Love In the First Degree(13)


13

怒りに燃えたあの蒼い瞳。

己の仕打ちがどんなに残酷なことかは、サイファーとて解っていた。
しかし、そうせずにはいられなかった。
抱いたからといって、特別な感情があるわけではない。
ただ都合のいい性欲処理の相手ができた、それだけのこと。
その事をあえて自ら、行動として示さなければならないような衝動に駆られた。
そうしなければ、己のアイデンティティが悉く打ち砕かれてしまうような気がしたのだ。
──それなのに。それでも、なお。

じゃあまたな、なんて。
なぜ、そんな事が言えるのだろう。
あれだけの仕打ちを受けてもなお、次があることを当たり前のように受け入れる、あの素直さはなんなのだ。
ひたむきにまっすぐにこちらを見つめてくる眩しいほどの蒼い瞳。
その深い色はサイファーにとってまったく理解不能であり、そして解らないがゆえに不気味ですらあった。

考えてみれば、あれはガキの頃からそうだった。
小突いても、泣かせても、後ばかりついてきた。
忌々しくて鬱陶しかったあのチビがゼル当人であったことなど、ほんの数カ月前までは忘れていたし、思い出してからもあえて何の感慨も持たなかったはずなのだが、最近になってその過去までもがやたらと脳裏をよぎる。
結局あの頃から、ゼルは変わっていない。
肉体は成長しても、その内面は、素直で純粋で、ひたむきなままなのだ。

──ウザってえ。
ゼル自身が、と言うよりも。
悶々と思考に囚われる己自身が、苛立たしい。
周囲の人間などゴミにも等しいと喝破してきた自分が、よりにもよってあのチキンを、確固たる個人として認識しつつあることが無性に腹立たしかった。
ただのからかい相手にしか過ぎなかったはずのチキン野郎を、なぜ、今さら。
今まで無視し、退けていたはずのモノに、なぜこうも翻弄されねばならないのか。

夕食後の、まだ夜も浅い時間。
エレベーターを下り、荒々しい足取りで自室へと続く通路を辿ろうとしたサイファーは、ふと足を止めた。
自室とは逆方向の背後の通路から、かすかに人の声がする。
聞き覚えのある声だ。
無意識に振り返ると、角から一人の男が姿を見せた。
SeeD服を身に纏った、確か‥‥名前は忘れたが、ガーデン操舵係の男だ。
じゃあまたな、と見えない角の向こうに声を送りながら、手を振っている。
「朝七時、遅れるなよ、ゼル。」
「わかってるって!」

男が口にした名と、角の奥から返ってきたその声に、サイファーは顔をしかめた。
SeeD服は口許に笑顔の余韻を残したままこちらを向き、サイファーを認めてたちまちぎょっと頬を引きつらせた。
別に威嚇するつもりはなかった。
だが、突然サイファーと鉢合わせた人間はたいてい同じ反応をする。
サイファーは無言で視線をそらし、コートの裾を翻した。
慌てたような足音が背後を通り過ぎ、エレベーターの扉が開いて閉まる音がした。
無人になった背後を再び振り返り、人の気配のない廊下に立ち尽くしたまま、奇妙に胸の奥が疼く。
そして、自分でも理解できないままに。
気がつけば足を踏み出しその角を曲がっていた。

長く連なるSeeD用の個室、その中程のドアのひとつが、ちょうど閉まったところだった。
自動ロックを示すランプが青から赤へと切り変わるそのドアに、一直線に近付く。
──何をやってるんだ俺は。
自分自身に呆れながらも、己の行動を制御するすべがなかった。
まるで何かに操られる傀儡のように、脚が、腕が勝手に動いた。
ドアを叩くと、間髪を入れずに返答があった。
アイボリーの塗装を施した無機質なドアが横に滑り、金色のトサカ頭が姿を現す。
「なんだよニーダ、まだなんか‥‥」
少し咎めるような声で顔を上げたゼルは、言葉半ばにぽかんと口を開けた。
吹き出したくなるほどの、間抜け面だった。
「あ、あれ? あんた、なんで?」
サイファーの腕越しに廊下を伺い、あたりを見回し、そして再びサイファーを見上げて茫然とする。
無警戒で、無防備な、子供のような顔。
サイファーは黙って一歩踏み出した。
ゼルはよろめきながら後退り、まだ驚いた表情のままでいる。

