Love In the First Degree(7)
7
「何よ、それ! 馬鹿にしないで!」
貴色い罵倒と共に飛んできた平手打ちを、サイファーはあっさりと躱した。
女は悔しげに眦を吊り上げ、唇を歪めている。
「私、こんなの厭よ! 目的がそれだけなら、他の相手を探せば!」
「言われねえでもそうする。」
サイファーはせせら笑い、ドアに向けて顎をしゃくった。
「すんなり股も開けねえような女に用はねえ。さっさと出てけ。」
「出てくわよ! この下司野郎!」
捨て台詞と共に力任せにドア横の壁を蹴りとばし、彼女は憤まんやる方ない足取りで出ていった。
残されたサイファーは、舌打ちをしながら首筋を擦った。
これだから、ガーデンの女は扱いにくいのだ。
なまじ頭が良いだけに、プライドの高い女が多すぎる。
最初から割り切って、すんなり躯を提供してくれる女ももちろんいるが、あいにく今夜は心当たりの相手が軒並み捕まらなかった。
仕方がないと妥協して、携帯に入っている適当な相手を呼び出してみたものの、結果はこのていたらくだ。
こっちはただ、突発的にわきおこった欲求を満たしたいだけだというのに。
下半身を支配している鈍い疼きに顔をしかめ、ベッドに投げ出したままの携帯電話を摘み上げる。
液晶画面に表示された時刻は、はや消灯時間を過ぎていた。
リストを表示するためのボタンに一旦指をかける。
だが、今しがたの寸劇を思い出して馬鹿馬鹿しくなり、再び電話を放り出した。
誰を呼び出したところで、同じことだろう。
今夜は諦めてやりすごすしかないらしい。
女に不自由しない身の上とはいえ、たまにはそういう夜もある。
ガーデンに所属するSeeDである以上、それは逃れられない。
SeeDという身分はこういう時には枷になる。
なんだってこんな下らねえ場所におさまっちまったのか、と自嘲せずにおれない。
SeeDになったのは、ガーデンに居続けるためにはそれが必須の条件だとつきつけられたからだった。
SeeDでもない単なる戦犯を、ガーデンに所属させておくわけにはいかない。
そう宣告され、半ば強制的にSeeD試験を課せられた。
無論、そんな条件はつっぱねることもできた。
そもそも自分はガーデンに戻るつもりなどなかったし、この「庭」に今さら思い入れもこだわりもない。
SeeDにならねばガーデンに居られないと言うのであれば、再びガーデンを去ってしまえばいいだけの話だった。
にも関わらずそうしなかったのは。
単に面倒だったから、だ。
あの頃は、すべてがどうでも良かった。
右に流されようと左に押しやられようと、自分の今後の身の上などまったく興味がなかった。
無気力に支配された日々の中では、抗い反発するよりも、唯々諾々と従い流される方が遥かに楽だった。
その結果、気がついたらSeeDにおさまっていたのだ。
けれども、枷となる一方で、これはこれで良かったのかも知れねえ、と思うこともある。
居心地の善し悪しはともかくとして、とりあえず居場所がある、というのは救いであるには違いない。
あの事件を経て、そう妥協できるぐらいにはサイファーも成長していた。
あの時、突然目の前にあらわれて無理矢理ガーデンに連れ戻してくれたスコールに対しても、今では淡い感謝の念さえ抱いている。
──そうだ、スコール。
あれの部屋に行ってみるか。
サイファーは思いたち、ドアへと近付いた。
多忙なガーデン総司令官のことだから今夜もまた留守かもしれないが、確かめるだけの価値はある。
たとえ在室だとしても、こんな時間に何だと咎められ、俺は忙しいんだと眉をしかめられるに決まっているのだが、そんなことは構わない。
持て余してひとり鬱々とするより、無駄でもいいから何か目的をもって動きたかった。
コートを引っ掛けつつ、横に滑ったドアをくぐる。
が、廊下に出た途端、サイファーはぎょっとして身構えた。
ドアの前に、人がいた。
不意打ちを食らったように真ん丸に目を見開いて。
サイファーよりも頭ひとつ小さい、小柄なトサカ頭が、そこに立ち尽くしていたのだ。
──どういうことだ。
サイファーは訝しんだ。
最近、やたらこいつと鉢合わせている気がする。
偶然にしちゃ出来過ぎた話だが──いや。違う。
今回はどうやら偶然ではないらしい、とすぐに気付いた。
ここ、サイファーの部屋は、SeeD寮の中でも奥まった位置にある。
こんな時間に、こんなところを、用もなく通りかかる人間などいるはずがない。
