SUCK OF LIFE(5)
5
一時間ステアリングを握り、バラムからはSeeD専用キャビンに乗り込んで、デリングシティまでの六時間は寝て過ごした。
軍事大国ガルバディアの首都デリングシティは、ティンバーとはまた違った意味で繁栄を極めている大都市だ。
市街地は常に人で溢れ返り、夜通し照明も人通りも絶えない。
だが、一見賑やかで華やかなこの街路には、同時に漠然とした緊張感も常に漂っていた。
行き交う人々の笑顔もどこかよそよそしく、ともすれば作り物めいて見える。
それは、一年を通じてこの街の上に垂れ込め、滅多に太陽を覗かせる事のない黒く厚い雲のせいもあるだろうが、それよりも。
市の中央に位置する凱旋門を軸としてはり巡らされた環状道路をひっきりなしに巡回している軍用車にこそ、本当の理由がある。
現在この国は、名目上は民主主義を詠っているが、実際はデリング大統領の独裁体制の元にある。
頑迷な軍事主義者であるデリング大統領が、その圧倒的な軍力を盾に、少しでも異を唱える者には容赦ない弾圧を加える事で、国家を征服しているのだ。
迂闊な事を口にすれば即政治犯として逮捕されるという恐怖心、いつ謂れのない反逆罪の汚名を着せられるか解らないという猜疑心。
それらと戦いながら、人々は日々を送っている。
この街の繁栄は、いわばいびつな砂上の楼閣なのだ。
そのような背景を思えば、人々の笑顔が引きつるのも無理はない。
大統領官邸と目と鼻の先にあるガルバディア軍本部に到着する頃、すでに街は夜の帳に沈んでいた。
例の雲のせいで、この街は陽が暮れるのが異様に早い。
厳重な警備網の敷かれたゲート前の検問で、ガーデンからの任命書を示すと、呆気無いほどあっさりと通された。
昨今、内部規律の乱れが指摘されて、他国からの評判も極めて良くないガルバディア軍だが、さすがに軍本部ではまだ規律が重んじられ、命令系統も行き届いているらしい。
バラムガーデンからSeeD----正しくはSeeD候補生なのだが、便宜上なのだろう、任命書にはSeeDと記載されていた----が到着する旨も、前もって検問に通達されていたようだ。
警備兵に促されてロックの解除されたゲートを潜る時、サイファーはとてつもなく嫌な気分になった。
二ヶ月半前に、ガルバディア軍の車に拘束されてこのゲートを潜った事を思い出したのだ。
だが、あの時と今日とでは、扱いは雲泥の差だった。
サイファーを先導していく警備兵の慇懃な態度から見ても、また、ゲートの検問でハイペリオンのケースをチェックをされなかった事からしても、どうやら今日はVIPクラスの客人扱いになっているらしい。
警備兵の案内に従って建物に入り、まっすぐ幹部専用の応接室に通された。
しばらく待つようにと告げて警備兵は部屋を出て行った。
品のいい色合いのクロスが貼られた応接室の壁と、窓の外の暗い空を交互に眺めていると、やがて応接室のドアが開かれた。
ああ、そうだ、こいつだ。
入ってきた男の顔を見るや否や、覚えのある嫌悪感がこめかみに走った。
あの時、侮蔑するような視線で、じろじろと人のツラを眺めていやがった。
口元に薄ら笑いさえ浮かべて、いかにも人を憐れむように嘲っていやがった。
サイファーは頬に緊張を張り付かせ、苦々しさに眉を寄せたまま男の動きを目で追った。
男はソファの背後を回ってサイファーの真正面に立つと、悠然と腕を組みサイファーを見据えた。
並んで立ってみると、サイファーといくらも身長は変わらない。
185はあるだろう。
今日も軍帽はかぶっておらず、艶やかな黒髪を相変わらず丁寧に撫で付けている。
間近で見ると、顔立ちは整っているが彫りは深い方ではなく、どちらかというと平面的で、のっぺりとした印象を与える。
だが、輪郭のはっきりした眉とその下の黒い瞳にはまったく隙がなく、何かを見透かすような眼力を備えていた。
加えて、中堅の域に達した男だけが持ち得る大人の余裕というやつがその物腰の端々に溢れている。
それが、知らず知らずのうちにサイファーを怯ませた。
「遠路ようこそ。改めて、ヒューリー・カーウェイ中佐だ。」
例の、低くよく通る声で彼は名乗り、右手を差し出した。
なだらかな鼻梁の下で、色素の薄い唇が微笑している。
臆しながらも、断じて握手などはしたくはなかったからわざと腕組みをして無視してやった。
すると、中佐は苦笑しただけで腕を引っ込めた。
その笑みがどこか楽しげにさえ見えて、サイファーはますます眉を顰めた。
「さて、本題だが。任命書を預かろう。」
渋々腕組みを解き、コートの裏からそれを出して突き付ける。
