Love In the First Degree(28)


28

六日目の朝、懲罰室のドアを開けにきたのは、スコールだった。
仏頂面のままうっそりと部屋を出たサイファーに、スコールは、部屋に戻れと告げるとさっさと背中を向けた。
それ以外は、何も言うつもりはないらしい。
嫌味のひとつぐれえ言やあいいのに、と思った。
本来なら放校処分は免れないサイファーの処遇をたかだか五日の謹慎処分に収めるために、この総司令官は並々ならぬ尽力を払ったはずだ。
感謝しろ、と言われれば、まあしてやらないこともない。
せっかくそんな気分になっていたというのに。
察しねえ野郎だ、と軽い苛立ちさえ覚えた。

実際、スコールには感謝していた。
ガーデンに残ることが、果たしてガーデンにとって利なのか害なのかは解らない。
だが、己自身に限って言えば、ガーデンを去らずに済むのは有り難かった。
自分のしでかした事の大きさに気付いた直後は、気付きながらも別にどうでもいいと思っていた。
放校になろうがSeeD資格を剥奪されようが、それはそれで当然の報いだと割り切っていた。
だがこの五日間で思考を重ねる内、次第に、ガーデンに残れる事に素直に感謝すべきだと思い始めた。
このガーデンで育ってきて、恐らくそれは初めての感情だったろう。
ここに残りたい。いや、残らねばならない。
なぜなら。
俺は、まだやり残した事が──ここでやらなきゃならねえ事が、あるからだ。

スコールに言われた通り素直に部屋に戻って、シャワーを使った。
何だかやたらとさばさばした気分だった。
別に急ぐ必要もないのは解っていたが、逆に間をもたせる理由も浮かばなかったので、そのまますぐに部屋を出た。
これまで、ほんの数えるほどしか辿った事のないはずの道のりが、なぜかひどく馴染んだものに思えた。
ドアの前に立ち、無遠慮にノックをする間も、自分でも不思議なくらいに落ち着いていた。
誰何することもなく、無防備に開いたドアの向こうには。
驚愕に両目を見開いた、金色のトサカ頭が突っ立っていた。

「え。サ‥‥イファー‥‥?」

信じられない、という具合に語尾のイントネーションを上げ、ゼルはぽかんと口を開けた。
──そういえば。
俺はコイツのこんな面ばかり見てるな。
軽い狼狽を慎重に押し隠し、憮然として顎をしゃくる。
「具合は。」
「へっ?」
まさか体を気づかわれるなんて思ってもみなかったのだろう。
ゼルはますます面喰らった様子でどぎまぎと頷いた。
「‥‥お、おう、もう大丈夫‥‥。」
「みてえだな。入るぜ。」
仏頂面のまま、横柄に部屋の中に踏み込んだ。
閉ざされた部屋の中に、奇妙に張り詰めた空気が満ちる。
サイファーは仁王立ちになったまま、じっとゼルを見据えた。
困ったような顔で見返すゼルは、しかしサイファーがなかなか言葉を発さないので、どうにも落ち着かなくなったらしい。
喉の奥でごにょごにょと何かを呟くと、ふと思いついたように口を開いた。
「あ。あんた、謹慎終わったのか?」
「ああ。」
「そっか。おかえり。」
漆黒のトライバルが刻まれた頬がほっとしたように緩んで、あるかなしかの笑顔を作る。
苦い唾液が口の中に広がり、サイファーは眉間の皺を一層深くした。
「‥‥なにがおかしい。」
「え。いや、ホント良かったと思ってさ、謹慎で済んで。それに」
と、ゼルは照れくさそうに後頭部をかりかりと掻く。
「それに、もう二度とあんたには口きいてもらえねえって思ってたから。‥‥なんか、嬉しくて。」
「嬉しい‥‥?」
サイファーはぴくりと片眉を吊り上げた。
胸中に不穏にたちこめていた灰色の霧が、むくむくと黒い雲を形作って胸の中を覆っていく。
抑えつけていた苛立ちが膨張し、今にも破裂しそうにぱちぱちと爆ぜた。

