Love In the First Degree(6)


6

アーヴァインは、待っていた。
時刻はすでに消灯時間に近い。
考えてみれば、誰かを待つことなど普段はあまりないし、もっぱら待たれることの方が多い。
待つ、っていうのはある意味、惚れた弱味だよなあ、と何となく思った。

食堂で遅い夕食を終え、部屋に戻ろうとしたところを突然呼び止められた。
話があるんだけど、と切り出され、部屋に行ってもいいかと問われた。
断る理由などあるはずもない。
他ならぬゼルの申し出なのだ。
二つ返事で承諾し、部屋に戻ったものの、すでに小一時間が経っている。
どうしたんだろうとさすがに少し心配になってきた。
ここではちょっとアレだから、と口ごもっていたゼルの、思い詰めたような表情を思い返すにつけ、落ち着かない。

アーヴァインは雑誌を投げ出し、もう一度時計を眺めた。
もしかしたら気が変わったのかもしれないが、そうだとしても約束を自ら反古にするようなゼルではない。
一応こちらからゼルの部屋に行ってみよう、そう思って立ち上がったその時。
ドアにノックの音がして、アーヴァインはいっぺんに脱力した。
一足飛びにドアに近付き、ロックを解除する。
横に滑ったドアの向こうには、待ち焦がれた小柄なトサカ頭が、所在なさげに立ち尽くしていた。

「ワリい、遅くなっちまって。」
「いいよいいよ、どうせ暇だし。」
我ながら陳腐な台詞だなあ、と内心苦笑してしまう。
ゼルは心底申し訳なさそうに、もう一度ごめんなと呟いてそろそろと部屋に入ってきた。
「適当に座って。何か飲むでしょ?」
「おう。あ、あんがと。」
ぎこちなくベッドの隅に近付き、浅く腰を下ろすゼルを視界の端に留めながら、アーヴァインは作りつけの小さな冷蔵庫に近付いた。
SeeD寮の部屋の作りは一様に同じで家具の位置も変わらないのだが、それでももの珍しそうにきょろきょろと辺りを見回している様が微笑ましい。
「そう言えば僕の部屋にくるの、ゼルは初めてだねえ。」
「あ、ああ。あんま他のヤツの部屋って行かねえし。」
はたとアーヴァインの方を見直し、ゼルは慌てたように頷いた。
本当に、いつ見ても落ち着きがない。
だが、そこがまた、愛おしい。
胸の奥の疼くような衝動をこらえつつ、冷蔵庫の上のコーヒーメーカーからデカンタを取り上げる。
「コーヒーでいい?」
「あ、ええと。砂糖とミルクあるか?」
「あるよ。」
「じゃあ貰う。」
アーヴァインはマグカップにコーヒーを注ぎ、ベッドのそばに戻った。
砂糖とミルクを入れた方のカップを差出すと、両手で受け取り、恐る恐る口をつける。
「苦かった?」
「や、ダイジョブ。」
そう言いつつも、僅かにしかめた眉を見れば無理をしているのがすぐに解る。
アーヴァインは笑って戸棚に取って返し、角砂糖をひとつつまんでくると、ゼルのカップに入れてやった。

「それで。話って何だい?」
切り出すや否や、ゼルは表情を強張らせた。
しまった、と一瞬後悔が胸をよぎる。
何も急かす事はなかったかもしれない。
話し辛いことだからこそ、わざわざこうして場所も選んだのだろうに。
「あ、ごめん。話しづらい事なら焦らなくていいよ?」
だが、ゼルは何かを振り切るように軽く頭を振ると、いいんだ、と言った。
「話、っていうか。聞きてえこと、があって。」
「うん。なに?」
デスクチェアを引き寄せ、腰掛けて身を乗り出す。
「変なコト‥‥だけど、そんでもいいか?」
「いいよ。何でも聞いてよ。」
穏やかに促すが、まだ躊躇があるらしく、ゼルは視線を泳がせている。
アーヴァインは根気良く待った。
ゼルの仕種のひとつひとつを間近に注視できる幸せを噛み締めながら、待つのは少しも苦ではない。
やがて意を決したように、ゼルはまっすぐ顔を上げた。

