Love In the First Degree(4)
4
あの子供子供したチビが、よりによってこの俺を。
──何度反芻してみても、乾いた笑いがこみあげてくる。
サイファーは独り唇を歪めながら、風紀委員室へと続く廊下を辿っていた。
ガーデンに戻って以来、風紀委員長の職こそ退いたものの風紀委員室には変わらず出入りしており、どうしようもなく暇を持て余した時は、そこに足を向けるのが日課なのだ。
ただ、現在の風紀委員は、かつてサイファーが風神雷神を従えてガーデン内を闊歩していた頃とは、趣が異なっている。
十数人に増えた現在の風紀委員らは、皆ガルバディアガーデンからの編入生である。
そして一様に、素行が良いとは言い難い問題児ばかりだ。
そもそもそれが原因でガルバディアガーデンでも手を焼き、バラムガーデンへの編入を余儀なくされたともっぱらの噂の連中だった。
バラムガーデンに編入されてからも、野外演習中に喧嘩沙汰を起こして他の生徒を傷つけたり、休暇中にティンバーの店で暴れて器物損壊の罪に問われたりと、問題を起こす事、枚挙に暇がない。
そんな彼らが、アウトローの見本のようなサイファーを慕ってその周囲に群がったのは、いわば自然の道理だった。
彼らはこぞって風紀委員を自称すると、サイファーを囲んで風紀委員室を占拠するようになった。
最初の頃は彼らも、古株である風神と雷神への遠慮があってか、かろうじての規律を保っていた。
しかしその後、二人がSeeDとなってトラビアガーデンへ移動してからは、傍若無人な振る舞いに拍車がかかった。
風紀委員の名をふりかざして我が物顔に幅をきかせ、恐喝まがいの事件まで起こしている。
今では、風紀を取り締まるどころか風紀を乱す連中の寄せ集めだと誰もが陰口を叩いている有様だった。
ガーデン上層部でも彼らの処分にはほとほと困り果てているらしく、内々にサイファーが呼び出されて彼らをどうにかしろと諭されたこともある。
だがサイファーは、彼らの暴挙を別段止めるつもりも煽るつもりもなかった。
なぜなら、自分は彼らのリーダーでもなんでもない。
従うことを強制した訳でも頼んだ訳でもなく、ただ連中が勝手に群がってきているだけのことである。
暇つぶしの雑談相手にはなっても、それ以上でもそれ以下でもない連中が、どこで何をしようとどんな問題を起こそうと、自分は無関係であると割り切っていた。
そうしたサイファーの態度は、当然詰られそしられたが、それでもかまわなかった。
誰に何を言われようと、どう思われようと興味はない。
そんな事で気を揉むのは、人から好かれたいとか良く見られたいとかいう欲がある奴に任せておけばいい。
自分はそんな欲とは無縁だし、そもそも他人との関わりなどこっちから願い下げだ。
そう──他人と関わり、感情のやりとりをすることほど、煩わしい事はない。
ましてや恋愛感情など、サイファーにとっては、邪魔な障害以外の何ものでもなかった。
女どもとつきあう中でも、いつも面倒の発端になるモノ。
誰もがこぞって振り回され、時間も労力も無意味に費やすモノ。
好きとか嫌いとか、惚れるとか惚れられるとか、そんなモノは生きていく上では無用の長物でしかないではないか。
そういう意味で。
あの席であの言葉を耳にした時は、お門違いもいいところだ、と内心呆れたのが正直なところだった。
もちろん多少の驚きもあったが、それよりも失笑の方が大きかった。
──あの子供子供したチビが、よりによってこの俺を、だと?
