SUCK OF LIFE(1)
1
その男は、延々と繰り言にも似た抗議の言葉を並べ立てていた。
ソファに沈めた肥満しきった体は、軍服姿が似合っているとはお世辞にも言い難い。
肩章や胸元にぶら下げられた勲章やメダルの数々も、幼稚な子供の玩具にしか見えない。
ただ目深にかぶった軍帽だけがかろうじてこの肥満男を唯一軍人らしく見せていたが、それとて恐らくは禿上がった前頭部を隠すためのアイテムに違いないとサイファーは踏んでいた。
おまけに声はきいきいと甲高く、鼓膜に砂をなすりつけられるような不快感がどうしても拭えない。
人間に化けたモンスターじゃねえのか、とさえ思った。
だがそうやって内心冷笑して居られたのも最初のうちだけだった。
肥満ハゲの抗議の長広舌が10分に及ぶに至り、冷笑は不快に、不快は苛立ちに変わり、もはや抑えようのない怒りにまで達しようとしている。
さらにその怒りに拍車をかけるのが、肥満ハゲの沈んだソファの背後にひっそりと佇むもう独りの男だった。
目前にうずくまる肥え太った体躯と対象的に、すらりとした長身に一部の隙もなくぴったりと軍服を着こなし、微動だにせずそこに立ち尽くしている。
肥満ハゲに並ぶようにして部屋に入ってきたものの、己はソファに掛けずに背後に控えた態度からして、恐らくハゲの部下なのだろう。
階級と姓名は肥満ハゲによって最初に告げられたが、聞くつもりなどなかったから覚えていない。
ただ、軍帽を捧げ持った胸元に並ぶ勲章の数からして、軍の幹部の独りであることは間違いない。
歳は四十半ばといったところか、短い黒髪をきっちりと撫で付け、ぴたりと延ばした背筋が、理知的で毅然とした印象を与える。
いかにも軍人らしい、いわば軍人将校の手本のような男だった。
彼は慇懃にハゲの背後に控えたまま、一言も発することなく話の成り行きを見守り続けていた。
無論それだけならば、別にサイファーのカンに触る事もない。
実際、この会談が開始されてからしばらくの間は、男の存在など気にも止めなかった。
だがある時点で、肥満ハゲのきいきい声に眉を顰め思わず視線をそらした拍子に、その事に気付いて俄然胸糞が悪くなったのだ。
彼は、まじろぎもせずにサイファーを注視していた。
それも偶然目があったというのではない。
明らかに最初からずっとサイファーを見ていたらしく、視線が合うとその目許に、あるかなしかの微笑さえ浮かべたのである。
これが、癪に触った。
愚弄されている、と感じた。
サイファーは露骨な怒気を含んだ瞳で男を睨み返してやったが、男は怯むどころかなおもまっすぐにサイファーを凝視し続ける。
なんなんだ、こいつは。
しょうがねえガキだと鼻で笑ってるつもりか?
ぎりぎりと歯ぎしりをするそばから、テーブル越しにまたあの耳障りな声が飛んでくる。
「一体どういう教育をしているのかまったくもって納得しがたい!」
唾を飛ばしつつ、滑稽な程のオーバーアクションを交えて、肥満ハゲは叫び続けていた。
そのきいきい声の矛先は一応学園長に向けられているのだが、時折その細い眼窩の端でサイファーにちろちろと視線を投げる。
だがその目の色は背後に立つ男の余裕然とした視線とは対照的で、まるで戸の隙間から様子を伺う狡猾な鼠のようだ。
怒りを覚えるというよりも唾棄したくなるほど鬱陶しい。
肥満ハゲ鼠は肉に盛り上がった掌でばんばんとテーブルを叩くと、なおも喚いた。
「そもそも傭兵の何たるかがわかっておらん!我々が欲しいのは戦力だ!暴力ではない!」
「おっしゃる通りです。」
学園長は浅くうなずきながら、先程から何度も繰り返されている言葉を口にした。
口調は重く深刻な表情を浮かべているが、内心は何を思っているのか。
相手がハゲ鼠なら、こっちは腹黒い狸だろう。
「我軍とて無益に高額な金を払っておるわけではないのだぞ! いや、もはやこのような事態になった上では払う義務などない!」
ばん、と一際大きな音を立ててテーブルを叩き、それを機にようやくハゲ鼠はきいきい声を途切らせた。
さすがに息切れしたらしい。
すかさず、学園長は言葉を発した。
「無論です。当ガーデンも今回の件に関して貴軍に報酬を請求するつもりはありません。」
「ほう。」
ハゲ鼠は軽く顎をひき、背もたれに寄り掛かった。みしみしとソファーが鳴る。
「それで?」
「今回の件で貴軍が被った被害のうち、明らかに我々に責任があると思われる点に関しては、全面的に弁済させて頂きます。」
「具体的には?」
「負傷した貴軍の兵士達の治療費と彼等に対しての慰謝料です。」
「それだけかね。」