「お前、男と‥‥その。したこと、あるか?」

あやうく、手にしたカップを取り落としそうになった。
「え、え?」
さすがに面喰らってまじまじと見直すと、ゼルは真っ赤に染まった頬で俯く。
「え、と。それは。‥‥セックスのこと、言ってるのかい?」
「‥‥。」
ゼルはますます小さくなって俯いてしまった。
どうやら、念をおすまでもなさそうだ。
アーヴァインは困惑しながらも、かろうじて姿勢を正した。
「残念ながら‥‥その経験はないよ。でも、どうして?」
なぜ、そんな事を聞きたいのか。
あらゆる可能性と憶測が、頭の中を飛び交い入り乱れる。
その中でも、最悪の想像が胸中をかすめて、アーヴァインは頬を引きつらせた。
「‥‥まさか‥とは思うけど。」
「な、何だよ。」
「君はそういう経験あり、ってこと?」
すると、途端にゼルは大きく目を見張り、激しく頭を振った。
「ち‥‥違っ! ねえよ! ねえから、だから解んなくて聞きにきたんじゃねえか!」
「解らないって、何が?」
「やり方だよ! お、男同士はどういう風にやんのかなって!」
鼻筋に皺寄せて叫ぶと、ゼルは放心したようにがくりと肩を落とした。
「お前なら知ってるかもしんねえ‥‥って思って。‥‥他に聞けそうなヤツ、いねえし。」

アーヴァインはますます呆気に取られた。
「やり方、を知りたいの?」
ゼルは、こくりと小さく頷く。
「どうして?」
「それは。」
言葉をつまらせ、蒼い瞳がしばしばと瞬く。
「‥‥ワリい。聞かねえでくれよ。」
消え入りそうな声は、今にも泣き出しそうだ。

アーヴァインは黙り込んだ。
この状況をゆっくり吟味し、理解する時間が欲しかった。

話がある、とゼルが切り出した時から、恐らくそれ絡みの事だろうとぼんやり予感はしていた。
あの新年会の一件は、酒席であったことが功を奏してみな冗談だと受け取ってくれたらしく、その後もさしたる騒ぎにはなっていなかった。
しかしそうは言っても、陰で口性ないことを囁きあう連中ももちろんいるだろう。
元々敵は作りにくいゼルだが、逆にそれを妬まれ、ここぞとばかりに中傷されないとも限らない。
だからあるいは、そんな陰口を耳にしたゼルが、悩んだ挙げ句にこうして相談にきたのではないかと思っていたのだ。
それが、よもや、そんな事を尋ねられるなんて。
──いや。
ことがことだけに、あの男がまったく無関係であるとは思えない。
おそらく、何らかの形で関わっているのは間違いないだろう。
だが面と向かって尋ねたところで、ゼルがまともに答えるだろうか。
聞いて欲しくないと訴えているものを、無理矢理聞き出したところで、ゼルを傷つけるだけではないのか。
目の前で項垂れているこの小柄な肩を、これ以上追い詰めることに何の意味があるだろう。
理由はどうであれ、今のゼルは、困惑し、戸惑い、行き場を失って震えている。
切羽詰まって自分を頼り、自分しかいないと助けを求めているのだ。
この際、冷静に訳を問い質し追求するなど──二の次、ではないか。

「‥‥解ったよ。教えてあげる。」
深く椅子に座り直し、アーヴァインは頷いた。
「そのかわり、ひとつだけいいかな。」
「え。」
恐る恐る伺う上目遣いの蒼い瞳と、薄く染まったままの眦。
アーヴァインは昂りそうになる衝動を抑え、ゆっくりと言った。
「これから先は、何かあったら必ず僕に相談してくれること。僕には隠さずに、何でも話してくれること。いいかい。」
「何でも?」
眉を寄せ、ゼルは考え込む素振りを見せた。
だが、ほどなく顔を上げると、きっぱりと言った。
「解った。お前には、ちゃんと話す。」
「約束だよ。」
「おう。」
緊張した面持ちで真剣に頷くゼルに、アーヴァインは思わず微笑んだ。
この、大切な宝物を、ひとときでも独占できるのなら。
理由や口実なんてどうだっていい。
たとえその心が他を向いているのだとしても。
今この瞬間、目の前に繋ぎ止めておけるのなら、それでいいんだと思わずにいられなかった。

To be continued.
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