Love In the First Degree(3)




サイファーは、こんな事で人を軽蔑するような人間ではない。

ゼルの前ではつい、そんな弁護めいた台詞を口走ってしまったが、実を言えばサイファーという男は、別の意味で厄介である。
確かに、性的嗜好で他人を軽蔑するような男ではないが、それは理解があるとか心が広いからではなく‥‥単に、他人に対して関心がないからだ。
加えて、最悪なことに。
サイファー自身は、そういう方面では極めて低い道徳心の持ち主であることを、アーヴァインは知っている。
その道でのサイファーの無軌道ぶりは、知る人の間では有名な話なのだ。

特定の恋人や彼女がいる、という話は聞いた事がない。
しかし「自称」カノジョなら、ガーデンの中には無論、ティンバーあたりにもごろごろしている。
女は性欲のはけ口程度の認識しかないようで、次から次へと相手を変えては、ろくにつきあいもせず、飽きればさっさと捨てる。
二股、三股なども当たり前らしい。
女絡みの修羅場もしょっちゅうだというが、寄ってくるのは女の方だ、と一向に悪びれない。
要するに、極めてたちの悪い淫蕩者‥‥言葉は悪いが、女タラシ、なのだ。

参ったなあ、とアーヴァインは溜息をついた。
まさか、こんな事になるなんて。
ゼルの想いには気付いていたし、気付いていたからこそ自分の気持ちもセーブしてきた。
純粋で健気なゼルの思慕を、友人としてそっと見守っていてやるつもりだった。
それなのに、突然迎えてしまったこの急展開には、アーヴァインも戸惑わずにいられなかった。
ゼルの気持ちは、応援してやりたい。
けれど相手がサイファーでは、正直なところやめておきなよと言いたいのも事実だ。
どういう結果にせよ、ゼルが傷つくのは目に見えている。

小脇に抱えた書類の束を抱え直し、エレベーターのボタンを押す。
先ほどスコールから預かったこの資料を会議室に届けたら、ゼルの部屋を覗いてみようと思った。
ここ数日、姿を見かけていない。
もしかしたら、まだショックに打ちひしがれているかもしれなかった。
下に向かうエレベーターが到着し、ドアが開く。
乗り込もうとして先客がいることに気付き、さらにその先客の顔を見るなりアーヴァインは思わず露骨に眉をしかめてしまった。
サイファーだった。
狭いエレベーターの真ん中に陣取った彼は、じろりとアーヴァインを一瞥しただけで、微塵も動こうとはしない。
仕方なくドアのそばに立ち、下降のボタンを押した。
密室の中、極めて気詰まりな数秒間が流れる。

サイファー自身を、アーヴァインは取りたてて好きでも嫌いでもなかった。
この男の言動の逐一に、呆れたり腹を立てたりする事はしょっちゅうだったが、面と向かって口論するほど親しいわけではない。
SeeDとしての技量は十二分に認めているし、その戦闘能力も信頼はしている。
必要ならば会話もするし、行動も共にする。
だが、間違っても酒を酌み交わしたりするような間柄にはなれそうもなかった。
そもそも、タイプが違うのだ。
共通点と言ったら、長身と女にモテることぐらいで、考え方も行動パターンも天と地ほどに違っている。
その女にモテるという点にしたってくだんの如くだし、倫理観において到底アーヴァインとは相容れない。
スコールがこの男と親しくつきあうのは、何となく解る。
だが自分は、同僚という立場を越えてまでつきあいたいとは思わなかった。
むしろ、できることなら関わり合いになりたくなかった。
ただ、それも──ゼルの想いを知るまでの事だったが。

「何をじろじろ見てやがる。」
突然、仏頂面が苦々しい声を吐きだした。
「え?」
「俺の面がんなに珍しいかよ。」
「あ。いや。」
アーヴァインは首を振った。
どうやら無意識にサイファーの顔を凝視していたらしい。
それにしたって。相変わらず不遜の塊みたいな男だ。
まったく、なんだってゼルはこんな男の事を──。
まあ、確かに。
容姿的には、男でも見蕩れるほどのイイ男であることは認めるけど、さ。
再びの溜息と共に、アーヴァインは口を開いた。

