SUCK OF LIFE(14)


14

「上の空。」
「あ?」
「何、考えてるの?」
腕を突つかれ我に返ると、傍らでリノアが悪戯っぽい笑顔で見上げている。
「映画、終わったよ。出よ?」

いつの間にか明るくなった映画館の中は、静まり返っていた。
まばらに席を埋めていた観客たちも、誰も残っていなかった。
殺風景で、こじんまりとしたシアター。
えんじが色褪せて、橙色じみている座席と、あまり大きくないクリーム色のスクリーン。
サイファーは頭を振った。
記憶の錯綜と混乱で、軽い目眩がする。
リノアは眉を雲らせ、心配そうにサイファーの腕に手をかけた。
「大丈夫?気分悪い?」
「いや。」
額を押さえ、深呼吸してようやく少し落ち着いた。
「‥‥前に見た。」
「え?」
「ガキの頃に一度見た‥‥忘れてたぜ。」
「この映画を?」
ああ、と低く呻いてサイファーはゆらりと立ち上がった。
慌ててリノアが後に続く気配を背後に感じながら、ゆっくり観客席を離れる。

恐らく、まだガーデンに入って間もない頃だったと思う。
十になるかならないか、本当に子供の頃のことだ。
多分、魔法と魔女の歴史の授業か何かだったのだろう。
資料のひとつとして、確かにこの映画を観た覚えがあった。
今の今まで綺麗さっぱり忘れていたが──それで、ようやく納得がいった。
間違いない、リノアがこの映画の話をした時、脳裏をよぎった思いはこれだったのだ。

一度きっかけを掴んだその記憶は堰を切ったように次々と溢れだした。
押し寄せる記憶に翻弄されて、映画の半ばからはまるであの日に立ち返ったかのような錯覚に陥った。
あの時の教室の様子、生徒らの他愛のない雑談、囁き声。
些細な情景までもがつぶさに蘇り、そして同時に、あの時身の内を走り抜けた電光のような衝撃をまざまざとサイファーは思い出していた。

一時間ほどの短いこの映画を見た時、自分は大きな衝撃と啓示を受けた。
何がそんなに琴線に触れたのかは解らないが、映画の中の「騎士」に心奪われ、これこそ自分の理想、あるべき姿なのだと感銘を受けたのだ。
それからしばらくは取り憑かれたように「魔女の騎士」にこだわり、いつか必ず自分も騎士になるのだと妄執していたように思う。
だがそれほどまでに燃え盛った情熱も、結局は、他の多くの記憶と同じようにいつのまにか深い淵に沈んでしまった。
仕方がない、のだ。
ガーデンにいる限り、その宿命からは逃れられない。
G.F.の副作用は日頃嫌という程思い知らされている。
そういえば、ガルバディアにきてからは必要もないのでG.F.をジャンクションしていない。
古い記憶が呼び覚まされたのは、そのせいもあるのかもしれない。

「ふうん。そんなにあの映画が好きだったんだ。」
問われるままに語ると、リノアは不思議そうに首を傾げた。
「でも、好きだったのに忘れるの?」
「G.F.ってえのはそういうもんだ。」
「そうなんだ‥‥。」
なぜか悲しげに、リノアは俯いた。

すでに夜の帳が降りて、街路は暗く、吐く息は白い。
行き交う人の姿もまばらだった。
この前話したあの映画を見にいきたい、というリノアにつきあってカーウェイ邸を出たのはすでに夕刻だった。
夜のデリングシティは殊更に重苦しく静かである。
ガルバディアホテルの建つメインストリートには一応ネオンが灯っているが、ひとつ通りを隔てれば深閑とした闇が広がっている。
遊興には縁の薄い街なのだ。
「ね。このまま歩いて帰ろっか。」
しばしの沈黙を払拭するように、リノアはサイファーの横顔を振り仰いで微笑んだ。
「ああ?けっこう遠いぜ。お嬢様にはキツイんじゃねえのか。」
「もう、またそういうコト言う。大丈夫だよ、体力には自信あるもん。」
拗ねたようにリノアは唇を尖らせ、それからもう一度笑顔になった。
「それに、その方がもっといっぱい話せるでしょ?」

リノアは毎日のようにサイファーに会いにきた。
護衛の仕事のあとは、リノアの相手をするのがほぼサイファーの日課となっていた。
彼女も彼女なりに忙しいらしく、小一時間ほど話しただけで我が家には泊まらず出て行ってしまう事も多かったが、夜毎の秘事を思えばそれはかえって幸いだったかもしれない。
リノアは、父親とサイファーの間に何が起こっているかなど露ほども知らぬし、それ以前に想像もしていないだろう。
だが不思議なもので、サイファーに後ろめたさは一向に湧いてこなかった。
実際にリノアを前にしたら、罪悪感のかけらぐらいは抱くかもしれないと密かに思っていたのに、自分でも呆れるほどサイファーは冷静だった。
もし万が一にも、父親とそういう関係なのかとリノアに問い質されても、躊躇なく肯定するだろう。
それほどまでに、冷めていた。
つまりそれだけ自分はリノアに関心がない、ということなのか。
あるいは、あの夜以来、サイファーにとってセックスがますます不毛で無感情な行為になりはててしまったからなのか。

中佐の指摘は、緩やかに、しかし確実にサイファーの内面をかき乱した。
快楽を貪るだけのこの行為に、己の求める答えはない。
それは今までだって、漠然とは感じていたことだ。
感じながらもあえて虚勢を張って無視することで、どうにか己を誤摩化してきた。
だが中佐は、その虚勢の皮を容赦なく剥がし、生身の心を剥き出しにさせた。
おかげで、これまで飢餓感を鎮めるための手段として一応の功を奏していたはずの悦楽が、虚しく愚かしい行為にしか思えなくなった。
もう、セックスでは誤摩化せない。
肉体的欲求では精神は満たせないのだ、と認めざるをえなくなってしまったのだ。

だが、認めたところで、肉欲自体が萎えたわけではない。
虚しいと解りつつも、快楽に抗いきれずに流されている自分は、ひどく惨めだった。
愛撫され、拡げられ、侵略され、惰性的に快楽を貪りながら、冷たく冴えた精神は常に悲愴な咆哮を上げ続ける。
永遠に埋められる事がない、と解ってしまった己の中の空虚は、以前にも増して深く底が無かった。
中佐の言うように、己の求めているものが「心の安らぎ」であるならば。
なんと言われようと自分には、そんな道は永遠に拓かれない。
たとえあの男の言うように、抗う事をやめ、すべてを受け入れたとしても。
待っているのは、しょせん絶望だけに決まっている。

──だが、それなのに、なぜ。
自分は、いまだにあの夢を見続けているのだろう。
かくも絶望しているにも関わらず、なぜあの夢だけは相も変わらず満ち足りて幸福なのか。
それだけが、幾度反芻してみても解らない。
抱き締めているそれの正体を見極められれば、疑問はいっぺんに氷解するであろうに、夢はいつもすんでの所で醒める。
それは、喉元迄こみあげながらも一向に言葉になって出て来ない、遠い昔の思い出にも似ていた。
そこにあるのは確かなのに、厚いもやに阻まれてどうやっても手繰り寄せられない記憶のように。
焦燥ばかりが先走って、いつまでたっても肝心の答えに辿りつけないのだ。

「ねえ。騎士になりたい?」
突然の声に、サイファーは深い思考から現実へと引き戻された。
冷たい夜風が頬を嬲る。
傍らで、リノアの大きな瞳が、サイファーの横顔を覗き込んでいた。

To be continued.
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