「‥‥テメエ。自分が何言ってんのか解ってんのか。」
「う?」
「あいつらがあんな事をしたのは、俺が‥‥テメエとの事を吹聴したからだ。なのに何とも思わねえのか。」
「何とも、って‥‥」
「なんで怒らねえ。なんで‥‥なんで、俺を責めて突っ掛かってこねえんだ!」

呆気に取られているゼルの胸倉をむんずと掴み、サイファーはぐいぐいと揺さぶった。
「いい加減怒って当然だろうが! 嬉しい、だと? 寝ぼけた事ぬかしてんじゃねえ!」
「サ、サイファー。」
「怒れよ! 怒って俺を憎め!! でねえと俺は‥‥!」

──俺は。
永遠に、ケリがつかないままなのだ。

いつのまにか生じて、心の中に凝固した、この危うく脆い繭。
俺は、それをどうあっても引き剥がして捨て去らなければならない。
己の愚かさと罪深さを思えば、それが当然の報いだ。
潜在意識の奥底でずっとくすぶりながらもそれを認めようとせず、向き合おうとしなかった自分には、今さらそれを求める資格はない。
俺は潔く諦めるべきであり、露程の期待や希望も残してはならないのだ。
それが、この五日間でサイファーが下した結論だった。

そしてそのためには、ゼルに罵倒され、憎悪される事が不可欠だった。
無論、とっくに嫌悪されているのは解っている。
ゼルの中には、もう針の先ほども自分の存在の入り込む余地はないだろう。
だが解っていても、確かめねばならない。
明白にゼルに拒絶され、憎悪されるのを確信してこそ、初めてすべてを終わらせることができる。
ガーデンに残りたいと願ったのは、そのためだった。
もう一度コイツに会って、最後の引導を渡してもらいたかった。
それなのに。
こんな風に赦されたまま、この先ずっと──。
俺は、この厄介なモノを抱えたまま、生殺しのまま生きていかねばならないのか。

胸倉を掴んだまま小刻みに拳を震わせているサイファーを、ゼルは穴のあく程見つめた。
強張っていた口元が少しずつ弛み、やがて、静かに諭すように呟く。
「オレ‥‥そんなにあんたの事、嫌いにならなきゃなんねえのか?」
「‥‥。」
「言ったじゃねえか。嫌いになんかなれねえって。」
「‥‥ふざけんな。」
サイファーは顎を震わせ、かろうじて掠れた声を絞り出した。
「テメエは‥‥テメエはあの鉄砲撃ちと寝たんだろが。もう俺の事は」
「それでも、あんたが好きなんだよ!」
毅然と遮り、ゼルは激しく頭を振った。
「アーヴァインのことは、本気で後悔してる。二度と顔見せんなってあんたに言われて、もう駄目だって思って、どうしていいか解んなくて、流されて。‥‥あいつに頼っちまった。」
と、ゼルは少し苦しげに眉をひそめた。
「そういう自分が許せねえ。情けねえ。本当に馬鹿だったと思う。だけど‥‥やっぱり、あんたを好きだって気持ちだけはやっぱどうしても変えらんねえんだよ。」
「‥‥。」
「うぜえのは解ってる、迷惑なのも知ってる。‥‥でも‥‥ごめん。出来るだけあんたの目につかねえようにする、あんたの邪魔もしねえから、だから。」

強い光を宿した瞳に射抜かれ、サイファーは思わず両手を緩めた。
だが解放されても、ゼルは視線をそらそうとしない。
わななく唇は臆する事なく、次の言葉を紡ぎ出す。

「だから‥‥好きでいさせてくれよ、あんたのこと。」

サイファーは、だらりと両腕を垂れて立ち尽くした。
深い眠りから突然揺り起こされた時のように、頭に靄がかかってうまく思考が働かなかった。
ただ、訳もわからず耳鳴りがし、動悸がして、血流ばかりが加速していく。

目の前にあるのは、ひたむきに見上げている蒼い瞳だ。
サイファーの他には何も映さない、どこまでも透き通った海の色の瞳。

ふと、緩やかに押し寄せる波の音を聴いた気がした。
危ういバランスで積み重ねられていた何かがからからと崩れ落ちて粉々に砕け散る。
砕けた欠片それはそのまま波にさらわれ、洗われ、侵食されて。
やがて、跡形もなく深い海の奥に沈んでいった。

To be continued.
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