ということは、つまり。
「‥‥なんか用か。」
憮然と声をかけると、ゼルはやっと我に返ったようだった。
「あ。いや。お、女の子が飛び出してきたからなんだろって思って。」
嘘つけ、とサイファーは内心毒づいた。
この奥まった部屋からあの女が飛び出していくのを見たというのなら、その前からここにいたということだ。
なぜここにいるのか、という理由にはなりえない。
いくら咄嗟のこととはいえ、そんな見え透いた嘘しかつけないなんて。
──こいつ。馬鹿、じゃねえのか。
金色のトサカ頭を無言の威圧をこめて睨みおろすと、ゼルは慌てて肩をすぼめた。
「ご、ごめん。ホントは‥‥その、あんたに話‥‥が。」
すでに天井の照明が落とされた廊下は薄暗く、肌寒い。
あたりはしんと静まり返って、物音ひとつしない。
そんな中、壁に寄り掛かるようにして俯いているゼルはひどく心細さげで、いつもの小生意気で威勢の良いチキン野郎とはまるで別人のようだ。
「なんだってんだ。用ならさっさと言え。」
なかなか次の言葉を発しないゼルを、苛立ちのあまり尖った口調で促す。
するとゼルは、弾かれたように顔を上げた。
「オレ。勉強、ちゃんとし、してきたから‥‥っ。」
「ああ?」
何となく気圧され、サイファーは片眉を吊り上げた。
「勉強? なんのことだ。」
「何、って。あ、あんたが言ったじゃねえか! 勉強してくるんなら、って‥っ‥!」
「俺が?」
訳がわからず、サイファーは渋面のままゼルを見据えた。
朧げな記憶を辿り、手繰り寄せ、そしてようやく思い当たる。
──そうか。あの、訓練施設の時の──。
だが。
思いだすと同時に、吹き出しそうになった。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、笑いの衝動がつき上げてくる。
「‥‥テメエ。あんな冗談を真に受けたのか?」
「じょ‥‥冗談‥‥?」
堪え切れず、肩を小刻みに揺らすサイファーに、ゼルはぽかんと口を開いた。
その小動物みたいな間抜け顔がますます可笑しくて、サイファーはとうとう声を上げて笑い出した。
「冗談に決まってんだろ。馬鹿かお前。」
「‥‥!」
「なんで俺がわざわざ野郎と寝なきゃならねえ。オンナに不自由はしてねえっつうの。」
視界の端で、真っ青になった頬が凍り付いた。
──コイツ。マジで、馬鹿だ。
当の本人に指摘されるまで、冗談だと気付かないなんて。
いくらなんでも、間抜けにもほどがある。
一度笑いに取り憑かれた腹筋はなかなか鎮まらず、サイファーは体を折るようにして笑い続けた。
一方、項垂れた哀れな鳥頭はじっと唇を噛んでいたが、やがて。
「そ‥‥そっか、そう、だよな。」
震える唇を引きつらせ、ぽそりと呟いた。
「ワ、ワリい、オレ、その‥‥冗談だって解んな‥‥くて。」
「何謝ってんだ。」
笑いの余韻に軽く喘ぎながら、サイファーは毒づいた。
ゼルはちらりと視線を上げ、すぐにまた俯いて首を傾げた。
「なんで‥‥だろ。‥‥よく解んね‥‥。」
小柄な肩が、わなないている。
力無く垂らした両腕の先で、固く握りしめられた拳も震えている。
青ざめた頬にくっきりと映える、黒のトライバル。
その先端で潤んでいる、大きな蒼い瞳。
子供じみた鼻筋、滑らかな額。
──あのゼルってヤツ、けっこう可愛いツラしてるぜ。
いつぞやの野卑な声が脳裏をよぎり、サイファーは、ふと目を細めた。
有り得ない、信じられない衝動に、ざわりと鳥肌が立った。
ひとしきり笑ったせいで、冷静な判断に隙が出来ていたのかもしれない。
笑いという感情の高揚で、理性の歯車がうっかり食い違ってしまったのかもしれなかった。
いずれにせよ。
一度は忘れかけていたというのに、蘇ってきたあの疼きが、無節操にそして否応なく下半身を侵食していく。
「チキン。」
低くくぐもった声を洩らすと、ゼルは恐る恐る顔を上げた。
大きく踏み出し、肘を掴んで、力任せに引き寄せる。
バランスを崩したゼルはよろめき、ぶつかるようにして腕の中に倒れこんできた。
何が起こったのかと驚愕し、戸惑う瞳がサイファーを見上げる。
その深い蒼を見据えながら、顎を掴んで上向かせると。
サイファーは、覆い被さるようにして素早く唇を重ねた。
To be continued.
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