Love In the First Degree(30)


30

狭いベッドに乗り上がり、細く息を吐く。
ゼルは抗うこともなく、ただ固くシーツを握り締めている。
サイファーはふと動きを止めて眉をひそめた。
「怖えか。」
「え?」
蒼い瞳が、びっくりしてサイファーを見上げた。
「なに‥‥が?」
「何がじゃねえ。‥‥なんつうか。」
言い淀み、ますます顔を顰めることしか出来ない。
あんな目に、あったのだ。
こういう行為自体が、恐怖の対象になってしまってもおかしくはない。
それをこいつの事だから、もしかしたら本当は死ぬ程怖いのを無理にこらえて強がっているだけなんじゃないのか。
頑なに握られた指先を見るにつけ、咄嗟にそう危ぶんだのだった。

ゼルは不思議そうに瞬きを繰り返し、やがてようやく気付いたらしかった。
あ、と声を洩らして拳を緩め、火照った頬を小さく打ち振ってみせる。
「ワ、ワリい。その、ちっと緊張しちまって。‥‥でも、怖えとかじゃねえから。」
「いいのか。」
「ん。‥‥ダイジョブ。」

こっくりと真顔で頷くゼルに、サイファーはかろうじて安堵した。
真っ赤に上気した頬が、切ないほどにいじらしかった。
再び屈み込み、唇を重ねながらシャツをたくしあげ、掌を滑り込ませる。
しなやかな筋肉が、滑らかな皮膚の下でぴんと張り詰めるのが解った。
そろりと掌を胸元へと進め、控えめに存在を主張する小さな突起に触れる。
ゆっくりと撫で、軽く摘むと、にわかにゼルの喉は反り返った。
慌てて声を飲み込もうとするその表情を伺いながら、さらに指の腹で円を描くように捏ねる。
「‥‥っ‥‥」
「キモチイイか。」
掠れ声に問うと、ゼルは唇を噛んだまま眉をしかめた。
「いいなら、素直に声出せ。」
「‥‥っ‥‥は、恥ずかしい、だろ‥‥」
持ち上がった掌が、震えながら顔を覆い隠す。
サイファーはなおも蕾を指先に弄びつつ、その掌に口づけた。
「テメエがちゃんと感じてるかどうか、知りてえんだよ。」
「ん、んな事‥‥。」
「感じるなら声出せ。辛えならちゃんと言え。でねえと‥‥」
と、指先に一瞬力を込める。
ゼルはぴくんと肩を震わせた。
「でねえと、加減が解らねえ。」
「‥‥かげ‥ん‥?」
ゼルは訝って、鼻先に皺寄せた。
無理もない。
これまでのサイファーの挙動からしたら、およそらしくない台詞だ。
自分でも、すこぶる滑稽な理由だと思う。
だが実際、どういう触れ方をし、どんな抱き方をすればいいのかが、皆目解らなかったのだ。

数多の女と寝てきたとは言え、それはあくまで身勝手に欲望を解放するだけの行為に過ぎなかった。
適当に触れて、挿入して律動し射精する、そういう流れ作業だけがセックスだと思ってきた。
いちいち相手の反応などうかがった事もなかったし、ましてやこんな気持ちで──相手を慈しみ、労り、大切にしたいなんて気持ちで抱いたことなど、一度も無い。
だから。
どこに触れれば、感じるのか。
どう触れれば、伝わるのか。
情けないことに、そんな単純な事すらもサイファーは知らなかった。
こいつに優しくしてやりたいと思うのに、思うばかりで方法が解らない。
まるで、初めて手にした宝箱の開け方が解らず、もてあまして途方にくれる子供のようだ。
とてつもなく焦れったくて、歯がゆくて。
じりじりと足の裏を燻されるような、もどかしさばかりが募っていく。

けれども一方で、そんなもどかしさが決して不快でないのも事実だった。
こんな風に戸惑うのも、結局、俺がこいつに惚れているせいなのだ。
そう思うと不思議な高揚感に包まれて、拙い己自身がむしろ誇らしく、愛着さえ覚える。
それは、生まれて初めて味わう奇妙な感覚だった。