「‥‥サイファー。君さ。ゼルのことどう思ってる?」
「ああ?」
サイファーは一瞬眉を寄せ、額の傷により深い陰影を刻んだ。
「ゼルだよ、ゼル・ディン。」
「‥‥ああ。チキン野郎のことか。」
アーヴァインはがっくりと肩を落とした。
案の定、サイファーにとっての認識など、所詮そんなものなのだ。
この男がまともに名前で呼ぶのはスコールぐらいで、アーヴァイン自身も「鉄砲撃ち」以外の名で呼ばれたことがない。
サイファーの中では、他人の名前など注意をはらうほどの価値もないのだろう。
「名前ぐらい呼んでやりなって。」
「チキンがなんだってんだ。」
アーヴァインの言葉を無視して、サイファーは一層不機嫌な顔になった。
その時、エレベーターが軽い衝撃と共に一階に到着し、二人は密室から解放された。
エレベーターの前に、人の姿はない。
講義中の時間だから、エントランスホールも人影はまばらだった。

「このあいだの事だよ。新年会の。‥‥ゼルが君のこと好きだって、解っただろ?」
後から降りたサイファーの行く手を塞ぐように立ちはだかり、少し語気を強める。
サイファーは腕を組み、アーヴァインを睨みつけた。
「だからなんだ。」
「だからさ。君はどう思ってるのかと思って。」
「どう思うか、だ?」
彫りの深い顔が小馬鹿にしたように歪む。
「何か思わなきゃなんねえのか。そういう義務でもあんのかよ。」
「義務‥‥っていうか‥‥。」
どうしてこうも、いちいち人の神経を逆撫でする喋り方をするんだろう。
苛立つアーヴァインをよそに、サイファーは鼻で笑った。
「からくり仕掛けのガキのオモチャがあんだろ。つついたり触ったり叫んだりすると反応して動くヤツ。」
「‥‥ああ。」
「ああいうオモチャっつうのは、目に留まりゃ、ついいじくりまわしたくなるよな。」
「まあね。」
「で、だ。貴様はそのオモチャに対してどう思ってる、と聞かれて答えられんのか。」
「‥‥。」
「そういうこった。」
アーヴァインは頭を抱えたくなった。
「そういうこった、って。」
「文句あんのか。」
「‥‥文句もなにも、ゼルが気の毒でいたたまれないよ。」
「なに?」
「まったく、どうしてよりによって君なんかを。」
深い溜め息をつきつつ首を振ると、サイファーは刹那黙り込み、そして片眉を吊り上げた。
「ははあ。なるほどな。」
「‥‥なんだよ。」
「貴様、そっちのケもあんのか。」
え、と見直すと、サイファーは頬を歪めている。
嘲笑を含んだ、野卑そのものの表情だった。
「随分とお節介な野郎だと思ったが。つまり、貴様こそあのガキくせえチキンに参ってるって訳だ。そういうことだろ?」

アーヴァインは唇を引き結んだ。
見抜かれた、ということよりも。
図星を指したと悦に入っているこの男の態度そのものが、腹立たしかった。
「お笑いじゃねえか。ガーデン一の色男が、チキン野郎のケツを追っかけ回してるたあな。」
今にも哄笑しそうにサイファーは言い放つ。
アーヴァインは目を細め、冷ややかに睨み付けた。
「笑うなら笑えばいい。でも、恋愛もしたことない君にとやかく言われたくはないね。」
「レンアイ? は、バカバカしい。要はヤるかヤらねえかだろ。」
サイファーは歪んだ笑いを引っ込めると、苛立たしげに顎をしゃくった。
「貴様はあのガキをヤりてえんだろ? だったらとっととヤっちまえ。俺に遠慮するこたあねえぜ。」
「‥‥サイファー。」
「俺はノーマルだ。野郎になんざ興味ねえ。安心しろ。」

それは、言われなくとも十二分に解っている、けれども。
アーヴァインは暗澹たる思いで呟いた。
「ゼルが好きなのは君なんだよ。」
「知ったことか。」
顔を背けそう言い捨てると、サイファーは痺れを切らしたようにアーヴァインの肩を押し退けた。
コートの裾を翻し、傲慢な白い背中が乱暴な足取りで遠ざかって行く。
その禍々しい背中を睨んだまま、アーヴァインは言葉もなく、ただ小脇の書類を堅く握りしめた。

To be continued.
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