Love In the First Degree(17)


17

曖昧な暗がりの中。
不規則な呼吸と喘ぎと、衣ずれの音が交錯していた。
脈動と共に盛り上がる快感の波は、徐々にその頂きを高くしながらも、頂点にはまだ程遠い。
サイファーは歯ぎしりと共に、より律動の速度を早めた。
腕の中でのたうつ白い躯が、焦れったげな嬌声を上げて大きく跳ねる。
それは淫猥で煽情的な光景であるはずなのに、なぜか出口は一向に見えてこなかった。
まるで何かに背後から襟首をつかまれていて、前へ前へとすすもうとする両足ばかりが空回りしているような気がした。
焦り、苛立ち、その邪魔な枷を振り払おうともがくが、それはますます首筋に食い込んでサイファーを引き戻そうとする。
──畜生。
固く瞼を伏せ、埋めた局部とそこに絡み付く粘膜とに必死で意識を集中させる。
と、次の瞬間。
突如脳裏に閃いた光景に、サイファーは慄然とした。
まっすぐに見上げてくる、透き通った蒼い瞳。
懸命に抗うしなやかな筋肉、引きつれた息遣い。
唾液を光らせながらぎこちなく往復する唇、拙い舌の愛撫。
途端に、すべての枷が消し飛んだ。
躯の芯で何かが爆発したかのように、快感の高波は突如限界をこえ、飛沫となって弾け散った。

「‥‥くそ!」
思わず吐き捨て、体を起こした。
女はびっくりしたように硬直し、茫然と目を見張った。
「え‥‥な、に‥‥?」
弾んだ呼吸のまま、困惑しきった細い指が肩口に爪を立てる。
「ど‥‥うしたの? もう終わり‥‥?」
「もういい。帰れ。」
「え‥‥でも、私まだ‥‥」
「うるせえ! つべこべ言わずとっとと出てけ!」
怒鳴りつけ、指先を払い除けると、さっと女の顔が青ざめた。
濡れた唇がわななき、切れ長の眦がきっと吊り上がる。
ひとときの情慾に溺れて欲望を剥き出しに乱れていた「女」がたちどころに消え失せ、かわりにいつもの品行方正を誇って取り澄ました「SeeD」の顔が現れた瞬間だった。
「解ったわよ。‥‥やっぱりあなた、最低ね。」
ひらりとベッドから下りると、女はあからさまな侮蔑の声をサイファーの背中に投げ付けた。
だが、サイファーは顔を背けたまま無視した。
腹立たしくはあったが、いちいち反論するのは面倒だった。
それに、ヒステリックに喚かれる事を思えば軽蔑される方がまだマシだし話が早い。
背後で彼女が身支度を整えるのを、じりじりとしながら待つ。
理由や口実などどうだっていいのだ。
とにかく、一刻も早く彼女を追い払って、独りになりたかった。
「もう二度と来ないから。電話もしないで。」
冷たい金属のような台詞を捨て置き、彼女は怒りに満ちた足取りで部屋を出ていった。
ようやく解放された安堵でサイファーはぐったりと脱力した。

──冗談じゃねえ。
後味の悪い懈怠感の中、絞り出すような溜息と共に、頭を抱えこむ。
よもやこんな結果になるとは、まったくの予想外だった。
己の中に、得体の知れないモノが巣食っているのは解っている。
解っているからこそ、あえて日常的な行為に及ぶことでそれを排除しようとしているというのに。
これでは、まるで逆効果だった。

面倒なことは考えたくなかった。
スコールの言う通り、俺はアレが怖い。
怖いから逃避する。
だがそれの何が悪い、と開き直ったつもりだった。
卑怯だろうと臆病だろうと、訳の解らない恐怖心と向きあうなどまっぴらごめんだ。
もう、アレの事は考えないに越した事はない。
俺はただ、今まで通り、何も考えることなく本能の赴くままに従っていればいい。
欲望を覚えれば女を抱き、満たされれば女を忘れる。
持て余す時間は、その場凌ぎの刹那的な快楽で切り崩す。
そんな退屈で倦み飽きた日常こそが、今もっともサイファーが必要とし、欲しているものだった。
そしてその日常を取り戻すためには、まずは手っ取り早く女を抱く事だ。
そう結論し、適当に目についた女を部屋に連れ込んだのだが。

