Love In the First Degree(16)
16
「なんだ、またあんたか。」
スコールは、開口一番呆れたように呟いたが、その顔は微かに笑っている。
多分、ノックの仕方ですでに解っていたのだろう。
「俺でワリいか。」
美貌の総司令官の顔を軽く睨みつけ、サイファーは後ろ手にドアを閉めてずかずかと部屋に踏み込んだ。
スコールは、いいや、と首を振りなおも笑っている。
「よっぽど暇なんだな。」
「ご多忙な総司令官殿から見りゃ、誰だって暇人だろうよ。」
「いくら暇でも、こうしょっちゅう俺のところに来るのはあんたぐらいだぞ。」
「そりゃあ悪かったな。」
あらぬ方を眺めて憮然と答えながら、デスク前に備え付けのソファにどっかと腰を据える。
スコールは、デスクの向こうから興味深げな視線を投げて寄越した。
「いいさ。あんたの話し相手をするのは、面倒だけれど嫌いじゃない。」
「面倒だけ余計だ。」
「すまない、口が滑った。」
──よく言うぜ。
どうせわざとに決まってるくせによ。
胸中で毒づくものの、スコールの言葉は事実だから、それ以上反論はしなかった。
堪え難い苛立ちが、サイファーを苛んでいた。
任務や演習などで強制的に拘束されれば気も紛れたろうに、あいにくここ数日は恨めしい程に暇だった。
暇を潰す手段がない訳ではないし、これまでも空虚な時間はそれらで解消してきた。
だがどういうわけか、今回はそれらで暇を潰そうという気にはどうしてもなれなかった。
適当な女を抱いたとしても、くだらない連中とだべったとしても、それらはただ虚無感を募らせるばかりのような気がしたのだ。
かといって、孤独の檻の中でじっとしているのは、堂々回りの自問ばかりが沸き起こってやりきれない。
そうなると、残る手段はここに来る事しかなかった。
他に友人らしい友人のいないサイファーに、他に行くあてはないのだから仕方がない。
暇なんだなと言われれば確かにその通りだし。
寂しいんじゃないのかと揶揄されても、あながち間違いではないかもしれないと殊勝に思ってさえいた。
「まあ、どのみち俺は話し相手にしかなれないしな。」
突然スコールが呟いたので、サイファーは我に返った。
「あ?」
「いや。深い意味はないさ。」
美しい顔は、本当に何も他意はないような無表情だ。
だが、スコールのポーカーフェイスには慣れているから、恐らくその後に何か言葉が続くのだろうとサイファーは察した。
案の定、一瞬の間をおいて、形の良い唇が小さく動く。
「ちょっと小耳に挟んだんだが。」
「なんだ。」
「あんた、ゼルと揉めてるのか。」
スコールが口にしたその名を聞くや否や、喉元に嫌なものがこみあげた。
忌々しげに眉を寄せたサイファーの顔を、スコールはまじまじと見つめる。
「どうした。」
「何でもねえ。」
即座に切り返しはしたものの、痛い程の焦燥がたちまち身の内を駆け巡る。
そう──あの小柄なチキン野郎だ。
こんな理不尽な苛立ちの原因は、間違いなくあれにある。
だがサイファーは、あえてその事を考えないようにしていた。
というより、認識することを全神経が拒否していた。
なぜ、俺はあれの部屋に行ったのか。
なぜ、あんな馬鹿げた衝動にかられたのか。
冷静に客観的に捉えれば、答えは案外容易く導きだされるのかもしれない。
しかしそうした安易な答えは、とてつもなく危険な気がした。
一度それが答えだと認めてしまったら、すべてがその固定観念の狭い枠の中に押し込められてしまうからだ。
己の訳の解らない言動のすべてが、安っぽい理由で説明がつくわけがない。
いやそもそも、その答えを求めようとすること自体、腹立たしいとも言える。
だから、この前のこともあいつのことも、無視するに限ると言い聞かせていたのだ。
それを、よもやスコールに、こんな形でつきつけられるとは。
不意打ちを食らったことで、せっかく蓋をして抑えつけていたものが一息に噴出する。
我知らず苦々しい舌打ちが漏れ、意味もなくソファーの角を蹴り飛ばした。
そんなサイファーの様子をしばし見守ってから、スコールは淡々と口を開いた。
「新年会の時のこと。あれは、冗談なんかじゃない。ゼルの気持ちは俺も知ってた。」
「なに?」
「ただ、それをあんたが知ったところで無視するだろうと思ったし、第一、俺には関係ないからな。他人の恋愛事情にわざわざ首をつっこむ趣味はない。だから黙ってた。」
「‥‥。」
「けれど、あんな噂を聞けばさすがに無視できない。」
「噂?」
「ゼルの名誉を汚すような‥‥まあ、誹謗中傷だ。」
と、スコールにしては珍しく曖昧に言葉を濁す。
「噂を流したのは、あの連中だろうな。あんたのお仲間の。」
あいつら、か。
