9/笑顔
「あいつ、大丈夫かな‥‥。」
床にぺたりと腰をおろしたリノアが呟いた。
先日買い物に訪れた食料品店の、2階だった。
混乱に乗じてTV局を脱出したものの、レジスタンスのアジトがガルバディア軍に発見されてしまったため、急遽ここに逃れてきたのだ。
ずっと空き部屋になっているのか、家財道具は揃っているものの生活臭のない、こじんまりとした部屋である。
中央に立ったキスティスは、呟いたリノアに遠慮がちな視線を送りながら詫びるように言った。
「まさか‥‥サイファーが本気でティンバーまで来るとは思わなかったのよ。」
「いつだってあいつは本気だ。」
強ばった声で、傍らのスコールが即答する。
キスティスは気押されたように口籠もった。
リノアは泣き出しそうな顔でスコールをみつめ、そして俯いた。
セルフィはベッドに腰をおろし、あらぬ方を見つめたまま彼女らしくない沈黙を保ち続けている。
そしてゼルは。
彼らの会話は耳に挟みながらも、頭を抱えたまま部屋の隅でずっと黙りこくる事しかできなかった。
事態は、最悪だった。
それもすべて、自分の失言のせいで。
よもや、あの場で自分達がガーデンの人間である事を吐露するなんて。
救い難い、SeeDとしてあるまじき失態だ。
それも自分一人がその責任を負えば済むようなレベルの問題ではない。
事によれば、ガーデンの存在そのものが窮地に立たされる。国家レベルの話なのだ。
少し考えれば、子供にだってわかる理屈だというのに。
考えれば考える程、後悔と自己嫌悪で目の前が真っ暗になっていく。
せめてあの時、もう少し冷静になっていれば。
そう。
サイファーを前にして、キスティスの言葉を聞いた途端、ゼルは我を失った。
己の保身を捨て懲罰室を脱走した挙げ句ティンバーまで来て大統領を襲撃するなどという、サイファーの馬鹿げた行為が、すべてリノアのためになされた事なんだと知った瞬間、かっと頭に血が昇り、腸が煮えくり返る程の怒りで訳が解らなくなってしまったのだ。
その一時の激情の結果が、これだった。
目も当てられない。
ゼルは深く溜息をつくとますます身体を畏縮させた。
いくらサイファーの馬鹿さ加減に腹が立ったとはいえ、これでは自分も大馬鹿に変わりないではないか。
そもそも、我を忘れる程の激情に流される理由なんて自分にはないはずなのに。
馬鹿げた理由で腹を立てて、馬鹿げた事をしでかした。
その事実が、二重の自己嫌悪となって容赦なくゼルの肩に重くのしかかる。
「サイファー、どうなるのかしら‥‥。」
不安げにキスティスが呟いた。
一同ははっとしたようにキスティスを見る。
しかしスコールだけは、相変わらず同じ口調で横を向いたままだった。
「さあ。もう魔女に殺されて‥‥死んでいる可能性もあるな。」
どくん。
心臓が跳ねた。
嵐のように、動悸が昂りだす。
サイファーが。
‥死‥‥?
「そんな、あっさり言わないでよ!」
泣き出しそうな声でリノアが反駁した。
スコールはなおも抑揚のない声で返す。
「何も死んだとは言ってない。その可能性もある、と言っただけだ。」
「でも、そんな‥‥そんな簡単に言うなんて!なんかあいつ‥‥かわいそうだよ!」
その語尾が、ゼルの耳に突き刺さった。
可哀想? 可哀想、だって?
じわり、と暗い感情が鎌首をもたげた。
(なんだよ、可哀想って‥‥?)
元はと言えば、リノアにも責任がある事じゃないか。
アイツは他ならぬ、リノアのためにそこまでしたんだ。それなのに。
「可哀想」って、なんだよ?
知りもしないくせに。わかりもしないくせに。
一体何様のつもりだよ、あんた。
ゼルは思わずリノアを睨み付けようとした、が。
「可哀想?きいたらサイファーは怒るぞ。」
(‥‥え?)
