SUCK OF LIFE(16)


16

バラムガーデンを離れて四週間が過ぎた、五週目の朝。
もう護衛はしなくて良い、と中佐は告げた。
約束の期限までは、もうあと二日だ。
残りは、自由に過ごしていい──と言うよりも。
「リノアの相手をしてやってくれ。君が帰るのを寂しがるだろうから。」
そう言って笑う中佐の横顔を、サイファーは内心白々しい、と毒づきながら眺めた。
昨夜とて、当たり前のような顔でさんざんサイファーの躯を貪り尽くしておいて。
夜が明ければ殊勝な父親面をして見せるのだから、この男の真意は伺い知れない。

だが一方で、人は誰しもそういうものなのかもしれない、とも思った。
父親に反目した夢を掲げながら、それでも父親を愛しているリノアも。
サイファーを夜毎抱きながら、そのサイファーが娘の想いに応える事を望んでいる中佐も。
一見矛盾しているようだが、本人にとってはどちらの想いも本当なのだ。
そうした矛盾も受け入れ、割り切って、どちらも自分だと言い切れること。
それが、人として大人になるという事なのかもしれない。
朝食の皿を前に、暗い窓の外を伺いながらそんな事を思っていると、ふと中佐が口を開いた。

「このままガーデンに戻らない、というのはどうだ。」
「‥‥なに?」
ぎょっとして見直すと、中佐は頬杖にこちらを注視している。
一瞬冗談かとも思ったが、掌に乗った薄い唇は笑ってはいない。
「君が望むなら。このままガルバディアにいても構わない。どうだ?」
「‥‥。」
サイファーは茫然とした。
このままここに留まる事もひとつの道としてあり得るなんて、考えたこともなかったからだ。
だがなるほど、確かにこの男の権限をもってすればそれぐらい容易い事だろう。
あるいはずっと以前から──サイファーを呼び寄せた時から、この男にはそういう心づもりがあったのかもしれない。
硬直したままのサイファーに、中佐は囁くように問いかけた。
「どうしてもガーデンに戻りたいか?」
──いや。
それはない、と思った。
ガーデンに戻っても、退屈で苛立たしい日々が待っているだけだ。
割り切れない焦燥感に駆られるのはガーデンもここも同じだが、SeeD候補生というまるで尺度の合わない制服を着せられないだけ、ここの方がマシな気もする。
少なくともここには、リノアがいる。
そして、この男が──真の思惑はどうであれ、サイファーが去るのを引き止めようとしている男がいる。
サイファーが望めば、地位も名誉も権力も、この男は何不自由なく与えてくれるだろう。
打算的に判断するなら、この申し出に応じることを妨げるものなど何もなかった。

だがサイファーは躊躇った。
躊躇うような根拠も理由もないはずなのに、なぜか頷くことはできなかった。
うんざりするほど見飽きたガーデンの廊下や教室、いつも神経を逆撫でする学生らの喧噪。
問題児だ厄介者だと敬遠され、どこにいても畏怖の視線が飛んでくる毎日。
気に食わない教官、いけ好かない同僚、そして雷神や風神の顔が次々と乱雑に脳裏に浮かんで消える。
どれを取っても、たとえこの場で切り捨てても後悔などない、下らない雑多な日常ばかりだ。
それなのに、喉元に何かがつかえているような違和感を覚えた。
他にも何か思いださねばならないことがあったような気がした。
何か、とてつもなく大切で肝心な何かを忘れているような。
すぐ目の前にありながら正体の掴めない、何か。
それは一体、なんだった?
もどかしさは焦りに変わり、逸る気持ちが神経を逆撫でして、いつものあの苛立ちがじわりと広がってくる。

サイファーは奥歯を噛むと、頭を振って無理矢理現実に立ち返った。
注視したままの中佐の肩口あたりを睨みつけ、憮然と声を低める。
「貴様に飼われろってか。‥‥冗談じゃねえ。」
「そうか。」
いささか拍子抜けなほどに、中佐はあっさりと頷いた。
まるでサイファーの答えを予測していたかのように、無表情に視線をはずしそれきり黙る。
だがもし申し出を承知していたとしても。
恐らくまったく同じ反応が返ってきただろう、とサイファーは思った。
己の意思は明解に告げるが、強要はせず、静観し、受け入れる。
ヒューリー・カーウェイとはそういう男だ。
そしてそれが彼なりの「優しさ」なのだと、ぼんやりながらもその頃ようやくサイファーは悟っていた。