中佐は受け取り、素早くそれに視線を走らせると、元通り折り畳んで自らの内ポケットに入れた。
「ガーデンで話は聞いて来たと思うが、これから一ヶ月間、君の身柄は私の管理下に置かせてもらう。」
「それで、何をすりゃいい。」
ぶっきらぼうに問うと、中佐はほう、と眉を吊り上げた。
「ようやく口をきいたな。」
「‥‥。」
やはり、侮蔑されているのだ。
苦々しく唇を噛んだが、中佐はさらりとサイファーの視線を躱して、窓の外を見遣った。
「ここのところ、ガルバディアでもレジスタンスの動きが不穏でね。テロの危険もある。君には、一ヶ月間、我が家と私自身の護衛を努めてもらいたい。」
そう言って再び目の端でサイファーを眺め、あの笑いを浮かべた。
「不満そのもの、という顔だな。」
「‥‥警護なんざ、軍にやらせりゃいいだろ。」
「SeeDはクライアントに対して是非は問えないんではなかったか?‥‥いや、君は正式なSeeDではなかったな。」
「‥‥。」
この、野郎。
これ以上会話を続けていたら、見境なく殴り掛かってしまいそうだった。
だが、それがどういう結果を招くかは判り切っている。
サイファーは拳を固め、今にも弾け飛びそうな理性の箍を締め直そうと、必死で意識を集中した。
一度その箍がはずれてしまったら、恐らく自分では制御できないだろう。
だからそうなる前に、極力の努力をはらうしかない。
そんなサイファーの努力を知ってか知らずか、中佐はひょいと話の鉾先を変えた。
「ところで、君はこう問いたいのではないか。なぜSeeDでもない候補生を、それもあえて指名までして呼び寄せたのか、その理由をきかせろとね。」
サイファーに向き直り、漫然と己の指先を眺めてから、ゆっくり視線を上げる。
「後々、あらぬ疑いを持たれたり痛くもない腹を探られるのも不本意だから、最初に言っておく。私は君が気に入ったんだ、サイファー・アルマシー。」
気に入った?
サイファーは、今し方の怒りも忘れ、呆気にとられてカーウェイ中佐の整った顔を見直した。
そんな評価を受けたのは、生まれて初めての事だった。
サイファーと初めて対面した人間、たとえば新参の教師らなどは、この手に負えない問題児の破天荒ぶりを目にすると、最初はなるほど思春期特有の不安定な心理の為せる技なのだろう、誰にでもそういう時期はあるものだとたかを括る。
だが数カ月も経たぬ内に、そうではない、これはこの男の生来の困った悪癖なのだと気付くのだ。
けれどもそこで、サイファーをまともな道に更生してやろうなどと奮起する正義感溢れた教師は、ガーデンには独りもいなかった。
なぜなら、サイファーは学生としては決して落ちこぼれではない。
それどころか成績は常にトップクラスであり、サイファーに並ぶ能力を持った生徒はごくごく数える程しかいない。
要するに問題なのは素行だけであって、元来は更生など必要のない優秀な生徒なのだ。
となれば、この生徒に関しては無駄に関わってもめ事を起こすよりも、放っておくのが得策だ。
反抗的なだけならまだしも、虫の居所が悪ければ教師に対しても平気で殴り掛かってくるような生徒とまともにぶつかりあったところで、己の保身が危うくなるだけだ。
そうして、彼らは結局古参の教師らに倣って、眉をひそめて傍観を決め込むのが通例だった。
そんな、いわば鼻つまみ者の厄介者であるこの問題児を「気に入った」などと豪語する人間は、かつていた試しがない。
警戒心と胡散臭さからサイファーは身構え、目の前の中年男を睨みつけた。
「だから、ぜひ親しく話をしてみたいと思った。君を呼んだ理由はただそれだけだ。」
中佐はサイファーの反応などまったくおかまいなしに続けた。
「私はこれでも、軍内部では色々と我が儘がきく身だ。バラムガーデンとのこの取り引きの件については私に一任されたので、心置きなく権利を行使させて貰った。」
「公私混同かよ。」
嫌味たっぷりに声を低めたが、中佐は動じない。
「そうとばかりも言えない。公的にもメリットはある。」
「一体どんなメリットがあるってんだ。」
「SeeDでない候補生でも場合によっては派遣に応ずる、というガーデンとしては有り難くない前例を作ってしまった訳だ。SeeDの質と価値を保ちたいガーデンとしては甚だ迷惑な事だろう。」
「ただの嫌がらせじゃねえか。」
「嫌がらせの応酬だよ、政治的な取り引きなんてものはな。」
さらりと言い放った横顔に一瞬臆すると、中佐は泰然とした笑みを浮かべた。
「さて、早速だが、退庁時間だ。我が家に護衛頂くとしようか。」
To be continued.
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