SUCK OF LIFE(15)
15
「騎士?」
「映画の話。」
「ああ‥‥」
「小さい頃の夢だったんでしょ?」
「‥‥夢、な‥‥。」
気がつけば郊外の坂道に差し掛かっていた。
緩やかな勾配のこの坂を登り切り、坂を降りて再び登った先に、カーウェイ邸はある。
車なら十分の距離も、徒歩では遠い。
路上に人影はまったくなく、通る車とてなく、申し訳程度にぽつりぽつりと並んだ街灯が余計に辺りの静けさを際立たせている。
だがなぜか、先程の街路よりもここの方が幾分明るい。
訝って見回すと、背後に、珍しいことに月が出ていた。
サイファーは何とはなしに足を止め、振り返って坂の下を眺めた。
ガルバディアシティの街並が、ひとかたまりのシルエットとなってうずくまっている。
建物の窓々にはこうこうと明かりが灯り、街中のあちこちを始終照らしている無数のサーチライトの光がここまで届く。
その青白い光は、目映いばかりでやけに寒々として、物理的な明るさとは裏腹に憂鬱で暗い印象を与えた。
街の中心には、ひと際高い大統領府のライトアップされた稜線が見える。
のぼったばかりの月はその上に居座って、暗い街並を蔑むように見下ろしていた。
多分、この街は。
いずれ堕ちる。
根拠も何も無いが、そんな不吉な予感が胸をよぎった。
サイファーは眉をひそめ、低く呟いた。
「‥‥リノア。」
「ん、なあに?」
「あんたの夢は‥‥ティンバーの独立か。」
「うん、そうだよ。」
不思議そうにサイファーの顔を見守っていたリノアは、即答して大きく頷いた。
「誰もが自由でみんなが心から笑えるような、そんな国を作れたらなあって。」
「‥‥そうか。」
我知らず、溜息が漏れる。
「どうしたの?」
「‥‥オトナだな。あんたは。」
「ええ?サイファーの方がずっと大人っぽいよ?」
「そういう意味じゃねえ。‥‥俺は、持ってねえからな。」
リノアの黒い瞳からあえて顔をそらしながら、サイファーは唇を動かした。
「あんたみてえに、絶対的な目標とか夢ってヤツを持ってねえ。俺は‥‥自分が進むべき道すら、見えてねえガキだ。」
リノアは、再び困惑気味に眉を寄せた。
だがすぐに明るい声でサイファーの顔を覗き込む。
「夢なら、あるじゃない。」
「あ?」
「魔女の騎士。でしょ?」
「‥‥馬鹿馬鹿しい。」
覚えず口端を歪めると、リノアは怒ったように唇を尖らせた。
「どうして?馬鹿馬鹿しくなんかないよ。」
「馬鹿馬鹿しいだろ。それこそガキくせえ絵空事だ。ティンバーの独立の方がよっぽど現実味があらあ。」
「現実味の問題じゃないよ、夢は夢だもん。それに。」
と、言葉を区切り、リノアは大きく息を吸い込んでゆっくりと言った。
「なれるよ、きっと。サイファーなら。」
「何に。」
「だから、魔女の騎士。」
懲りねえな、と呆れながらも。
はっとするほど真剣なリノアの表情にサイファーは黙った。
躊躇も遠慮もなくまっすぐに見上げてくる瞳が、えらく眩しかった。
父親もそうだが娘もまた、この黒い瞳で容赦なくサイファーの胸の奥底の何かを抉ろうとする。
サイファー自身にも解らぬ深淵を掻き回して、そこに潜む見知らぬ自分を暴こうとする。
「‥‥ねえ、サイファー。」
こうこうと照らす月明かりが、どこか狂気じみた赤みを帯びていた。
冷たい夜風が不意に吹き付け、サイファーのコートの裾を翻し、リノアの髪を嬲る。
長い黒髪をなびかせながら、リノアはゆっくりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。道が見えてなくても。」
「‥‥。」
「夢や目標が見えなくたって。サイファーは、今のままで充分カッコイイもの。」
