SUCK OF LIFE(2)
2
慢性的な、飢餓感。
常に胸中に巣食っている、やり場のない苛立ち。
周囲ばかりでなく、時としてサイファー自身をも自虐的な状況に追い込む、得体の知れない不気味な怒り。
サイファーの生来の悪癖ともいえるその衝動を、親代わりのシド・クレイマーはとうに気付いているに違いなかった。
気持ちを落ち着けろ、とはそうした親心の表れなのだろう。
だが、そう簡単に落ち着ける術を知っていたなら、サイファーとて苦悩はしないのだ。
手に負えないこの苛立ちは、昨日今日に始まった事ではない。
物心ついた頃から、サイファーはずっとそれとの共存を強いられてきた。
原因も、発散する術も解らないこの焦燥感を一番持て余しているのはサイファー自身だ。
持て余し、制御しかねて、たいていいつも暴力という形で噴出する。
SeeD候補生である事はそういう意味で役得ではあったが、逆に今回のような自滅を招く事も少なくない。
寮の自室の狭いベッドの上で、殺風景な天井を睨み付けたまま、サイファーは唇を歪めた。
何もかもが、忌々しかった。
石頭の分隊司令官も、ハゲ鼠の耳障りなきいきい声も、取り澄ましたあの男の小馬鹿にした笑みも。
そして、訳知り顔の保護者面をした学園長までもが、今はどす黒い憤怒の対象だった。
本能の赴くままに、前後の見境なくこの怒りを暴走させる事ができたなら、さぞかし楽だろう。
気にいらない奴らを片っ端から切り捨ててハイペリオンの錆にする事は、今のサイファーの能力をもってすればさほど難しい事ではない。
だが、幸か不幸か、そうした破滅的欲求が土台馬鹿げたものだ、と踏み止まるだけの理性が、サイファーには備わっていた。
己の内に巣食う猛獣を持て余しながらも、どうにかそれを制御せねばならないという自制心はあるのである。
そしてだからこそ余計に苛立ちは増幅し、激しい怒りがわき起こる。
なぜこうも、焦燥感に駆られるのか。
なぜ結果的に、制御しきれないのか。
つまり、ただの無鉄砲な命知らずの馬鹿になりきれないところにこそサイファーの苦悩があり、ジレンマがあったのだ。
そうした苦悩をうまく宥めてくれるような存在-----たとえば家族なり兄弟なり、無条件に己を受け入れてくれるような人間が身近にいたなら、少しは状況も変わっていたかもしれない。
だがあいにく、サイファーはそうした存在と無縁だった。
気付いた時にはすでにガーデンにいて、己は孤児なのだと聞かされていた。
ガーデンに来る前はどこにいたのか、孤児となってすぐガーデンに来たのか、それらはまったく覚えていない。
親代わりであるはずのシド学園長もなぜかそれを教えてはくれなかった。
別に知ったらどうというものでもなかったが、しかしその事が少なからずシド・クレイマーに対する漠然とした不信感を植え付けたのも確かだ。
所詮、自分は孤児なのだ。
いくら親代わりといっても、心から頼れる存在などではあり得ないのだ。
そう認識してからは、常に孤独の只中に身を置いて、周囲を牽制する事で自我を確立しながらサイファーは育った。
漠然とした苛立ちにせき立てられるようにして時を過ごし、満たされない焦燥感を刹那的な衝動で紛らわし発散させる事で、日々を送ってきたのだ。
サイファーはゆらりとベッドに身体を起こし、窓の外を見遣った。
開け放した窓の外、薄いカーテン越しに秋の空は暮れなずみ、遠くから講義の終了を告げる終令が聞こえる。
程なく、明るくさざめく学生らの声が風に乗ってどこからともなく流れ込んできた。
平和で穏やかな、夕刻のひとときだ。
この安寧に満ちた空間の中で、自分ひとりだけがいつでも浮いている。
とうの昔に慣れはしたが、疎外感は常にあった。
幼い頃から育った家ではあったが、ここは俺のいるべき場所ではない。
ここにいる限り、この飢餓感が満たされる事はない。
だが、それならばどこに行けばいいというのか。
そもそも俺の求めているものはなんだ?
