Love In the First Degree(22)
22
虚空で大きく横なぎに振り払った刃から、ねばねばとした体液が弾け飛ぶ。
湿った音を立てて地面に跳ねたそれを靴底で踏みにじり、サイファーはハイペリオンのグリップを固く握り直した。
辺りから、モンスターの気配は一切消え失せている。
群れの中に飛び込んだつもりが、二、三匹斬り伏せた辺りで他の獲物は奥へと移動してしまったらしい。
サイファーが放つ尋常ならぬ闘気に、恐れをなして逃げだしたのかもしれなかった。
舌打ちをして、傍らの茂みから伸びている枝々を意味もなく叩き斬る。
掌に伝わる振動はひどく鈍重で、刃の切れ味が落ちているのは明白だった。
無性に、腹が立っていた。
朝っぱらから突然スコールに呼び出され、任務の同行を命じられるや否やそのままラグナロクに押し込まれ、遥かエスタ北部のグランディディエリまで連れてこられた。
この辺りに出没するメルトドラゴンの駆逐とサンプル収集が今回の任務だという。
それは、良かった。
こんな時、ハイペリオンを振り回せるのはむしろ気が紛れて有り難いと思った。
腹立たしいのは、その読みがはずれたことだ。
いざこうしてフィールドに出て、手当りしだいモンスターを斬りつけてみたものの、身の内にひしめく怒りと苛立ちは一向に解消されない。
これは任務だと解っているにも関わらず、こんなところで時間を潰していていいのか、という不可解な焦燥ばかりが身の内で増殖していく。
サイファーは改めて周囲を見回した。
森に踏み込んで、すでに数時間は経過しているはずだ。
鬱蒼とした木々の合間からのぞく陽射しはだいぶ傾き、夕暮れが近いことを報せている。
昨夜ろくに眠ることもままならなかった肉体は、とっくに疲弊しきっていた。
もしこの状態でメルトドラゴン──あの厄介なデカブツに出会したら、下手すればこちらが痛手を負いかねない。
そろそろ戻り、休息を取って然るべきだろう。
どうせ、ナマクラになったハイペリオンを振り回し続けたところで、沸々と煮え滾る憤りはおさまりそうもない。
苦々しく唇を歪めながら、来た道を引き返した。
森から少し離れた平地に着陸しているラグナロクに戻ると、スコールは操縦席の端末に向かっていた。
美貌の総司令官はサイファーに一瞥をくれ、ただ一言戻ったなと言っただけで、別段サイファーを責める風でもなかった。
こうした任務は、冷静にターゲットの居場所を見極めてから行動に移るのがセオリーだ。
到着するなり指示も仰がず飛び出して行ったサイファーの行動は、叱責されて然るべきである。
にも関わらず、警告ひとつ口にする様子もない。
言っても無駄だと割り切られているのか。
だとしても、ひどく居心地が悪かった。
スコールにしては、あまりにも似合わぬ寛容さだ。
たが、そもそもコイツが一緒に来たのはそのためなのかもしれない、と気付いた。
サイファーの様子がおかしい事を察して、総司令官として任務に不安を感じ、元々はサイファーひとりが赴く予定だったのをあえて付き添ってきた、というのが正解なのかもしれない。
本来なら、名うてのガンブレード使いを二人も必要とするほどの任務ではないし、総司令官はこの程度の任務にわざわざ赴けるほど暇ではないはずだ。
ただ、デスクワークは代理の誰かに頼めても、サイファーのフォローはスコールにしか勤まらない。
それを重々解っているから無理をおして同行したのだ、そうに違いない。
その証拠に。
「気が済んだか。」
端末を見据えたまま、スコールは呟いた。
サイファーは眉をしかめ、隣にどっかと腰をおろした。
「なんのことだ。」
「さあ。俺が知るわけない。」
横目にサイファーを見遣り、スコールは僅かに首を傾げる。
「俺に解るのはただ‥‥あんたの機嫌が最悪だってことだけだ。」
「ああ。最悪だな。」
ハイペリオンを立て掛け、操縦パネルに乱暴に足を投げ出す。
「で。なんで最悪か、理由を聞かねえのか。」
スコールは、僅かに目を細めた。
見ようによっては、微笑んだようにも見える。
「聞いたところで、素直に答えるタマじゃないだろう、あんた。」
「なんだと?」
「聞いて欲しいんなら聞いてやるけどな。どうして機嫌が最悪なんだ?」
いかにもな、白々しい声色だ。
サイファーは傍らに唾を吐き捨て、人形のように可憐な口許をじろじろと眺めた。
「ったく。食えねえ野郎だ。」
「お互い様だ。‥‥それで、不機嫌の理由は。言いたくないのか。」
「‥‥別にそういう訳じゃねえ。」
低く呟いて腕を組み、漫然と天井を見上げる。
「自分でも解らねえだけだ。原因は解っても、なんで腹が立つのか理由が解らねえ。」
するとスコールはやっとまともにサイファーの顔を見据え、ふうん、と言った。
「何があったんだ。」
淡々と水を向ける口調は、さりげない。
普段は無口なくせに、こういう場面では不思議と聞き上手な男だ。
この綺麗な顔にまっすぐに見つめられればこちらとしても悪い気はしないし、その静かな声で促されれば、頑な気持ちもついつい和らぐ。
サイファーは一瞬苛立ちを忘れ、どこか殊勝な心持ちになった。
