SUCK OF LIFE(7)
7
護衛とは名ばかりで、体裁のいい鞄持ちだ。
最初の二、三日は、肚の中でそんな悪態のつき通しだった。
自宅と軍本部との間を朝晩往復し、かつ中佐の行く先々に同行を命ぜられるが、これといった護衛らしい仕事があるわけではなく、これでは鞄持ちと変わらない。
会議の時だけは、軍の内部機密に関わる事だからと会議室の警護に回されたが、それとて退屈な立ち番だ。
不満を並べたところで状況は変わらないとは言え、終始こみあげる苛立ちだけはどうしようもない。
だが、一週間ばかりもたった頃、ちょっとした騒ぎが起こった。
大統領府での要人を招いての会合に向かう途中、過激派のデモ隊に進路を阻まれたのだ。
ガルバディアは徹底した軍事主義国家で、ほぼ完全なデリング大統領の独裁体制下にある。
反体制めいた活動は片っ端から軍によって制圧されており、少しでも疑わしき者があれば即逮捕だ。
けれどもそのような情勢にあっても、いやそういう情勢だからこそ、叛乱分子は後を絶たない。
デリング大統領失脚すべしのプレートを掲げて実力行使に及ぼうとする過激な反政府行動も、実は珍しくないのだ。
その日のデモ隊は、五十人ばかりだったろうか。
規模としては小さいが、いずれも血気に逸る若者が、お座なりとはいえ一応の武装をして大統領府前を道路を占拠していた。
状況を知った中佐は、即軍本部に制圧班を寄越すよう要請した。
だが、その到着を待たぬ内に、中佐を乗せた軍要人専用車両は、彼らに気付かれてしまった。
ガルバディア軍屈指の権力者であるカーウェイ中佐は著名人であり、彼らの標的の独りである。
車はたちまち取り囲まれ、興奮した怒声を合図に、たちまち容赦ない攻撃が始まった。
本来ならば、装甲を施されたVIP専用車中で、制圧班の到着を待つべきだったろう。
実際このような場面に幾度も遭遇しているに違いない中佐は、車体を打ち据えられる衝撃や絶え間ない罵声にも涼しい顔で後部座席から動かない。
だが隣のサイファーはこの騒ぎの中、大人しく席に収まっていられたのは、ほんの数秒だけだった。
断じて、中佐を守ろうとした訳ではない。
護衛という任務への使命感に奮い立った訳でもない。
ただ、ここ数日の憂さを晴らすのに絶好ともいうべきこの機会を、本能が見逃さなかった。
暴力と喧噪の渦に煽られて、フラストレーションが一気に噴出したのだ。
無意識の内にハイペリオンを掴んでドアを蹴り開いたサイファーは、躊躇う事なく混乱の只中に踊り出した。
言葉にならない怒声と共に殴りかかってきた二、三人を無言で一刀の元に峰打ちにした。
絶叫と共に彼らは地面に転がり、そばにいた数人がぎょっとしたように後ずさる。
辺りの空気が、ひやりとしたものに変わった。
過激派といえども、実戦経験には乏しい所詮は烏合の衆である。
あっさりと容赦なく薙ぎ払われた仲間を目の前にして、彼らが臆したのも無理はなかった。
ハイペリオンを上段に構えたまま、ずいと踏み出したサイファーに、人垣はばらばらと列を崩した。
中には、いち早く踵を返して逃げ始めた者もいる。
と、後方にいて状況がよく呑み込めていなかった数人が、破れかぶれの罵声と共に列を掻き分けて飛び出してきた。
鉄パイプらしき武器を手に遮二無二襲い掛かってきた彼らの攻撃を、身を捻って躱し、続けざまに腕ごと峰で打ち据える。
幾人かは恐らく腕が折れただろう。
悲痛な声を上げてばたばたと倒れ込んだ彼らを踏み越え、サイファーはさらに列の中に踏み込んだ。
たちまち辺りは悲鳴と怒号に包まれ、無謀に飛びかかってくるもの、逃げ惑うものとが入り乱れて大混乱となった。
一体幾人を薙ぎ払い、殴り倒し、蹴り飛ばしたのかわからない。
おそらく時間にすればほんの十分程だったのだろう。
気付いた時には、足元には累々と人が折り重なり、苦痛のうめき声がたちこめる中、荒い呼吸で立ち尽くしていた。
折しもその時、ガルバディア軍制圧班が到着した。
軍用車からバラバラと降り立った兵士らは、現場の有り様に一瞬困惑したようだったが、それでもさすがに順応は早かった。
ただちに周囲に包囲網を敷いて逃げ出した連中の逮捕にかかり、同時に転がった負傷者らを次々と引き摺って護送車に収監していく。
