SUCK OF LIFE(4)
4
それから一ヶ月は何ごともなく過ぎた。
退屈な講義、暇つぶしにもならぬ実技演習やままごとのような野外授業。
そして他愛のない小競り合いや教師との衝突。
判で押したようなガーデンでの生活は事も無げに立ち戻ってきて、ぬるま湯のような日常にサイファーを沈めた。
週末には相変わらずティンバーに足を運び、刹那的な享楽に身をやつす。
そこで出会った妙な女の事など、いつの間にかきれいさっぱり忘れ去った。
ただただ、やり場のない焦燥感と、満たされることのない飢餓感が、当たり前のようにサイファーを支配する。
これまでうんざりするほど繰り返されてきたという意味で、それは平凡な毎日と言っても良かった。
しかし、平凡な日常は、その朝突然再び絶ち切られた。
学園長から直々の呼び出しを受けたのだ。
またどうせ説教かなんかに決まっている。思い当たる節は、枚挙に暇が無い。
にしても朝っぱらから面白くねえと辟易しながら、わざと指定の時間よりも遅れて学園長室を訪れると、シド・クレイマーはなんとも複雑な表情でサイファーを待っていた。
恰幅の良い体を猫背気味に丸めて両腕を後ろで組み、一応笑顔は浮かべてはいるが、眉は微かに八の字を描いている上、口元には明らかに笑い以外の皺が寄っている。
あるいは、苦悩を無理矢理笑顔で誤摩化そうとするとこういう顔になるのかもしれない。
「実は、あまりにも異例の事なので私も困惑したんですがね。」
表情そのままの複雑な声でシドは切り出した。
最初、その複雑な顔の理由は、わざと遅れた事とノックもせずにドアを開いた事にあるのだと思ったが、どうやらそうではないらしい。
サイファーが来るずっと以前からシドはその顔だったようだ。
不遜な態度でドアの前に仁王立ちになっているサイファーに近付きながら、彼は肉付きの良い指先を持ち上げて自らの眉間を揉みほぐした。
「とはいっても約束は約束ですから。私にとっても君にとっても不本意ですが仕方ない。まさかこんな形で要求を提示されるとは思ってもみなかったんですがね。」
相変わらず、この狸は前置きが長い。
苛々と唇を歪め、いいからさっさと本題に入れと促そうとした時、シドはぴたりとサイファーの目前で足を止めた。
「サイファー。君を明日からガルバディアに派遣します。」
「‥‥ああ?」
思わず、片眉が吊り上がった。
「ガルバディア? 派遣、だと?」
「ええ。」
「おい。とうとうボケたか、狸オヤジ。俺はSeeDじゃねえ。」
「そう、君はSeeDではない。万年SeeD候補生ですがね。」
慣れた調子で切り返されて、サイファーは小さく舌打ちをした。
シドは溜め息と共に俯き、さも嘆かわしげに言葉を続けた。
「しかし、これはカーウェイ中佐からのたっての依頼なのですよ。SeeDではなく、どうしても君を寄越して欲しいと。」
「カーウェイ?」
「ヒューリー・カーウェイ中佐です。忘れましたか? 君も会っているでしょう。」
そんな名前に、覚えはない。
するとシドは顔を上げ、諭すように促した。
「二ヶ月前、この隣室で。ガルバディアの対外交渉官です。」
たちまち、あの日の情景が脳裏に蘇った。
今シドが立っている斜め後ろのドアの向こうで繰り広げられたあの茶番劇が、まざまざと思い起こされる。
ソファの後ろに控え、いけ好かない薄ら笑いでずっとサイファーを凝視していた、あの男。
ハゲ鼠の「大佐」に慇懃な助言を呈していたあの男が。
なるほど、そういう名だったのか。
ああ、と中途半端な声を洩らしたまま黙り込んでしまったサイファーに、シドは頷いた。
「あちらの要望を無条件に呑むという約束ではありましたが、よもや君を名指しで指名してくるとは、私も予想外でした。」
説明しながら、シドは背中を向け、部屋の奥に据えられた馬鹿でかいデスクにゆっくりと歩み寄った。
「SeeDでない学生を派遣するなど前代未聞です。しかし期限は一ヶ月、君の身の安全は保障するという条件までつけての要請なのです。そこまでして君を欲する理由も、具体的な任務の内容も不明ですが、しかし‥‥。」
「なるほどな。本来なら、全SeeDをタダで貸せとか言われても文句言えねえ立場だ。」
サイファーはせせら笑った。
「その程度で済むなら、考えようによっちゃあむしろ願ったり叶ったりってえ事だろ。」
しかしシドはサイファーの悪態に動じた様子もなく、デスクの向こうに回ると、その上に置かれた数枚の書類を手にして、視線でサイファーを招いた。
足を引き摺るようにして渋々近付くと、ひとまとめに三つ折りにした書類を目の前に差し出しされた。
「今日中にデリングシティのガルバディア軍本部に向かいなさい。カーウェイ中佐が直接身柄引き受け人です。ガルバディアまでの鉄道は特別にSeeD専用キャビンを使って構いません。」
眼鏡のレンズ越しに、小さな目が曖昧な笑みを浮かべた。
幾度もトラブルを繰り返すガーデン一の問題児に、内心はうんざりしながらも、それでも親の情から見限る事のできない己を憐れんでいるかのような笑みだ。
それとも、もっと単純に。
懲りない馬鹿息子を憐れんでいるだけ、なのか。
「‥‥そいつぁどうも。」
憮然と吐き捨て、もぎ取るように書類を受け取ると、サイファーはくるりと背を向けた。
ずかずかとドアに向かうその背後で、シドが小さなため息をつくのが聞こえた。
何かもう一言、言いたかったのかもしれない。