不満げに鼠の鼻が鳴った。
「それ以外に関しては、当方の責任とは判断し難い部分もあります。」
「なんだと!」
「そもそも今回の事件の発端は命令系統の混乱ですから。これは貴軍の責務として処理されるべき問題では?」
やんわりと浮かべた笑顔は、しかし有無を言わせぬ威圧感がある。
やはり狸だ、とサイファーは思った。
ハゲ鼠はむう、と低く呻いて黙り込んだ。
痛いところをつかれた形だ。
その点に関しては既に調査もなされ、最高司令官と分隊司令官との間に極めて個人的確執があった事が明らかにされていた。
そう、原因は、ささいな命令経路の錯誤に過ぎなかったのだ。
すでに戦局は終盤へと向かっていた時だった。
ほとんどの分隊には撤退命令が下され、一部抵抗をやめないレジスタンスの制圧のために2、3の分隊だけが残された。ガーデンに傭兵の要請があったのは、そんな状態の時であり、残った分隊の最前戦闘員として4、5名のSeeDを至急寄越して欲しい、というものであった。
だが、生憎SeeDは出払っており、頭数が足りなかった。
そこで学園長は一計を案じ、SeeD候補生の実地試験を兼ねてという形で良いのなら、2名の正SeeDと候補生を3、4名派遣できるが、と返答した。
無論報酬も正SeeD二人頭の分で良いし、候補生といえども明日にでもSeeDになるべき素質のある者達だから、との注釈をつけてだ。
報酬の安さに惹かれたか、あるいはよほど戦局が切羽詰まっていたのか定かではないが、相手はすぐにこの申し出に快諾した。
そこで、来週に予定されていたSeeD実地試験が急遽繰り上げられた形で、2名の正SeeDと、サイファーを含む4名のSeeD候補生が派遣されたのだ。
だが。
実際に現地に到着した彼らを迎えたのは、そんな傭兵ごときを分隊に加えるような指示は受けていない、と言い張る分隊司令官だった。
後に分かった事だが、実際は最高司令官から確かにこの件に関しての命令を受けていたにも関らず、分隊司令官がそれをまったく信じなかった、という事らしい。
傭兵要請の証明書や派遣命令書を示しても、そんなモノはいくらでも偽造できる、上部への指示をあおぐまでは行動一切罷りならん、と主張して聞く耳持たず、さらには敵軍のスパイの疑いがあるから軟禁する、とまで言い出した。
ここにきて、サイファーはキレた。
拘束しろという司令官の命令を受けて取り囲んだ兵士達を一刀のもとに薙ぎ払い。
さらに、コトもあろうに分隊司令官にまで切り掛かってしまったのである。
他の2人のSeeDに止められたため、幸い司令官に対する暴行は未遂に済んだ。
しかし結果、負傷した兵士が5名、うち重傷が2名。
彼等はその場で逮捕され、軍の最高指令部に送られた。
無論そこで傭兵派遣の事実は証明され、分隊司令官には上部からの命令無視のかどでそれなりの処罰が下される結果になった。
そしてサイファーの凶行はと言えば、当然処罰されて然るべき行動だったのだが。
軍としては、傭兵派遣機関であるガーデンとの今後の関係を危ぶんでの事だろう、SeeD達の処分はガーデンに一任するという形で強制送還されたのだった。
その後、日を追って、事後処理のためにガルバディアから対外交渉官がガーデンを訪れた。
それが、この肥満ハゲ鼠らなのだ。
「わかった。金銭的な事に関してはそれで承諾しよう。」
ハゲ鼠は横柄に言って、またもやちら、とサイファーを見た。
「で。この狂犬はどう処分するつもりかね。」
ぴく、とサイファーの頬が引きつる。
しかし学園長はあくまで穏やかに言った。
「謹慎処分に処します。」
「謹慎!? それだけかね!」
「それだけです。」
あっさりと学園長は言った。
「こいつは正SeeDではないのだろう!ならば今後正SeeDになる権利を剥奪するくらいは当然ではないのか! このような狂犬が傭兵になる事自体、危険因子であろう!」
再び激した感情に、甲高い声をいっそう甲高くしながらハゲ鼠が喚く。
しかし学園長は一向に怯まない。
「危険因子はどこにでもあるものです。貴軍とてそうでしょう。」
白々しくも淡々と言ってのけた。
「我々ガーデンにおいて、彼という人材を失うのは多大な損害になります。処分は当方に一任されるというお話だったのでは?」
「む‥‥。」
またもや、ハゲ鼠は言葉に窮して黙り込む。
とその時、背後に陰のように佇んでいた長身の男が初めて口を開いた。
「学園長の仰る事は道理です。我々とて事は穏便に運びたい。」
低いが凛とした、よく通る声だった。
「我が軍とガーデンの信頼関係を今後も持続させるためにも、誠意ある対処をして頂ければ我々としては依存はありません。そうですね、大佐。」