「この間はワルかったな。」

ドアが閉まるのを待ってから、低く呟く。
ゼルは眉をひそめ、小さく首を傾げたが、すぐにああと頷いた。
「い、いや別にいいって。気にしてねえよ、ダイジョブだから。」
しどろもどろに言ってがしがしと後頭部を掻く。
まるで自分の方が訪問者であるかのように、落ち着かない仕種だった。
ここはゼル自身の部屋だというのに。
サイファーは視線だけで部屋を見回した。
SeeDの個室は作りがどこも同じだし家具も作りつけだから、自室とさしたる違いはない。
デスクの位置もベッドの位置も同じだ。
デスクの上には、ノートパソコンと何かの資料らしい本が数冊無造作に置かれていた。
床だのベッドだのには、数冊の雑誌がやや乱雑に放り出してある。
生真面目ではあるけれど几帳面ではない、そんな住人の性格がうかがえる部屋だった。

「テメエ、よ。」
「う?」
「んなに、俺が好きか。」

仁王立ちに腕を組み、ゆっくりと言う。
ゼルは動きを止め、はたとサイファーを見返した。
額から左頬へと走る漆黒のトライバルが、黄金色の髪に凛と映える。

「ああ。好きだ。」
「馬鹿じゃねえのか、テメエ。」
「いいよそんでも。」
真面目に答え、ゼルは僅かに犬歯を見せた。
「馬鹿でも、いいんだ。」

まっすぐに、ひたむきに見据えてくる、曇りのない蒼い双眸。
途端に、サイファーは激昂に見舞われた。
かっと頭に血が昇り、訳も解らぬ衝動に四肢がわなないた。
有無を言わせずゼルの腕を掴んで、捻り上げる。
ゼルは驚愕して腕を振りほどくと、俊敏な動作で後方に飛び退いた。
さらに飛びかかり、全体重に任せて床の上に組み伏せる。
したたかに背中を打ちつけたのだろう、ゼルは呻いて一瞬動きを止めた。
その隙に腹の上に跨がって動きを封じ、顎を掴んで無理矢理上向かせる。

「んなに好きなら、何でもするか?」
「‥‥っ‥‥」
苦痛にしかめられた眉の下から、蒼い瞳が小さく睨んだ。
サイファーは口元を歪め、片手で自らのベルトを外し、ファスナーをおろした。
抑えつけた顎の下で、酸素を求める喉が不規則に喘ぎ上下する。

「しゃぶれよ。」
「‥‥‥!」
「しゃぶってみせろ。できんだろ。俺に惚れてんならよ。」

腹の上を跨いだまま膝立ちになり、顎を解放する代わりに、前髪を鷲掴みにしてぐいと引き起こした。
蒼い双眸をあえて見ないようにして、金色の頭を力いっぱい押し下げる。
「おら。やれよ。」
掌の陰で、滑らかな頬が哀れな程に青ざめているのが見えた。
怒りからか、困惑からか、ふるふると小刻みに震える振動が伝わってくる。
一回りも体格が違うとはいえ、女子供ではない。
ましてや、ガーデンで一二を争う実力を誇る格闘家だ。
本気で反撃されたら、まともに応酬しても太刀打ちできないかもしれない。
無論サイファーにはその覚悟があったし、むしろ、逆上したゼルに殴り倒されるのが筋だ、とさえ思っていた。
ゼルは、怒るべきなのだ。
サイファーの価値観からすればそれが正しい反応であり、これまでのゼルとの応酬から鑑みても絶対にそうでなければならない。
素直に黙って従う、など。あってはならない事なのだ。
だが、次にゼルが取った行動はサイファーを震撼させた。

緩慢に持ち上がった両手が、ベルトを掴んでゆっくりと引き降ろす。
露出した股間に、震える吐息が吹きかかったかと思うと、熱いぬめりがそろそろと先端から覆い被さってきた。
たちまち、不可抗力的な快感が下半身に弾けて広がった。
突然柔らかな真綿の中に放り込まれたような、甘い衝撃が体中を駆け巡る。
ゼルはすべてを唇に含むと、覚束ない指先で根元を支え、ぎこちなく動き始めた。
熱くぬめる粘膜が裏筋を擦り、犬歯の切っ先が時折雁首を掠める。
規則的に前後はするものの、強張った舌は竿を辿るのに精一杯で、吸い上げたり絡めたりする余裕まではないのだろう。
溢れた唾液が、唇の端に光る筋を作って流れ出し、やがてぽたりと糸を引いて落ちていく。

稚拙な、児戯にも等しいフェラチオだった。
普段味わう、女達の技巧には及ぶべくもない。
にも関わらず、サイファーはえも言われぬ興奮に襲われた。
頑なに瞼を伏せ眉を寄せたゼルの表情に、時折苦しげに歪むその頬に、ぞくぞくと鳥肌が立ち、まるで初めてそれを味わった時のような鮮明な快感が背筋を走り抜ける。
昂りはダイレクトに海綿体に伝わり、容赦なく前立腺を刺激した。
一段と硬度を増したそこに、ゼルは戸惑ったように一瞬律動を緩める。