胸元でたぐまるシャツが、煩わしい。
釈然としない顔のままのゼルを抱き起こし、ぎこちなく上着とシャツを剥ぐ。
露になった胸板に舌を這わせ、隙間なく唾液を塗り込みながら、脇腹を、腰を闇雲に撫で回す。
「あ‥‥サイ‥ファー‥‥」
躊躇いがちな声で名を呼ばれ、背中が戦慄した。
改めてゼルの顔を見直すと、真っ赤に染まった眦と小刻みに喘いでいる唇に、目が釘付けになる。
──なんてえツラだ。
こいつがこんな顔をするなんて、今まで気付きもしなかった。
羞じらいながらも艶かしい蠱惑に彩られたその顔は、まるで──初めて知る淫らな快楽に溺れる、無垢な天使のそれだった。
見つめているだけで煽られ、激情が迸り、油断したら今にも奔流に足元をすくわれそうになる。

サイファーは喘ぎながら徐々に体をずらし、ゼルの下衣を下着ごと引きおろした。
太腿に、膝に、そして内股にも夢中で唇を押し当てる。
視界の端では、露になった陰茎が誇らかな弧を描き、呼吸に合わせて震えている。
「‥‥今日はちゃんと勃ってやがんだな。」
掠れ声に呟くと、ゼルはぐ、と声を詰まらせた。
条件反射なのだろう、普段の負けん気がちらりと顔を覗かせ、白い犬歯が閃いた。
「あ、あたり前だっ‥‥そんな、されたら‥‥」
「つまりキモチイイって事か。」
サイファーは目を細め、屹立した裏筋を撫で上げた。
「んっ、あ!」
「なら、もっと良くしてやる。」
唇を寄せ、滑らかな亀頭に口づける。
ゼルはぎくりとしたように腰を退いた。
「ちょ‥‥サ、イファー、や、やめろよ‥‥」
「テメエだってしてくれたろが。」
「で、でもっ‥‥あ、ぁあ!」
構う事なく口に含むと、上擦った嬌声が迸った。
舌の上で熱い楔は一段と硬度を増し、踊るように上顎を叩く。
その、素直な反応にますます煽られた。
唇でリズミカルな摩擦を加えつつ、雁首をねぶり、舌先で鈴口をくじる。
あの時の、衝撃的なまでの快感。
それをこいつも感じているのかと思うと、あたかも自らが含まれているかのような興奮が襲い掛かった。
──たまんねえ。
早く、一刻も早くコイツの中に入りてえ。
駆り立てられ、急き立てられて、居ても立ってもいられなくなる。

溢れる先走りと唾液を掬い取って、谷間へと差し入れた。
ゼルは竦み上がり、一瞬息をひそめた。
その不安げな顔が、胸の奥の小さな罪悪感を揺り起こす。
サイファーは詫びるような心持ちで、できるだけゆっくりと指を埋めた。
細く、甘い呻き声が洩れる。
蠕動して震える内壁に誘われつつ、そのまま一定の速度で抜き差しを繰り返した。
「あ‥っ‥‥サイ‥‥ファ‥‥あ‥」
一度溢れ出した声は、せわしない喘ぎとなって次々とサイファーの上に降り注いだ。
その旋律に酔いしれながら、指を増やしさらに奥を探る。
ゼルは身をよじり、サイファーの肩口にしがみついた。
悶えながら時折戸惑ったように瞼を開き、見下ろすサイファーと目が合うと慌てて再び瞼を伏せる。
「痛えか。」
尋ねると、ふるふると首を振る。
そんないたいけな仕種ひとつにも、じくじくと股間が疼いてしまう。
──駄目だ。
もう、耐えられない。

