Love In the First Degree(11)


11

あえてどちらかと問われれば、楽天的な方だ。
ことが起こった刹那には、この世の終わりかと思えるほどに悩み苦しむのだけれど、時間が経つにつれて開き直れてしまう。
つまりは、立ち直りが早いのだと思う。
最悪だと思える状況でも、気の持ちようでどうにかなったし、実際そうして生きてきた。
今回だって、同じだ。
これはこれとして、このまま長いモノに巻かれてみるしかない、と思ったのだ。

サイファーの顔を見れば、気まずくないと言えば嘘だった。
あんな風に言われては、もちろん胸が痛かったし辛かった。
けれど、心のどこかに不思議な安堵感もあった。

ゼルが想像していた最悪の事態は、あの行為の結果、サイファーに己の存在そのものを否定され嫌悪されることだった。
サイファーに忌み嫌われたら、絶望するしかない。
だが、少なくともサイファーに拒絶はされていないと解った。
どんな形にせよ、そこに感情がないにせよ、存在はしていても構わないと認められた。
愚かなことかもしれないが、それがゼルには素直に嬉しかったのだ。

こんな形になってもまだサイファーを好きだなんて、端から見れば馬鹿げているかもしれない。
けれども、たとえ感情はないと否定されても、なおあの男の声を聞き、姿を見ていたいという欲望には勝てない。
自分がこんなにも一途だったなんて。
情けないような、誇らしいような、奇妙な気分だった。
あの苦痛のさなかに感じたサイファーの温度、息遣い。
それらをどうしても忘れることができない。
サイファーにとってはただの好奇心、単なる欲求のはけ口だったとしても。
あの力強い腕に直に抱き締められた時の鮮烈な感触を思うと、嘘でもまやかしでも別にいいやと思ってしまう。

姿を見られて、言葉を交せて。
そして触れられるのなら、それでいい。

野外演習で埃を吸った髪をかき上げ、ゼルは大きく息を吐き出した。
解散の号令がかかり、演習で疲れきった学生らが挨拶もそこそこに散っていくのを見届けて、ゆっくり駐車場を後にする。
体は疲弊してだるかったが、肉体的な疲労はむしろ心地良かった。
食堂もそろそろ人が引けてくる時間だ。
いい具合に空腹も覚えているし、とりあえず腹を満たしてから部屋に戻ろうか。
そんな事を考え考え、エレベーターのあるエントランスホールに出て、はたと足を止めた。

前方から向かってくるある人物に、目を奪われた。
白いコートを纏った、長身の男。
──サイファー。
気付いたそばから、胸が締め付けられる。
サイファーは明らかに何かに苛立っているようで、足取りも荒々しく、食堂からSeeD寮へと続く通路を辿ってくる。
ゼルは顎を引き、再び歩き出した。
自然と正面から歩み寄る形になって、どきどきと胸が高鳴った。
不機嫌そうに寄せられた眉、高い鼻梁、薄い唇、目映いばかりの黄金色の髪。
相変わらず、この男は──うっとりするほど美しい。

どの辺の位置で、ゼルに気付いたものか。
歩調を緩めることもなくまっすぐに近付いてきたサイファーは、はっきりと表情が見て取れる位置にくると、よう、と小馬鹿にした声を洩らした。
「またテメエか。チキン野郎。」
「お、おう‥‥って、オレはチキンじゃねえっつってるだろ!」
「ダリいツラしてやがんな。演習帰りか。」
思わず鼻先に皺寄せたゼルを尻目に、サイファーは不敵に笑い、仁王立ちに腕を組んだ。
不躾な視線がじろじろとゼルの全身を舐め回し、翠色の双眸がふと細くなる。
「‥‥ふうん。」
「な、なんだよ。」
その瞳で、そんな風に、見つめられたら。
体の裏側まで見透かされるようで、恥ずかしい。
仄かに火照った頬を見られまいと俯きかけると、サイファーはぼそりと言った。
「丁度いい。テメエ、部屋に来い。」
「‥‥へ?」
「俺の部屋だ。来い。」

驚いて見直したが、サイファーはすでに背を向けていた。
まるで、後からゼルがついてくるのは当たり前だとでも言いたげな、傲慢な背中だ。
なぜとかどうしてとか、そんな疑問は投げかけても無駄だろう。
どのみち、オレに拒否権なんてない。
この男に惚れてしまった以上、声を聞き傍にいたいと願う以上は。
──黙って従うしか、ない。
ゼルは慌てて、時折小走りになりつつ白い背中を追いかけた。
途中、胃袋が空腹を訴えて小さく鳴き、サイファーに聞かれやしなかったかと赤くなった。
しかし、部屋に辿り着くまでサイファーはただの一度もゼルを振り返らなかった。

まだ夜も浅いというのに、寮の中は深夜のように静まり返っている。
ぎこちない足取りでサイファーの後を歩いていくゼルの姿を認める者は誰もいなかった。
部屋の前まで来ると、ようやくサイファーは振り返った。
ドアが開くや否や、乱暴な腕に肩を掴まれ、部屋の中へと突き飛ばされる。
不意をつかれて足がもつれ、転びそうになったが、すかさず大きな掌に後頭部を捉えられ、そのままぐいと上向かされた。
気がつけば、ゼルの顔を覗き込む翠色の双眸がすぐ目の前にあった。
不機嫌そうに顰められた眉のせいで、眉間の傷跡はより深い陰を刻んでいる。