サイファーは苦い唾液を飲み下し、唇を歪めた。
噂の出所がヤツらだと言うなら、その内容はスコールに説明される迄もなく大方の予想がつく。
どうせ連中のことだ、場所もわきまえずにある事ない事を口にして騒いだのだろう。
ヤツらの日頃からの言動からして、サイファーの名を出すことはさすがに憚ったかもしれないが、ゼルの事ははっきり名指しで喚き散らしたに違いない。
「まあ、噂だけで終わるならそれでいい。ただの噂だしな。でも噂の原因になるような事実はあったはずだ。‥‥ゼルの気持ちから考えたら、あんたとの間に何かがあったんじゃないのか。」
「何もねえ。あってたまるか。」
不機嫌に吐き捨てると、ふうん、とスコールは目を細め、気のない返事をした。
「なら、いいが。あんたが最近ナーバスになってるのはそのせいかと思ったから。」
「なんだと?」
「ナーバスだろ。違うのか?」
軽く顎をしゃくって、スコールは頬杖をつく。
「ゼルもどことなく様子がおかしいけれど、あんたはそれ以上だ。いかにも苦悩してますって顔してるぞ。」
「‥‥。」
相変わらず、ずばずばと遠慮なく斬り込んでくる男だった。
かつては寡黙に己の殻に閉じこもり、他人を拒絶する事が常だったはずのスコールも、時を経て随分変わったものだ。
いや、元々はこうであったものが、様々な要因で抑圧されていただけなのかもしれない。
でなければ、総司令官なんて面倒な立場にこうも長くおさまってはいられないだろう。
無関心なようでいてそのくせ世話焼きなこの総司令官は、それゆえ皆に慕われているのだ。
「ゼルの気持ちが、重荷なのか?」
「ああ?」
不意をつかれて意味が解らなかった。
スコールはこれみよがしな溜息をつくと、額にかかった髪を払った。
「あんた、慣れてないんだろう? 見返りも求めない、ただ無償の好意を寄せられる事に、慣れてない。」
「‥‥。」
「だから。怖いんだ。」
──怖い。
そうか、俺は怖いのか。
スコールの言葉が、意識の隙間にぴったりとはまり込む。
しまった、と思った時にはもう遅く、サイファーは妙に素直に納得してしまっていた。
安易な答えは危険だと解りながらも、一度納得してしまうと、もはや抵抗しても無駄だった。
そうだ。俺は、あれが怖い。
これまで、怖いものなど何もないはずだった。
生命を脅かされるような戦場にあったとしても、恐れることなど何もなかった。
ただしそれは、あくまで万事が己の意図と予測の範疇にあるからだ。
己の理解を超えたモノに出会ってしまったら、さすがのサイファーとて本能的な恐怖が働く。
幸か不幸か、これまではそうしたモノに遭遇することなく生きてきたのだが、ここにきてそれに出くわしてしまったのだ。
サイファーが予測するあらゆる反応を裏切って、それは毅然とそこに存在し続けようとする。
虐げても、退けても、びくともしない。
ただひたむきにまっすぐにこちらを見つめてくる、あの蒼い瞳は──あまりにも眩しすぎて。
どうしようもなく、怖い、のだ。
「要するに、あんたも根っからの悪人にはなりきれないってことだ。」
と、スコールは含み笑った。
「あんたにも少しは人間らしいところがあると解って安心した。」
「は。ぬかせ。」
憎々しく吐き捨てるも、サイファーの胸中は混乱していた。
俺はあれが怖い。だから。
暴力で、力づくでねじ伏せようとし、それが無理と解ると今度は意地でも無視し、退け、無理矢理意識から追い出そうとした。
つまりは、結局「逃げ」なのだ。
いくら振り払おうとしても消えないこの苛立ちは、そうして逃げることしかできない自分自身への焦りなのかもしれない。
だがそもそも、なぜ逃げなければならないのか。
どんなに好意を持たれたところで、アレの事は何とも思っちゃいない、ただそう結論づければ済むことだというのに。
例えば、道端で踏み締める名もない雑草が自分に好意を持っていると知ったとしても、それがどうしたと唾棄するだけで済むはずだ。
それなのに、なぜ、あれだけは。
あの小賢しいチキン野郎だけは、こうも神経を逆撫でするのか。
──面倒くせえ。
喉元につかえた不快な塊を強引に飲み下し、サイファーは立ち上がった。
「御託はもういい。喋る暇があんなら酒ぐれえつきあえ。」
「‥‥まだ執務時間中だぞ。」
スコールは呆れたようにサイファーを見上げた。
だが、憮然と唇を引き結んだままのサイファーに何かを感じ取ったのだろう、仕方がないなと呟くとそろり、と席を立った。
その花びらのような唇には、なぜか穏やかで満足げな笑みが浮かんでいた。
To be continued.
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