SUCK OF LIFE(11)


11

翌朝、顔を合わせた中佐は、飄々とした口ぶりであれからよく眠れたかと問うた。
サイファーは、仏頂面で唇を歪める事しか出来なかった。
いけしゃあしゃあとよく言うぜとは思ったものの、昨夜の事を抗議しようにも問い質そうにも、どう切り出して良いかまったく解らなかったからだ。
これまでの十六年の人生の中でかような「気まずさ」なんて感情を抱く場面にはついぞ出会ったことがなかったし、こんな時どういう顔をするべきなのかさっぱり見当が付かない。
だがそんなサイファーの無愛想な反応は、なぜかかえって中佐を満足させたようだった。
あるいは例によって、反応を面白がっているのかもしれない。
癪に触るがどうすることもできず、結局サイファーは一日中気詰まりなままこの男の伴をする羽目になった。

いつも通りに軍本部に出庁し、新設するという軍法裁判所の視察に駆り出され、その日は帰宅が遅くなった。
帰宅した遅い食卓に、今日もリノアの姿はなかった。
執事が言うには、日中に一度帰ってきてすぐまた出て行ったのだという。
ならば今夜は帰らないつもりなのだろう。
中佐に向かってそう報告する執事の言葉を耳にして、サイファーは眉間に皺寄せた。
もしリノアが来ていれば。
こんな時にこそ、あの無邪気な笑顔が救いになり得るだろうと淡い期待を抱いていたのだ。
だがそれもかなわないとなれば、もはや策はない。
サイファーは夕食を拒否すると、さっさと自室に上がってしまった。
これ以上不本意な居心地の悪さを享受するくらいなら、空腹感に耐えるほうがよっぽどマシだった。

いつもよりだいぶ早い時間に部屋に作り付けのシャワーを使った。
早々にベッドに潜り込んだが、寝付けるはずもない。
眠気などまったく感じなかったし、むしろ忌々しい思考に捕らわれて目は冴える一方だった。
 
昨夜の中佐の行動の意味なんてものは、中佐自身にしか解らない。
サイファーが考えたところで答えなど出ないし、憶測するだけ無意味だ。
にも関わらず囚われ続ける自分に、サイファーは徐々に苛立ちよりも困惑を覚えてきた。
俺は、何を畏れているのか。
それともまさか、何かを期待しているとでもいうのか。
中佐への嫌悪感は確かに幾分薄らぎつつはある。
終始行動を共にすることで生じた慣れもあったし、所詮この男には牙を剥いても無駄だという諦めもあった。
リノアの事で注意力が削がれた影響も大きい。
あるいは、リノアの立場に己を重ねたのかもしれない。
親子の情なんてものにはまったく免疫のないサイファーだったから、この父子の愛憎半ばする感情を目の当りにして、無意識のうちに共鳴してしまっているのかもしれない。
父親のしている事が許せないと言いながら、それでも父親として愛さずにはいられないというあのリノアの感情に。

サイファーはのろのろと身を起こした。
今さらながら胃袋が心許なく、掌に嫌な汗が滲んでいる。
突如ノックの音がした。
ぎょっとして顔を上げると、ほぼ同時にドアが開く。

「眠れないか。」
中佐は短く呟くと、返答も待たずに部屋に踏み込んできた。
硬直したままのサイファーの傍らに滑るように歩み寄り、淡々とした視線で見下ろしながら手にしていたものを差し出す。
「何かは腹に入れておいた方がいい。」
陶器製の白いカップが、薄闇の中でぼんやりと光った。
カップからは甘く柔らかな湯気が上がっている。
咄嗟に顔を背けると、中佐は無言でサイドテーブルにカップを置いた。
無理にでも口をつけさせるつもりではないらしい。
「サイファー。」
心の表面を薄く削ぐような。
鋭利な、そのくせ柔らかな声で中佐は名を呼んだ。
「君は、私に聞きたい事があるはずだ。違うか?」
「‥‥。」
「昨夜の事を追求したい。そう顔に書いてある。」
サイファーは顔を背けたまま、目の端で中佐を睨み付けた。
「尋いたところで、貴様がまともに答えるかよ。」
「答えるとも。それが礼儀というものだ。」
口元で笑いながら中佐は目を細めた。
真意とも、そうでないともとれる曖昧な笑みだ。
苦々しさに唇を歪めていると、不意に横から視界が狭まった。
整った目鼻立ちが間近でサイファーの顔を覗き込み、薄い唇がゆっくりと動く。