「‥‥チキンが。鉄砲撃ちとできていやがった。」
「え。」
さすがに驚いたのか、スコールは唇を半開きにしたまま目を見張った。
「ゼルが? アーヴァインと?」
「ああ。」
憮然として頷くと、形のいい眉が僅かに曇る。
「‥‥それで。どうしてあんたの機嫌が最悪になるんだ。」
「知るか。それが解らねえつってんだ。」
再び苛立ちに襲われ、闇雲に操縦パネルを踵で蹴りつける。
スコールはしばし呆れたようにサイファーの仕種を見守り、やがて静かに額を抑え、深い溜息をついた。
「サイファー。」
「なんだ。」
「そういうのを普通は何て言うか、知ってるか。」
「ああ?」
「嫉妬っていうんだ。」
今度は、サイファーが唖然とする番だった。
「嫉‥‥なに?」
「嫉妬。ヤキモチのことだ。解らないのか。」
あまりにも突拍子が無さ過ぎて、気勢を削がれ、絶句した。
スコールは何食わぬ顔で、長い前髪を掻き上げている。
思わずかっと頭に血が上り、力任せに操縦レバーの横を殴りつけた。
「ふざけんな! 冗談も休み休み言え! なんで俺が嫉妬なんざする必要があんだ!」
「なんでもなにも、取られたから悔しくて腹が立つ、そういう事じゃないか。」
「黙れ! 俺はあれをなんとも思っちゃいねえ!」
「そう思いたいんなら、思えばいいさ。」
独り、したり顔で頷きながらスコールは端末に向き直った。
「あんたが認めようと否定しようと。別に、俺には関係ないしな。」
──馬鹿げている。
まるで、猫に向かってお前は実は犬なんだと真顔で諭すのと同じぐらいに、馬鹿げている。
作業を再開したスコールの涼しい横顔を睨みつけながら、サイファーはぎりぎりと奥歯を噛んだ。
そんなことは有り得ない、あってはならない。
この俺が、誰かにあるいは何かに執着するなど、絶対に起こり得ない──はず、だ。
アレが何をしようとどう思おうと、俺の知ったことじゃない。
俺に差し出されていた、あの、手が。
今は他の奴に差し出されているのだとしても‥‥それがどうだというんだ。
アレが諦めるのはごく自然なことであり、俺もそれを望んでいた。
鬱陶しく煩わしかった原因が失せて、むしろ好都合なくらいではないか。
おかげで俺は、何も恐れる事はなく、逃げる必要もなくなったのだから。
こうも腹立たしいのは──そう、多分、あれだ。
別段気に入っていたわけでもないが、自分のものだと再三言われていた玩具をある日突然取り上げられれば、子供だって腹を立てる。
それと同じことなのだ。
間違っても嫉妬なんかじゃない。
百歩譲ったとしても、幼稚な所有欲が疼いただけ、ただそれだけだ。
そして、ほんの一瞬でも血迷って、もう一度だけ試してみようなどと思った自分の間抜けさに憤慨しているだけなのだ。
こんな腹立たしさは、一過性のものに過ぎない。
きっとあと二、三日も経てば、簡単に忘れられる。
そうに決まっている。
強引に結論し、頑に瞼を伏せる。
すると、瞼の裏で明滅する光の乱舞の中に、幾度振り払っても同じ顔が浮かんできた。
泣きそうに潤みながらも、まっすぐな意思をたたえた、あの蒼い双眸。
──あの瞳はもう俺を見ない。
あの瑞々しく透き通った、吸い込まれそうな蒼い瞳に映っているのは、この俺でなく他の奴だ。
この任務が終わってガーデンに戻り、顔を合わせたとしても、もうわざわざ「おかえり」なんて笑いかけられることもない。
だが、それで、いい。
俺はようやく、何にも縛られず誰にも干渉されない、本来の日常を取り戻したのだ。
存在を求められることも望まれることもない。
歓迎もされない。
ただ、不可抗力的にそこに居るしかない、そんな平穏で──虚しい日々を。
サイファーは咄嗟に渋面を作った。
今さら忌むべきものでもなかったはずのその「虚しさ」が、なぜか今は反吐が出るほど不快に思えた。
不快な上に、不快の理由も解らないからひどくもどかしい。
まるで、めくれどもめくれども一向に本題に言及しようとしない、冗長で苛つく書物を無理矢理読まされているような気がする。
と、傍らでスコールが立ち上がる気配がした。
「食事をしたらもう休むぞ。」
穏やかな呟き声と共に、足音が遠ざかっていく。
固い皮張りのシートに身を預けたまま、サイファーは生返事で応えた。
体は鉛のように重たく、指の先まで疲労感が支配している。
そろそろと瞼を開き、コックピットの窓に広がる大地を眺めた。
あたりはすでに宵闇に包まれ、ところどころに残る残雪がぼんやりと蛍光色の光を放っていた。
グランディディエリの春は遅いが、この雪も間もなく消え失せるだろう。
そして程なく、凍り付いた大地の下で息をひそめる若い種子が、固い地面を必死で押し上げ一斉に芽吹く季節になる。
不意の睡魔に見舞われて、サイファーは頬杖をつき再び視界を閉じた。
のろのろと薄れていく、曖昧な意識の片隅で。
誰かがしきりに耳元で何かを囁いているような、そんな気がしてならなかった。
To be continued.
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