思えば、女の体を組み伏せた時から、妙な違和感はあった。
欲情がない訳ではないのに、何かが中途半端な気がした。
いざ行為に及んでも、意識はあちこちに浮揚して没頭できず、うっかりすると萎えそうにさえなった。
本来出口をめざして一直線に駆け抜けるはずの情慾が、まるで瓦礫だらけの坂道を転がる岩のようにいたるところで引っ掛かる。
焦り、もがき、そして挙げ句に浮かんだのが──アレのことだ、とは。

あの蒼い瞳。
震える声、泣きそうな顔。

今もまた、ぞくりと危うい衝動が脇腹で疼き、サイファーは唇を歪めた。
あの滑らかな肌、しなやかな手足を思うだけで、体の奥底で粘つく情動がとろとろと渦を巻く。
熱くぬめる唇と、幼稚な奉仕がもたらしたあの鮮烈な快感。
できることなら、もう一度──もう一度、あれを味わいたい。
飢餓感とさえ呼べるほどの渇望が身の内を焦がし、下腹部が堪え難い熱を帯びてくる。

なんのことはない、と自嘲するしかなかった。
感情でいかに否定したところで、肉体はアレを欲しているのだ。
体ではあの小生意気なチキン野郎を抱きたいと願い、一方心では無理にそれを退けようとするから、葛藤が生じる。
苛立ちの原因は、そこなのだ。
本能を理性で抑え込むなんて柄にもないことをしようとするから、訳が解らなくなっている。
今まで通り、本能の赴くままに従おうというのであれば、俺は。
素直に、あれを抱いて然るべきなのだ。

サイファーは顔を上げ、誰もいない薄闇の中、額を押さえた。
──馬鹿馬鹿しい。それができりゃ苦労はしねえんだよ。
これまで、数多の女達にそうしてきたように、感情に背を向けたまま快楽だけを搾取する事ができるなら、それが最良の道だ。
だがそれができない。
できないから、逃げた。
まっすぐひたむきにぶつかってくるゼルの想いを退ける術が見つからない以上、逃避するしかなかった。
これでは八方ふさがりだ。
堂々回りで、永遠に迷宮から抜け出せない。
この状況を打破して突破口を作るためには、どうすればいい?

サイファーは弾かれたように立ち上がり、目の前にあったサイドテーブルの上を薙ぎ払った。
床に落ちた置き時計が派手な音を立てて割れたが、その程度では破壊衝動がおさまらない。
テーブルの脚を蹴り飛ばしてひっくり返し、何度も踏み付けて足をへし折った。
ベッドのシーツを毛布ごと引き摺りおろして踏みにじり、さらに枕元にあった携帯電話を壁めがけて力いっぱいに叩きつける。
携帯は、奇怪な金属音をたててまっぷたつに割れた。
そこまで見届けて、ようやく少しだけ溜飲が下がった。

──試して、みりゃあいいんだ。

肩で呼吸を整えながら、サイファーは呻いた。
本当に、逃避するしか道はないのか。
馬鹿で脳天気なチキン野郎のくだらない感情を無視するのは、本当にそんなに困難なことなのか。
そもそも、女どもに対しては当たり前に出来ていた事だ。
それがたまたま同性という状況が加わったがために、少々勝手が違って混乱しているだけじゃないのか。
スコールの余計な入れ知恵に煽られて、実際以上の恐怖を覚えてしまっている事だって有りうる。
冷静になって、今一度向き合ってみれば。
別に逃げるに値しない、と今度は気付けるかもしれないではないか。

──そうだ、もう一度だけ。
もう一度だけ、試してみる価値はある。

体の奥深いところで、紅い火種がぱちりと爆ぜた。
あの蒼い瞳。震える声。泣きそうな顔。
組み伏せた裸体が艶かしくのたうつ光景が目に浮かび、下腹が切ないほどに疼いている。

サイファーはおもむろに立ち上がった。
散らばった着衣を次々とつかんで身につけ、足早に部屋を出た。
何かにぐいぐい背中を押され、急き立てられているような気がした。
焦燥感ばかりが先に立ち、思考は一切停止していた。
何も考えられぬまま、静まり返った寮の廊下を進み、角を曲がる。
部屋の前に辿り着くや否や、ノックというより殴打に近い乱暴さで、繰り返しドアを叩いた。
永劫かと思われるほどにもどかしい数秒間を経た後、ようやく気配が近付く。
ドアは、無機質な音をたてて静かに横に滑った。

To be continued.
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