「信頼関係」と「今後」という語調を強めて男は言った。
これは、ハゲ鼠の心証に少なからぬ影響を与えたらしい。
軍にとって最も不利益な事、それは今後ガーデンからの傭兵を見込めなくなる事だ、という事実を思い出したのだろう。
ハゲ鼠はもごもごと口籠り、しかしかろうじて曖昧に頷いて同意を示した。
一方シド・クレイマーは、新たな、それもより理性的で論理的な交渉人の介入に、俄に形勢不利を覚えたものか。
居住まいを正すと、これまでとは打って変わった固い声で応対した。
「ガーデンの対処に誠意が感じられない、と仰るのですか。」
「そうは言っていません。しかし我々にも心証というものがあります。」
男は穏やかな、しかし真意の見えぬ笑みを浮かべて言った。
「どうでしょう。ここはひとつ彼の謹慎処分に加えて、次に有事の折には我が軍の要望を無条件に呑む形でSeeDを派遣して頂くという事ではいかがか。」
シド学園長はひと呼吸おき、探るような視線で男を見上げると、指で眼鏡を持ち上げた。
「無条件で、ですか。」
「無条件といっても、無謀な要望をつきつけるつもりはありませんから憂慮には及びません。せいぜいが要人の警護に数名のSeeDを格安でお貸し頂きたい、とかそういう程度のものです。」
「なるほど。」
「かように柔軟で誠意ある対処をされたとなれば、ガーデンの名誉回復にも繋がると思いますが。」
ついと顎をしゃくるさまが傲慢に見えぬ事もなかった。
だが、その端正な顔立ちに張り付いた微かな笑みが、男の態度を柔らかいものにしている。
学園長は数十秒、思案のために黙り込んだ。
その隙に男は視線をめぐらせ、再びサイファーをはたと見据えた。
それまでどうにか大人しく事の成り行きを見守っていたサイファーの首筋に、いい知れぬ不快感がざわざわと蘇る。
「解りました。」
やがて学園長は毅然と告げた。
「今後のお互いの信頼関係のために、貴軍の仰る通りに対処しましょう。」
「よろしい。‥‥では大佐。」
「うむ。」
男に促され、いかにも渋々と言った呈で肥満鼠は呟き、ゆっくりソファから立ち上がった。
「ではその旨、軍に報告させて頂く。」
「ええ、文書の方は後日改めて早急に送達させて頂きます。」
続いて立ち上がり片腕を差し出した学園長に、鼠は今一度頷いて、初めて軍帽を脱いだ。
片腕で汗を拭ったその前頭部は案の定、見事に剥げ上がっている。
その剥げた前頭部をハイペリオンで叩き割ったら、さぞかしすっとするだろう。
お座なりな握手をかわしている男達を横目に眇め、サイファーは眉間の皺を深くした。
「では。」
再び軍帽で剥げ頭をカモフラージュし、肥満鼠がずかずかとドアに向かう。
長身のあの男もシド学園長と黙礼を交わすと、するりと鼠の後に続いた。
部屋を出る間際、男は肩ごしに振り返り、壁際に仁王立ちのままのサイファーに最後の視線をくれた。
相変わらず余裕然とした、愚弄とも嘲笑ともとれる色だ。
実際その口元に微かな笑みが広がったのを、サイファーは見のがさなかった。
瞬時に怒りが沸点に達した。
全身が怒りのバネと化し、片足を軸に体が翻る。
もう一瞬、男が部屋を出るのが遅かったら、そのまま殴りかかっていたに違い無い。
しかし幸か不幸か、ドアは素早く閉じられてしまった。
サイファーは舌打ちすると、振り上げかかった拳で力任せに壁を殴りつけた。
「一週間、謹慎ですよ。必要以外自室を出ないように。」
傍らで、相変わらず穏やかな声が言った。
サイファーはゆっくり視線を落とし、学園長を睨みつけた。
怒りで、全身が震えている。
しかし学園長は柳に風だ。
その表情には怒りも悲壮も浮かんではいない。
ただ、いつもの慈愛を含んだ微笑が消えているところを見るとやはり怒っているのかもしれない。
破天荒なSeeD候補生ひとりのために意に沿わぬ災難を被る事になったのだから、腹を立てるのは道理だろう。
僅かな人間らしい罪悪感が、一瞬サイファーを怯ませた。
その機に学園長はすっと立ち上がると淡々とドアに歩み寄った。
自らノブを引いてドアを開き、サイファーを外へと促す。
「休暇だと思ってゆっくり休みなさい。気持ちを落ち着けるにはいい機会ですよ。」
有無を言わせぬ、態度だった。
サイファーは憮然として再び学園長の狸面を睨みつけたが、結局無言のまま、足取りも荒々しく学園長室を出るしかなかった。
To be continued.
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