Love In the First Degree(10)
10
どいつもこいつも、くだらねえ。
目の前を行き交うSeeD服や学生服を漫然と眺めながら、サイファーは憮然と眉を寄せた。
夕刻のガーデンは、そこもかしこもそぞろで落ち着かない空気で溢れている。
決まった休日のないSeeDは別として、学生らにとっては待ちかねた週末だ。
大きな荷物を下げて駐車場に向かう学生の集団は、遠く離れた自宅へと帰るのだろう。
無論、サイファーにはまったく縁もゆかりもない話だ。
二日間の短い任務を終えて、先ほどガーデンに戻ったばかりだった。
任務自体はどうということはない、エルドピーク半島のモンスター生息調査だ。
SeeDの任務としては最もポピュラーで、日常茶飯事に巡ってくる仕事である。
任務のつまらなさは今に始まった事ではないが、こうしてガーデンに戻ってみると、より苛立ちが募った。
晴れ晴れとした笑顔で家族が待つ故郷へと戻る、学生達。
誰も待ってなどいないにも関わらず、ここに戻るしかない自分。
そんな対比が、どうにも忌々しかった。
まるで己が惨めな敗北者だと糾弾されているかのようだ。
エレベーター前のベンチに居座っているサイファーの存在を、無意識のうちに敬遠してか、過ぎ行く人々は誰もこちらを見ようとしない。
うっかり目が合いでもしたら厄介だと誰もが思っているのだろう。
ただ、幾人かの女は例外で、サイファーに気付くと曖昧な笑顔を浮かべこちらに向かってこようとする。
しかしサイファーはそのたびに、あえて睨みつけて牽制した。
サイファーの機嫌が悪い事を察知した彼女らは、一様にはっと顔を強張らせ、何事もなかったかのように顔を背けていく。
女といちゃつくような、そんな気分ではない。
もしかしたら、自覚はないものの、実は相当に疲れているのかもしれない。
単調とはいえ、それなりの緊張と疲労を伴う任務だったのは確かだ。
こんなくだらない気分に取り憑かれているのも、肉体の疲弊ゆえなのかもしれない。
──さっさと報告書を出して、部屋に戻って寝ちまう方が利口だな。
浅いため息とともに、腰を浮かしかけたその時、不意に横から呼び止める声がした。
「よう、サイファー。こんなとこにいたのかよ。」
潰れ気味の野卑な声。
頭を巡らすと、自称「風紀委員」の一団が、横柄な足取りでこちらに向かってくる。
サイファーは渋面を作り再び腰を落とした。
「二、三日見かけなかったな。任務だったのか?」
近付いた「風紀委員長」は、媚びるような笑いを浮かべた。
その後ろに続いている金魚の糞のような連中が、露骨な嫌悪の表情で道を開ける学生らを短い罵声で牽制する。
よりによって、こんな気分の時に。
サイファーは内心舌打ちをした。
だが、無視すればするほど食い下がってくるヤツらだ。
苦々しくも、まあな、と一応返事をすると、委員長は腰を屈めてサイファーを覗き込んだ。
「ちょうど良かったぜ。暇だからよ、これからティンバーにでも繰りだそうっつう話なんだ。あんたもどうだ?」
「ティンバー? 今からか。」
「ああ。あんたがいるといないとじゃ収穫が全然違うからよ。」
と、委員長はにい、としまりのない顔で笑う。
なるほど。要するにナンパ目的か。
ティンバーあたりをぶらついていれば、サイファーに声をかけてくる女はいくらでもいる。
そのおこぼれに預かろうという魂胆だろう。
──くだらねえ。
サイファーは視線をそらし、憮然として吐き捨てた。
「‥‥俺は疲れてんだ。部屋ぁ戻って寝る。」
「なんだよ、つきあい悪いな。」
男はあからさまに落胆した調子で肩をすくめた。
無視して今度こそ立ち上がろうとすると、ああそういや、と再び呼び止められた。
「あんた。アレはどうだった。」
「アレ?」
「おいおい、しらばっくれんなよ。食ったんだろ、あのゼルってチビ。」
思わず、サイファーは眉を顰めた。
記憶の片隅に追いやっていたその名に、漠然とした苛立ちが沸き起こる。
「何で貴様がんなこと知ってやがる。」
「何ででもいいじゃねえか。その手の話はちゃんと耳に入るようになってんだよ。で、どうだったよ?」
委員長は興味津々といった体で細長い目をらんらんと光らせている。
サイファーは冷ややかにその顔を一瞥し、周囲を見回した。
風紀委員室ならともかく、往来のあるエントランスホールでよくもそんな事をきけたものだ。
幸か不幸か、この一団の話し声に聞き耳を立てていそうな人間は見当たらないが。
と、不意に、エレベータの近くを横切る、ひとりの男が目に入った。
黒いレザーの上下に身を包み、まっすぐ背筋を伸ばして歩いていく、凛とした横顔。
言わずと知れた、バラムガーデン総司令官、スコールだ。
こんな時間にここを通るのは珍しい。
気付いた周囲の学生やSeeDが、すれちがいながら丁重に頭を下げたり笑顔で声をかけたりしている。
──あいつ、今日はいやがったのか。
最近、スコールはガーデンを留守にしている事が多く、まともに言葉も交していない。
このガーデンで、いやサイファーのこれまでの人生において、唯一「話し相手」と呼べる男だ。
──そうだ、報告書を出さなきゃならねえんだったな。
スコールがいるのなら、好都合だ。
報告書を口実に少しは話ができるだろう。
「おい、サイファー。聞いてんのかよ。」
隣で、焦れたように委員長が眦を吊り上げた。
「どうだった、って聞いてんだぜ。答えろよ。」
