー!!」

低いうなりを上げて、ゆっくりと、扉が開いて行く。
その向こうに並んだ厳めしい顔、顔、顔。
サイファーはそれらをぐるりと眺め回して、口端を歪めると。
次の瞬間、つかみ掛かろうとした一人の教師の懐めがけて渾身の拳を叩き込んでいた。

To be continued.
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