「明日、ガーデンに戻るんだね。」
リノアは窓ガラスの曇りを指先で拭いながら、小さな声で呟いた。
映画館の向かいのあのカフェテリアで、二人は向き合い、窓越しに街路を眺めていた。
日を追うごとに、ただでさえ憂鬱な灰色の雲が一層厚みを増すようになった。
まだ昼を過ぎたばかりだというのに、辺りは薄暗い。
一様に厚い冬着に身を包んだ人々が、寡黙に俯いたまま通りを行き交う。
この憂鬱な景色もじきに見納めだと思うと、サイファーは少し複雑な気分になっていた。
この街になんら愛着があるわけではないが、これだけ長くガーデンを離れて生活したのは初めてのことだったから、らしくもない感慨がわいているのかもしれない。
朝食が終わった頃にやってきたリノアは、サイファーが自由の身であることを聞かされるや否や早速サイファーをデリングシティへと連れ出した。
そうして最初のうちこそいつもと同じ笑顔でサイファーを連れ回していたものの、やがて時間が経つにつれ言葉少なに俯くようになった。
カフェテリアで向かい合ってもしばらくは黙ったままで、ようやく発した言葉がそれだった。

「‥‥ね。また、会える?連絡とか。していい?」
窓を拭った指先を見つめながら伏し目がちに尋ねる声に、サイファーは外を眺めたまま上の空に頷いた。
リノアはほっと溜息をつき、テーブルごしに静かに身を乗り出す。
「ありがと。‥‥ね、サイファー。お願いがあるんだけど。」
「なんだ。」
「えと‥‥父様には内緒だよ?」
ことさらに声を低めるリノアを、無言で促す。
リノアは姿勢を正し、勿体ぶった咳払いをした。
「あのね。いつかその時がきたら‥‥ティンバー独立のために手を貸してくれる?」
「なに?」
ようやくリノアに視線を向け眉を寄せると、慌ててリノアは首を振った。
「あ、直接仲間になってとかそういう意味じゃないよ。そうじゃなくて‥‥ガーデンに話をつけて欲しいの。SeeDを派遣してもらえるように。」
「SeeD、だと?」

唐突なその名に半ば面喰らい、サイファーは唇を歪めた。
リノアは神妙に頷き、真剣な眼差しで続ける。
「私達、みんな頑張ってるけど‥‥実戦の経験とか、そういう知識とかには疎い仲間がほとんどなの。だからいざっていう時、一流の傭兵だっていうSeeDの戦力が欲しい。ただ、うちみたいな小さなレジスタンスの要請なんかじゃガーデンは動かないでしょう?きっと話自体聞いてもらえない。私達、資金もあんまりないし。」
テーブルの上で拳をきゅっと握って、リノアは唇を噛んだ。
「でも、サイファーからガーデンに話してもらえたら。SeeD当人の口ききがあったら、偉い人も真面目に聞いてくれるんじゃないかなって。‥‥ダメで元々でいいの、話してみるだけでもいいから。」
「‥‥。」
「駄目?」
「‥‥俺は‥‥」
SeeDじゃねえ、と喉元まで出かかって言葉を飲み込んだ。
今さら言ったところで、何になるだろう。
リノアを落胆させるだけだ。
サイファーをSeeDだと信じて頼ろうとしている、彼女の純真さを踏みにじることになる。
それはあまりに無体というものではないのか。

「あの‥‥サイファー。勘違いしないでね?」
渋面のまま黙り込んだサイファーに、リノアは恐る恐る首を傾げた。
「私、サイファーがSeeDだから近付いたとかじゃないよ?サイファーがSeeDじゃなくっても、私がレジスタンスの一員じゃなくっても。私は本気でサイファーのこと‥‥」
「解ってる。」
サイファーは低く遮った。
そう、リノアがそんな打算で動くような人間でないことは充分に解っている。
解っているからこそ、彼女の真剣な眼差しを無下にできなかった。
自分を頼ってくるこの無邪気な瞳を、裏切ることは到底できない。
──騎士ならば。
そんな事をしたら、取り返しのつかない罪になるに違いない。
それに、リノアの頼みは決して無理難題というわけではない。
たとえSeeDでなかろうと、シド学園長に話をつけるぐらいはいつでもできる。
良くも悪くも「特別」扱いのサイファーならば、シドと話す機会はいくらでもあるからだ。

深く息を吸い込み、サイファーはゆっくりと口を開いた。
「‥‥いいぜ。」
「え。」
伏し目がちだった黒い瞳がぱっと明るく輝く。
「本当?本当にいいの?」
「ああ。話、つけてやる。」
「うれしい!サイファー、ありがとう!」
リノアは今にも飛びつかんばかりの勢いで何度も何度も頷いた。
その大輪の笑顔にサイファーは目を細め、再び窓の外を見遣った。
だが、空は相変わらず物憂げで。
屈託のないリノアの表情とはまるで裏腹に、相も変わらず憂鬱な灰色をたたえているに過ぎなかった。

To be continued.
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