7/買い物
一歩外に出ると、粉塵ときな臭い匂いが立ち篭めていた。
よく見知ったいつものティンバーの雰囲気とは、明らかに違う。
列車を降り、改札を抜けようとすると、背後でワッツという名の青年が甲高い声で告げた。
「街には警備の兵士がいっぱいッス!気をつけて下さいッス!」
「わかってるわ、大丈夫よ。」
長い黒髪の彼女はにっこりと微笑んでワッツに手を振ってみせる。
「食料調達したらすぐ戻るから。いきましょ、スコール、ゼル。」
先程リノア、と名乗った彼女は、スコールとゼルの顔を順番に見据えるとすたすたと先に改札を出て行った。
バラムガーデンに所属する者にとってティンバーは最も近い「都会」だ。
週末ともなればティンバーの繁華街では、地元の若者達に混じって余暇を満喫するSeeD及びSeeD候補生の姿は珍しくなかった。
だが数カ月前から、ガーデン関係者のティンバーへの立ち入りは全面禁止されている。
ティンバーの反政府組織の活動が活発化して、治安情勢が甚だ不穏なものになってきているためだ。
ティンバーがガルバディア支配下に置かれて久しいが、ティンバー市民のガルバディアに対する反抗意識は今でも根強く、大小多くのレジスタンスが地下に潜伏していると言われている。
ガルバディアはそれらに対して徹底した制圧を加えてきたが、ここ数カ月その圧政に綻びが生じてきている。それに乗じて、レジスタンスの動きが一層活発化しているのだ。
今回の任務は他でもない、そのレジスタンス一派に加担する事だとは聞かされていた。
初任務、しかも場合によってはガルバディア軍隊を相手に回す可能性もある要務に、ゼルは緊張で身の引き締まる思いだった。
だがいざティンバーに来てみて面喰らった。
クライアントであるそのレジスタンスのリーダーが、自分らとたいして歳の違わぬ女の子だったからだ。
心中呆気に取られたのは、スコールやセルフィも同じ事だったろう。
さらに、リーダーというイメージからはあまりに程遠い彼女の天衣無縫ぶりに接するにあたっては、これは何かの冗談じゃないのかとさえ思った。
今しがたアジトとなっている列車の一室で聞かされたガルバディア大統領拉致計画にしたって、筋書きとしては確かに納得できるものではあったのだが。
どこか児戯じみていて一抹の不安が残ってしまうのは、やはりリーダーであるリノアの存在による処が大きい。
レジスタンスのメンバーが言う所の「お姫さま」は言い得て妙だな、とスコールはぶつぶつと呟いたが、確かに、これから行おうとしている事の重大さと、リノアのあっけらかんとした言動はどうにも噛み合わない。
まるでお姫さまの道楽につきあわされる道化のような気分にさえなってくる。
かてて加えて、食料の買い出しに行くから護衛に一緒についてきて、と言われた日には、さすがにゼルもむっとした。
オレ達はSeeDなんだ。買い出し部隊じゃない。
しかしSeeDはクライアントの要請には絶対であり、任務の内容に意義を唱える権利はない。
スコールがますます眉間の皺を深くしながらも、わかった、としか言えなかったのも致し方ない事だった。
戒厳令のしかれた街路に、人影はまばらだった。
ところどころの角で、銃を掲げたガルバディア兵が監視に立ち人通りに目を光らせている。
私服姿の3人はティンバー市民を装いながらも、警備兵からできるだけ離れた街路を選んで歩いた。
「あっちの通りのはずれに、顔のきくお店があるから。」
リノアは早口に言って、先に立って歩いて行く。
スコールは無言だ。
その胸中で何を思っているのか、表情からはまったく読めない。
3人はしばらく沈黙を保ったまま歩き続けていたが、角をいくつか曲がったところで突然リノアが呟いた。
「あーあ。アイツも来てくれると思ったんだけどな。」
「‥アイツ?」
ゼルが思わず聞き返すと、リノアは振り返って頷いた。
「サイファー。」
ぎくり、と心臓が跳ねる。
スコールもまた、はっとしたようにリノアの顔を見直した。
リノアは小さく首を傾げ、念を押すように言う。
「アイツ、SeeDじゃないんだ?」
「‥‥ああ。」
「そっか。ざーんねん。」
長い髪をかきあげ、言葉そのままに落胆の表情をしたリノアから、ゼルは視線をそらした。
ゼル達3人が、ここに派遣されたのは。
サイファーが学園長に口をきいたからだ、という経緯は先程聞いた。
しかしその時から、サイファーが来ないという事に対してリノアが見せるこの落胆ぶりがなんなのかが気になっていた。
