Love In the First Degree(23)


23

サイファーが留守なのは、好都合だった。
任務先は遠い北エスタで二、三日は戻ってこないと聞き、アーヴァインはほっとした。
その間に、落ち着いてゼルを看病することができたし、煮え繰り返る怒りもどうにか理性という名のオブラートでくるむことができたからだ。
もしサイファーが不在でなかったら。
その日の内に激情にまかせてエクゼターを携え、たとえ相討ちになってでも、と先走った行動に出ていたろう。
冷静に己の怒りを封じ、制御できるだけの冷却期間はもつことができたのはむしろ幸いだったのだ。

あの日、幸い誰にも見とがめられずゼルの部屋へと辿り着いてから、アーヴァインは意を決してそっとカドワキを呼んだ。
学生やSeeDらのプライバシーについてはガーデン一口の固い彼女の事だから、心配はないだろうと思ったのだ。
事実、部屋にきて事情を知ったカドワキは、大丈夫、決して口外しないと誓ってくれた。
さらに、タチの悪い風邪をひいたとか適当な診断書を出すから、とりあえずはゆっくり休ませるようにとも言ってくれた。
彼女が施してくれた精神安定剤の注射のおかげか、ゼルはすぐ眠りに落ちた。
だが、その夜から高熱を発した。
うなされながら譫言と啜り泣きを繰り返し、混乱して何度も起き上がろうとするのを、アーヴァインはつきっきりで宥め続けねばならなかった。

アーヴァインは煩悶し続けた。
拭っても拭っても、連中とサイファーへの憎悪が溢れ、沸き起こる殺意に執拗に苛まれた。
だがそれはあくまで感情論であり、あまりに非現実的で馬鹿げた妄想に過ぎない。
実際にそんなことをしたら、アーヴァイン自身も咎を受けるばかりでなく、ゼルにも延焼が及ぶのが目に見えている。
ならばぜめて告発だけでもするべきか。
いや、それも結局は同じ事だ。
事の次第を公にしたところで、ゼルの名誉に傷がつくばかりで何の解決にもならない。
被害者が女生徒ならばまだしも、男だというのでは、単なる傷害事件として片付けられるのがオチだろう。

とにかく冷静になろう、とアーヴァインは懸命に理性を手繰り寄せた。
連中のことは放っておくのが得策なのだ。
苦しい結論だが、仕方がない。
どうせ放っておいても、連中のことだからその内取り返しのつかない問題を起こして墓穴を掘るに決まっている。
ただ、問題はサイファーだ。
この悲劇の元凶であるにも関わらず、あの男は事実の上ではなんら罪を背負わない。
サイファー自身も、己の罪などまったく自覚していないだろう。
それは、それだけは。どうしても許せなかった。

連中への憎悪を無理に抑え込んだ分、サイファーに対する憤りが増幅したのかもしれなかった。
いずれにせよ、真に責められるべきはあの男だ、と思った。
ゼルのためにも、アーヴァイン自身のためにも、命までは奪わないにしろあの男は断罪されるべきだ。
それが理というものではないか。

ようやくゼルの熱が下がった三日目の朝、アーヴァインは決意した。
様子を見にきたカドワキに雑談まじりに尋ねると、スコールとサイファーは昨夜任務から戻ったという。
ならば、自室にいるだろう。
食事を理由に、カドワキにゼルを託し、部屋を出た。
無論、エクゼターのケースに手をかけることはせずに。



サイファーは、やはり自室にいた。
力強く三度ノックすると、応答は無かったが人が動く気配がし、すぐにドアが開いた。
が、部屋の主は訪問者の顔を認めると明らかに不快げに眉を寄せた。
それはそうだろう。
望んで顔を合わせたくない相手なのはお互い様だ。
今の今まで休んでいたのか、サイファーはラフな部屋着のままだった。
ただでさえ不機嫌そうな顔は、任務明けの疲労のためかさらに険悪に歪んでいる。

「なんだぁ、貴様。」
「話がある。」
「だったらさっさと言え。俺は眠いんだ。」
入り口にもたれかかり、サイファーは威嚇するように低く呻いた。
その高い鼻梁を静かに見据えながら、アーヴァインはテンガロンハットを目深に直した。
「今度という今度は君を許せない。」
「ああ?」
「ゼルの気持ちに免じて目をつぶってきたけど、これだけは許せない。」
サイファーが片眉を吊り上げた。
またか、と呟くように僅かに薄い唇が動き、忌々しげな舌打ちが漏れる。
「しつけえ野郎だな。今さらなんだ。貴様、あのチキンを食ったんだろ?」
「‥‥。」
「アレは貴様のもんになったんだろ。だったら何の不満があんだ。」

吐き捨てる声音は皮肉に満ちて、どこか投げ遺りにも聞こえる。
アーヴァインは少し驚いた。
ゼルとのことを、なぜサイファーが知っているのか。
だが、知っているならなおのこと好都合だ。
それならますます、僕にはこの男を断罪する権利がある。
「そういう問題じゃない。君のせいで、ゼルはあんな目にあったんだ。」
「一体何の話だ。」
苛々と肩を揺するサイファーに、アーヴァインは顎を引き、努めてゆっくりと言った。
「乱暴されたんだよ、あの連中に。有り体に言うと‥‥輪姦された。」