白い指先がそうっと伸びて、二の腕に触れた。
動かぬままのサイファーの胸元に、吸い寄せられるように黒髪の頭がもたれかかる。
「そばにいるだけで、すごく安心する。‥‥守ってくれるような気がするの。あの魔女の騎士みたいに。」
押し当てられた額から伝わるほのかな温もりに、サイファーは細く息を吐いた。
「‥‥俺に守って欲しいのか?」
「うん。守ってくれるでしょ?」
半ば冗談めいて、そのくせどこか弱気な口調でリノアは言った。
「サイファーが魔女の騎士になるなら、あたし、魔女になってもいい。」
サイファーは再び口を噤んだ。
魔女の騎士になる、なんて子供じみた夢だ。
そう頭では解っているのに、俄に蘇った幼い頃のあの情熱が、息苦しいほどに胸をしめつけた。
自分は強くなりたい。
強い騎士になりたい。
そして、すべてをかけて大切な人を守り抜くのだ。
あの魔女の騎士のように。
映画という虚構の世界に自らを重ね合わせて夢見ていた、幼い日々はすぐに終わりを告げた。
だが、胸の奥にずっと燻り続けているこの思いは、もしかしたらあの幼い夢の延長なのかもしれない。
記憶の底に眠っていた願望が、無意識に己を急き立て、全身全霊をかけて守るべき存在を探しながら、それが見い出せない事に苛立ってきたのかもしれない。
サイファーは、胸元で息をひそめているリノアの頭を見下ろした。
リノアも、違う。
探し求めているものは、ここにもない。
それははっきりと解っている。
にも関わらず、伝わる温もりがどこか心地よいのはなぜだろう。
ひょっとしたら自分は、ずっと何か勘違いをしていたのではないのか。
求めているものが見い出せないのではなく、求めるもの自体が間違っていたのではないのか。
自分が求めていたものは、本当はごくごく単純で、かつての夢そのものだったのに。
心身の成長の中で徐々にねじ曲げられてしまい、正体が掴めなくなってしまっただけなのだとしたら。
幼稚だろうと馬鹿げていようと、「魔女の騎士」こそが自分の本来の夢なのだとしたら。
それを受け止め叶えうるのはリノアしかいない、と思えた。
自ら魔女になってもいいとまで告げる、この少女をおいて、他に守るべき存在などない。
彼女を愛しているか否かは問題ではない。
──騎士ならば。
自分を頼る者は、守らなければならない──そうだろう?
奇妙な高揚感で微かに頬が火照った。
まるで一足飛びに幼いあの日の教室に立ち戻ったような気がした。
今まで閉じ込められていた反動であるかのように、目覚めた記憶は鮮烈にサイファーの心を支配して、抗えない声が幾度も幾度も脳裏にリフレインする。
自分は強くなりたい。
強い騎士になりたい。
そして、守り抜くのだ──あの魔女の騎士のように。
「ああ。‥‥守ってやるさ。」
擦れた声で呟いて、サイファーはリノアの背中を抱き締めた。
温もりが一層濃くなって、石鹸の香りが鼻をくすぐる。
「魔女だろうと魔女じゃなかろうと。‥‥あんたの騎士になってやらあ。」
刹那的な高揚感に促されて囁いた言葉は、どこかあやふやで白々しかったかもしれない。
けれどもリノアは小さく頷き、心底嬉しそうに笑った。
たとえかりそめの情熱だとしても、何かが間違っているのだとしても。
その笑顔の前でならすべてが許されるような気がした。
より腕に力をこめたサイファーの頭上で、赤い月だけが、さも不満げに見下ろしていた。
やがて月はけだるい溜息をつくように徐々に光を失い、いつもの厚い雲の陰にひっそりと身を隠した。
To be continued.
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