この飢餓感を満たしてくれるものはなんなのだ。
モノか。場所か。人なのか。
それすらも解らない。
成長するに従って、この飢えを一時的に満たす事が出来る暴力以外の方法も覚えないではなかったけれど、どんな快楽も刺激も、結局は刹那的なものでしかなかった。
では、己の本当の、安寧は。
一体どこにあるのだろう。
(‥‥謹慎中の身じゃ、ティンバーにも行けねえな。)
軽く舌打ちをして髪をかきあげたところに、ドアにノックの音がした。
「サイファー。いるもんよ?」
聞き慣れた、野太い声。
サイファーは渋々立ち上がるとドアに近付いてロックを解除した。
摩擦音を立てて横に滑ったドアの向こうには、空いた空間を埋め尽くす程の巨躯-----雷神がサイファーを見下ろしていた。
「食事、持ってきたもんよ。」
巨体に似合わぬ遠慮がちな口調で言って身体をずらし、雷神は背後に佇んでいた人物を目線で示す。
覆いのかかったトレーを手にした風神が、これもまた気づかわしげな表情で立っていた。
華奢な躯の彼女は一歩進んで雷神に並んだが、サイファーがトレーを受け取る気配がないので、ちょっと困ったように眉を下げた。
「我、入室可能?」
曖昧に頷くと、ほっとしたように部屋に入って、ライティングデスクにトレーを置く。
「外に出られないんじゃ不便なんだもんよ。何か欲しいものとかあったらいつでも持ってくるもんよ。」
風神の背中とサイファーの顔を交互に見ながら、雷神は早口に言った。
「別にねえ。」
「退屈じゃないもんよ?」
畳み掛ける浅黒い顔に、口端を歪めてみせる。
「たまには退屈も味わってみるもんだ。」
「でも。」
「雷神、黙。」
デスクから取って返してきた風神が、雷神を睨み付けてその向こう脛を思い切り蹴飛ばした。
痛え、と声を上げた大男をぐいぐいと押しやり、自らもドアの前から離れながら彼女は振り返る。
「謹慎、何日?」
「さあな。」
素っ気なく応えると、焦茶色の瞳が微かに潤んだ。
「‥‥待ってる。」
小さく呟いた唇をきりりと引き結び、銀色の頭をついとそらして、彼女は視界から消えた。
慌てて雷神がその後を追う。
「ふ、風神、待つもんよ‥‥じゃ、サイファー、また来るもんよ。」
そうして慌ただしい空気の余韻だけを残して、ドアは再び閉じられた。
残されたサイファーは、部屋の中に戻った。
デスクに置かれたトレーを横目に眺め、軽く嘆息する。
風神と雷神の気遣いは、嬉しくはあったが同時に鬱陶しくもあった。
このガーデンで、唯一サイファーに親愛の情でもって近付いてくるのはあの二人だけなのだから、鬱陶しいなんて言いようは甚だ傲慢に聞こえるが、しかし彼らはサイファーが望んで付き従えている訳ではない。
あくまで彼らの意志でサイファーのそばにいる。
慕ってこられれば無下にはしないし、そばにいたいと言うなら好きにさせている、それだけの事だ。
もちろん、長らく近くにいれば気安さも生まれるし、彼らの存在が柔らかな安堵を与えてくれることもある。
こと、風神の献身的で細やかな気遣い、純粋でひたむきなサイファーへの愛情は、女が持つ優しさというものを知らしめてくれて悪い気はしなかった。
だがそれも結局は、干涸びきった心に落とされるほんの一滴の水、僅かな気安めにすぎない。
その時は心地よく思えるものの、過ぎてしまえばますます飢餓感がひどくなるのがオチだ。
だから半端な気安めは、むしろ鬱陶しさに繋がってしまう。
そういう意味では、あれと同じだ。
週末ごとにティンバーで、名も知らぬ女どもが与えてくれる刹那的な快楽。
それもこれも、根本的には大差ないのだ。
肉体的な悦楽もまた、ほんのいっとき欲望を満たしてはくれるが、決してこの飢餓感まで満足させてくれることはない。
ただ、一時的な気安めの手段としては、暴力よりはセックスの方が幾分マシというだけの話だ。
‥‥なぜ、自分だけが。
永遠に満足することのできない、こんな飢餓感を抱えなければならないのか。
それとも、人間というのは皆そういう風にできていて、たまたま自分だけがそれを制御する術に欠けているだけなのか。
ぐるぐると頭の中を巡り続ける、とりとめのないそんな思考にうんざりして。
サイファーはトレーから視線をそらし、薄く瞼を伏せた。
To be continued.
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