「‥‥ホコリくせえな。」
ぼそり、と低い声が呻いた。
ゼルははっとして、慌てて身を剥がそうとした。
だが、がっちりと髪を掴まれているのでままならない。
「しょ、しょうがねえだろ、戻ったばっかでまだシャワーも‥‥‥」
「まあ、別に構わねえ。さっさと下脱げ。」
「え?」
さらりと言われた言葉に、ぎょっとした。
サイファーはますます苛立ったように口端を歪める。
「服。脱げっつってんだよ。こっちはヤるはずだった女にシカトこかれて苛ついてんだ。さっさとしろ。」

ああ──。
そういう、こと、か。
頭の中が、真っ白になった。
「丁度いい」と言ったサイファーの最初の言葉の意味がようやく解って、愕然とした。
もてあました欲情を、処理するのに「丁度いい」。
ただ、それだけの。

「おら。ぼけっとしてんじゃねえよ。」
言葉を失っているゼルに、サイファーは露骨に声を尖らせた。
猛々しい腕に肩を小突き飛ばされ、よろめいたところを、そのまま床に押し倒しされた。
俯せに組み伏せられ、圧迫された胸が苦しく、ぶつけた肩もきりきりと痛む。
どう、反応していいのかが解らない。
怒るべきなのか、泣くべきなのか。
それとも──。

蒼くなっているゼルをよそに、サイファーはさっさとベルトに手をかけ、ゼルの下腹を剥き出しにした。
ひやり、と触れる指先に背中が竦み上がる。
両掌で無造作に尻朶を押し広げられて、羞恥と言うより恐怖の感情が心臓を絞め上げた。
あの激痛の記憶が蘇って、我知らず全身が震え出す。
サイファーは、強張ったまま固く門を閉ざしたそこを二三度試すように撫で、呆れたように呟いた。
「んな力んでどうすんだ。痛えだけだろが。」
「‥‥っ‥‥」
「ったく。面倒くせえ。」
舌打ちと共に、片方の掌が不意に前へと回され、ゆるりと陰茎を包み込む。
ゼルはぎょっとした。
そのまま握り潰されるんじゃないか、と咄嗟におののいたのだ。
しかし予想に反して、掌はゆっくりとそこを扱き始めた。
「‥‥え‥‥?‥‥あ。」
じわりと、体の力が抜ける。
痛みではない確実な快感が、全身の強張りを舐めるように溶かし、ほぐしていく。
自然と昂り出す己自身に戸惑っていると、耳元で低い声が囁いた。
「次からはテメエでやれよ。いちいち野郎のイチモツなんか扱きたくねえからな。」
「‥‥!」
かっと頭に血が上って、背後を顧みようとしたその時。
耳障りな、電子音がびりびりと空気を震わせた。

電話、だ。
気付いた時には、サイファーはすでにゼルから身を起こしていた。
恐らくコートのポケットに入っていたのであろう、携帯電話を手に、形のいい眉が顰められる。
送話口に向かってああ、とか解った、とか言葉少なに応対するサイファーの横顔を、ゼルはぼんやりと眺めた。
体の芯に、もやもやとした熱がくすぶっている。
触れられた局部が、切ない疼きを訴えている。
強引で傲慢な、暴力紛いのこんな形でも。
この男に触れてもらえるのなら、それだけでオレは──。

サイファーは乱暴に携帯を閉じると、冷ややかにゼルを見下ろした。
「テメエ、帰っていいぜ。」
「え?」
「女が来んだよ。察しろ。」
まるで、路傍の石を蹴飛ばすような、突き放した口調だった。
ゼルは訳が解らず、何度も瞬いた。
「な‥‥だ、だってシカトされたって‥‥」
「別の女に決まってんだろ。」
サイファーは、放り出してあった服を掴んで面倒くさげにゼルへと放ると、自分はどっかとベッドに腰を下ろした。
横柄に長い脚を組んで苛々と爪先を揺らしながら、酷薄な唇が苦々しげに歪む。
「もたもたしてんじゃねえ。さっさと服着て出てけ。」

その瞬間。
ゼルは、初めて怒りらしい怒りを覚えた。
今すぐこの男に飛びかかって、返り討ちに合っても構わないからその端正な横顔を思いっきり殴りつけてやりたいと思った。
だが、しかし。

「なんだあ? その面は。言ったはずだぜ。感情は抜きだ、ってな。」
「‥‥っ‥‥」

何も、言い返せない。
一度吹き上がりかけた憤怒はたちまち萎え、尻すぼみに小さくなって曖昧に霞んでいく。
「‥‥解ってる‥‥よ。」
震える声を絞り出し、どうにか立ち上がった。
ファスナーを上げ、上着の裾を直しながら、ふらつく体を必死で支える。
「じゃ‥‥その。‥‥また、な。」
か細く訴えると、サイファーは弾かれたようにこちらを見た。
驚愕とも怒りとも、あるいは狼狽ともつかぬ、奇妙な表情だった。
あまりに意外なその顔色に、ゼルは一瞬立場も忘れて見蕩れた。
が、彫りの深い顔はすぐに元の不機嫌な陰影を取り戻すと、舌打ち混じりにドアに向かって顎をしゃくり、あとはこちらを見ようともしなかった。

無言のまま、部屋を出て、廊下を辿る。
先ほどまであんなに静まり返っていたはずの廊下なのに、今はどこからともなく人のさざめきが漂ってくる。
それは、穏やかで。あまりにも穏やかすぎて。
ゼルは、遮二無二声を張り上げて泣き喚きたくなるのを、懸命に堪え続けた。

To be continued.
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