「‥‥どけ!」
咄嗟に、ゼルの肩を突き飛ばして離れようとした。
しかし、駆け上がる速度にはかなわず、間に合わなかった。
暴発した精が熱い喉の奥へと放たれ、脈動と共に奔出をくり返す。
サイファーは奥歯を噛み締め、声を殺した。
放出の快感の波に揉まれ、脱力し、どっと懈怠感が押し寄せる。

身を剥がすと、突然ゼルがむせた。
無理矢理流し込まれて飲み下すしかなかった粘液を、うっかり気道にでも入れてしまったものか。
その場に両腕を付いて屈み込み、激しく肩を上下させながら、延々と咳き込み続けた。
サイファーはじりじりと離れ、ふらつきながら立ち上がった。
急速に醒めゆき、冴え渡る意識と裏腹に、果ての無い虚無感を覚えた。
──俺は。
何を、やってるんだ。
苦いものが口の中に広がり、焼け付くような苛立ちがこみあげる。
自暴自棄な腹立たしさが膨れ上がって、皮肉に声が歪むのをこらえる事ができない。

「俺が嫌いになったろ。」

鈍い動作でバックルを填め、サイファーは顎をしゃくった。
ゼルはぜいぜいと喘ぎながら、拳で口許を拭い顔を上げた。
頬が真っ赤に上気して、蒼い瞳が涙に潤んでいる。
「もう顔も見たくねえ。そうだろ?」
──そうだ。
嫌えばいい、憎めばいい。
それこそが、テメエの正しい反応のはずだ。
こんな目にあってもなお許そうなんて、そんな馬鹿げたことはあってはならないのだ。

だが、しかし。
ゼルはもう一度大きく喘ぐと、静かに首を振った。
「‥‥なれねえよ。」
「なに?」
「あんたを嫌いになんかなれねえ。」
毅然とした口調でそう言って、ゼルは傍らのデスクに縋りながら立ち上がった。
崩れた前髪の隙間から、蒼い瞳が──あの曇りのない双眸が、再びまっすぐにサイファーを見据えて止まる。
「オレは、あんたが好きだ。好きで好きで、どうしようもねえ。」
「‥‥。」
「感情は抜きでも、かまわねえ。こうやってそばであんたの声が聞けんなら、形なんかどうだっていい。」
迸る感情を必死でこらえるかのように、ふっくりとした唇がわなないて、あどけない鼻筋に皺が寄る。
「そう思っちゃ、いけねえのか? このままあんたを好きでいたら、駄目なのかよ?」

雷に打たれたような衝撃が脳天から爪先まで走り抜け、サイファーは愕然とした。
忘我して立ち尽くすまっさらの胸中に、突如、ある衝動がむくりと頭をもたげる。
サイファーはたじろいた。
それは今まで抱いた事のない衝動であり、有り得ない感情だった。

こいつを、抱き締めたい。
力任せに押し倒し暴力で蹂躙するのではなく。
慈しみ、愛おしんで、優しく抱き寄せたい。

ぞっとして、サイファーはぶるりと肩を震わせた。
思わず、傍らのベッドにあった雑誌を引っ掴み、渾身の力で床に叩きつける。
「んなこた、俺が知るか! テメエが俺をどう思おうと俺は‥‥!」
俺は。
一体、何が、どうなってるんだ。
ありとあらゆる思考が混然と入り乱れ、何が言いたいのか自分でも解らない。
とにかく、ここには居られない。居てはならない、居たくない。
ぎりぎりと奥歯を噛んで勢いよく踵を返し、ドアに向かう。
「サイファー。」
背中から、びっくりしたような声が、当たり前のように呼び止めた。
サイファーはドアの前で立ち止まり、ドア横の壁を力一杯殴りつけると声の限りに吐き捨てた。

「冗談じゃねえ! ウゼえんだよ!! んな御託を並べんだったら、二度と俺の前にツラ晒すんじゃねえ!!」

開いたドアから廊下に飛び出し、置き土産とばかりにドアを蹴飛ばしてから、憤然と部屋を離れた。
廊下には、相変わらず人影はなかった。
激昂するサイファーを嘲笑うかのように、あたりはひどく深閑としている。
まるで、世界中のありとあらゆるものに誹られ、責められ、欺かれているような気がする。
サイファーは固く拳を握りしめると、一人、呪詛めいた呻きを洩らし続けた。

To be continued.
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