何かをリノアに問いたださねばならないような気がした。
けれど、何を問いただせばいいのかがわからない。
もどかしい思いに唇を噛んでいると、傍らでスコールが低く呟いた。
「リノア。サイファーと知り合いだと言ったな。」
まるでゼルの気持ちを読み取って、代弁したかのような言葉だった。
思わず顔を上げてスコールの顔を見直したが、勿論スコールはゼルを見てはいない。
繊細な女のような眉をひそめたまま、ただリノアを見ている。
リノアは、あっけらかんと「うん、そうよ。」と答えた。
「いつから。」
「えーと、1年くらい前からかな?」
「どういう知り合いだ。」
「え、どういうって。」
言うや否や、リノアの頬に複雑な表情が浮かんだ。
泣き出しそうな、困ったような、笑っているような。
そしてそれらが慌ただしく過ぎ去った後、まるでそういう質問をする事自体馬鹿馬鹿しいと思わないの?とでも言いたげに唇を歪め、リノアはつっけんどんに言い放った。
「プライベートなことは言う必要ないでしょ?」
プライベートなこと。
リノアの台詞に、ゼルは強ばった。
どういう事を指してプライベートと言っているのか、それは改めて問う迄もないだろう。
別に、珍しい事ではない。
ティンバーに余暇を過ごしにきているガーデンの学生は少なくないのだし、ここに恋人がいる学生だって大勢いる。
ましてやあのサイファーの事なのだから、そういう事実があったとしても驚くには値しないだろう。
ガーデンにだって、サイファーを遠目に黄色い声を上げる女生徒は山といるのだ。
‥‥だが。
(そっか‥‥カノジョ、いたのか‥‥。)
恋人と呼びうる特定の相手がいたのだ、という事実が、問答無用にゼルの頭を打ちのめした。
それはつまり取りもなおさず、サイファーはこのリノアを好き、だったという事だ。
いや過去形ではないのかもしれない。
だとしたら‥‥だとしたら、今迄のあのサイファーとの事は。
サイファーと自分との間に起こった出来事は、一体なんだったんだ?
呆然としているゼルと、また黙り込んでしまったスコールに、リノアは自分の言葉が場を気まずくしたのだと自省したらしかった。
気を取り直すように軽く頭を振ると、少しわざとらしいくらいに明るい声で言う。
「ね、それはともかく、どうしてアイツはSeeDじゃないの?」
「‥‥。」
「アイツ、すごく強いのにね。」
ゼルもスコールも黙っていたが、リノアはお構い無しにせわしない調子で続ける。
「アイツ、乱暴だけど優しいところもあるしね。私が困ってるって言ったら、ちゃんと相談に乗ってくれたし。それだけじゃなくて、シドさんに話つけてくれるって言ってくれて。そういうところ、ホントは優しいんだよね、アイツ。」
‥‥アイツ、アイツって。
(なんだよ、それ。)
まるで自分が一番親しいみたいに。
サイファーの事なら何でも知ってるとでも言いたいのか?
訳のわからない反感まで加わって、苛立ちはますます激しくなる。
口を開けば意味不明な事を言ってしまいそうで、ゼルは堅く唇を噛んだ。
端から見たら、どこか具合が悪いのかと問われそうな程蒼い顔をしてるかもしれない。
スコールもリノアも今は前方を見据えたままで、自分の方はまったく見ていない事に心底ほっとした。
リノアはまだ何かを喋り続けているが、もう聞く気にはなれず、ただじっと俯いて爪先ばかり見て歩いた。
やがて、鼻先でぴたりとリノアの背中が止まり、慌てて歩を止め顔を上げると、リノアが前方を指差した。
「ほら、ここのお店よ。」
指の先には、こじんまりとした食料品店のドアがあった。
下ばかり見て歩いている内に、いつの間にか目的地に辿り着いていたのだ。
リノアが店のドアを押す。
ところが、その細い腕がドアを開き切る前に、スコールの一言がリノアの動きを止めさせた。
「つきあってるのか、あんた達。」
リノアは、何かに弾かれたようにスコールを振り返った。
ゼルもまた、思わずスコールの顔を凝視する。
しばしの沈黙が流れ、やがてリノアのあどけないその口許が小さく綻んだ。
「そうだったらどうなの。」
「‥‥。」
「気になるの?」
「‥‥別に。」
スコールは無言で首をふり視線をそらした。
少女のような可憐な唇が小さく震え、細面の頬は明らかな動揺で微かに上気している。
(‥‥?)
ゼルは、訝しんだ。
なんだろう。いつものスコールらしくない。
普段なら、何を言われようと無表情で通すはずの男なのに。
何をこんなに‥‥動揺する事があるんだ?
