Love In the First Degree(19)
19
翌朝。
ゼルは、エントランスホールのまっただ中にいた。
さざめきながら、廊下を行き交う学生達。
ホールのあちらこちらでは、明るい笑い声も上がっている。
ガーデンはいつもと何ひとつ変わらぬ、穏やかな朝を迎えていた。
すれ違う何人かは、ゼルを認めると笑顔で声をかけてきた。
だがゼルが挨拶を返すや否や、彼らは一様に不思議そうな顔になった。
普段の元気はどこへやら、明らかに憔悴した様子でぼんやりとしているゼルに不審を抱いたに違いない。
昨夜サイファーが去ってから、ほとんど一睡もできずに悶々としていたのだから、無理もなかった。
解っている。
これは、報い、ってやつだ。
せっかくの機会を逃したのも、結局は自業自得なんだ。
でもせめて、弁解ぐらいはしたかった。
何があっても自分が本当に好きなのはあんただ、あんただけだと訴えるべきだった。
自分の気持ちをサイファーに誤解されたまま去られた事が、辛くて悔しくてたまらない。
このままでは、納得できなかった。
確かにオレは間違いを犯した。
だから、煙たがられても疎んじられても仕方ないし、軽蔑されたっていい。
けれどもこの気持ちだけは本物なのだと、あれは「間違い」であって本気じゃないのだと、それだけはどうしてもサイファーに伝えたかったのだ。
夜が明け、ガーデンがさざめき始める時間を待って、ゼルは躊躇いながらもサイファーの部屋に足を向けた。
だが、サイファーはいなかった。
今日は朝から任務か、あるいは朝食を取りに出掛けたのか。
その長身を探し求めて、とぼとぼとホールに差し掛かったところだった。
食堂へと続く通路に向かいかけたゼルは、ふと、そちらからやってくる見知った顔に気付いた。
セルフィだ。
周囲の学生らに弾んだ声で挨拶しながら、飛び跳ねるようにこちらに歩いてくる。
セルフィは、行く手を塞ぐようにして立ち尽くしているゼルに気付いたらしかった。
あどけない頬に、にっこりと屈託のない笑みが浮かぶ。
「ゼル。おっはよ!」
「お、おう。オハヨ。」
「どしたん? こんなところで。」
「いや、えと。セルフィ、メシ食ってきたのか?」
ぎこちなく食堂の方を示しながら問うと、すかさず華奢な顎が頷く。
「うん、そうだよ。」
「食堂に‥‥その。サイファー、いたか?」
「サイファー?」
セルフィは不思議そうにぱちぱちと瞬いた。
「ううん。いなかったけど。サイファー探してるん?」
「いや、いいんだ。」
首を振り、もつれながら踵を返す。
そして、何か言いたそうに口ごもるセルフィを残し、ふらふらとその場を離れた。
恐らくこの上なく不自然な態度だったに違いない。
だが追求されても、説明なんてできないしする気力もなかった。
食堂にいないのならやっぱり任務で留守なんだろうか。
だとしたら、いつ頃戻ってくるのだろう。
スコールに聞けば解るのかなあ、とぼんやり二階へ続くエレベーターを見上げ、その時ふと思った。
もしかしたら、あそこかもしれない。
教室の並びの一番奥にある、風紀委員室。
サイファーがしばしばそこにいる事は、何となく聞き及んでいた。
風紀委員の職は退いたものの、半ば習慣のようにそこに出入りしているらしい。
一応覗いてみよう、と思った。
そこにもいなければスコールに聞いてみればいい。
エレベータで二階へ上がると、教室はいずれも講義が始まっているようで、廊下は静かだった。
足早に歩を運び、風紀委員室のドアへと向かう。
中からは、人の気配がした。
迷わずノックをし、ドアを押し開ける。
と、部屋の中の視線が一斉にこちらを見据え、ゼルは立ちすくんだ。