だが、会釈どころか振り返りもせず部屋を出たサイファーには、もうどうでもいい事だった。
ホールで待っていた風神と雷神に、デリングシティに行く事になったと告げると、二人はぽかんと口を開いた。
当然、サイファーがシドにそうしたのと同じように、彼らもサイファーに問い正した。
なぜSeeDでないのに、派遣されるのか。
それもたった独りで、なぜあえてサイファーが。
しかしサイファー自身も判らない事には、如何とも答えようがない。
彼らの問いを無視して、さっさとハイペリオンのケースを取りに自室に向かってしまったサイファーに、二人も仕方なく追求を諦めたらしい。
ハイペリオンのケースを下げて再びホールに戻ってみると、彼らは無言のまま付き従い、駐車場まで後を着いてきた。
「サイファー、バラムまで送るもんよ。」
駐車場に入ると、雷神が不安そうにそう告げた。
「いるかよ。幼稚園のガキじゃねえ。」
「でもよ。」
不機嫌に切り返したサイファーに、雷神は困惑気味に眉を寄せた。
隣では、風神が強張った頬のままじっとサイファーを凝視している。
彼らの顔は、不安という二文字がでかでかと張り付いていた。
二ヶ月前にサイファーが問題を起こした相手がガルバディア軍である事を思えば、SeeDでもないサイファーがそのガルバディア軍に指名を受けた裏には、何か良からぬ策略が働いているのではないかと疑っているのに違いない。
(‥‥めんどくせえ。)
不義理にも、そう思った。
大丈夫だ、とか心配すんな、とか声をかけてやることさえ今は煩わしかった。
多分、自分もどこかに不安を抱えているから、彼らを思い遣ってやる余裕がないのだ。
つくづく己の身勝手さが苦々しい。
奥歯を噛んで二人から視線をそらし、バラムまでの道行に使用する車を物色する。
とはいえ駐車場に残っている車は数台しかなかったから、選択に迷うほどの事もなかった。
乗り心地の良い一般車両はすべて出払っている。
仕方なくガーデン車両の一台を選び、車両番号がペイントされている黄色い車体に近付いた時だった。
がらんとした駐車場に、賑やかな笑い声が飛び込んできた。
振り返ると、四、五人の学生らが群れを成して駐車場へと入ってきたところだった。
先頭に立って彼らを引率している教官が、学生らを振り返り、私語を慎めと戒めている。
どうやら、実技クラスの野外演習らしい。
教官が学生らを引率して、グアルグ山麓のあたりまで野外演習に出かけるのはよくある事である。
教官は、入り口に最も近いところに止められている古いガーデン車両に歩み寄ると、学生らを振り返って、それに乗るようにと言葉少なに指示をした。
駐車場の奥に立っているサイファーと風神雷神の姿に気付く者は、教官を始め誰もいない。
いや。
集団の末尾、最後に車両に乗り込もうとしたひときわ小柄な学生だけが、違った。
まるでビデオの一時停止みたいに、車に片足を掛けたままはたと動きを止め、そして僅かに首を傾げた。
見るともなしに、その光景を見守っていたサイファーはぎょっとした。
それが、見知った顔だったからだ。
遠目にも判る、逆立てた金色のトサカ頭。
ここからは見えないが、不審と疑惑の色を浮かべているに違いない、蒼い瞳とあどけない鼻筋。
制服の袖を無造作に捲り上げている腕を持ち上げて、ゼルはさも不思議そうに後頭部を掻いた。
何が気になったのか、自分でも判らないようだ。
広い駐車場の中の離れた位置で、しかも奥まった死角に近い位置にいる三人にはやはり気付かないのだ。
ただ天性の勘の鋭さで、見られている、という視線だけを何となく嗅ぎ取ったものらしい。
落ち着かぬ様子できょろきょろとあたりを見回し、やがて結局、まあいいか、というように自らの後頭部を撫でながらそのまま車両に飛び乗った。
その一連の仕種振る舞いは、あまりに子供っぽくて無防備で。
サイファーは思わず、おいチビ、といつもの調子で声をかけそうになった。
いや、チビじゃなくてチキン野郎だったな。
せっかくつけてやった渾名だ、使わにゃ勿体ねえだろ。
「サイファー?」
傍らの声に、はっと我に返った。
と同時に、不機嫌な角度に引き結んでいたはずの自分の口角が弛みかかっているのに気付いて慄然とした。
風神が、物言いたげな目でサイファーを見ている。
咄嗟に渋面を作り直したが、一度身の内にこみあげた妙な高揚感のせいで、そうして仏頂面を装うのにえらく難儀した。
学生らを乗せたガーデン車両が、傍若無人なエンジン音を立てて目の前を通り過ぎていく。
巻き起こった生暖かい排気風が、風神の銀色の髪を無造作に揺らす。
そして余韻を残して再び駐車場が静まり返ってから、サイファーは口を開いた。
「心配すんな。一ヶ月たったら戻る。」
煩わしい、と一旦退けたはずの言葉が、意外にもすんなりと口にのぼった。
風神と雷神の顔に、たちまち苦渋から解放された安堵の表情が浮かぶ。
「おう。気をつけて行くもんよ。」
はずみをつけて何度も首を縦に振る雷神と、小さく頷いた風神を残し、サイファーは車に乗り込んだ。
凍えて淀んでいた車内の空気が、ひやりと頬を撫でる。
握ったステアリングも痺れるように冷たい。
‥‥もう、冬なのだ。
グアルグ山の麓などは、今日はだいぶ冷えるだろう。
自分が向かう先はバラムだというのに、キーを回しながら、なぜかそんな事が気になった。
To be continued.
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