オレはまだ、何も言ってないのに。
驚いて声の方を見遣ると、スコールが、まったく温度の失われた凍り付くような笑みで立っている。
吊り上がった口端は明らかな揶揄を含み、青灰色の眼差しは見ているこちらが震え上がりそうな程に冷たい。
その目に見つめられているリノアが、一瞬怯んで身を竦めたのも当然の反応だろう。
だが彼女は果敢にも、震える声でかろうじて言い返した。
「な‥‥何がおかしいのよ!ひどい人ね!」
「あんたに何がわかるんだ。」
スコールはリノアを見据えたまま、淡々としかし容赦なく言葉を叩き付けた。
「それだけの覚悟で、サイファーはここに来たはずだ。簡単に可哀想とか言えるあんたの方がよっぽどひどい。」
さすがに蒼くなってリノアは黙った。
気まずい沈黙が流れる。
スコールの怒りに、部屋の温度までもが一気に下降したようだった。
ゼルは、奇妙な違和感を覚えていた。
己の怒りを代弁してくれたスコールに密かに感謝しながらも、なぜスコールがそこまで代弁し得るのかが不思議だった。
元々現実主義でどこか冷たい印象のある男ではあるけれど、でもそれにしたって。
(スコールは、リノアが好きなんだろう?)
好きな女の子に対してなら。
(もうちょっと優しくするもんじゃないのか‥‥?)
スコールの感情回路がどういう具合になっているのか、皆目わからなかった。
もっとも、世間一般の常識が通用する男ではないというだけなのかもしれないが。
そこまで露骨に冷笑されては、リノアだって立場がないだろう。
ゼルは眉を潜めた。
先程の怒りも忘れて、項垂れているリノアが少しだけ気の毒にさえなった。
やがて、身じろぎすることさえ憚られる重苦しい雰囲気を取り繕うように、初めてセルフィが口を開いた。
「ねえ‥‥はんちょ。それでこの後、どうするん?」
我に返ったように、キスティスが顔を上げた。
「そう、スコール‥‥あてはあるの?」
スコールはふっと眉を潜めて腕を組むと、少しの間をおいてから言った。
「‥ガルバディア・ガーデンに行く。」
「ガルバディアに?」
「‥‥なるほど、英断ね。」
キスティスは頷いた。
「所属ガーデンに帰還不能時等の緊急時、ガーデン関係者は速やかに最寄りガーデンに連絡すべし。」
「そういう事だ。」
スコールも頷き返す。
すると突然、リノアが不安そうに身を乗り出した。
「‥‥ね、そこ、私も連れてってくれるよね?」
一同は一斉にリノアを見た。
リノアは、縋るような黒い瞳でスコールだけを見ている。
「ね、私、まだあなた達のクライアントだよね?」
必死、なのだろう。
リノアの真剣な横顔をぼんやりと見つめながらゼルは思った。
あそこまで冷たくあしらわれてしまったのだから無理もない。
クライアントだよね、というその言葉が、何より彼女の切羽詰まった気持ちを代弁している。
けれども。
私はあなたのクライアントよ。
私を邪険に扱うのは許されないのよ、私に冷たくするのは間違ってるのよ。
だから私に優しくして、私を大事にして。
その訴えは、健気な一方どこか脅迫じみてもいて、うそら寒ささえ感じる。
(可哀想だけど、でもそういうのって、なんだかずるいよなあ。)
相手が逆らえない事実を持ち出して、相手に有無を言わせぬ状況を作ろうとするなんて。
-----まるで。
ふっと、呼吸が止まった。
ある事に、気づいて、愕然とした。
まるで。オレと、同じじゃねえか。
そうだ、なんの事はない。
サイファーの自分に対する気持ちを利用して、自分がやっていたのは、同じ事なのだ。
アンタ、オレが好きなんだろ?
なら、こういう事、嫌じゃねえよな。オレに冷たくはできねえよな?