ひやりと空気が凍りつき、沈黙が横たわった。
サイファーは、同じ表情のまま固まっていた。
少しは驚いているのか、それともあくまで無関心なのか、表情からは伺い知れない。
だがアーヴァインが冷静に見守るうちに、その彫りの深い顔から徐々に血の気が失せていった。
「な‥‥んだと?」
声の語尾が、掠れている。
明らかに、動揺している風だった。
その反応を、アーヴァインは訝った。
だからなんだと鼻であしらわれるとばかり思っていたのに。
こんな反応は想定外だが、さすがにこの鬼畜のような男にも、人間らしい一面があったということだろうか。
いや、この期に及んでそんなことはどうでもいい。
むしろ、そうして動揺するだけの心根があるのならなおのこと、ゼルに対する過酷な仕打ちをもっと早く悔いて然るべきではないか。
ゼルの気持ちを、苦痛を何も知らないで、よくも独りだけのうのうと。

理性で抑えつけ、封じ込めた怒りが紅蓮の炎を上げそうになり、アーヴァインは拳を固めた。
感情的になってはならない。
激情だけでは、この男は断罪できない。
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出して、アーヴァインは一歩だけ進み出た。
「君があいつらに吹聴したんだろ。ゼルを抱いたこと。」
「‥‥。」
「試してみろって焚き付けた、そうなんだろ。」

サイファーは無言だった。
先ほどから微動だにせず、表情も変えず、そしてアーヴァインの言葉を理解しているのかどうかも解らない。
だが、否定しない以上は肯定であるに違いない。
それだけで充分だ。
やはり、この男がすべての元凶だ。
この男は、腐り切ってる。
ゼルがいかに恋い焦がれようと、その善心を信じようとも、この男の正体は所詮禍々しい鬼畜でしかないのだ。

アーヴァインは拳をかざすと、渾身の力をこめて突き出した。
左頬に吸い込まれるように命中した正拳は、無防備だったサイファーの顔面を勢いよく弾き飛ばした。
長身が、バランスを失ってよろめき、部屋の中へと二、三歩後ずさる。
倒れこそはしなかったものの、まともに食らった一撃はさすがに効いたらしい。
サイファーはふらつきながら壁に寄り掛かり、しきりに頭を振った。
その様子をじっと見守りつつ、アーヴァインは慎重に身構え一歩退いた。
相手が黙って殴られるようなタマではないことは百も承知だ。
この後は間違いなく、怒りにまかせた反撃の拳が返ってくるだろう。
そうなれば、容赦なく応じるつもりだった。

だが、サイファーは行動しなかった。
壁に寄り掛かったまま、ただ虚空を睨み続けていた。
茫然自失とでも言えばいいのだろうか。
まるで、アーヴァインに殴られたこと自体にすら気付いていないかのようだ。

「‥‥このぐらいじゃ全然足りない。」
注意深く戦闘体勢を解きながら、アーヴァインは呟いた。
「本当は殺してやりたいくらいだ。‥‥けれど、君なんかのために手を汚すのは馬鹿馬鹿しい。ゼルにも、自分のために人が死ぬなんて苦痛は味わわせたくない。」

サイファーが、ようやく緩慢にこちらを向いた。
青ざめた顔は憎悪に歪み、翠色の双眸は烈火のごとき憤怒に燃えている。
だが、ねめつけるその焦点は、なぜかアーヴァインに合っていないように思えた。
まるで、アーヴァインの体をつきぬけ背後の壁を睨みつけているかのように、照準が曖昧であやふやだ。
アーヴァインは違和感を覚えた。
一体何を見、考えているんだ、と軽く苛立った。
こんな反応は、およそこの男に似つかわしくない。
拳と罵声の応酬になる覚悟はついていたのに、肩透かしを食らった気分だ。
だが、聞いているのかと喝破する気は起きなかった。
この男にそれだけの衝撃を植え付けることができたのであれば目的は果たしたと言うべきだし、その上あえて鼓舞したり煽ったりするつもりはない。

アーヴァインは長く息を吐き出すと、さらに退いた。
反応すべき対象が失せたことで、自動ドアは静かに横に滑る。
そしてドアが閉ざされる直前、部屋の中に向かってアーヴァインは力強く告げた。

「もう二度と、ゼルに近付くな。いいね。」

はたしてサイファーが反応したか否かは、見届けることはできなかった。
だがこれ以上、言うべきこともするべきことも思い浮かばなかった。
テンガロンハットの縁を直し、疼くように痛む拳をポケットに捩じ込んでドアを離れる。

これで、いいんだ。
けじめはついた。
もうあの男のことなど、気に留める必要はない。
この先自分が考えるべきは、あの天使のことだけだ。
愛しい天使の傷跡は、必ず僕が癒してみせる。
あの太陽のような笑顔を取り戻すためならどんな努力も惜しまないし、どんな苦難も厭わない。
僕がずっと傍にいて、いたわり、慈しみ、守ってあげる。
ゼルだってきっと──それを望むはずだ。
だから。
僕はただ、ゼルの事だけを考え、ゼルのためだけに行動すればいい。

まっすぐに元来た道を引き返しながら、アーヴァインはそう繰り返し己に言い聞かせ続けた。
心の底で、何か些細な歯車が噛み合っていないような。
微かなきしみと落ち着かない違和感を感じながらも、そうするしかなかった。

To be continued.
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