そういえば、さっきの質問からしておかしかった。
どういう知り合いか、なんて。他人の事になどいっかな興味を示さないのが常なのに、どうしてリノアとサイファーとの事にそこまでこだわるんだろう?
「なーんだ、残念。ちょっとは気にしてくれるのかと思ったのにな。」
リノアはくすくす笑ってスコールの顔を覗き込む。
だがスコールは、ますます眉間の皺を深くして逃げるように顔を背けた。
やはり、動揺している。
「別に、そんなんじゃない‥‥。いいからさっさと店に入った方がいい。怪しまれる。」
「はーい。」
リノアは諦めたのか、悪戯っ子のように小さく肩をすくめてさっさと店内に入って行く。
スコールは、ようやくほっとしたようにいつもの無表情に戻った。
その白い横顔に、はっとある考えが閃いた。
‥‥もしかして。
スコールは、ひょっとすると、この無邪気な黒髪の姫さまの事が。
リノアの事が、好き、なのか?
立ちすくんだままのゼルに気づいて、スコールは不機嫌そうに顎をしゃくって中に入れと示した。
ゼルはぎこちなく頷いて、従うしかない。
しかし頭の中では、その事ばかりがぐるぐる回っている。
そうなのか、スコール。
お前、リノアが好きなのか?
だから、サイファーとリノアの事が気になるのか?
つまりサイファーに‥‥シット。そう嫉妬してるのか?
店内に入り、小太りな店の女主人と挨拶を交わしたリノアは、狭い店内の商品棚の間に消えた。
スコールは入口の横に陣取って、その華奢な腰と片脚に重心をかけ腕組みをしたまま突っ立っている。
その顔にもう動揺は浮かんでいなかったが、青灰色の瞳だけは見え隠れするリノアの横顔にひたと据えられている。
‥‥やっぱり、そうなのか。
もの言いたげなその視線に、ゼルは納得せざるを得なかった。
スコールは、リノアの事が‥‥。
意外と言えば意外だ。けれど。
案外リノアのような無邪気さこそが、スコールの隠れた保護欲を煽るのかもしれない。
スコールは、冷血なように見えて実は結構面倒見がいい。
どこか危うい子供じみた言動にやれやれと肩を竦め溜息をつきながらも、やっぱり俺が守ってやらなきゃな、そんな気になるのかもしれない。
正直、オレにはよく解らないけれど。でも。
(‥‥サイファーも‥‥そうなんだろうか。)
スコールと同じように。
サイファーも、リノアのこの無防備さに惹かれたのだろうか。
手を差し伸べて支えたくなったのだろうか。
ふと、脳裏に、ある情景が鮮やかに浮かび上がる。
無邪気な笑顔で語りかけるリノア。
仏頂面であらぬ方を見据えながらリノアの言葉に耳を傾けているサイファー。
そのサイファーの薄い唇が不意に歪んで、他愛ない皮肉を吐く。
たちまちリノアは唇を尖らせてそっぽを向く。
するとサイファーは苦笑してリノアを小突き、結局優しい言葉をかける‥‥。
ゼルは、この上なく最悪に不味いものを口に入れてしまった、という顔をした。
胸の奥がまたざわざわとさざめき始め、やがて大きくうねり出す。
一旦去っていた困惑が、再び心を鷲掴みにしてこね回そうとする。
震える拳を固く握りしめ、つきまとってくる忌わしいものをふるい落とそうと、ゼルは懸命に頭を振った。
考えたって仕方のないことだし、別にどうでもいいことじゃないか。
サイファーがリノアとどういう関係にあろうと、自分には関係ない。そう、関係ないんだ。
もう、サイファーとの事は、忘れるしかない、忘れようと決めたじゃないか。
‥‥それなのに。
拭っても、払っても、追ってくるこの焦燥感はなんなんだ?
「‥‥で、これとあとこれも入れてね、おばさん。」
気がつくとカウンターでは、リノアが女主人に大量の紙袋をカウンターに並べてもらっていた。
「あとは大丈夫かい?気をつけるんだよリノアちゃん。」
「ええ、ありがとう。」
気づかわしげな女主人の言葉に大きく頷き、リノアはくるりとスコールとゼルに振り向くと、敬礼の真似をして笑顔で言った。
「はい、買い物終了ー!ではSeeD諸君、こちらの物資運搬よろしく頼みまーす!」
スコールは盛大な溜息をつくと、視線でゼルを促しカウンターへ近付いた。
だがゼルは、しばらく動けなかった。
目に見えぬ鎖にその場につなぎ止められたかのように立ち竦んだまま、ただ、ひたすらに。
この無邪気なレジスタンスのリーダーの「命令」を、断固として拒絶したい誘惑と必死で戦っていた。
To be continued.
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