確かに、あの威勢のいいトサカ頭には何かとちょっかいをかけてきた。
このガーデンで、サイファーに対して面と向かって啖呵を切るのはゼルぐらいだったから、からかいがいがあったのだ。
何度小突いてもやりこめても、性懲りもなく歯向かってくる、その反応が単純に面白かった。
だが、後にも先にもそれだけだ。
他に取りたてて感情らしい感情など持ち合わせたことはない。
アーヴァインに言ったことは事実だ。
ほんの暇つぶしや気まぐれに、キャンキャン吠える仔犬を小突き回す行為に、意味や理由なんてあるわけがない。
風紀委員室には、案の定四、五人の連中がたむろしていた。
真っ昼間だというのに、部屋の中は煙草とアルコールの匂いが充満している。
「ようサイファー。ちょうどあんたの噂をしてたんだ。」
輪の中心にいた男が、そう言って立ち上がりサイファーに席を譲る。
使い込まれたソファに腰を据えると、目の前のテーブルにグラスが差し出された。
サイファーは眉をしかめ、琥珀色の液体が入ったグラスを脇へ押しやった。
何となく、そういう気分ではなかった。
「聞いたぜ。あんた、野郎に告られたんだって?」
席を譲った男は、サイファーの隣で自分のグラスを煽り野卑な笑い方をした。
この連中の中ではリーダー格で、現風紀委員長を自称している男だ。
品性のかけらもないその風貌は、SeeD候補生を名乗るよりどこぞの舎弟と言った方が通りがいい。
内心、この男の容貌を嫌悪しているサイファーは、あえて視線を合わせぬまま生返事で答えた。
どうやら、あの新年会での出来事はすっかりガーデン内に知れ渡っているらしい。
男は自分のグラスにボトルを傾けながら畳み掛ける。
「ったく、男にまでモテるなんてよ。羨ましい限りだな。」
「でも解らねえでもねえよ。俺も女だったらあんたには惚れちまうもんなあ。」
おどけた調子で独りが口を挟み、どっと笑いが漏れる。
サイファーは唇を歪めて渋面を作った。
「くだらねえ。」
「んなこと言ってまんざらでもねえんじゃねえか? あのゼルってヤツ、けっこう可愛いツラしてるぜ?」
隣の男は怯む事もなく、薄笑いのまま肘を小突いてくる。
周りにいる連中は迎合して、口々に同意したり頷いたりした。
「だよな。そっちの気のある奴ならほっとかねえかもな。」
「おいおい、お前まさかそっち系かよ。」
「ばっか、俺は女がいいに決まってる。」
「男も悪くねえっていうぜ。」
「ええ、マジか。」
「お前まさか経験あんのかよ。」
「冗談だろ、お前女もまだじゃんか。」
からかいあい、狂躁じみた笑い声を上げる外野をよそに、隣の男は身を乗り出した。
「サイファー、せっかくだからヤってみたらどうよ。」
じろりと睨み下ろすと、男は下品な媚び笑いでサイファーの顔を覗き込んでいる。
「本当に男も悪くねえんだとしたら、こりゃもうけもんだろ。」
「ふざけんな。野郎を食うほど飢えてねえ。」
吐き捨てて、一度押しやったグラスを乱暴に引き寄せる。
男は一瞬言葉につまり、忌々しげに舌打ちをした。
「女で腹いっぱいってか。ちぇ、言ってくれるぜ。」
悔しげな顔を横目に、サイファーはグラスの中身を一息に流し込んだ。
灼けるようなアルコールの感触が、喉を拡げ胃に落ちていく。
隣では、男が愚痴めいた呟きを繰り返す。
「ったくなんであんたばっかりモテるかな。少しはこっちにも回せよ、どうせ余ってんだろ? 友達のよしみでよ、一人や二人‥‥」
──俺がいつ貴様の友達になったっつうんだ。
サイファーは、失笑した。
だが男はまったく気付かぬまま、そうだよな、そうだろう?としきりに周囲に同意を求めている。
まったく、下らない。
そもそも俺は、こいつらと好き好んでつるんでいる訳ではない。
ここに足を向けるのは、単なる退屈しのぎに過ぎない。
任務もなく、唯一の話し相手である総司令官も留守で、訓練施設も空いておらず女の都合もつかない、そういう時に暇をつぶしに来るだけだ。
この下品な連中に気を許した覚えは一度もないし、親しさなど感じたこともない。
それが友達、なんてお笑い草だ。
いつのまにか、目の前のグラスが再び満たされている。
半ば惰性でそれも飲み下した。
急激に回り始めたアルコールで、視界が霞み、わずかに目眩もする。
だが、この馬鹿げた喧噪の中に居るためには、少しぐらい感覚が鈍っていた方が楽だった。
苛立ち尖った神経を麻痺させるためには、これが一番手っ取り早い。
──ただの、退屈しのぎだっつうのに、よ。
ぼんやりと滲んでいく思考の末端で、ふと何かを思いだしかける。
けれどそれはほんの一瞬だった。
野卑な笑い声と雑音にかきけされて僅かな思考力はすぐに霧散し、やがてサイファーは、己が何を考えようとしていたのかさえ忘れてしまった。
To be continued.
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