アルコールと煙草の匂いがぷんと鼻をつく。
淀んだ空気に満ちた室内には七、八人の男がいて、中央に据えられたソファーと両脇の長椅子に思い思いの姿で身を預けていた。
「なんだ? お前。」
真ん中でグラスを片手にふんぞり返っていた男が、じろじろとゼルを眺めて鼻を鳴らす。
貧相な眉の下に落ち窪んだ目をぎらつかせ、痩せた野良犬のような顔をしている。
確か、現風紀委員長を名乗っている男だ。
ゼルは気を取り直し、固く拳を握って男を睨み返した。
「サイファーは。」
「ああ?」
「サイファー。いるか。」
畳み掛けるゼルに、委員長はますます表情を歪めた。
と、その時、右隣にいるエラの張った四角い顔の大男が、委員長に何ごとかを耳打ちした。
途端に、委員長の頬に歪んだ薄笑いが浮かんだ。
どこか生臭さの漂う、下品な笑い方だった。
「あいにく来てねえよ。今日は任務じゃねえか?」
「‥‥そっか。解った。邪魔したな。」
「おいおい、待てよ。」
回れ右をした背中を、粘っこい声が呼び止める。
ゼルは眉をしかめた。
この連中の悪評は、無論ゼルも知っている。
風紀委員とは名ばかりの厄介者の集団だ。
下手に関わらない方がいいのも充分に解っていた。
それ故、サイファーがここにいないというのであれば早々に立ち去りたかったのだが、呼び止められた以上は反応せざるを得ない。
無視をしてうっかり反感でも買ったら、こういう連中は何をするか解らないからだ。
「‥‥なんだよ。」
ドアの前で振り返ると、犬顔の男はことさらの猫撫で声で言った。
「知ってるぜ。お前、ゼル・ディンだろ。」
「‥‥。」
「お前、サイファーに惚れてんだってな?」
ぎょっとして、背筋が凍り付いた。
虚を突かれたその隙に、素早く近付いた二人の男が、するりと背後に割り込んでドアを塞ぐ。
本能的な危険を察知して身構えようとしたが、憔悴した反射神経が災いして、普段のように機敏に動けなかった。
男達は素早くゼルの腕を掴むと、いきなり背中へとねじ上げた。
「ってえ! なにすんだよ!」
悲鳴を上げて身を捩ると、次々とソファから立ち上がった男達がぐるりとゼルを取り囲む。
ねじ上げられた腕はびくとも動かず、ゼルは青くなって彼らを睨みつけた。
中央に進み出た委員長が、舐めるようにゼルの全身を眺め、にやにやと顎を撫でる。
「お前オトコだろ。つうことはホモか? いや、それとも実は中身はオンナだったりしてな。」
「な、んだと!」
「まあ、確かめりゃ解るか。‥‥おい。」
と、目配せをした委員長に、傍らにいたあの大男が頷き、のしのしとゼルに近付いてきた。
咄嗟にその股間めがけて蹴り足を繰り出すが、あっさりと躱される。
それどころか蹴り上げた膝をむんずと掴まれ、巨岩のような拳をしたたかに鳩尾に打ち込まれた。
体が浮き上がるほどの衝撃に、ゼルは呻いた。
内臓がよじれ、胃液が逆流して喉を焼き、吐き気がこみあげた。
衝撃に続く鈍痛が全身を支配し、呼吸ができず、視界も霞んで力が入らない。
くの字に折れ曲がったゼルの体を男達は床に引き摺り倒し、我先にとのしかかってきた。
背中にねじ上げられた腕はそのまま何かで緊縛され、丸めた布みたいな何かを無理矢理口に突っ込まれた。
体中の関節という関節を抑え込まれて身動きできず、声を上げようにも、舌の付け根に押し込まれた布切れに阻まれてくぐもった呻き声にしかならない。
ちかちかと明滅する視界に無数の掌と男達の顔が何度も往復し、やがて、最後にあの委員長の顔がぬっと付き出された。
To be continued.
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