「‥‥ゼル。挿れるぜ。」
「ん‥‥」
消え入りそうに頷いたゼルは、その時はたと蒼い瞳を開き、短く声を上げた。
「あ。‥‥な、まえ‥‥」
「あ?」
「オレの、名前‥‥」
「ああ‥‥。」
サイファー自身も気付いて、苦笑した。
指を抜き、両膝を高く抱え上げてそっと先端を押し当てる。
「名前ぐれえこれからいくらだって呼んでやる。」
呟いて、大きく深呼吸し、じわりと腰を進めた。
熱い粘膜が、蠕動しながらゆっくりサイファーを飲み込んでいく。

──熱い。
熱くて、この上なく、甘い。
苦痛だけは与えるまいと必死で己を制しながらも、その淫らにからみついてくる内壁の感触に、あえなく理性が飛びそうになった。
根元まで埋めて、しっかりと腰を支える。
ゼルは激しく胸板を波打たせ、不規則に喘いでいる。
その口許に軽く唇を落としてから、サイファーは緩やかに律動を開始した。

五感の全てが局部に集結し、暴力的なまでの快感が、狂った獣のように体中を暴れ回った。
まるで沸騰する蜜壷に頭から放り込まれてめちゃくちゃに撹拌されているかようだ。
まとわりつく蜜は動くごとに粘度と濃度を増して、もがけばもがくほどにより深い快楽の淵へと引きずり込まれてしまう。
サイファーは喘ぎ、遮二無二ゼルの躯を引き寄せた。
加速していくサイファーの動きにあわせて滑らかな肌がのたうち、掲げた膝が痙攣を繰り返す。
「サイファー‥‥サイ‥ファ‥‥っあ‥!」
穿たれるたびにゼルは声を上げ、声を上げるたびに恥ずかしげに顔を背けた。
その仕種が愛しくて、可愛らしくてたまらない。
より声を促そうと深く奥を探るうちに、より切なげな嬌声が響く箇所に気付いて、あえてそこを突き上げる。
ゼルは悲鳴を上げ、嗚咽を洩らした。
「ひっ、あ‥‥っ、ああ!」
「ココがいいのか。」
「んぅ、んっ‥‥!」
懸命に頷こうとするゼルの顎を捉え、その頬に、鼻筋に何度も唇を落とす。

走り抜ける戦慄の間隔が、徐々に狭まっていた。
今にも襲い掛かろうとする絶頂感に、サイファーは呻いた。
狂おしいまでの焦燥に煽られ、半ば無意識にゼル自身を握り込み、強い摩擦を加えた。
ゼルは大きく背をのけぞらせ、サイファーの首筋にきりきりと爪を立てた。
豪流となった血流がどくどくと一点になだれ込み、そのまま目も眩むほどの高みへと吹き上がって上昇していく。

「い‥‥サイファー、っ‥あっ、く、あああ!!」
「‥‥っ‥‥!」

掌の中の肉塊がびくりと硬直し、温かな精を吐いた。
強烈な括約筋の収縮に絞られて、サイファーもまた、ほとんど同時にそれを奥に放った。
目映いばかりの閃光が、瞼の裏を貫いた。
鮮烈な快感が火花のように次々と炸裂し、きらびやかな余韻の尾を残しながら、スローモーションで地に落ちていく。

脱力感に身を預け、サイファーはゼルの上に倒れ込んだ。
荒ぶる息遣いが交錯し、噴き出した汗に素肌が滑る。
ゼルが、かすかな痙攣を残す両腕で、サイファーの背中をそっと抱き締めた。
その指先から、掌から、優しい日向のような温もりが静かに流れ込んで来る。
満ち足りていた。
熱い想いが一分の隙もなく心を満たし、満たしてもなお膨張して、溢れ続けた。
──俺は、コイツを、愛している。
まごう事のない確信と誇らしさで、なりふり構わず叫び出したいほどだった。
誰かを愛するということ、そして愛する者を抱くということ。
当たり前すぎるくらいに当たり前で単純な、感情と行為。
それらを否定し蔑んでさえいた自分のいかに愚かだったことか。
もう、二度と。
心地よく幸福なこの温もりを、二度と離したくない。
身勝手だと詰られようとも、傲慢だと責められようとも、関係ない。
俺はコイツを──誰よりも、愛している。