「ああ‥‥」
目の端にスコールの後ろ姿を捉えながら、サイファーは上の空に呟いた。
「‥‥まあ、確かに悪かあねえ。そんなとこだな。」
「なに、マジかよ!」
「まさか女よりイイとかじゃねえだろうな?」
口々に騒ぐ男達の好奇心に満ちあふれた視線など、正直もうどうでもよかった。
こんなヤツらと、まともに話すのは馬鹿馬鹿しい。
それよりも今はさっさとこの場を切り抜けて、離れたい。
エレベーターの前に立ち、箱が降りてくるのを待っているらしいスコールの姿に、さらに苛立ちが募る。
サイファーはむくりと立ち上がり、男達を押し退けて前に踏み出した。
「気になんならてめえらで試してみろ。案外ハマるかもしれねえしな。」
捨て台詞に言い残し、まっすぐエレベーターへと向かう。
男達は息を飲み、口を噤んだ。
背後に横たわるその妙な沈黙が少々引っ掛かりはしたものの、別段長く気に留めるほどの事でもなかった。
それよりも、すでに到着しているエレベーターの方がよほど大事だった。
閉まりかけたドアをむんずと掴み、乗るぜ、と低く呻いて滑り込む。
スコールは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに苦笑いを浮かべた。
「なんだ、あんたか。」
「ご挨拶だな、総司令官。」
ドアが閉まり、ぴっちりと閉ざされた小さな空間にサイファーは不思議と安堵した。
パネルのボタンを押しながら、スコールがふと目を細める。
「‥‥あの連中。相変わらずか。」
「見てたのかよ。」
「嫌でも目に入る。」
「は。くだらねえ連中だ。」
「そう思うなら、つきあわなければいい。」
「つきあってるつもりはねえ。勝手に寄ってくるだけだ。」
吐き捨てると、スコールは横目にサイファーをうかがい、密やかに笑った。
「何がおかしい。」
「いや。あんた、女のことを話す時も同じ事を言うなと思って。」
「‥‥ほっとけ。」
苦々しく顔を背けるが、心から不快な訳ではない。
この男のこういう物言いには慣れている。
いちいち癪には触るのだけれども、なぜか不思議と逆らう気にはならない。
幼い頃から幾度も反目しあってきた仲だが、逆にそれだからこそ、気楽でいられるのかもしれなかった。
「‥‥あんたも、相変わらずだな。」
「ああ?」
「あんたが何をしようと俺には関係ないし、口を出したところで無駄なのは解ってるが。」
「なら言わなきゃいい。」
「そうもいかない。腐れ縁だしな。」
頬に落ちた髪をかき上げ、スコールは淡々と言った。
パネルを見つめている横顔にはすでに笑みはなく、普段の無表情に戻っている。
一種近寄り難いほどの神々しささえ感じさせる、完璧な美貌をたたえた男だ。
しかしその美しい顔は感情の起伏に極めて乏しく、滅多に顔色を変える事はない。
決して冷酷という訳ではなくむしろ面倒見は良い方で、そしてそれだからこそバラムガーデン総司令官なんて立場におさまっているのだが、要するに感情を表現するのが不得手なのだ。
そういうところは。
ある意味、サイファーと似通っている。
ふと。花びらのような唇が呟いた。
「あんた。本当は‥‥寂しいんじゃないのか。」
「な‥‥に?」
軽い衝撃と共にエレベーターが到着した。
さっさと先に降りるスコールの背中を、サイファーは唖然と見つめた。
憎らしいほどに落ち着いた眼差しが、肩ごしに振り返る。
「‥‥くだらないって言いながら連中とつきあうのも。女漁りをやめないのも。‥‥自分の居場所が欲しいからじゃないのか。」
「‥‥貴様‥‥。」
「閉まるぞ。」
静かに促すスコールを軽く睨み、サイファーは閉じかかった扉を肘で押し返して箱を出た。
華奢な背中に追い付き、反駁しようと唇を開きかかる。
と、総司令官室へと続く前方の廊下の角から、ひょっこりと人影が現れた。
「よう、スコール!」
人影はこちらを見て取るや否や、歩み寄りながら明るい声を上げた。
その声、その姿にサイファーは思わず怯み、またこいつか、と眉間に皺寄せた。
一方のゼルは、スコールの背後にサイファーの姿を認めて、一瞬頬が強張ったように見えた。
が、しかしすぐ気を取り直したように相好を崩し、スコールに犬歯を見せる。
「ワリい、留守だったから部屋勝手に入ったぜ。明日の野外演習の参加者名簿、デスクに置いといたからよ。よろしくな。」
「ああ。ご苦労だったな。」
淡々とスコールは応え、頷いた。
蒼い瞳が頷き返し、そしてふとサイファーを見上げる。
「サ‥イファー。えっと。任務だったのか?」
「‥‥そうだ。」
「そっか。おかえり。」
ぎこちないながらも、確かな笑顔で。ゼルはそう言った。
後頭部を軽く殴られたような衝撃を覚え、まじまじと小柄なトサカ頭を見おろす。
しかし、ゼルはそのまますれ違うと、いつものように落ち着きのない足取りでそそくさとその場を去っていった。
棒立ちになったままのサイファーに、スコールが柳眉を寄せる。
「どうかしたのか。」
「いや‥‥なんでもねえ。」
低く呻いて、強く頭を振る。
けれども、何度頭を振っても。
──おかえり。
その言葉が。
まるで強固な接着剤で固定されたかのように、いつまでもいつまでも、耳の奥に貼り付いて離れなかった。
To be continued.
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