サイファーはけだるい視線でその様をしばらく眺め、それからのろのろと車の方に歩き出した。
慌ただしい作業の合間に、制圧班の司令官が中佐の無事を確認しに来た。
後部座席に泰然と座したままの中佐は、ドアを開いた司令官にどことなく緊張した声音で尋ねた。
「ティンバーがらみのレジスタンスか?」
「いえ、兼ねてから手配のあった地下組織の連中のようです。」
「‥‥そうか。後を頼む。」
中佐はなぜか安堵したように頷くと、敬礼した司令官をさっさと掌で追いやった。
そして矢庭に身を乗り出し、ドアの傍に歩み寄ってきたサイファーの腕を掴んで、車の中に引きずり込んだ。
半ば自失状態で抗う事も忘れていたサイファーは、崩れ折れるようにシートに収まった。
「殺さなかったな。」
耳元で低く、からかうように呟かれて、ようやく我に返った。
目の前で、薄い色の唇がさも嬉しげに笑っている。
「やはり、君はただの馬鹿ではないようだ。」
「‥‥な‥に?」
霞がかったままの頭を振って眉をしかめると、中佐はするりと腕を延べ、親指でサイファーの頬に触れた。
途端に刺すような刺激が頬に走り、ぎょっとして身構える。
どうやら混乱の中、何かの切っ先が掠めて皮膚が裂けたらしい。
眼前に示された中佐の指先には、紅い血がついていた。
中佐が触れたところから、ちりちりと焼けつく痛みが思い出したように盛り上がってくる。
中佐は親指の血を軽く自らの唇に押しあて、淡々と言った。
「今の君の立場からすれば、迂闊な流血は自殺行為だ。殺さなかったのは正解だ。」
‥‥確かに、ハイペリオンの刃を返さず、撃鉄も上げなかったのは。
かろうじて理性の残っていた証拠だった。
うっかり殺しでもしたら、重要な政犯の証人を失った云々の角で難癖をつけられないとも限らない。
何分、サイファーには前科がある。
ここで過剰な行動を取れば、また面倒な事になりかねない。
いくらのぼせた頭でも、それぐらいの理屈は解ったのだ。
だがこの男は、それらを重々承知した上で。
外に飛び出したサイファーを、制しようともしなければ、止めもしなかったのである。
もしサイファーが完全に理性を失っていたら連中を殺しかねないというのに、あえて傍観を決め込んだのだ。
サイファーは奥歯を噛むと、低く呻いた。
「‥‥俺を試しやがったな。」
「止める暇がなかった。」
白々しく言い放って中佐は笑った。
色素の薄い唇が、薄く血で彩られてようやく人並みの赤さを帯びているが、逆にそれがひどく不自然に見える。
------嘘だ、とサイファーは思った。
はなから、止める気などなかったに違いない。
サイファーがどう出るかと予想を巡らせながら、わざと------観察していたのだ。
そしてここに来て、サイファーはようやく中佐の意図を悟った。
中佐が「興味がある」と言ったのは、冗談でも建て前でもない。
この男は、本気でサイファーの反応や態度を逐一観察し、あまつさえそれを楽しもうとしている。
サイファーが何を考えどう行動するのかを見極めつつ、さらにはいつ我を失い暴走するかと心待ちにしているらしい。
つまりは、動物園の珍奇な猛獣扱いである。
獰猛な猛獣が人を襲って噛み殺す様を、安全な場所からぬくぬくと見物しようという訳だ。
この認識は、サイファーのプライドを著しく傷つけた。
否、ずっと中佐に対して感じていた忌々しさの正体はこれなのだと気付いた。
一段も二段も高い位置から注がれる、嘲笑うように見下したあの視線。
つまり自分は、二ヶ月前のあの時から、ずっとこの男に「観察されていた」。
それが、己のプライドの表面に、じくじくと終始癒えない擦過傷を刻んでいるのだ。
青ざめ、唇を引き結んだまま睨み付けているサイファーに、しかし中佐は冷ややかに笑っただけだった。
「君は利口だ、サイファー。」
意味ありげにそう呟くと、ゆっくり前に向き直り、そして何ごともなかったかのように車を出せと運転手に命じた。
To be continued.
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