だけど、そっから先は踏み込んでくるなよ。
オレが好きなら、オレの意志を尊重してくれるよな。
自分が、サイファーに強いてきたのはまさにそういう態度だったではないか。
鋭利な刃物で抉られたような疝痛を胸に感じ、ゼルはますます床の上で体を縮こまらせた。
「とにかく。」
キスティスが一同を見回して毅然とした声で宣言した。
「そうと決まれば一刻も早くガルバディア・ガーデンに向かいましょう。」
スコールが黙って頷いたので、リノアも恐る恐るといった呈で立ち上がる。
キスティス、セルフィ、リノアと女性陣が部屋を出て行き、残ったスコールはゆっくりゼルを振り返った。
「行くぞ。ゼル。」
いまだ部屋の隅に膝を抱えてうずくまったまま、ゼルは動けずにいた。
両肩に重くのしかかった自己嫌悪と、ずきずきとした胸の痛みのせいで、立ち上がる気力もなかった。
できる事ならこのままここで消えてなくなりたかった。
スコールも、キスティスも、セルフィも、オレの存在など忘れてくれればいい。
最初からいなかったのだと諦めてくれたらどんなにいいだろう、そんな馬鹿げた事さえ真剣に思った。
微動だにしないゼルにスコールは眉をひそめてしばし考え込んでいたが、やがて静かに唇を開いた。
「ゼル。俺は‥‥気休めは言わない。わかるよな。」
ゼルはのろのろと顔を上げてようやくスコールを見た。
スコールは言葉を選んでいるのか、一言一言を区切って言う。
「やってしまった事はしょうがない。」
「‥‥。」
そう、だ。
過ぎてしまった事は、今さらどんな言葉で慰められようと変えようのない現実なのだ。
いつまでも後悔に捕われて停滞していても何も変わりはしない。
頭ではわかってる、わかってるけれど。
唇を噛んだゼルを見下ろして、スコールは同じ調子で言った。
「もし、これが。」
「‥‥?」
「これがサイファーなら。」
はっとして、ゼルはスコールの細面を見直した。
スコールはわずかに首を傾け、どう思う?と問いたげにゼルに顎をしゃくる。
サイファーなら。
こんな時、なんていうだろう。
(‥‥ああ、そうだよな。)
ゼルは小さく瞬いた。
「‥‥後悔なんざクソ食らえ‥‥。」
「ああ、そう言うだろうな。」
スコールは頷いて微笑んだ。
先程リノアに見せたのとはまるで違う、穏やかな笑顔だ。
つられて思わず笑みを返すと、少しだけ気が和らいだ。
だがすぐまた再び暗く重い感情が蘇ってきて、緩みかかった心を強ばらせてしまう。
自分がサイファーに対してやってしまったこと。
拭い切れない自己嫌悪。
たとえそれを詫びたいと思っても、詫びる相手はもしかしたら、もう‥‥。
「‥‥スコール‥‥。」
「なんだ。」
スコールは、穏やかにゼルを見ている。
「その‥‥。」
一瞬迷ったが、意を決して早口に言う。
「サイファーは、ホントにもう‥‥死んでると思うか?」
「まさか。」
意外にも即座に切り返し、スコールは呆れたような‥‥彼にしては珍しい表情をした。
「アイツがそんなあっさり死ぬわけないだろう。」
「え‥‥。」
「生きてるに決まってる。」
ゼルは呆気にとられた。
同時に、胸の奥で小さな不審の影が揺れる。
「じゃあなんで‥‥。」
「なんで?」
「なんで、そう言ってやらないんだよ?‥‥リノアが気の毒じゃねえか‥‥。」
「リノア?」
スコールはさらに美しい眉を小さく顰めた。
そしてまじまじとゼルの顔を見据え、今度は困惑した表情になった。
「ああ‥‥リノアか‥‥。」
「ああリノアか、じゃねえよ。」
スコールの反応があまりにも鈍いので、ゼルはつい、己の暗い感情も忘れて小さく苛立った。
「もちっと優しくしてやれよ。リノアだって悪気はないんだろうからさ。」
「‥‥ああ。」
答えはしたものの、どこか煮え切らない声だ。
それどころか、一刻も早くこの話題を切り上げたいとでも言いたげに、さっさとドアに向かって踵を返す。
ゼルは憮然としたままその背中を見送ったが、ふと思い当たり、ああそうかと納得した。
きっとそれは。
スコールなりの照れ方なのだ。
そうだ、もしかしたらリノアへの思いをオレに見抜かれてそれで狼狽してるのかもしれない。
(‥‥なあんだ。‥‥意外に奥手なとこあんじゃん、スコールも。)
解ってしまうと急に自分まで照れくさくなってしまった。
我知らず笑みが溢れ、そしてその事が切っ掛けとなってようやくのしかかっていた自己嫌悪が少しずつ晴れていくような気がした。
スコールの言うように、サイファーが生きているのなら。
生きてまたいつか巡りあう事があるのなら。
今までの事を詫びる事だってできる。
詫びてどうなるものでもないかもしれないけれど、でも。
何もできないよりはずっといいじゃないか。
(いつまでも後悔してたって、始まらねえもんな。)
ゼルは大きく息を吐くと、反動をつけて勢い良く立ち上がった。
そして頭を掻きながら、小走りにスコールの後を追ってドアの外に出る。
何か言わなければならないような気がしたから、小さな声でごめんな、と呟いた。
「その‥‥早く、任務終わるといいな。」
「ああ。」
階下に、リノアらが待っているのが見える。
その横顔にゼルはふと思いついて、華奢なスコールの背中を追い抜きざまに囁いた。
「そしたらスコール。ちゃんと自分の気持ち、伝えろよ?」
背後になったスコールが、息をのんで立ちすくむ気配がした。
でも、振り返ってその顔を窺うのは悪いような気がしたから。
ゼルはひとり微笑して、真直ぐ前を向いたままわざと弾むようにして階段をおりていった。
To be continued.
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