「サイファー。私は、君を抱きたい。」
「‥‥あ?」

ぎょっとして見返そうとした瞬間、唇が重なった。
咄嗟に頭を振って逃れたサイファーは、半身を捻ってベッドの端へ下がり、ハイペリオンのケースに腕を伸ばした。
と、素早くベッドに乗りかかった中佐がその腕を払い除け、手首を掴みざまに背中へとねじ上げる。
ぎりぎりと加えられる容赦のない力に、サイファーは呻いた。
虚を突かれて不覚を取った事を悔やんだが、後の祭りだ。
苦痛に喘ぎながら渾身の力で睨み上げると、中佐は涼しい顔で言った。
「男と寝たことはないか。」
「っ‥‥あってたまるか!」
「試してみる気はないか?」
「ふざけんな!」
「嫌か。」
「あたりめえだ!!」
「なぜ。」
「なぜもヘッタクレもあるか!なんで俺が貴様と寝なきゃならねえ!」
「なら、寝てはいけない理由はあるか?」
ふっと中佐の力が緩み、痛みが和らいだ。
が、ここで逃れようとすれば、瞬時に更なる力が加えられるであろう事は容易に想像できる。
しきりに隙を伺うも、そんな隙は微塵もない。
「同性だから嫌、か。それとも、愛がないからか。」
「な‥‥!」
「君は女を抱くとき、愛しているから抱くのか。」

サイファーはぎょっとして中佐の顔を見直した。
覗き込む漆黒の瞳は、蛇のそれだった。
暗がりに白々と浮かんだ頬は、滑らかな磁器製の人形の肌のようだ。
無機質な唇からゆっくり言葉と共に吐きだされる呼気は、昨夜と同じ、淡い煙草の匂いがする。
それは、大人の男の匂い、だった。
「違うだろう?愛情ではない。単に快楽の追求と性欲の発散に過ぎない。そうだろう。」
「‥‥。」
「ならば同性だろうと同じ事だ。手段が違うだけで、快楽という結果が手に入る事に変わりはない。」

淡々とした抑揚のない声。
再び近付いた白い肌から、サイファーは咄嗟に首を捻って逃れた。
逃れながらも、視線だけはそらせない。
訳も解らぬまま焦燥感が募って、冷たい汗が背筋を滑り落ちる。
「詭弁で‥‥ケムに巻こうってえのか。」
「君が納得できる理由が欲しいというから説明しただけだ。」
「んな‥御託で‥‥俺が素直にヤられると思ってんのか?」
かろうじて呟いた言葉が、曖昧にかすれた。
と、不意に死角から指が伸び、頬に触れる。
「‥‥では、これも任務の内だと言われたらどうだ?任務なら君は抵抗できる立場にはない。」
荒ぶる狂犬を宥めるかのように、冷たい指先が頬骨に沿って静かに往復した。
その動きに無意識の内に囚われそうになり、奥歯を噛みしめる。
「は。‥‥ほざけ。テメエの性欲処理まで任務の内だってえんなら、んな任務糞食らえだ。」
「ほう。SeeDになれなくてもいい、と?」

──SeeD。
その言葉が、正体不明の焦燥感に拍車をかける。
SeeDになるために。
SeeDを目指して。
ガーデンにいれば、日々厭が応でも耳にするその言葉。
誰もがそれを目的に掲げてガーデンにやってきたのだから、当然の事だ。
だが、自分は違う。
物心がついた時にはすでにガーデンの住人であり、望むと望まぬとに関わらず、ガーデンの一員として生きてくるしかなかった。
SeeD候補生という立場は、サイファーが望んだものではない。
孤児である自分をガーデンという「家」に留めるための正当な理由として、学園長らが勝手に貼り付けたレッテルに過ぎない。
元よりSeeDになどなんの憧れも抱いてはいないし、むしろ反吐が出るほど軽蔑している。
人に尻尾を振ってかしづき、唯々諾々と上からの命令に従う事だけを強いられる傭兵になど、死んでもなりたくはなかった。
自分が目指しているものは、そんな卑屈なものじゃない。
自分がなりたいもの、それはもっと誇り高く、崇高で、もっと────。

「SeeDが‥‥なんだっつうんだ。んなもん元から興味も執着もねえ。」

投げやりに吐き捨てたサイファーの言葉に、初めて中佐は薄く笑った。
「‥‥そういうところが。君は、たまらない。」
頬を撫でていた指が滑り、静かに首筋を引き寄せた。
ねじ上げられていた腕は解放され、代わりに控えめな力が肩を押す。
「君を抱くぞ、サイファー。」
いつもとまったく同じ、落ち着き払った口調で中佐は囁いた。
「楽にしていい。素直に楽しむ事だ。」

サイファーはどこか醒めた思いで天井を見上げた。
どうにでもなれ、という半ば自棄的な諦めで、怒りはもはや消え失せていた。
ただ、掴みどころのない焦燥感だけが、身中にいつまでも燻り続けている。

自分が求めているもの。
自分が目指しているもの。
自分がなりたいもの、それは────。

To be continued.
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