呼吸が整うのを待って、夢見心地にうっとりと瞼を開く。
ゼルは、深く潤んだ瞳で、じっとサイファーを見上げていた。
「‥‥辛かったか。」
覗き込みながら、掌で頬を包み込む。
はっとしたように、頭が左右に小さく振れた。
「や。えと。その‥‥。」
「なんだ。」
「‥‥き‥‥。」
「ああ?」
「‥‥気持ち良か‥‥った‥‥。」
蚊の鳴くような声で呟いて、俯いた頬にぱっと薄紅色が散った。
素直すぎるほどに素直なその答えにサイファーは目を細めた。
崩れた前髪に口づけてから身を起こし、傍らに横たわる。
ゼルははにかんだようににじり寄って肩口にもたれかかった。
その心地よい重みをしっかりと抱きしめながら、不意に感傷が胸をよぎった。

「‥‥ゼル。」
「ん?」
「テメエは‥‥オレが、今までしてきた仕打ちを許せるか。」
ゼルが視線を上げる気配がした。
目を合わせるのが何となく憚られ、天井を見据えたまま低く呟く。
「もちろん忘れろなんて言うつもりはねえ。償いはこの先いくらでもしてやる。テメエがイヤっつうほど、もうたくさんだってうんざりするぐれえにな。‥‥だがどんなに償ったところで過去は消えねえ。テメエはそれでも‥‥」
俺を許せんのか、と続けようとして、サイファーは肩口に軽い痛みを覚え口を噤んだ。
見ると、ゼルがサイファーの肩に爪を立てていかにも不満げに鼻先に皺寄せている。
「‥‥? なんだ。」
「許すも許さねえも。オレ、はなっからんな風に思ってねえよ。」
「‥‥。」
「何をしようとあんたはあんただ。オレはただ、ずっと‥‥ずっとそういうあんたが好きだったし、これからだって‥‥。」
と語尾を震わせ、こそりと雛鳥のように胸元に顔を埋める。
「‥‥償いなんて、いらねえよ。あんたが居てくれれば、それだけで‥‥オレ、すげえ嬉しいから。」
黄金色の髪が顎を撫で、喉をくすぐる。
その柔らかな感触の合間に、サイファーはふと、遠い日の光景が蘇るのを感じた。

打ち寄せる波、石造りの家、屈託のない子供達の歓声。
時には笑いながら、あるいは涙を浮かべながら、まっすぐにサイファーを見上げていた、幼い蒼い瞳。

──もしかしたら、俺は。
無意識の内に探し求めていたのかもしれない。
己の居場所を。本当に帰るべき場所を。
何があっても必ず己を待っていてくれる、温かな閨を。
いや、探していたと言うよりむしろ、思い出そうと足掻いていたというべきか。
かつて幼い頃は確かに存在していたそれを、俺はずっと見失っていた。
喪失感を抱えたままただ闇雲に歩き回って、出口のない袋小路に迷い込んでいた。
本当は、立ち止まって振り返りさえすれば良かったのだ。
変わらぬ笑顔で「おかえり」と迎え入れてくれるかけがえのない存在は、いつだってそばに、手の届くところにあったのだから。

そっと窺うと、ゼルは腕の中で穏やかな呼吸を繰り返していた。
半ば、微睡んでいるのかもしれなった。
満足して安心しきった無垢で無防備な寝顔は、まるで幼い頃そのままだ。
汗ばんだ眦を指先でなぞって、サイファーは小柄な躯を再び強く抱き締めた。

窓から差し込む、まだ浅い午後の陽射しが微かに揺らぐ。
それは露なゼルの背中にまばゆく照り返って、隆起したシーツの水面に柔らかな影を描き出していた。

To be continued.
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